ミストラルとお散歩

 いくらスレイグスタ老が指示を出したからといっても、耳長族の許可も得ずに勝手に、ライラを村に案内するわけにはいかない。

 ということで、僕とミストラルが先んじて村へ向かい、許可をもらい受けに行くことになった。


 ルイセイネはその間、スレイグスタ老にライラの補佐の仕方を習うということで、彼女も苔の広場でお留守番。

 ちなみに、ルイセイネは昨年、苔の広場に案内された後に何度か耳長族の村に遊びに行っていて、今ではもう、僕と同じように許可を得ずに訪れることが許されている。


 僕とミストラルは、並んで古木の森の中に入っていった。


「そういえば、ミストラルとこうして二人っきりで森を歩くのは、霊樹の下に行った時以来だね」

「ふふふ、そうね。覚えていてくれて嬉しいわ」


 ミストラルの微笑みに、僕の胸は急に高鳴りだす。

 ミストラルと二人っきり。今までに何度もあったようで、実はあまりない。僕の側には必ず他の女の子がいて、こうして二人っきりになったのは久々だった。

 そしてそれを思うと、なぜか途端に緊張しだす。なんでだろうね?

 高鳴る胸を押さえ、深呼吸する。

 すると古木の森の澄んだ空気が全身に浸透するようで、気持ちが良かった。


「どうしたの。胸が痛いの?」


 突然立ち止まり、胸に手を当てて深呼吸し出した僕のことを、ミストラルは勘違いしたみたい。


「ううん、違うよ。ちょっと緊張しちゃって」


 はにかむ僕に、ミストラルは歩み寄る。


「わたしと居ると、緊張するのかしら?」

「ちがうちがう。そうじゃないよ」


 慌てて否定するけど、ミストラルは少し不安そうな表情を見せる。


「ごめんね。本当に違うんだ。こうしてミストラルと二人きりになれるなんて思っていなかったから、嬉しくて胸が高鳴っちゃって」

「あら。嬉しいことを言ってくれるわね」


 僕の緊張が照れからきていると理解してくれたミストラルは、また笑顔に戻り、僕の頭を撫でてくれた。


「わたしも貴方と二人になれて、嬉しいわよ」

「本当に?」

「あら、疑うの?」


 ミストラルも少し照れているのかな。いつもよりも僕に甘い気がする。

 その証拠に、僕が右手を出すと、ミストラルははにかみながらも、手を握り返してくれた。そして、二人で手を繋いで古木の森を歩く。

 普段だったら、ぺしりと手を叩かれてしまいそうなんだけどね。


 耳長族の村に行くためには、まずは古木の森を抜けないといけない。僕はミストラルと手を繋いだまま、巨木が林立する間の、獣道さえない森の中を進んだ。


 話したいことはいっぱいあるんだけど、逆にありすぎて、何から話していいのか困ってしまう。

 そうしているうちに言葉を発する機会を失ってしまい、僕は無口になった。


 だけど、無言で静かな森をミストラルと二人で歩くのも良いね。

 小鳥のさえずりが、軽やかな音楽に聞こえる。たまに聞こえてくる獣の遠吠えは森の奥深さを感じさせ、厚い枝葉の天井から零れる光の筋が、僕たちを導いているよう。


 ミストラルも、会話はないけど気持ちの良い雰囲気を楽しんでいるようで、無理に話題をみつけてこの静寂を壊す必要はないね、と思い至る。


 暫し僕とミストラルは無言で古木の森を進んだ。

 そして気づけば、いつの間にか二人で、竜の森を歩いていた。古木の森が竜の森と決定的に違うのは、神聖さを感じさせる空気と、巨大な古木。

 僕たちの周りは気が付けば古木が消え、普通の樹木に変わり、澄んでいても神聖さの抜けた空気と気配で満たされていた。


「さあ、古木を探しましょうか」


 今まではどこを見ても古木しかなかったのに、なくなった途端に、今度は全く見当たらなくなった古木を見つけ出さなければいけない。

 ちょっと理不尽さを感じるけど、耳長族の村に行くには仕方のないこと。僕とミストラルは辺りを見渡しながら、今度は竜の森を進んだ。


「ずっと疑問に思っていたんだけど」

「ん?」


 ようやく口を開いた僕を、ミストラルは不思議そうに見返す。


「古木の森と竜の森の境は存在するのかな?」


 古木の森の奥には、スレイグスタ老の居る苔の広場と、更に奥には霊樹が生え立っている。だからここには、スレイグスタ老によって絶えず強力な迷いの呪いと結界が張り巡らされていて、普通の人は絶対に立ち入ることができない。

 更に、古木の森の外側に広がる竜の森にもスレイグスタ老の迷いの呪いはかかっていて、耳長族の村に手順を踏まないとたどり着けなかったり、気づくと森の奥深くを歩いていたりするのはそのせいだ。

 そして僕たちは、用があるごとに竜の森と古木の森の間を行き来するんだけど、その境目を見たことは一度もなかった。


「貴方は相変わらず、不思議なところに着眼するのね」

「そうかな?」

「わたしは小さい頃から翁のところに来ているけれど、そんなことは一度も考えたことはなかったわよ」

「そうなのかあ。でもほら。僕は普段は竜の森から導かれて古木の森に入っていたから。迷わずに進めたら古木の森にたどり着くと思うんだけど、その境はどんな景色なんだろうなぁ、と思ってさ」

「そうね。貴方とルイセイネは外から来るのだから、そういう疑問が湧くのかもね。今度探してみる?」

「うん! 二人で探しに行こうね!」

「あら、他の嫁とちびっ子は置いていくのね。わたしは嬉しいけど?」

「はうあっ、そうでした」


 浮かれすぎていて、思わず墓穴を掘っちゃったよ。これが他の女性陣に知られたら、僕は何をされるやら。


「ふふふ、エルネアの弱みを握ったわ」

「ぐうう、許してください」


 ミストラルにすがり付く僕。だけどミストラルは素知らぬ振りでそっぽを向いて、僕をいじめる。

 こういう小さなことが積もりに積もって、僕はミストラルに頭が上がらないのかな。

 亭主関白ていしゅかんぱくで強くいきたいんだけど、世の中そう甘くはないらしい。

 むしろ、かかあ天下な未来しか、最近は見えないよ。

 とほほ……


「はい、もっと背筋を伸ばして。しっかりと歩かないと、転けるわよ」


 言ってミストラルは、手を繋いでいた側の腕を僕に近づけ、肩が触れ合うくらいの距離で歩き始めた。

 僕はミストラルの肌のぬくもりを間近で感じて、舞い上がる。

 だけどここは男として、照れたり動揺してはいけないね!

 毅然とした態度で、僕はミストラルの横を歩く。

 すると今度は、ミストラルは繋いでいた手を離し、僕の腕に自分の腕を絡ませて、更に密着してきた。

 二の腕辺りに、ミストラルの微かな胸の柔らかさを感じる。

 これには僕も参ってしまい、顔を真っ赤にした。


「ふふふ、まだまだね」


 ぐぬぬ、試されたみたい。ミストラルは赤面してしまった僕を横目で見て、にやりと微笑んでいた。


 あああ、僕はなんて情けない。本当なら、ここで格好良いところのひとつでも見せて、ミストラルを逆に赤面させなきゃいけないはずなのに。


 どっちが男で、どっちが女かわからないよ。


 僕は格好良いところを見せられずに肩を落としたけど、ミストラルは僕をからかって満足したみたい。

 笑みを零したまま、歩みを再開させる。もちろん腕を組んで、密着したまま。

 僕は最初は引っ張られるような形だったけど、途中からは逆にミストラルを先導するように歩き、名誉挽回を図る。


 そして二人仲良く、僕はミストラルの体温を感じて少し興奮しつつ竜の森を歩き、手順を追って耳長族の村へとたどり着いた。


 村の手前は満開のお花畑。ここは季節ごとに色とりどりの花が咲き誇り、いつ来ても花の香りで満たされた空気が心地良い。


 僕とミストラルが村の前に姿を現すと、見かけた耳長族の村人が気軽に挨拶をしてくれる。それはご近所の馴染みの人にかける言葉のような気さくさで、一瞬で村に溶け込めた感覚になった。


「おや、二人だけで来るとは珍しい」


 大長老のユーリィおばあちゃんの家に向かう途中で、耳長族の戦士であるカーリーさんに出会う。

 カーリーさんは、弓の名手。少し細身の体格からは想像もつかないほどの、豪速の矢を飛ばす。竜人族の戦士の弓使いを見かけたことはあるけど、カーリーさんほどの命中精度と速射ができる人には、未だに会ったことがない。


「カーリーさん、こんにちは」

「お久しぶりです」


 僕とミストラルの挨拶に、カーリーさんはにやりと笑いながら近づいてくる。


「二人でこっそりい引きか。エルネアよ、竜姫に惚れられるとは、羨ましい限りだな」

「ほ、惚れてくれてるのかな?」


 未だに腕を絡ませて密着をした僕とミストラルを見て、カーリーさんが「見せつけてくれるな」と笑い、僕は照れて赤面してしまう。

 だけどミストラルは素知らぬ様子で、僕とカーリーさんの言葉を軽く流す。


「日中に貴方が村にいるなんて、珍しいわね」


 カーリーさんは耳長族の戦士の筆頭でもあり、普段は竜の森に潜って、警備をしている。なので確かに、昼間に村で見かけるのは珍しかった。


「いや、少し用事があってな」


 目ざといな、と表情を崩し、カーリーさんは背負っていた弓を僕たちに見せてくれた。

 カーリーさんの弓は古木から作られた複合弓で、装飾性はなく、実用的な部分を突き詰めたような無骨なものだ。だけどその弓には、強い外圧をかけられたような深い傷が入っていた。


「貴方が弓を傷つけるなんて、珍しいわね」


 ミストラルも、カーリーさんの弓の損傷を見て驚く。


「不覚を取った。恥ずかしい限りだ」

「貴方が不覚を? 何か不穏な者が森にでも侵入しているのかしら」


 手練てだれの戦士であるカーリーさんが不覚を取り、愛用の弓を損傷させてしまう相手とは、いったい何者だろう。


 耳長族で普段から竜の森に潜み、相手の気配を読むことに長けているカーリーさん。更に、耳長族であれば危機的状況に陥ったとしても、空間跳躍を使って回避できる。それなのにカーリーさんが武器を損傷させてしまったということは、完全に不意をつかれたことを意味する。


「スレイグスタ老は何も言っていなかったけど、危険な感じ?」

「スレイグスタ様は、我らが対応していたので動かなかったのだろう。相手は狒々ひひだ。恐ろしく速く、狡猾こうかつ獰猛どうもうだ」


 聞きなれない魔獣の名前に、僕はミストラルを見る。


「大猿の魔獣の一種ね。硬質な黒い毛並みは、刃物を一切通さないと聞くわ」

「そんな魔獣が竜の森に? 大狼魔獣たちの仲間じゃないんだよね?」


 大狼魔獣とその仲間たちは、なぜか今でも竜の森に居座っている。スレイグスタ老が黙認していることをいいことに、半分住み着いている感じだ。

 だけど、大狼魔獣と腐龍の一件で流入してきた魔獣は、スレイグスタ老との取り決めで、竜の森での一切の悪事を禁止されていた。

 人を襲うなんてもってのほかなんだよ。なのに、森を守るカーリーさんを襲うなんて。


「恐らく、流れの魔獣だろう。気のいい魔獣どもに聞いたが、竜峰では見かけなかったらしい」


 竜の森に居る魔獣は、最近では稀に耳長族に情報を提供してくれるみたい。

 カーリーさんは魔獣からの情報で、狒々を追っていたらしい。


「今は魔獣どもと仲間が見張っている。俺も弓を交換し次第、すぐに戻る」

「そう。なら、わたしたちも同行するわ」


 言ってミストラルは、僕を見る。


 そうくると思っていました。ミストラルもスレイグスタ老の世話役であり、いつも竜の森のことを気にかけている。この危機に彼女が動かないなんてないもんね。


 僕は力強く頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る