月の涙 満月の雫

 満月の夜。月の光を遮るように降り注ぐ流れ星の雨を、地表の人々は見た。

 流れ星の雨の先を飛ぶ、巨大な翼竜を見た。

 銀に近い金色に美しく輝く翼竜は、北へ北へと羽ばたく。

 空では、翼竜を追うように流れ星の雨がその後を追っていた。

 地上では、黄金色に輝く神軍が翼竜を追って北進していた。

 しかし、黄金色の神軍は空から流れ落ちた流れ星の雨に蹂躙じゅうりんされ、地上に横たわる黄金色の星へと変わっていった。


「許せない。許せない。許せない……」


 何者も追いつけぬほどの速度で北を目指す翼竜の背中で、ひとりの巫女が瞳から血の涙を流し、うずくまっている。膝をつき、四つん這いの姿勢で小さく固まった巫女の腹部は血に染まり、血の気を失った全身は冷たい肌色をしていた。しかし、失われていく命とは逆に、巫女の身体からは無限の法力が溢れあがり、それが光の粒となって空へと昇っていく。星のまたたきのような法力の光の粒は、誰も届かない天にまで昇ると、青白い尾を引く流れ星となって地表へと降り注ぎ、全てのものを蹂躙した。


「レイラ、どうか正気を取り戻して……」


 翼竜は背中の巫女に優しくささやきかける。しかし巫女の耳には届かない。レイラと呼ばれた巫女は怒りに顔をゆがめ、肩を震わせるばかり。


「神族を許さない。わたしをだまし、シャンティアの優しさにつけこみ、霊樹を……霊樹を……」


 レイラの言葉に、銀に近い金色の翼竜シャンティアは遥か後方を振り返る。

 流れ星の雨の先。広く裾野すそのを広げた霊山の山頂が赤く揺らめいていた。

 つい先日まで。そこには若い霊樹が泰然たいぜんと存在していた。

 シャンティアが守護していた霊樹とその聖域。そこは今、火の海に沈みつつある。

 最初は、ひとりの神族だった。道に迷い飢えていた神族の男をレイラが助けた。巫女であり気の優しいレイラは、シャンティアが守護する聖域のなかにある村の巫女頭みこがしら。小さな村ではあったが、き人族ばかりでシャンティアは好きだった。その村にある日、神族の男がレイラの手によって運ばれてきたのだ。

 レイラは巫女の務めとして、苦しんでいる者を種族を問わずに助ける。しかし結果から見れば、それは最悪の結末しか運んでこなかった。

 どこで知ったのか。神族の男は霊樹の存在を捜し、シャンティアが守護する聖域に侵入したのだ。

 聖域内に人族の村を抱き込んでいるのだ。霊樹と聖域の存在は外の世界に知られぬように、徹底的に隠匿いんとくしてきた。現に霊山の霊樹を守護してきて約三千年間、シャンティアは霊樹を護り続けることができた。

 しかし、神族の男はレイラを騙し、まんまと聖域に侵入することに成功した。

 シャンティアも、油断していたのかもしれない。浮かれていたのかもしれない。三千年もの長きにわたり霊樹を守護してきたという自負が慢心まんしんになっていた。若き次代の守護者を弟子にとり、気が緩んでいた。

 神族の男は密かに聖域を調べあげ、霊樹を探し当てた。そして、本国から一万の神軍と百万の天軍を呼び寄せたのだ。


「許さない。神族も天族も、全てを許さない……」


 レイラは自責の念に押し潰されてしまった。

 巫女として、彼女は女神の奇跡を起こした。空を埋め尽くす天族の軍から、聖域で暮らしていた人々や動物や竜族を女神の奇跡で護り抜き、聖女へと昇格した。しかし、レイラはすぐに堕ちてしまった。シャンティアの最後の結界を破り、霊樹のもとへと到達した神族に怒り狂った。

 怒りに堕ちた聖女レイラは、身体に宿した無限の法力を暴走させてしまった。

 流星宝冠りゅうせいほうかん

 全攻撃法術のうち上から二番目の大法術。本来であれば、数百人から数千人規模の巫女たちで儀式を行い、大奏上の後に起こる奇跡。最上級の法術のひとつ。

 しかし、聖女になり瞬く間に堕ちたレイラは、その身ひとつで流星法冠を無限に発動させ、天軍と神軍を蹂躙した。

 女神の奇跡など求めてはいなかった。神族どもに見つかってしまっては、もはや霊樹は護りきれない。だけどせめて、親友のレイラだけでも助けたかった。シャンティアには、幾万幾千万の有象無象の者たちからレイラを護るだけの力はあった。

 だが、ちてしまってはもう……

 聖女とは、ほまれ高い存在。しかし、堕ちてしまえばわざわいしか呼び寄せない。巫女であれば、聖職者であれば、誰もが知っている。だからこそ。堕ちてしまったレイラが禍いを振りまく前に、女神のもとへと送り届けなければいけない。ひとりの巫女が果敢にもレイラと対峙した。

 シャンティアは止めることができなかった。

 巫女は自害を許されない。それは聖女であれ、堕ちた身であれ同じこと。禍いの前に女神のもとへとレイラの魂を送り届けるには、誰かがその手を血で汚さなければならない。しかし、シャンティアにはできなかった。親友をこの手に掛けることはできなかった。

 なんと弱き心。なんと情けない存在なのだろう。シャンティアは己の弱さを知る。

 レイラと対峙した巫女は優秀な者だった。しかし、聖女となり堕ちたレイラには何者も敵わない。レイラの腹部に致命の一太刀を与えることがやっとだった。巫女は返り討ちにあった。怒りに堕ちたレイラは自制をなくし、見境なく怒りを周りにぶつけてしまったのだ。

 致命の一太刀とは言っても、即死までには至らず、レイラは禍いを振り撒いた。

 シャンティアは決断するしかなかった。己の愚かな心と脆弱ぜいじゃくな精神のせいで取り返しのつかない凶事きょうじを生んでしまった。だが、後始末くらいは責任を持たなくてはならない。神族どもに霊樹の神秘を渡すわけにはいかない。

 シャンティアは自らの手で、霊樹に火をかけた。女神の奇跡を起こしてまでレイラが護ろうとしたものを、自らの手でこの大地から消さなければならない。

 罪深い。しかし、もうそれしか手は残っていない。


「ごめんなさい」


 瞬く間に燃え上がる霊樹に、シャンティアは謝罪した。


『気にするな。母のような竜よ。幼木のころより見守り続けてきた優しい竜よ』


 霊樹は自らの意志で全身に炎を回し、燃え上がった。

 霊樹に最期の別れを告げ、シャンティアはもうひとつ、残された使命を果たすために翼を羽ばたかせた。

 このままレイラを放置すれば、この聖域だけでなく、東に連なる竜峰にまで被害が及ぶ可能性がある。わずかな灯火ともしびとなったレイラの命。しかし、彼女の法術の威力ならば、命尽きるまでに聖域と竜峰北部は壊滅してしまう可能性がある。

 怒り狂うレイラをどうにか背中に乗せ、シャンティアは北限を目指す。海に出れば、被害を抑えられる。

 しかし、怒り自我を失ったレイラの流星法冠はシャンティアにも容赦なく降り注いだ。全身を流星に貫かれながら、シャンティアは北の海を目指した。そして遂に、無限に広がる海原へと到達した。


「レイラ。ほら、見なさい。海が広がっているわ。一度だけ、貴女が幼い時に我の背中に乗せて来たことがありますね」


 語りかけるが、レイラの耳には届かない。

 進むことを止めたシャンティアの周りに流星の雨が追いつき、海に降り注ぐ。

 暗く闇色に広がっていた海原が、光り輝く流星の粒で綺麗に輝いた。

 空には満月と流れ星。海には明滅を繰り返す波の平原が広がっていた。


「うう……ううう……」


 背中でうずくまるレイラがうめく。血の涙を流し、シャンティアの背中を血で染め上げていきながらも、怒りに苦しむレイラ。


「ねえ、覚えているかしら。我と貴女で霊樹の周りをよく散歩したわね。あの時に見つけて食べた霊樹の果実はとても美味しかったわよね。我はまだ、あの時の宝玉を大切に持っているわ。貴女がありったけの法力を込めて我に贈ってくれた最初の宝玉よ」


 シャンティアの言葉が届いたのか。想いが届いたのか。レイラの心に怒り以外の隙間が現れた。


「うううう……」


 既に呻き声しか発することのできなくなったレイラの口。しかし、心にできた僅かな隙間から、当時の楽しかった想い出と懐かしむ気持ちが溢れかえってきたのが伝わり、シャンティアは微笑む。


『ごめんね、シャンティア』

「違うわ。謝らなければいけないのは我の方よ。貴女の苦しみを僅かでも受け止めることができたら……」

『ううん、いいの。霊樹ちゃんは護りきることができなかったけど、皆を救うことはできたもの。堕ちてしまったわたしを許してね。傷つけてしまってごめんね』

「貴女はよくやったわ。霊樹の守護を担う者として、聖女として、竜の巫女として貴女は立派に務めを果たしたわ」

『そうかな? シャンティアがそう言うのなら、そうなのかな?』

「ふふふ、そうよ」


 シャンティアは楽しそうに笑った。レイラも一瞬だけ、怒りに歪んだ顔に笑顔を浮かべた。


「さあ、先に女神のもとへと行きなさい。我もすぐに追いつくわ。また一緒に遊びましょう」

『うん。待っているね。今度は霊樹ちゃんと女神様とみんなで遊ぼうね』


 レイラの心に僅かにできていた隙間は、怒りの渦へと飲み込まれて消え去る。

 しかし、うずくまり苦悶くもん嗚咽おえつを漏らすレイラからは、それ以降無限の法力と星の粒は湧きあがらなかった。

 シャンティアの背中の上で、レイラの命の灯火が薄れていく。シャンティアは滞空しながら長い首を回し、弱々しくなっていくレイラを見つめ続けた。

 レイラの流した血がシャンティアの傷口に触れて、二人の血が混じり合う。


「行ってきます……」


 最期にレイラの口かられた言葉に、シャンティアは「行ってらっしゃい」と見送りの言葉を返す。

 ふっ、とレイラの全身から力が抜けた。崩れ落ちるレイラ。シャンティアの瞳には、まばゆい光となって天へと昇っていくレイラの魂が見えていた。

 レイラの魂は女神のもとへと旅立った。程なくして、レイラの肉体も光の粒へと変わり、輪郭りんかくを薄めていく。最後まで優しく見つめ続けたシャンティアの視界から、レイラの全てが消えた。


「聖女は、レイラは女神のもとへと行ったわ。もうそれは必要ないでしょう?」


 レイラの消え去った自身の背中から、空の高みへと視線を移すシャンティア。

 シャンティアに問われるように、遥か上空からひとりの人が降りてきた。

 翼を持たぬ人が空に浮く不思議な光景。しかし、目の前に降下してきた人物ならば、それも容易たやすいことなのだろう。

 シャンティアの眼前に緩やかに舞い降りた人は、純白の外套がいとうを身に纏っていた。複雑に織り込まれ、美麗な装飾や刺繍が施された外套。だが、それは元々純白だったわけではない。遥かに長い年月をこの者と共に過ごし、色が抜け落ちてしまったのだ。


罪狩つみがりは必要ないわ。レイラの罪ははらわれたもの」


 シャンティアの眼前に浮くのは、満月の光を受けた絶世の美女。意志ある者が造りだしたどのような美術品よりも、どんな架空の物語の美女よりも美しい絶世の美を讃えた女は、純白の外套と同じように色素を持っていなかった。白髪とも銀髪ともとれるような美しく長い髪。頬にも唇にも温もりを感じるような朱色はさしていない。瞳は灰色で、それだけが唯一の色ともいえた。そして絶世の美女の両手には、一振りの純白の大剣がたずさえられていた。

 聖剣罪狩り。

 堕ちた聖女を女神のもとへと導くために造られた、聖なる大剣。


「古き友よ。我は罪を犯しました。だけどレイラは違うでしょう?」

「そうじゃな」


 美女は悲しそうに微笑んだ。


「あら。悲しんでくれているの? うれしい。貴女の感情を見たのは何百年ぶりかしら」

わらわも感情くらいは持っておる」

「ふふふ、そうね。ねぇ、良かったらもう少しだけここに居てくれないかしら?」


 シャンティアの言葉に、美女は頷く。

 シャンティアの命も、すでに消えかかろうとしていた。幾千幾万もの流星の雨を受け、全身に傷を負っていた。それでもここまで飛べたのは、レイラの為。だけどもう、レイラもこの世にはいない。シャンティアは自らの死期を感じ取っていた。

 眼前の女性は、聖女になり堕ちたレイラを、女神のもとへと送り届けるために現れたのだと、シャンティアは知っている。

 でもどうか、自分の死を看取ってほしい。長命な命を授かった古代種の竜族であるシャンティアにとって、周りの者の命ははかなく短い。多くの友人をこれまでにも看取ってきた。そんなシャンティアにとって、同じように長命で遥か昔から付き合いのある友と呼べる存在は極僅か。そしてそのひとりが、目の前の美女だった。


「ねえ、お願いがあるの」

「なんじゃ?」

「我が死んだら、どうかこの魂を竜峰に届けてほしいわ。あそこでは、人と竜が共存共栄していると聞くもの」


 人と交わり、人と共に生きたシャンティアらしい望みに、美女は堅く約束をする。


「我は女神に怒られるかしら?」

「阿呆な考えじゃな。なぜ其方が怒られるのじゃ」

「だって、大切な霊樹を燃やしてしまったわ」

「何者も完璧などありはせぬ。命あるものはいずれ命を失う。其方のように。そしていずれ妾もじゃ」

「ふふふ、貴女がそう言ってくれるのなら安心だわ。それじゃあ、女神の膝の上で貴女が来るのを、首を長くして待っているわね。ああ、早く来てってことじゃないのよ?」


 シャンティアの言葉に、くつくつと喉を鳴らして笑う女。


「あらまあ、貴女が可笑しそうに笑うのを見たのは何百年ぶりかしらね」

「妾も笑うことくらいはある」


 全身を包む激痛と、流れる血と共にこぼれ落ちていく命を感じながら、シャンティアは女とたわいもない言葉を交わし続けた。


「おや、坊やが来たわ」


 シャンティアは後方を振り返った。


「師匠! シャンティア! シャンティアァ!!」


 流星の輝きが失われ、満月だけの淡い光に包まれた空を高速で飛ぶ黒い影に、シャンティアと女は揃って苦笑する。

 呆れた様子で迎えたシャンティアと女の前に高速で飛来したのは、黒く艶やかな鱗をした翼竜だった。黒い竜もまた古代種の竜族であり、並みの竜族など物ともしない巨体をしていた。ただし、四千年生きたシャンティアからみれば、まだまだ小さい。


「シャンティア! 許さぬぞ、神族どもめ。我が国ごと滅ぼしてくれるわ!」

「やれやれ、騒がしい坊やだこと」

「誰が坊やだ!」

「うるさい、黙れ」

「黙るのは魔女まじょの方だ!」


 ふうふうと鼻息を荒くする黒い竜。


「シャンティア、待っていろ。いま我の能力でその傷を癒してみせる」

「ふふふ、必要ないわ。もう我は長くない」

「そんな……諦めるな……」


 今まで勇ましかった黒い竜が、途端に悲しみに暮れる。


「坊や。汝はもうひとり立ちをするときが来たのよ。我の庇護ひごを離れ、世界を回りなさい。そしていつか、立派な霊樹の守護者となりなさい。恨みに走るのは愚か者よ」

「我にその勤めができるだろうか……」

「心配ないわ。困ったときは我が友を頼りなさい」

「なんじゃ、この悪戯者の面倒を我に押し付ける気か?」

「いいでしょう? 最後のお願いよ」

「其方の最後のお願いは、これで何十度目になるのやら」

「我は必ずシャンティアが誇れるような守護者になってみせる!」

「大切な者を失わないように、きちんと護り通すのよ」


 自分にはできなかったことを、若き黒い竜に託すシャンティア。


「それじゃあ、我から最後の贈り物よ。これを……」


 シャンティアの巨大な手の爪の先につまままれた物を、黒い竜が受け取る。


「我とレイラとの想い出よ。もしも守護する霊樹が見つからなかったときは、それを育てなさい」

「責任をもって受け継ぐ」


 黒い竜はシャンティアに深く頷いた。


「……どうも今夜は客が多いのう」


 シャンティアと黒い竜の別れを優しく見守っていた女は、大陸の方を見た。

 空を埋め尽くす天族の軍が、満月の光を遮り進軍してきていた。


「雑魚どもめ。我が全て葬り去ってくれるわっ!」

「待つのじゃ、阿呆者」


 怒りの咆哮をあげた黒い竜を、女が手で制する。黒い竜よりも遥かに小さい女に手で制されただけで、黒い竜は身動きを封じられた。

 シャンティアと女と黒い竜が見守るなか。唐突に空が曇りだした。分厚く黒い雲が満月の空を覆い尽くす。次第に雷鳴がとどろきだし、圧倒的な魔力が見渡す陸と海を満たす。

 天軍から際限のない悲鳴があがった。直後、いかづちの雨が天軍を襲い、一瞬にして空から天族を消し去る。数瞬遅れ、耳をつんざくような轟音が世界を満たすように鳴り響き渡った。

 シャンティアたちが見守る先。天族が消え去り、厚く黒い雲に支配された先に、巨人が立っていた。女の姿をした巨人は落雷と共に海へと足を沈め、こちらへと向かってくる。海をかき分け、大波をあげて近づいてくる巨人。黒い竜はぐるると低く喉を鳴らした。


「間に合わなかったのか……」


 胸の下まで海に沈んだ巨人はシャンティアたちのもとまで進むと、悲しそうに見つめてきた。


「いいえ、間に合ったわよ。古き友よ」

「ぐるる。巨人の魔王……」

「おや、坊や。生きていたのか」

「黙れ、老婆ろうばめ!」

「くくく、威勢だけは良い」


 黒い竜に「巨人の魔王」と呼ばれた者は胸を上下させて笑う。それに合わせて海原に波が立った。


「お前の守護する土地が魔族の国であったのなら、きっと間に合ったのにな」

「もう一度言うけど、間に合ったわよ」

「何が間にあっただ。お前の死に際に間に合ってもなにも喜びは感じない。お前が護っていたものは霊樹だろう。霊樹を護る手助けに間に合わなかったのだ」

「我は最期にこうして友と弟子に会えて嬉しいわ」

「我は……嬉しくないぞ……」


 魔族の、魔王が涙を流した。

 巨人の魔王も、魔女と呼ばれた女同様に、シャンティアの昔からの友人だった。自分よりも長く生き続ける親友。


「滅ぼしてくれる。天族を我が雷で焼き払い、神族の国を大陸から消し去ってやる」

「おやまあ、魔族の貴女らしい考えね。でも無関係な人どもを殺すのはどうかしら?」

「構うものか。同種族であれば、同罪だ」

「でも、東側であまり暴れすぎるとあのお方がお怒りになるわよ? 貴女は今、なかくにを統治しているのでしょう」

「ふんっ、知らぬ!」

「やれやれ。面倒を増やすでない。あの者が怒れば、妾が尻拭いをせねばならぬ」


 巨人の魔王の怒りに、魔女がため息を吐く。


「ねぇ、ローザ。お願いがあるの」

「なんだ? 我は今、どうやって復讐をするか考えているのだ」

「ふふふ。怒った貴女は誰にも止められないわね。でも、ひとつだけ約束をして。どんなに暴れても良いけれど、どうか霊樹のあった場所だけは保護してちょうだいね」

「言われずとも。幾百年、幾千年と護り続けてやろう。唯一、我らが安息できた場所だ。神族ごときに易々と渡すものか」

「その言葉を聞いて安心したわ。ああぁ、もう思い残すことはない。我はレイラのもとへと行こう……」


 シャンティアが徐々に衰弱してきていることは全員が知っていた。翼の羽ばたきが弱くなっていき、高度が下がっていく。魔女の力で空中に浮き続けていたが、命までは支えきれなかった。

 シャンティアは、魔女を見て微笑む。


「貴女にもいつか、幸せが訪れますように」


 次に、巨人の魔王ローザを見て、苦笑する。


「暴れすぎないようにね? そしていつか、我の意志を継ぐ者が現れた時には手を貸してあげてね」


 最後に、かすむ視界で黒い竜を見た。


「全てを伝えられなくて、ごめんなさいね。でも、貴方ならきっと素晴らしい守護者になる。我が保証するわ、スレイグスタよ」

「我が名スレイグスタにかけて誓う。必ずや霊樹の守護者となり、シャンティアの遺志を継ぐ者を育ててみせよう」

「ふふふ、女神の膝の上で、レイラと一緒に見守っているわ」

「霊樹の聖域は必ず取り戻す。魔王ローザの名に懸けて誓おう。ついでに、スレイグスタ坊やが育てた者くらいなら守ってやるさ。まぁ、魔族の国を訪れたらならだがな」

「やれやれ。そういった者の尻拭いを妾にやらせる気じゃろう。問題児どもめ」

「ふふふ。だって貴女の役目はそういうものでしょう?」


 最後に全員で笑いあった。

 そして、意識を薄くし始めたシャンティアを見守る。


「ありがとう……」


 魔女が最後までシャンティアの全身の痛みを緩和していたことを知っている。口では恐ろしいことばかりを言うローザも、復讐ばかりに目が向いているわけではないことを知っている。そして、己の意志をスレイグスタが受け継いでくれたことを知っている。

 思い残すことはない。心穏やかに逝ける。友と弟子に見守られながら、シャンティアは瞳を静かに閉じた。

 シャンティアの全身が光の粒へと変わっていく。鱗と同じ銀に近い金色をした光の粒は海の上を優しく乱舞し、空へと消えていった。

 残されたのは、虹色に輝くひとつの宝玉。人の頭ほどもありそうな宝玉を、魔女は両手で受け止めた。


「それをどうするのだ? シャンティアの竜宝玉を、何者かもわからぬ相手に受け継がせるのか?」

「シャンティアの遺言じゃ。これは竜峰へと届ける」

「あそこには確か、竜人族が住んでいたな」

「昔より、竜宝玉を護る部族が在る。そこへとシャンティアを連れていく」

「ふふん、ならば我はその部族を護り、シャンティアの竜宝玉を受け継ぐ者が現れるまで見守ろう」

「おや、お主は霊樹を守護するのではなかったのか?」

「相変わらず阿呆の子ね、坊やは」

「ち、違う! 霊樹を護るついでにだな……」


 ふいっと視線を逸らした黒い竜スレイグスタに、ローザと魔女は顔を見合わせた。


「竜峰か、少し遠いな。だが約束は守らねばならぬ。シャンティアの遺志を継ぐ者が現れるまでには国替くにがえをしておこう。ついでだ、竜峰の西側を神族から奪ってやる」


「其方は単純に、復讐をしたいだけであろう。まあ良い、妾は関知せぬ」


 魔族と竜族と人。不思議な三者はこうして互いにシャンティアの想いを引き継ぎ、空へと散っていった。


 約二千年後。

 魔女は永久雪原えいきゅうせつげんの上で、空に新たに生まれた銀に近い金色に輝く星を見た。

 魔王は玉座で瞳を閉じ、東にそびえる竜峰の奥で竜姫が誕生したことを感じた。

 守護竜は霊樹の傍らで、次代の世話役がシャンティアの竜宝玉を受け継いだことを知る。

 守護竜は、世話役にも見せたことがない霊樹の宝玉を取り出す。


「いずれ、これが必要になろう」


 苔の広がる広場に宝玉を置くと、ふわりと優しい風が吹いた。


「そだてるそだてる」


宝玉は風に乗って浮き上がると、背後にそびえ生えている霊樹の幹の方へと消えていった。

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