湖畔で野営

 星空を映し返す湖のほとりのひとつに着地したリリィ。レヴァレアも近くに降り立ち、みんながわらわらと集まってきた。

 でも、僕はもう動けません。

 空からの美しい夜景に一度は覚醒しかけた意識だけど、衰弱はそういったことでは回復しないみたい。


 ミストラルにお姫様抱っこで降ろされて、手頃な場所に寝かされる。


 は、恥ずかしい!


 みんながにやにやと僕を見ていた。

 くうぅ、さっきまで格好良く活躍できていたと思うんだけどな。と思ったけど、巨人の魔王に踊らされて竜力を全部使い切っている時点で、情けなかったです。


 巨人の魔王は何も指示を出さなかったけど、みんなは心得たように野営の準備を始める。


 すでに三日月と星だけが光源の、闇が広がる夜。ルイセイネが法術の明かりをともし、みんなは僅かな明かりの下で食事の用意をする。


 敷物を広げて、保存食を旅道具から取り出す。調理なんて贅沢ぜいたくなことはできないから、今日は仕方がないね。


 プリシアちゃんは、目の前に置かれていく食べ物によだれを垂らして、食事はまだかと、みんなを催促さいそくしていた。


 竜族のレヴァリアたちも今日は大活躍だったけど、特段お腹は空いていないのかな。

 人がせわしなく準備を進める様子を尻目に、近くで丸まっている。

 リリィもレヴァリアを恐れることなく、近くで寛いでいた。


 ところで、僕は寝かされたまま?

 要介護の僕だけど、意識を失う前に少しだけご飯が食べたいです!


 むむむ、と空腹を訴える念力をみんなに送っていると、ニーミアが反応した。


「にゃあ」


 プリシアちゃんの頭から飛び立ったニーミアは、僕が横になっている場所まで飛んでくる。

 そして、巨大化した。


「うわぁ。本当は大きいんですねぇ」


 リリィが首をもたげ上げて、興味深そうにニーミアを見つめる。

 巨人の魔王は僕の傍で、少しだけ片眉を上げた程度の反応だった。


「ご飯にゃん」


 ニーミアはそう言うと、僕をつかんで、広げた敷物の場所まで行く。

 そして、自分のお腹を僕の背もたれにするようにして座らせてくれた。

 巨大化したニーミアが場所を大きく取っているけど、みんなも余った場所に座り始める。


「魔王もどうですか?」


 ミストラルがそう声をかける前に、巨人の魔王は堂々と僕たちの輪に入って座る。


 そして、ささやかな夕食が始まった。


「はい、あぁん」

「ぐぬぬ。アレスさん食べにくいです」


 僕の介護は、いつのまにかアレスさんに決定していた。

 だけどアレスさん!

 顔にお胸様を押し付けながら食べ物を口に運んできても、食べられません!


「アレス、今夜は自重しなさい」

「くすくす。今夜でなければ良いのか、ミストラルよ」

「アレスさん、その暴力的な胸をどけてください。エルネア君が困っていますよ」

「ふふふ。ルイセイネが言うと、ひがみにしか聞こえぬ。それに、エルネアは喜んでいるぞ」

「恐ろしい精霊だわ」

「精霊が本性を現したわ」


 みんなは、僕とアレスさんの密着度に不平不満を漏らすけど、だれも実力行使に出てこない。

 どうも空元気からげんきなのかな。

 巨人の魔王の前で、なるべく平常通りに過ごして、緊張感を緩和しようとしている。だけど、一日で色々なことが起こりすぎて、さすがのみんなも疲労困憊ひろうこんぱいみたいだ。


 唯一元気なのは、プリシアちゃんだけだね。

 もぐもぐと、口いっぱいに食べ物を詰めて満面の笑みを浮かべている。

 プリシアちゃんが差し出した干し肉を、ニーミアが美味しそうに食べる。

 すると、遠巻きに見ていただけのフィオリーナとリームが反応した。


『ああ、ずるいよっ。わたしは我慢してたのにっ』

『リームもぉ』


 どうやら、幼竜は食欲に負けたらしい。

 ニーミアとプリシアちゃんの側まで飛んでくると、食べ物をねだる。


「はい。順番ですよ。並んでくださいね」


 プリシアちゃん、その仕草は誰に習ったんだい?

 左手を腰に当て、右手で干し肉をふらふらと振って見せている。

 フィオリーナとリームが行儀良くプリシアちゃんの前に並ぶと、ご褒美のように干し肉を与えていた。


 幼女たちの微笑ましい様子に、みんなの顔に微笑みが浮かぶ。

 だけど、僕の顔に押し付けられたままのお胸様は外れなかった。


 ご飯食べたい……

 そう思って、ふとあることに気づく。

 ライラの反応がないよ?

 和気藹々わきあいあいと食事を楽しんでいるみんなのなかで、ライラだけが元気がない。


 理由はわかっている。


「ねえ、ライラ。アレスさんだと困っちゃうから、僕にご飯を食べさせてくれないかな?」

「えっと……あの……」


 ライラは困った表情で僕を見た。


 魔将軍ダンタールの呪いのせいで、ライラの守護具は壊れてしまった。そして、身体の自由を乗っ取られて、僕を攻撃しようとしてしまった。

 ライラのことだから、後ろめたいと思っているんだろうね。


「ライラ、お仕置きだわ。エルネア君にご飯を食べさせる刑よ」

「ライラ、お仕置きだわ。エルネア君のお世話をする刑だわ」


 双子王女様に押されて、ライラは困った表情のまま僕の場所まで来る。


「ライラ、其方は心配しすぎだ。誰も気にしてなどおらぬ」


 アレスさんが気を利かせて、ライラに僕の隣を譲る。


「あぁん」


 僕はライラに向かい、ひなのように口を開ける。

 くう。恥ずかしい。でも、ライラが元気になるのなら、これくらい……


 くすくす、とみんなが笑っていた。


 ライラも最初は気まずそうにしていたけど、観念して僕にご飯を食べさせてくれた。


「うん、美味しいよ」

「よ、良かったですわ」


 ぎこちなく笑うライラ。


「ライラの守護具が壊れちゃったね。またみんなで頑張って、新しいのを買おうね!」

「次はもっと上等な物を買うことを提案するわ」

「ミ、ミストさん……前回のがいったい幾らの物なのかを知って言っているのですか」

「お金なら問題ないわ。国庫から必要な分だけ取ってきてあげるわ」

「お金なら問題ないわ。国庫にもしかすると、国宝級の物が眠っているかもしれないから、取ってきてあげるわ」


 そ、それはちょっと……


 僕とミストラルとルイセイネとライラは、口を揃えて双子王女様を非難した。


「みなさま、ありがとうございますですわ」

「謝罪もお礼も禁止よ。みんな必死で戦ったのだもの。こうして全員が無事に切り抜けたことを、素直に喜びましょう」


 ミストラルの優しい言葉に、ライラはようやくいつもの雰囲気を取り戻したようだね。

 今のライラは、落ち込むことがあっても、すぐに立ち直れる。

 気を入れ替えたライラは、僕にたくさんの食べ物を食べさせてくれた。


「お口には合いませんか?」


 ライラが元気になったのは良かったんだけど、今度は別の場所が気になります。

 僕たちの輪のなかに問答無用で入り込んできた魔王。だけど、目の前に並べられた食べ物には手をつけず、さかずきの飲み物で唇を湿らせているだけ。そして、僕たちのやり取りを興味深そうに見つめている。


 魔王だから、質素な保存食なんて食べられたものじゃないのかもしれない。

 僕の思考を読んだのか、魔王と目が合って「ふふふ」と笑われた。


「いや、実に面白いと思ってな」

「なにがでしょう?」


 現状、魔王におくすることなく声をかけられるのは、ミストラルだけみたい。みんなの注目が魔王に集まる。


「最初は。私の国へと呼び寄せたときは、其方らはミストラルとそれ以外のお供程度にしか認識していなかったのだが」


 魔王にとっては、そりゃあ僕たちは有象無象うぞうむぞうのひとつだろうね。


「私はミストラルだけに用事があったし、其方らの中心はもちろん竜姫のミストラルだと思っていた。しかしどうだ。クシャリラの魔王城での戦いを見ても、今の微笑ましいやり取りを見ても、そうではないことがうかがい知れる」


 魔王の視線は、ずっと僕だけを捉えていた。


「竜王エルネアか。確か、竜峰の西の村で一度だけ見たな」

「はい。あのとき、ルイララと勝負をしたのは僕です」

「覚えている。まさかミストラルに庇われるように立っていた者こそが、この大所帯の中心だとはな」


 魔王はなにを思ったのか、立ち上がる。そして僕の傍へとやって来て、霊樹の木刀を手にする。


 あっ! 反応はできませんでした。

 でも、魔王は霊樹の木刀に何かするわけでもなく、手に取って繁々しげしげと見つめる。


「どうも、其方らは流星竜りゅうせいりゅうに導かれし者たち、ではないようだ。竜王エルネアとその家族、か。本当に面白い。まさか霊樹や竜峰を巻き込む者が人族とはな」


 言って魔王は、霊樹の木刀を僕に返してくれた。


「私の意識の上をいったことに褒美を与えよう。受け取れ」


 霊樹の木刀を返還した巨人の魔王の掌に、闇が現れる。そしてその闇のなかから、美しい首飾りが出てきた。


「守護具が必要なのだろう。くれてやる。大事にしろ。壊したり無くしたりすれば、殺す」


 えっ?


 僕たちは、魔王が召喚した美しい首飾りを見つめたあと、お互いに顔を見合わせた。


「受け取らねば殺す」

「あ、ありがとうございます!」


 慌てて受け取ったけど、呪われていたりしないよね?

 首飾りを慎重に見てみる。

 みんなも興味が湧いたのか、僕の側に寄って来て首飾りを見つめた。


「エルネア君……」


 反応を示したのは、ルイセイネだった。


「首飾りに付けられている宝石なのですが。竜気と法力が混じっています。こんな守護具は見たことも聞いたこともありません」


 言われて、首飾りに取り付けられている宝石を見る。見る角度によって虹色に輝く宝石。宝石には星粒のようなきらめきが幾つもあって、とても綺麗だ。


「竜眼か。大した眼力だ」


 魔王はルイセイネの瞳に感心しながら、元いた場所に戻る。そしてまた、杯の液体で唇を湿らせていた。


「呪いはないかしら?」

「呪われないかしら?」


 半信半疑の双子王女様。


「安心しろ。造ったのは私ではない。疑わずに着けるがいい」


 なら安心だね。本当に?

 僕の前例があるだけに、安心なんてできない気がしてきた。


「んんっと、着けてあげるね!」


 しまった。油断した!

 僕たちが顔を見合わせていると、プリシアちゃんが首飾りを取ってしまった。そして、躊躇ためらうことなくライラの首に着けてしまう。


「きれいきれい」


 僕へのお色気攻撃が終わったアレスちゃんは、幼女の姿に戻っていた。


「ラ、ライラ……?」


 恐る恐る、ライラの様子を伺う。


「だ、大丈夫ですわ。なにか暖かい力で守られているような気がしますわ」

「……それは良かった」


 どうやら、本当に安全なようだね。

 僕たちは揃ってほっと胸を撫で下ろす。


「くくく。本当に面白い者たちだ」


 魔王だけが、面白おかしく笑っていた。


 程よくお腹も膨らんできて、いろんなことがいち段落すると、遂に衰弱が本気を出してきた。

 重くなるまぶた。背中に感じるニーミアの温もりと、みんなの笑顔で気が緩んでいく。


「十分に寝ることだな。起きればまた苛烈な日常が待っている」


 魔王の言葉を最後に、僕の意識は深い湖に沈むように落ちていった。

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