帰り道
「ねえ、ミストラル」
「なに?」
耳長族の村へ帰る途中。森の中で、狒々との戦いを振り返る。
「さっきの戦いなんだけど。ミストラルは全力を出し切ってた?」
「どうして?」
「なんとなく。なんとなくなんだけど、ミストラルは手加減していたように見えたんだ」
「どの辺りが?」
「だってほら。ミストラルはおじいちゃんの
「そうね。でも、技を出すことが全力を意味するかしら」
「どういうこと?」
「ううん、答えを出す前に。まず貴方は、今回の戦いで何か感じたかしら?」
「ええっと。全然駄目でした」
「なにが?」
「僕は今まで、おじいちゃんに竜剣舞を習ってきたし、ジルドさんには竜術を習ってきたんだけど。今回はそれが全然活かせなかったんだ」
「どの辺が?」
「だって、竜術は使えば威力がありすぎて森にまで被害が出ちゃうから、使えない。それに竜剣舞は、狒々の質量に押し負けてまともに舞えなかったし」
「確かに、舞おうにも狒々の一撃一撃が重過ぎて、受け流すのもままならない感じだったわね」
「うん。攻撃は出来ても、防御が出来ないんじゃあ、舞の流れに持っていけないんだ」
「舞うように斬り、受け流す。それが竜剣舞だものね」
「そうそう。それなのに今回は受け流す部分を潰されて、僕は良い所なしだったよ」
肩を落した僕に、ミストラルは苦笑する。
「でも、わたしと手合わせするすときは、最近では巧く受け流せているじゃない。わたしは確かに狒々ほどの威力は出していないけど、それなりに強く打ち込んでいるつもりよ?」
「そうなんだよね。ミストラルの重い一撃は受け流せるようになってきたんだけどね」
「狒々とわたし。どちらもまともに受ければ潰れるだけの威力はあると思うのだけど、違いはなにかしら」
「肉体での攻撃か、武器での攻撃か、かな?」
「武器での攻撃は受け流せるけど、直接殴られたりすると受け流せない?」
「少なくとも、今回はそうだったよ」
ミストラルや武器を持つ人の攻撃ならば、受ける時に剣の角度を変えたり、力を受け流すことによって、相手の攻撃の軌跡を変えられる。どんなに重い一撃でも、流してしまえばそれほど苦にはならないし、竜剣舞の型は崩されない。
だけど、今回の狒々のような、肉体を使った格闘に近い直接攻撃は巧く流せなかった。普通なら、刃物で受ければ相手が一方的に傷つくだけだと思うんだけど。
「相手の気迫に、押し負けたのね」
「むうう、そうなのかも」
「わたしと手合わせする時は、少し慣れが入っているのかも。殺気は無いし、一撃一撃が均一な威力だからかしら」
「それはあるかも?」
悪い意味で、ミストラルの攻撃は受け流しやすいんだ。彼女は手加減してくれているし、言われたように殺気も発さない。
そして僕も、手合わせということで無意識に恐怖心が薄れていた。
でも、今回は違った。本物の殺気と桁違いの
自己分析を話す。
「武器を持つ相手なら魔族とでも平気で戦えるのに、今回は怖かった?」
「ううん、どうも違うね。魔族子爵のルイララと戦っている時も恐怖心はあったけど、抑え込められていたよ。でも今日は、最初に一撃を食らって、痛みと不意を突かれたことで、本能が怯えてしまったのかも」
「たしかに、最初の不意打ちは堪えたわね。あれで戦士たちにも動揺が走って、相手の術中に嵌まりそうになっていたわ」
魔獣は本当に
「でも、貴方の挑発で助かったわ」
「あれはね。狒々に有利な心理状態で戦いたくなかったから」
狒々の不意打ちで、僕と戦士たちは浮き足立っていた。あのまま戦えば、狒々の思う壺だったと思う。
だから、わざとらしい言葉で挑発したんだ。狒々を
「挑発も立派な戦術のひとつよ。だから、貴方は全く駄目だったなんてことはない。それに、攻撃のきっかけを作ったのも、貴方じゃない」
「白剣の斬れ味様様だよ」
「優れた武器を持つことは、優れた戦士になる為の必須条件よ」
「うん。おじいちゃんには感謝してるよ」
素晴らしい戦闘技能を持っていても、武器が
白剣の斬れ味と霊樹の木刀の耐久力があってこそ、僕の竜剣舞は活きるんだと思う。
「それで、僕の今回の動きと、最初の質問はどう繋がるのかな?」
「ふふふ。まだ早いわ。もうひとつ、今の流れからの質問。たしかに貴方は今回、狒々の攻撃を受け流すことが出来なかった。でも、わたしは受け切っていたわ。どうして?」
「むむむ。実は僕も、それが疑問だったんだ」
僕がもう少し肉弾戦主体の相手に戦い慣れしていれば、もしかしたら攻撃を受け流せていたかもしれない。だけど、どんなに戦い慣れしていたとしても、真正面から攻撃を受け止められていたとは思えない。
ミストラルは優れた戦士だけど、見た目は女性のそれで、けっしてザンのように筋骨隆々なわけじゃない。どう考えても、ミストラルの細い腕一本で狒々の猛攻を受け止められるようには見えないんだよね。
もしかしてミストラルは、実はものすごく重量があるのだろうか。抱っこをしたことはないけど、狒々よりも重いから、吹き飛ばされずに耐えれた……そんなわけないか。
「エルネア、視線がいやらしいわよ。変な目で人を見ないの」
「うっ、ごめんなさい」
どうやら無意識に、ミストラルの全身を見つめちゃったみたい。
「もしかして、わたしが狒々よりも重いから、なんて思わなかったでしょうね?」
「お、思ってないよ。本当だよっ」
危ない危ない。ミストラルは古代種の竜族のように、人の心が読めるんですか。危うく無慈悲の鉄槌を受けるところでした。
「でも、なんでミストラルが攻撃を受け止められたのか、吹き飛ばされなかった理由は、本当にわからないよ」
「本当に?」
「本当に本当だよ」
ミストラルは困ったように僕を見て。
「そうなると、貴方はまだまだねえ」
と苦笑された。
「ぐうう、もしかして僕は、何か大変なことを見落としているのかな?」
「そうね。それが貴方の次の課題かも」
「うわっ、そうなのか。次はみんなとの連携を練習しようと思っていたのに」
「連携も今後は大切になると思うけれど、こっちの方が優先的な課題ね」
僕って強いのかな、弱いのかな。黒甲冑の魔剣使いや上級魔族のルイララと互角に渡り合っていたと思ったら、今回のように課題が浮き彫りになる。
「貴方は一対一、正面から対峙した相手には強いのよ。でも不意を突かれたり思うように動けない時がまだまだね」
たしかに。複数を相手取った戦いはほとんど経験がない。だから連携を覚えようとしていたんだけど、それ以外にも、ミストラルが指摘した弱点がまだあったんだ。
「戻ったら、翁に相談しましょう」
「うん、そうだね」
ちょっと気落ち気味の僕。だって、いっぱい修行をしてきて、たくさん認められて、少しは自信もついてきたところだったんだよ。それなのに、まだまだ課題が多くあるなんてさ。
「ふふふ、そう落ち込まないで。貴方は十分に強いし、自信を持っていいのよ。ただ、戦いの巧さというものは、
ミストラルは僕に寄り添ってくれて、励ましてくれる。
「そうさ。五百年戦い続けた俺たちとて、戦うたびに課題が出てくる。今回もそうだ。攻撃の効きにくい相手への対処を誤り、苦戦した」
そばを歩いていたカーリーさんが、話に入ってきた。
「過去にも狒々と遭遇しなかったわけではないし、狒々よりも恐ろしい魔獣と何度も戦ってきたな。しかし儂らでさえも、時と場合によっては苦戦する。戦うたびに課題が出るのは良いことなのだよ。課題がなくなり、成長するのびしろが無くなった時を恐れなさい」
アストラさんも、風の精霊の少女と手を繋いで歩きながら、僕に優しく語りかける。
「成長が止まり、それでも勝てない相手が現れた時が、本当の絶望だよ。課題があるうちは、自分はまだ成長できるのだ、と喜びなさい」
「そうですね。戦いの反省は必要だけど、そこから課題を見つけて、弱点を克服していくのは大切なことですよね」
「そうよ。人はそうやって、少しずつ強くなっていくのよ」
「いつかはミストラルに追いつくかな?」
「わたしもまだまだ成長しているけどね」
「ぐぬぬ。少しぐらい立ち止まってもいいんですよ」
「あら。立ち止まったら、すぐに追いついてくれるかしら?」
「むしろ、追い抜いちゃうかも!」
「ふふふ、それは楽しみね」
「はははは、エルネアは前向きだな」
「竜姫に追いつき、追い抜くか。その時はもう、竜王の器を超えているのう」
「竜姫より強いと、竜王じゃないの?」
「だって、竜王より強くて上の称号が、竜姫なんですもの」
「言われてみると、そうだね」
称号にも序列があるんだよね。元々竜王という称号があって、その称号を持つ人よりも強く、功績を挙げた女性がいたから、スレイグスタ老が新たに竜姫という称号を創ったんだ。言って見れば、竜王とは竜姫の下位称号でしかない。だから竜王が竜姫を超えちゃったら、それはもう竜王じゃなくなるんだ。
「新しい称号の、ひとり目になることを期待して待っているわね」
「ぐわっ、それってものすごい重圧だよっ」
僕はとんでもない目標に向かって進んでいるのかもしれない。
今後の困難な道のりに、あわわと慌てふためく僕を見て、ミストラルと耳長族の人たちは笑い合っていた。
「ところで、僕の質問の答えがまだだよ?」
いつの間にか僕の今後の課題に話題は移っていたけど、肝心な部分を聞いていない。
「わからない?」
「ごめん、降参します」
「ふふふ、しかたないわね。つまり、わたしは狒々の攻撃を受け止めていたから、技を出せなかったのよ」
「狒々の攻撃で手いっぱいだった?」
「そうね。竜気を防御に回していたからね」
「あっ!」
そういうことか。ここに来て、やっと事の真相がわかった。
ミストラルは竜気を使い、狒々の攻撃を受け止めていたんだ。僕は竜気を身体能力に振る場合は、速さを求める。竜剣舞は、動きが速ければ速いほど、手数が増えて威力が増すから。
でもミストラルは竜気を防御に回して、狒々の猛撃の威力を相殺していたのか。
そして狒々の防御力を打ち破るくらいの大技は、防御状態では放てなかった。
耳長族の攻撃により地に伏した最後に、防御から攻撃に転じて技を繰り出したわけだね。
「どうやら、答えにたどり着いたみたいね。時と場合によっては、防御に徹さないといけない状況もあるのよ」
「今回はミストラルが狒々の攻撃を一身に受け止めてくれたから、僕たちは攻撃できたわけだね」
「そういうことになるわね」
「これも、ひとつの連携だよね」
「もちろんそうよ。わたしは、貴方と戦士たちが攻撃してくれることを信じて防御に徹していたのよ」
「ありがとうね」
「どういたしまして」
「でもさ」
「ん?」
「やっぱり全力は出していなかったよね?」
僕の質問にふふふ、とミストラルは含みのある笑顔を見せるだけで、答えてはくれなかった。
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