これも連携だよね
竜族の咆哮とは違う、けたたましい耳障りな叫びが、竜の森に響き渡る。
僕や耳長族の戦士たちは、
「気をつけて! 獣術よ!!」
ミストラルの注意が飛ぶ。だけど遅かった。僕に突進してくる狒々。それが正面からなのか横合いからなのか、ぐらぐらと揺れる視界で判別できない。しかも足はふらつき、下半身に力が入らない。
狒々が眼前に迫る。そして、振り下ろされる太く長い腕。力の入らない身体では、防御が間に合わない!
僕は咄嗟に、空間跳躍で回避する。しかし目標座標を固定していなかった緊急回避のため、跳躍に失敗。狒々から少し離れた場所で地面に倒れ込んだ。
一撃を回避こそできたけど、次の動きに移れない。狒々は瞬間移動した僕をすぐさま捉え、再び突進してくる。
真っ赤な猿の顔に、嫌みったらしい笑みを張り付かせて。
回避しなければ、殺られる!
焦るが、身体がいうことを聞かない。術の影響で視界が歪み、身体に力が入らない。
耳長族の戦士たちも苦悶の表情で膝をつき、動けそうにない。
絶体絶命の危機。
そのとき、ミストラルが僕の眼前に立ちふさがった。
狒々の正面に立ち、右腕の大振りを正面から受ける。
「ミストラルッ!」
僕は悲鳴をあげた。
ミストラルの細い身体が、狒々の一撃で吹き飛ぶ姿が見えた。
見えたような気がした。
しかし実際には。
ミストラルは自身の左腕で、狒々の丸太のように太い腕の大振りを受け止めていた。
ミストラルの足が地面にめり込む。それだけでは衝撃を吸収しきれず、大地に無数の亀裂が入り、大小の土の塊や石が弾け飛ぶ。
だけど、狒々よりも遥かに小さく細いミストラルは吹き飛ぶことなく、それどころか押し負けることなく、攻撃を受け止めていた。
少しずつ正常に戻り始めた視界。僕は目を大きく見開いて、ミストラルの姿を見た。
どうして。なぜミストラルは吹き飛ばされないんだろう。
体重差、勢い、破壊力。全てが僕たちを遥かに凌駕する狒々の攻撃を受け止めて、吹き飛ばない筈はない。
狒々も、自分の攻撃が完全に受け止められ、顔を引きつらせていた。
「エルネア、動きなさい。動かないと、また狙われるわよ」
ミストラルの注意に、慌てて我にかえる。疑問は後回しだ。今は狒々に集中しなきゃ!
ようやくまともに動き出した身体を確認すると、僕は再び空間跳躍を発動させて、一旦狒々から遠ざかる。
消えた僕を無視し、狒々は目の前のミストラルに猛攻をかけた。
人の頭ほどの拳が、ミストラルを狙う。ミストラルは半身になり、寸前で
武器を使わない魔獣の狒々。だけど、狒々は全身が武器だった。人の倍以上ある身長と、盛り上がった筋肉。黒い体毛の上からでも分かる程に分厚く武装した筋肉は、まさに凶器そのものだ。
狒々が反転しながら横殴りに左腕を振るう。ミストラルは回避行動に移らず、漆黒の片手棍で迎え撃つ。
重鈍な音と、森を震わせるほどの衝撃が弾ける。
「なんだあ、お前。なぜ潰れないんだぁっ!」
振られた片手棍は狒々の左腕にぶつかり、威力を相殺していた。そしてまた、吹き飛ばされることなく耐えたミストラルに、狒々が顔を引きつらせた。
吹き飛ぶどころか、狒々の攻撃を全て受け切ったミストラル。狒々だけじゃなく、僕や耳長族の戦士まで驚愕していた。
だけど、この状況をただ傍観している場合ではない。
半透明の刃が、狒々の背後を襲う。ミストラルばかりに気が向いていた狒々の回避が遅れた。
半透明の刃は、僕が切りつけた背中の傷をさらに深くした。
アストラさんの使役する精霊の、精霊術だ!
正確な狙い。狒々を精霊術で切り裂くためには、森ごと両断しないといけない。だけど、すでにある傷口からならば、肉を切り刻むのはたやすい。
隙を見せた狒々に、アストラさんの風の精霊が
精霊術をきっかけに、僕たちは再度動き出す。
僕が狒々に肉薄し、白剣で斬りつける。黒い体毛を斬り飛ばし、皮膚を裂く。
狒々は怒り狂って僕を狙う。しかしそうすると、僕は空間跳躍で逃げる。そしてミストラルが狒々に迫り、注意を奪う。
ミストラルの重い一撃は狒々と互角で、油断すれば片手混で痛烈な一撃を食らう。仕方なく、狒々はミストラルと相対せねばならない。その瞬間、僕が斬り裂いた皮膚の傷を狙って精霊術が放たれる。そして、狒々の傷口を深くし、耳長族の正確無比な矢が更に突き刺さる。
ミストラルが攻撃を受け止めて、僕が攻撃のきっかけを作り、耳長族の戦士たちが追い打ちをかける。
打ち合わせなしだったけど、僕たちの間には連携が成り立っていた。
ひとつひとつは小さな傷だけど、数が多くなるにつれ、狒々は段々と怒りを膨らませていく。
顔に張り付いていた笑みが消え、口はへの字に曲がり、目が釣り上がる。
「ひとがぁっ、ひとふぜいがあぁっ!」
狒々は両腕を振り上げた。
また雄叫びを上げる気だ! そう思った瞬間、ミストラルの重く鋭い一撃が、狒々の腹部にめり込む。そしてそのまま、腹部の肉片とともに振り抜く。
「ぐがあああぁぁっ!!」
狒々の悲鳴が響いた。
「よくもぉ、よくも、貴様らあっ!」
血が吹き出る腹部を押さえ、狒々はミストラルを睨む。
口から血を流し、目を充血させた狒々の顔は、笑みを張り付かせていた時の気持ち悪さはなくなっていた。その代わり、鬼のような形相が深く刻まれていた。
だけど、だからといってこちらが攻撃の手を緩めるわけじゃない。僕は狒々の重量感の前に竜剣舞がまともに舞えないけど、空間跳躍を駆使し、斬りつけては離れるを繰り返す。
そして精霊が傷口を広げ、そこに無数の矢が命中する。
気づけば、狒々の全身は刺さった矢だらけになっていた。
「きいぃぃ、きいぃっっ!!」
猿のような悲鳴をあげ、狒々はたまらず木の上に逃げる。そして獣術を使おうと、気を膨らませた。
「させるもんかっ!」
僕は飛び上がり、狒々の足を斬りつけた。
狒々の重量に地面が揺れ、落ち葉や木の枝を撒き散らし、轟音が響く。そしてその全てを、竜巻が上空へと飛ばす。
「切り刻め!」
アストラさんと風の精霊の少女は同調し、渾身の精霊術を狒々に見舞った。
竜巻の中心で、狒々は無限の風の刃に襲われる。
「光の精霊よ、閃光により
「風の精霊よ、研ぎ澄まされし刃でかの者を
「水の精霊よ、
耳長族の戦士たちが各々の精霊術を解放し、属性の色に輝く光の矢を生み出す。そして弓につがえ、一斉に放った。多色の
狒々の悲鳴が響く。そして竜巻が収まった時、狒々は全身から血を流し、地上に崩れ落ちた。
しかし、まだ息がある。
荒く激しい呼吸をするたびに、狒々は口から血を吹いていた。
そしてもがきつつ、立ち上がろうとする。
なんて生命力なんだ。耳長族の戦士たちの渾身の精霊術を一身に浴びたはずなのに、尚も抵抗を見せる。
僕は、竜気を練り上げていく。一撃必殺の威力は森もろとも吹き飛ばす可能性があるから、多段攻撃だ、と思った時。僕の肩に、ミストラルが手を乗せた。
「
言ってミストラルは、漆黒の片手棍を構えると、狒々へと向かう。片手棍の先端が、青白く輝き出す。
狒々は、ミストラルが放とうとしている一撃の威力を悟り、必死に逃げようとした。
「ま、まてえ。助けてくれ。俺がいったい、何をしたって言うのさあ」
近づくミストラルから、体を引きずって逃げようとする狒々。そして命乞い。
「この森から出ていけば良いんだろうよう? すぐに出て行くさあ。だから助けてくれぇっ」
正直に言うと、狒々がこの森に入ってきて、どんな悪さを働いたのか、僕はあまり知らない。魔獣が出た。カーリーさんたち耳長族の戦士が追っている。森の一部に被害が出ている。という理由だけで、僕は参戦した。
でも、森に入って暴れ、少し木々を倒したからというだけで、本当に魔獣を討伐して良いのだろうか。と今更ながらに悩む。
暴れるのは魔獣の本能で、狒々はただ何も知らずに侵入しただけなのかも。大狼魔獣や巨大兎魔獣のように、実は話せばわかる相手で、これ以上森には被害を出さず、ひっそりと生活していたかもしれない。
そして森から出て行くと言っている現在、果たして本当に命まで取る必要があるのだろうか。
ミストラルは、何も思うところがないのかな?
疑問を浮かべる中、ミストラルは無言で狒々に近づき。
「確かに、貴方にも言い分はあるわね」
と言って、片手棍を下ろした。ミストラルは油断した。狒々の顔が、にたりと歪む。僕は背筋に悪寒が走った。
「なぁんて馬鹿な女だあっ!」
狒々はこの瞬間を狙っていた。命乞いをして、ミストラルが気を抜く瞬間を待ち構えていた!
不意打ちで振り上げられた丸太のように太く長い腕が、ミストラルを狙う。
狒々の思わぬ卑怯な反撃に、僕はただ見ていることしか出来なかった。
「だけれどね」
ミストラルはしかし、振り上げられた狒々の腕を、一度下げた片手棍で振り飛ばす。そして、勢いそのままで一回転しすると、未だに青白く光り輝いていた片手棍を狒々の脳天に叩き落とす。
狒々は頭部を粉砕され、残された首から下は眩い青白の光の柱に包まれた。
狒々の死骸は、恐ろしい重圧に押しつぶされるように地面にめり込み、原型を留めない肉塊になる。
そして、光の柱が消え去った後。ミストラルは呟いた。
「ここでこれ以上の悪事を働かなくても、貴方は他で働いてきたのでしょう。邪悪な気配が染み付いていたわ」
肉塊を一瞥すると、ミストラルは片手棍を腰に戻した。
僕は、地面にお尻を落とした。気が抜けてしまったよ。
狒々の不意打ちでミストラルの身が危険だと心配したけど、彼女は寸分の油断もしていなかったんだ。
ミストラルが無事でいてくれたこと。そして狒々を討伐できたことに、僕は心から安堵してしまい、全身の力が抜けてしまった。
見れば、耳長族の戦士たちも全力を使い果たしたのか、木の上や地面でへたり込んでいた。
「おつかれさま。みんな無事ね?」
ミストラルだけが立っていて、周りを見渡して状況確認をしていた。
僕と戦士たちは頷きあい、無事を確かめ合う。そしてミストラルはそれを確認すると、僕の傍にやって来る。
「身体は痛くない? 最初の攻撃で強く身体を打ったでしょう」
「うん。大丈夫。もう痛みも引いているし、問題ないよ」
ミストラルは心配そうに僕の背中と右腕をさすってくれる。ミストラルの温もりに、自然と顔が
「ミ、ミストラルよ。どうやら俺は負傷しているらしい」
「くそう。さっき狒々に殴られて、右腕が痛いぞ」
「ああ、満身創痍で歩けそうにないな」
僕を心配して寄り添うミストラルの姿を見ていた耳長族の人たちが、なにやら急に負傷を語り出した。
「はいはい。貴方たちは自分でどうにかしてね」
だけど、ミストラルは冷たい眼差しで戦士たちを一瞥すると、僕の介抱の続きをしてくれる。
「あああ、エルネアめっ」
「なんてものを見せつけるんだ。狒々よりもたちが悪い」
「敵だ。我らの敵だ」
「ルイセイネを俺に寄越せ!」
「プリシアは俺の嫁」
「お前は変態かっ」
騒ぎ始めた戦士たちに、ミストラルは僕に視線を向けたまま苦笑していた。
「おまえたちなぁ」
そしてカーリーさんも苦笑しつつ、戦士たちを
「狒々を討伐したとはいえ、気を抜きすぎだ。村に帰り着くまでが、警備の仕事なんだぞ」
「はっはっは。竜姫と竜王は人気者だね」
アストラさんは風の精霊の少女と一緒に、愉快そうに笑っていた。
さっきまでの、戦闘の緊迫感と
数人の戦士は警戒任務継続で愚痴っていたけど、仕事だから仕方がないよね。
僕は満面の笑みで、居残り組に大きく手を振って別れの挨拶をした。
けっして、さっき嫌味を言われたことへの仕返しじゃないんだからね!
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