星は魂を表す

 どれくらい寝たのかな。腹部の重みに気づき、意識を取り戻す。

 目をこすり、ゆっくりとまぶたを開く。

 僕は、ニーミアの柔らかく長い体毛に包まれていた。そしてお腹には、重石としてプリシアちゃんが乗り、静かに寝息を立てていた。


 まだ夜なんだね。

 まさか、意識を失った日と同じ夜な訳じゃないよね?


 静まり返った湖畔こはんで、みんなは僕と同じように、巨大化したニーミアの温もりに包まれて安らかな寝息を立てていた。

 横になったまま空を見上げると、何度見ても見惚れてしまいそうな満天の星空が広がっていた。遠くの霊山に薄っすらと雲がかかっている風景が、星空に黒く浮かび上がっている。

 心を落ち着かせてくれる湖の音に耳を澄ませる。

 禁領と呼ばれるここは、他よりも季節の移り変わりが早いのかな。露出している顔に冷たい風が触れた。周囲の森からは、あまり生物の鳴き声が聞こえてこない。

 僅かに狼の遠吠えや夜鳥の鳴き声が届くくらいだ。

 冬間近で、動物たちは暖かい場所へと移っていったのかもね。


 ちゃぷり、という水面みなもの音に、湖に視線を向ける。

 満月の空の下。巨人の魔王が湖のほとりたたずみ、霊山の方角を静かに見つめていた。


 僕はプリシアちゃんを起こさないように、そっとお腹から退ける。

 ニーミアはさすがに気づいて起きたみたいだけど、プリシアちゃんを抱き寄せて僕を自由にしてくれた。


 起き上がり、一度背伸びをする。

 真夜中なんだろうけど、もうあまり眠くない。


「エルネア?」


 僕と同じようにニーミアの体毛に包まれて寝ていたミストラルが目を覚ます。


「あ、起こしちゃった?」

「野宿のときは、警戒心が勝るから」


 みんなを起こさないように小声でそう言ってミストラルは起き上がると、僕の側へとやって来る。


「もう大丈夫?」

「うん。どれくらい寝てたのかな?」

「丸二日くらいかしら」

「そうなんだ。寝すぎちゃった?」

「そんなことはないわ。衰弱を甘く見ないの。下手をすると命に関わるのだから、しっかりと休養を入れるのは大切よ」


 小声で会話を交わし、火の残っているき火にくべられた容器から、熱い飲み物を器に入れる。

 もしかして、火の番を巨人の魔王がしていたのかな?

 ミストラルは、自分と僕の分以外にも魔王の飲み物を準備すると、湖の畔へと向かう。


「ミストラルとエルネアか」


 近づいた僕たちに気分を害することもなく、飲み物の入った杯を受け取る魔王。


「綺麗ですね」

「そうだろう。ここは厳重に守られ続けてきた場所だ。人や竜といったけがれを持ち込む者は立ち入れず、野生の動物だけが住んでいる」


 魔王の言う穢れとは、争いごとや文明社会のことなのかもしれない。それならこの禁領は、魔族の国の一部でありながら、未開の地ということになるのかな。


「過去には人や竜、それ以外の種族も住んでいた時代がある。しかし今はもう、誰も住んでいない」


 僕の思考を読んだ魔王が補足を入れてくれた。


「この土地をミストラル、其方にたくす。しかし、もちろん無条件ではない。容易たやすく他の者を招くな。心より信頼できる者のみ、この地を訪れることを許す。それと、ここは共同で管理されている。其方らが居ないときは、その共同管理者たちがここを守ってくれるだろう。その管理者が招いた者を拒むことも許さぬ。認められぬ者が入った場合は、其方らの知人や家族であろうとも容赦をせぬことを知っておけ」


 共同管理者って誰なんだろう? 禁領ってことは、もしかしなくても魔王よりも上位の存在が絡んでいるんだろうけど。思考してみたけど、魔王は僕に答えを与えてはくれなかった。

 多分、そういうことは知らなくてもいい部分なんだね。

 少し気になるけど、いずれ知ることができそうな予感もする。なにもかも一遍に全てを知ることはできない。だとしたら、知る機会が訪れるのを素直に待とうかな。


「本当に、わたしが……?」


 ミストラルは、星明りに浮かぶ霊山と湖を見渡す。


「気楽に構えよ。魔族側に取り込もうという訳ではない。ただこの土地の所有者が其方なだけだと思え。管理は私らがする。其方が不要と思うのなら、いっそ忘れてしまっても構わぬ。まぁ、忘れられても其方の土地であることは変わらぬがな」

「あ、ありがとうございます」


 竜峰で質素に暮らしていたミストラルにとって、こんな土地を貰っても手に余るのはわかりきっている。だけど拒否することもできず、ミストラルは困ったように魔王にお礼を言った。

 魔王はミストラルの表情を見て微笑む。


「これから先、其方とエルネア。そして霊樹には必要になるだろうよ。しかしその前に……」


 魔王は背後に広がる竜峰に目を移す。


「其方たちは、オルタと魔王クシャリラをどうにかせねばならぬ」


 そうでした。土地を貰ってどうしようとかは、今は二の次なんだよね。

 竜峰を取り巻く問題を解決しない限り、平穏な生活は戻ってこない。


 魔王がこの地をミストラルに譲り、僕たちも認められた。ということは、将来的にここに家を建てて暮らすこともできるのかもしれない。だけど、竜峰の騒乱が収まらない限り、そんな未来は絶対に来ないだろうね。


「クシャリラのことは、私の家臣に任せよ。しかし、オルタは其方らでどうにかするのだな。そこまでは面倒を見きれぬ」

「はい。今でも過分に協力を頂いていますので、これ以上は望みません」

「良い心構えだ。だがな、どうする?」

「……オルタの不死性ですか?」

「そうだ。あれは八大竜王のひとりラーザが封印してもそれを破り、復活した」

「先日、竜奉剣も奪われてしまいました」

「それは厄介だ。尚更、あれをどう処理するのだ?」


 ミストラルは口ごもる。

 元々不死性が強く、生半可な攻撃では死なない。そこへ、竜宝玉に眠る竜族本来の力を使える竜奉剣を手に入れてしまった。

 作戦や勝算もなく相対しても、絶対にオルタを止めることはできない。

 今の僕たちには、オルタに対抗できる手段がなかった。


「ひとつだけ、簡単な方法がある」


 思いもしない魔王の言葉に、僕とミストラルは驚く。

 魔王は僕たちの反応を見て笑い、腰に差した漆黒色しっこくいろいびつな長剣を指でつついた。


魂霊こんれい、と言う」


 魔王がなにを言ったのかがわからずに、首を傾げる僕とミストラル。


「真作は魔族を統べるお方が持つ。それとは別に、模造品が十二本存在する。一本はあのお方の腹心が持ち、殘りのうち十本を魔王が持つ。つまり、この魂霊の座を持つものこそが魔王と言えよう」


 すらり、と歪な長剣を抜き、頭上に高く掲げる魔王。鞘同様、刃も何もかもが漆黒。到底実用的ではないように歪に曲がった刃が、星空に黒い影を作る。


「魂霊の座は、魂を在るべき場所へと導く。この剣に触れたものは、傷の有無に関わらず魂を失う」


 人族と魔族の思考や価値観は違う。人族が言う魂の在るべき場所とは、生者の肉体を指しそうな気がするんだけど、魔族は違うみたい。


 創造の女神様が世界を創り、多様な生物を生み出したとき。多種多様な生物にはそれぞれ、二つの真理が与えられた。

 人族は希望と奇跡。

 魔族は確か、破壊と自由。


 真理になぞらえて言うのなら、肉体という束縛から魂を自由にする。そして究極の自由とは、魂という枠さえも破壊してしまう、ということ?

 まぁ、これは人族の宗教観からの発想なので、きっと魔王は違う意味で言ったのかもしれない。

 朝になったら、ルイセイネに聞いてみよう。彼女ならもっと詳しくわかるかもしれない。


 ところで、その魂霊の座が簡単な解決方法って……?


「竜王エルネア、其方はすこぶる面白い。今の思考にしても」

「あ、ありがとうございます?」

「くくく。どうだ、魔王にならぬか? 魔王の座は現在四つほど空席だ。気が向くのなら、私が推挙すいきょしてやろう」

「はいぃぃいっ!?」


 とんでもない提案に、喉の奥から変な声が出てしまったよ!

 みんなが起きてしまったんじゃないかと思い、慌てて確認する。どうやら、今のでは起きなかったようだけど、変なことを言わないでほしいよね。

 僕が魔王? 

 ないない、絶対ない!

 竜王になったときには嬉しかったけど、魔王になんて絶対になりたくないし、嬉しくありません!


 ぶんぶんと首を横に振って拒否する僕。ミストラルも、僕を庇うように魔王から遠ざける。


「ふふふ、半分は冗談だ」


 ……半分だけなんですね。

 恐ろしい。


「しかしな。魔王でなければ、これを渡すわけにはいかぬ。魂霊の座であれば、いかなオルタであろうとも、その魂を砕くことができるのだがな」


 確かに、魔王の言う通りの性能が歪な漆黒の長剣にあるのなら、不死性の強いオルタを倒すことができるかもしれない。でもその代償に、僕が魔王になるなんていう選択肢は取りたくない。


「その……一度だけ。オルタを倒すときにだけお借りすることはできないのでしようか?」

「構わぬよ。私のは貸せぬが、上位のお方に頼めば、所有者のない一本くらいは借りれよう」

「おお、それって名案?」


 喜んだ僕を、しかし魔王は蹴落とす。


「だが、資格のない者。つまり魔王ではない者が使えば、一瞬で魂を奪われる。魂霊の座に触れられる者は、魔王のみ。さて、一瞬のうちにオルタを葬れるかな?」


 なんてことだろう。目の前に解決手段のひとつがあるというのに、絶対に選ぶことができないだなんて。

 僕が魔王になるなんて無理。でも、魔王じゃない者が触れれば、一瞬で死んでしまう。

 魔王は、死ぬ間際の一瞬でオルタを倒せるか、と聞くけど、根本的にそれは違う。僕は勝利のために誰かを犠牲になんてしたくない。もちろん、僕自身を犠牲にしようとも思わない。


「では、どうするのだ。確実な手段を捨てておきながら、其方らには他の手立てがない」

「うっ……」


 魔王の言う通り。親切かどうかはさて置き、提示された解決方法を嫌だと拒むくせに、自分たちは代案を持っていない。


「クシャリラの行方を探すのにはもう暫く時間がかかろう。ここで養生している間に、代案を見つけて見せよ。私を失望させるなよ」


 魔王は魂霊の座を鞘に戻す。


「心しろ。争いに綺麗事はない。守るべきものがあり、手にしたい未来があるのなら、納得できぬ手を使うことも辞するな。勝ち、生き残らねば先はない」


 魔王の言葉が、僕とミストラルに重くのしかかる。

 いつかジルドさんに言われたことと似た言葉を、魔王から聞くだなんて。


 巨人の魔王。最古の魔王でもあるという。

 長く生き、魔族を支配してきた魔王も、これまでに何度も苦い思いや失敗、納得できない結末を見てきたのかな。

 そう思うと、僕たちがいま直面している問題も、最後はみんな幸せ、幸福な結末なんて安易に考えるべきではないのかもしれない。

 多くの竜人族や竜族の血が流れ、竜峰は深い傷を負うかもしれない。

 オルタを倒すために、もしかすると苦渋の選択を強いられるかもしれない。


 だけど。


 そうだとしても、だからと言って希望を捨てるわけには行かないよね!

 与えられた時間は少ないかもしれないけど、足掻あがけるだけ足掻こう。

 よし、朝になってみんなが起きてきたら、早速作戦会議だね。


「ふふふ、本当に面白い。前向きでこちらまで元気になれるな」


 巨人の魔王は笑う。

 僕もつられてはにかんだ。

 ミストラルは「また思考を挟んで」なんて小声で文句を言っている。


 朝まではもう暫く時間があるみたい。

 なぜか僕たち三人は湖畔に立ち、遠くに見える霊山の黒い影と満天の星空、涼やかな水音を湛える湖を眺めて過ごした。

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