竜の森で狒々が笑う

 カーリーさんが弓を交換に戻っている間に、僕とミストラルは急いで大長老のユーリィおばあちゃんの家に向かう。

 家は、おばあちゃんと同じくらいの年代を重ねた、古い木造の住宅。だけど耳長族の特殊な技術を使っているせいか、朽ちることなく、今でも柱や床には艶がある。


 僕の石造りの実家の方が、古く見えるんじゃないかな。


 そしておばあちゃんの家も、他の家と同様に壁がほとんどない、吹き抜けの造りになっている。その代わり、部屋と部屋を仕切るように、何重にも広い布が天井から吊り下げられていて、それで外からの視線を遮っていた。


「耳長族の住居って、独特だよね」

「遥か昔からの伝統で、仲間との壁は作らない、という考えからきているらしいわよ」


 僕とミストラルがおばあちゃんの家に到着すると、お付きの人に案内されて中に入る。

 そしておばあちゃんに軽く挨拶をして、ライラの訪問のことを伝えた。

 おばあちゃんは快諾してくれたけど、その場では詳しい説明を求めない。

 僕とミストラルが急いでいることに気を使ってくれたみたい。


 おばあちゃんの優しさと気遣いにお礼を言って、僕とミストラルはすぐに、カーリーさんとの待ち合わせ場所に向かう。

 戻ってきたら、きちんと説明しなきゃね。とミストラルと言葉を交わしながら。


 待ち合わせ場所は、村の入り口。僕たちが到着すると、カーリーさんは壮年の男性と一緒に待っていてくれた。

 この人はたしか、おばあちゃんの誕生日会の時に、おばあちゃんの隣に座っていた人だね。


「来て早々に、申し訳ない。ご助力感謝する」

「いえ、わたしたちの方こそ、慌ただしい時に訪問してしまい、申し訳ございません」

「いやいや、逆に我らにとっては運が良かった。竜姫様と竜王様が一緒であれば、心強い」


 壮年の男性の名前は、アストラさん。元戦士で、超一流の精霊使い。現在はおばあちゃんのお茶飲み友達なのだとか。今回、森を高速で移動する狒々ひひの動きを止める為に、急遽カーリーさんが応援を頼んだということで、僕たちは四人で竜の森の中へと入ることになった。


 僕とカーリーさんとアストラさんは空間跳躍で。ミストラルは超速の走りで、森を疾駆する。

 今現在も移動を続け、森に被害を出している狒々の場所は、正確には捉えづらい。

 だけどこちらには、超一流の精霊使いと竜姫がいる。アストラさんは森の風の精霊に狒々の場所を探させ、ミストラルは竜脈を辿って狒々を追跡した。


 森の中をアストラさんとミストラルの探知能力を駆使しながら疾駆していると、所々に無残に折れた樹木や、えぐられた地面が見えだす。

 恐らく狒々が暴れた跡だ。


 太い木の幹を折るほど、狒々の力は強いのか。僕は、ミストラルや他の耳長族の戦士が周りにいる、という油断を捨てる。


 そして程なく。


 狒々の動きを追っていた耳長族の戦士たちと、僕たちは合流した。


 竜人族の戦士は多種多様な武具で身を固めるけど、耳長族の人たちは統一された緑色の革鎧と弓が、主要な装備になる。

 空間跳躍で距離を取り、死角から矢を射る戦法を得意とするんだね。

 木々が立ち並び、隠れたり距離を取りやすい森の中ならではの戦法と言えるのかも。


 戦士たちと合流した時、一度戻ったカーリーさんが僕とミストラルを連れて戻ってきたことに、誰もが驚いていた。


「狒々の様子は?」


 軽く挨拶を済ませ、カーリーさんが状況確認をする。


「自由気ままに暴れていますね。我々が追跡していることくらい、気付いているのでしょうが、気にした様子はありません」

「カーリーの弓が効かない以上、小手先の技では、奴は倒せんぞ」


 狒々は黒い体毛に覆われた大猿の魔獣で、この体毛が刃物や矢を弾くんだとか。

 僕の白剣でも切れないのかな?


「精霊術ではどうだ。念の為にアストラ爺さんを連れて来た」

「木の精霊、土の精霊それぞれに足止めをさせようとしたが、効果なしだな。力技で振りほどかれる」

「風の精霊術で、切り刻むかねえ」


 アストラさんが言うと、かたわらに緑色の小さな少女が現れた。アストラさんの精霊みたい。

 どうだ、とアストラさんが風の精霊の少女に視線を向けると、少女は一瞬僕たちが集まっている先を見つめ。


「森ごとなら切れるかな」


 と、物騒な発言をしました。


「却下」


 即時、ミストラルが拒否する。

 森を守る人たちが森を傷つけるわけにはいかないからね。


「では、どうする?」


 唸る戦士。カーリーさんは顎に手を当てながらみんなを見渡し、提案する。


「持久戦だろうか。いくら狒々とはいえ、体力が無尽蔵にあるわけではない。追い続け、攻撃し続ければ、いずれは向こうが根負けするだろう」


 それで倒せれば良し、倒せずとも、森から出ていけば一応の解決にはなる。というのがカーリーさんの提案。

 耳長族の戦士だけで対応出来なくても、僕とミストラルがいる。特に、ミストラルの武器は刃物じゃなくて鈍器なので、狒々に対して一定の攻撃力を示せるかもしれない。


 狒々の体力を削る間、少なからず森に被害は出るかもしれないけど、人や獣といった、森に住む者たちに今後の被害が広がるよりかは良いだろう。と結論に達しかけた時。


「エルネアッ、避けてっ!」


 ミストラルの悲鳴が耳元で弾けた。


 えっ!?

 そう思って振り返った後方。僕の真後ろに、真っ黒で巨大な大猿が立っていた。そして右手が目にも留まらぬ速さで振られ。

 次の瞬間、僕は大猿に殴り飛ばされ、吹き飛んでいた。


 激痛が右半身を襲い、視界が暗転する。だけど、その直後に激しく背中から大木に激突し、無理やりに意識を呼び戻された。

 全身に電撃が走ったような痛みが走り、息が胸から絞り出される苦しみを味わう。


 かすむ視界の先で、巨大な黒い大猿、狒々が僕を見て、にたりと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


「なあんだ。強そうな奴が追ってきたと思ったら、雑魚だったじゃないか。けっけっけっけっ」


 喋った。狡猾で知能の高い魔獣は人の言葉を口にする、と昔に聞いたことがある。そして狒々は人の言葉を話し、人のように笑う。


「エルネア、大丈夫!?」


 ミストラルがすぐさま、僕の傍に駆け寄る。


「あ、ありがとう」


 僕は苦痛で息もできないほど体を強張らせていたけど、混乱はしていない。


 狒々が背後に現れ、ミストラルが悲鳴と注意を発した瞬間。僕は咄嗟に、狒々の振られた腕とは逆に飛びつつ、竜術の結界を張った。ミストラルも、回避しながら僕に結界を上掛けしてくれた。

 ミストラルの咄嗟の動きがなかったら、僕は今頃、もっと酷い怪我をしていたに違いない。


「油断していたわ。まさか追っていたはずが背後に回り込まれていたなんて」


 僕たちが合流した後、耳長族の戦士は一旦追跡を止めていた。その隙を突かれたんだ。

 油断していたのはミストラルだけじゃない。僕も耳長族の戦士も、みんなだ。


 僕は、まだ抜けきらない全身の痛みに顔を歪ませつつ、なんとか立ち上がる。右半身と背中が悲鳴をあげるけど、動けないわけじゃない。

 骨折もしていないみたいで、時間の経過とともに少しずつだけど痛みは引いていった。


「弱いくせに、しぶといなぁ。あのまま死んでいれば、楽だったのになあ」


 にたりと笑う狒々の笑みは、嫌悪感をもよおすほど気持ち悪かった。


「さっき武器を壊してやった奴も戻ってきてるなあ。懲りない奴らだ」


 散開し、弓矢を構える耳長族の戦士たちを見渡しても余裕な態度を崩さない狒々。太い腕は、二足立ちしているのに地面に届きそうなくらい長い。

 腕よりも太い脚は短く、胴が長い。顔は猿のそれと同じだけど、狡猾こうかつで深い知性を光らせる鋭い瞳と、不気味で気持ち悪い、張り付いた笑みが見る者に嫌悪感を与える。


 これが、狒々ひひか。


 僕は油断なく対峙する。アレスちゃんが僕の背後に顕現し、すぐさま融合する。そして竜力を解放し、武器を構えた。


「大丈夫?」

「うん、問題ないよ!」


 ミストラルの言葉に、狒々を見据えたまま、僕は強く頷く。


「情けないなあ。女に心配されるなんて、情けないなぁ」


 けっけっけっと喉を鳴らして嘲笑ちょうしょうする狒々。


「お馬鹿さんに情けないなんて言われても、全然痛くもかゆくもないね」


 負けじと言い返す僕。


「竜の森はスレイグスタ老の縄張りも同然なんだ。そこに無謀にも足を踏み入れた魔獣なんて、たかが知れている。どうせ、他にも魔獣が住み着いているから問題ない、なんて安易な考えだったんだろうね。スレイグスタ老の恐ろしさを知らない、世間知らずのお馬鹿な大猿!」


 とののしり返すと、狒々は貼り付けていた笑みを消し、僕を鋭い眼光で射抜く。


「あら残念。そんなに可愛い瞳で見つめられても、怖くなんてないよ。スレイグスタ老の方が万倍も恐ろしいね!」


 実際に、狒々がどれだけ睨んできても、スレイグスタ老やアシェルさんの迫力には遠く及ばない。僕には、威圧なんて効かないんだよ。


 僕の挑発に、狒々は顔を真っ赤にして怒り出す。


「人の小僧が、言ってくれるなぁ。お前たちを皆殺しにして、縄張りの長を殺し、俺の力を見せつけてやる!」


 言った瞬間、狒々が足をついていた地面が弾けた。そして直後には、僕の真後ろに狒々の黒い巨体は移っていた。

 狒々の剛腕が唸る。だけど、僕は背後に狒々の気配を察知した瞬間に、空間跳躍で距離を取っていた。

 空振りに終わった狒々の腕に、ミストラルが回避しながら漆黒の片手棍を叩きつける。


 鈍く重い衝撃音が響く。

 狒々の拳とミストラルの片手棍がぶつかり合い、衝撃波を生み出した。

 しかし、狒々は痛みを負った様子もなく、今度はミストラルに迫る。

 素早く後方へ退がるミストラル。追う狒々に、無数の矢の雨が降り注ぐ。


「そんなひ弱な攻撃は、効かないなぁ」


 言う通り、狒々に当たった矢は刺さることなく、黒く硬い体毛に弾かれて地上に落ちる。


 やはり、生半可な攻撃では駄目なんだ。

 ミストラルが本気だったかは不明だけど、彼女の一撃にも表情を変えない狒々。

 これは当初の計画通り、持久戦になる可能性がある。絶えず攻撃を続け、追い続け、狒々の体力を削らないといけない。


 僕は長期戦を覚悟し、ミストラルを追う狒々の背後に跳躍した。

 白剣に竜気を込め、振り下ろす。硬い手応えと同時に、幾つかの黒い体毛が飛び散った。見れば、白剣は狒々の皮膚にまで到達し、微かに傷をつけていた。


 白剣であれば、斬れる。そう確信したのもつかの間、狒々が恐ろしい形相で僕の方に振り返り、腕を振り回す。


「人めぇっ!」


 傷を負わされたことに、更に激昂する狒々。目を血走らせ、僕を捉えようと恐ろしい速度で迫る。

 振り回された腕の一撃を、白剣と霊樹の木刀の両方を使って受ける。重い衝撃が両腕にかかり、狒々の怪力の前に僕は防御したまま真横に吹き飛ばされた。


 受け流しできる威力じゃない!

 正面から受ければ、防御ごと押しつぶされてしまう。

 狒々の圧倒的な怪力に、戦慄する僕。


「虫けらのお前たちに、俺様の力をみせつけてやるさあっ!」


 狒々は長く太い両腕を高々と頭上に挙げ、雄叫びをあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る