狸寝入りは危険です

 僕たちは、翌日までゆっくりと過ごした。

 その間に、ミストラルが居ない間に起きたいろんな出来事を話した。


 戦士の試練、不気味な黒の竜騎士団、竜峰同盟、そして旅行のあれこれとライラの覚醒のこと。

 戦士の試練で起きたことは、ミストラルもほぼ把握していた。だけど僕たちから直接聞く話の中には、ミストラルもまだ知らないこともあって、興味深そうに話を聞いていた。

 そして、改めて僕はミストラルから拳骨を貰った。


「もう少し自重しなさい」

「ぐう、不可抗力なのに」


 やれやれ、とため息を吐くミストラルだったけど、その顔には優しい笑みが浮かんでいた。


「竜峰のことに関しては、今は他の人たちに任せておきましょう。こちらは、ライラの能力の安定に努めるわ。不安定なままで、いつ発動するかわからないのじゃあ、今まで以上に竜族に怯えられる可能性があるもの」

「ということは、おじいちゃんのところに行くんだね!」

「そうね。わたしも久々だし、寂しがっていないか心配だわ」


 僕たちは、基本的に用事がなければ、午前中は苔の広場に必ず行く。だけど、直近では旅行に出かけてから昨日まで、苔の広場には行ってない。

 ミストラルも花嫁修行中は行っていなかったようだし、スレイグスタ老は今頃、寂しがっているのかな。


 僕たちは早速、旅行のお土産やおやつを準備して、苔の広場に行くことにした。

 おやつは修行には欠かせない。なにせ、僕たちが真剣に修行をしている間に、プリシアちゃんを大人しくさせておく最終兵器だからね。

 準備を整え、いつものように竜廟りゅうびょうからスレイグスタ老の空間転移の竜術で飛ばしてもらう。


 ちなみに、竜廟に渡る時にはいつも水竜に乗せてもらうんだけど、彼はとても穏やかな性格で、ライラにも怯えずに普通に運んでくれる。


 黄金色の光に包まれ、まぶしくて目を閉じる。そして光が収まり目を開けると、僕たちはいつものように、いつもの場所に来ていた。


 遥か頭上には、神々こうごうしい存在感を示す霊樹の枝木が厚く傘を作る。足もとは年間を通して瑞々みずみずしい緑をたたえる苔の絨毯じゅうたんが広がり、周りは樹齢数百年は優に超えているだろう古木の森が取り囲む。どこよりもんだ空気が僕たちの胸いっぱいに満ち、それだけで 心が洗われたような神聖な気持ちになる。


 そして広い苔の広場の中心には、変わることなく黒い小山がひとつ。


「おじいちゃん、おはよう」

おきな、ご無沙汰してました」

「スレイグスタ様、おはようございます」

「おはようございますですわ」

「にゃん」

「大おじいちゃん、寝てる?」


 僕たちの挨拶に全く反応を示さず、瞳を閉じて静かにしているスレイグスタ老を見て、プリシアちゃんが小首を傾げる。


「あらあらまあまあ、これは困りました」

「まったくもう」

「そもそも、おじいちゃんが竜術で僕たちをここに飛ばしているんだから、寝たふりは効かないよね?」


 僕とミストラルとルイセイネは、よくもまあ、毎回何かをしようとするね、と苦笑する。

 ライラだけはまだ少し慣れていないのか、困ったように僕たちを見ていた。


「ライラ」


 ミストラルに呼ばれ、ライラも小首を傾げる。


「丁度良い練習素材があるわ。翁に向かって、全力で能力を解放しなさい」


 おお、まさに好都合。


「起きろ、と命令して、起きたら成功だね!」

「ライラさん、頑張ってください!」


 僕とルイセイネの応援に、ライラはお胸様の前で握りこぶしを二つ作り、気合いを入れる。


「頑張りますですわ!」


 言ってライラは、スレイグスタ老の顔の前まで移動する。

 興味津々に見つめるプリシアちゃんが、ライラの真似をして胸の前で握りこぶしを作っている姿が可愛い。


 ライラはスレイグスタ老の眼前に到着すると、すうっと息を吸い込み。


「起きなさいですわ!」


 と叫んだ。


「……」


 反応なし。


 だけどライラは諦めず、何度も叫ぶ。


「起きなさい!」

「目を開けるのですわ!」

「スレイグスタ様、起きなさいっ」

「起きてくださいですわっ」


 何度となくスレイグスタ老に向かって叫ぶけど、反応なし。


 元々、覚醒したとはいっても発動率は極めて低い、不安定なライラの能力。僕たちはライラの頑張りを、遠目で見つめて応援するしかない。

 ライラも、自分の能力の不安定さを理解しているので、諦めることなく何度も何度も繰り返しスレイグスタ老に命令を飛ばした。


 だけど、反応なし。


 さすがに喉も枯れて疲弊し始めたライラは、困った様子で僕たちの方に振り返った。


「どうすれば……」


 ライラが僕たちに何かを言いかけた時。


 遠目で見ていた僕たちは気付いた。

 あああっ、ライラが危険だ!


 今まで微動だにしなかったスレイグスタ老がうっすらと目を開けると、黄金の瞳でライラを見下ろす。


 そして。


「ぶえっくしょぉぉぉんっ!」

「きゃぁぁぁぁぁ……」


 ライラは、スレイグスタ老のくしゃみの爆風と洪水のような鼻水で、古木の森の奥へと飛ばされていった。


「おじいちゃん、なにやってるんですかっ」

「翁っ」


 僕とミストラルがスレイグスタ老に詰め寄り、ルイセイネは慌てたように、飛ばされたライラを追って古木の森へと走っていく。

 プリシアちゃんとニーミアは、きゃっきゃと楽しそうに笑い転げている。


「やれやれ、久々に来たと思えば、汝らはなにをやっているのだ」

「いやいやいや、それはこっちの台詞ですからね?」

「翁、やりすぎです」


 スレイグスタ老は呆れたようにため息を吐くけど、ため息を吐きたいのはこっちです。相変わらず、なんて悪戯をするんですか。


 久々に訪れたせいか、ミストラルは今回、鈍器を手にはしなかった。でも普通なら、ここで鉄槌てっついが下っていてもおかしくないんだよね。

 そしてスレイグスタ老もそれをわかっているはずなのに、なんでこうも毎回、子供の悪戯のようなことをするかなぁ。


「きっと、誰も訪れないから、寂しかったのにゃん」

「小娘め、言うようになったな」


 スレイグスタ老に見つめられて、ニーミアは慌ててプリシアちゃんの後ろに逃げ込む。


「ふうん、寂しかったんだね、おじいちゃん」

「意外と寂しがり屋だったのですね、翁」


 僕とミストラルの冷やかしの視線に、スレイグスタ老はなにを馬鹿なことを、と否定する。


「汝らが来ない日は、コーネリアが来ていた。寂しくなんぞない」


 知らなかった。まさか僕たちの居ない間のお世話を、ミストラルのお母さんのコーネリアさんがしていただなんて。

 確かに、コーネリアさんは先代の世話役らしいけど。


 予想外のことに、ミストラルも目を見開いて驚いていた。


「母さん、なにも言っていなかったわ」

「言う程のことではなかろうよ」


 母親にとって、子供が手一杯の時に手助けするのは、当たり前のことなんだろうね。

 僕の母さんも、忙しい時でも僕の手助けは必ずしてくれていたからよくわかる。


 母の偉大さを、改めて知りました。


「それで、さっきの小娘はなにをしていたのだ」


 スレイグスタ老は、自分が吹き飛ばしたライラが消えた古木の森の先を見つめながら言う。


「それはね……」


 僕はこの場に居ないライラに変わり、彼女の能力が覚醒したことを伝える。

 するとスレイグスタ老は瞳を閉じ、なにやら考え込む。

 そしてその間に、ルイセイネの肩に手を回し、疲れた表情のライラが戻ってきた。


「おかえり」

「た、ただいまですわ」


 本来なら鼻水を全身に浴びて、負傷箇所がなくなり元気になるはずなんだけど。ライラは精神をやられたらしい。

 ぐったりと疲れた様子で、僕の傍にへたれ込んだ。


 無理もないよね。僕も鼻水の洪水を全身に浴びたら、効能が有難いものだとはわかっていても、精神的な傷を負うもの。ましてや、スレイグスタ老の悪戯には、まだまだ慣れきっていないライラだ。きっと外見は艶艶つやつやでも、中身はすさんでいるに違いない。


 僕が心配そうにライラの頭を撫でてあげると、顔を真っ赤にして照れた。でも拒否はしない。


「んんっと、プリシアの頭も撫でて?」


 プリシアちゃんがんでくる。


「はいはい」


 ライラの次にプリシアちゃんを撫でてあげると、なぜか行列ができました。


「次はにゃんにゃん」

「あらあらまあまあ、ではわたくしも」

「しかたがないわねえ」


 何が仕方がないのかわからないけど、ミストラルまで並んでいます。

 なんでみんな、僕に撫でられたがるんですか。困惑しつつ、僕は順番にみんなの頭を撫でていく。

 そして、いっぱいミストラルの頭を撫でた後。ようやくスレイグスタ老が目を開けた。そして、ライラを鋭い黄金の瞳で見据え。


「汝は、竜峰へ帰ることを禁じる」

「えっ!?」


 思わぬスレイグスタ老の言葉に、僕たちは驚いた。


「覚醒してしまったのなら、仕方なし。しかし能力が不安定なまま汝を竜族の住む竜峰へと戻らせるわけにはいかぬ」

「では、どうするのですか」


 ミストラルの質問に、スレイグスタ老は喉を鳴らした。


「かと言って、ここで生活をさせるわけにも行かぬ。ならば、耳長族の世話になるのが良かろう」


 一方的に耳長族の人たちを巻き込んでも良いのかな、と思ったけど、ちゃんと段取りは取るらしい。


「まずはミストラルよ、汝が村へとおもむき、滞在の許可を得よ。そこの巫女と二人分だ」

「わたくしもですか!?」


 さらに予想外の言葉に、ルイセイネも驚愕きょうがくする。


「左様。汝の竜眼りゅうがんは、役に立つ。座り込んでいる小娘の竜気を読み取り、助言と補佐をせよ」


 なるほど。ライラの能力は、竜気に起因するものだということはわかっていた。支配の力が発動する時、ライラの竜気は爆発する。そして、その時に青く光り輝く瞳には、強い竜気が宿る。さらに、これまでスレイグスタ老がライラに竜気の扱い方を徹底的に指導してきたことを踏まえると、わかるよね。


 そしてルイセイネの能力は、竜気を読み解く竜眼。竜眼でライラを視ることによって、竜気の不安定な流れや間違いを見つけ出し、補佐をさせようというわけか。

 ついでにルイセイネの竜眼の修行にもなるし、これは良いことなのかもね。


「でも、二人分ということは、僕とミストラルは耳長族の村には滞在できないの?」

「汝らは、竜峰で生活せよ。何やらあちらは騒がしいのであろう。関わっている汝らまで竜峰を離れては、情況を掴めぬであろう」


 言われてみると、そうだね。誰かが竜峰に残らないと、何かあった時に困る。


 ルイセイネとライラは頬を膨らませて抗議したけど、これは仕方がないよ。なんとか二人を落ち着かせ、僕たちはライラの力が安定するまで、別れて生活することになった。

 とはいっても、寝泊まりするのが別々の場所というだけで、毎日苔の広場で会う予定ではあるんだけどね。


 そして、僕とミストラルがまずは耳長族の村に行き、おうかがいをたてることとなった。


 耳長族の村に行くのに、なんでプリシアちゃんが一緒に行かないのか。

 それは、彼女が泣いてぐずったから!

 いま村に戻れば、今日はもう苔の広場には戻ってこられない、という自覚はあったらしい。

 まだまだ遊びたいプリシアちゃんは、夕方までは苔の広場にいて、それからルイセイネたちと一緒に帰ることを約束した。


 ルイセイネとライラが耳長族の村に泊まるのに、同族のプリシアちゃんは竜峰に、というわけにはいかないからね。

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