名無しの少女

「エルネア、お座り!」

「えええっ、何でかな!?」

「お座りっ」

「ぐう」


 というわけで、僕は村の広場の中央で正座をさせられています。


「何で、ではありません。獣を狩りに行ったはずの貴方が、なぜ人族の少女を持ち帰ってきたのですか」


 持ち帰る、という表現はどうなんですか。と思いつつも、僕は竜峰での出来事をミストラルや集まった村人に話す。


 僕は、行き倒れていた少女を抱え、村に急いで戻ってきたんだ。

 少女は痩せていて軽かったけど、竜気を練っても険しい竜峰を急ぎ足で戻るのは大変だったんだよ。

 そして連れて帰り、介抱をお願いしたんだ。

 幸いルイセイネがいてくれて、彼女が手早く対応してくれた。

 今は、少女は長屋の一室で眠っている。


 少女は村に戻る途中、僕の背中で意識を失っていた。でも村に運んだ時に、竜人族の人たちが驚いたんだ。この少女は人族だ、と。


 どうして、人族の少女が竜峰の奥地で行き倒れていたのか。なぜ、竜族や魔獣、獣に襲われなかったのか。竜人族になぜ今まで見つからなかった。疑問を口々に漏らす竜人族の人たち。

 でも、理由はすぐに判明した。


 少女からは、一切の気配がなかった。それは気配を消す達人のザンが眼を見張る程に。


 すぐ目の前にいるのに、全く気配を感じない少女。

 気配を感じないために、今まで何者にも襲われることなく、見つかることもなく竜峰の奥深くに入れたんだね。


 だけど、普通の少女が気配を完全に消すなんて出来るわけがない。竜峰内に居ることもありえない。明らかに、この少女は問題を抱えている。

 そんな少女を連れてきた僕は、ミストラルから正座を言い渡された。


「でも、行き倒れた人を見捨てることなんてできないよ」

「それはわかるけど……」


 僕も、問題がある人族の少女だと一見で見抜くことができていたら、村に連れて来るのを躊躇ったかもしれない。だけど、僕は人族だから、相手を見ただけで種族を判別することはできない。それに、ザンの指摘があるまで、気配が全くないなんて気づかなかったよ。

 僕は只々、行き倒れていた少女を助けたいという一心だけで、村に連れてきただけなんだ。


 僕の心境をミストラルも十分に理解しているのか、正座をさせたものの、どうして良いのか判断に困っている様子だ。


「まあまあ。エルネアは人として正しいことをしたのだ。許してあげなさい」


 コーアさんが仲介に入ってくれて、僕は解放される。


「暴君を手懐けたり、竜峰で人族を拾ったり。お前は面白い奴だな」


 ザンが意地悪そうに笑い、いつものように僕の頭を掻き回した。


「んんっと、プリシアも褒めてあげるね」


 言ってプリシアちゃんが頭を撫でてくれる。


「寝床が整ったにゃん」


 ザンに掻き乱され、プリシアちゃんによって撫で整えられた僕の頭に、ニーミアが乗る。

 ザンには褒められたわけじゃないし、僕の頭は寝床じゃないよ?

 肩を落とす僕を見て、村の人は笑っていた。


 そして。


 少女が目覚めたのは、それから三日後だった。


 衰弱しきっていて、ルイセイネが回復法術を使ったらしい。

 意識のない人、衰弱している人に法術を使うと、弊害で数日間意識が戻らないんだよね。


 少女には、まず十分な食事が与えられ、落ち着いてから面会できる状況になった。


「連れてきたのはお前なのだから、ちゃんと最後まで面倒は見ろよ」


 とザンに言われなくても、僕はその気だよ。


 話せる状態になった、とルイセイネから連絡を受けて、僕はミストラルと共に少女が泊まっている部屋を訪れる。

 プリシアちゃんとニーミアが興味津々についてきたけど、まあ良いか。


「おはよう。少しは元気が出たかな?」


 僕が声をかけると、少女は慌てて寝台の上でかしこまった。


「この度は、わたくしを助けてくださり、ありがとうございます」


 深々と頭を下げる少女。


「そんなっ。当然のことをしただけですし、そんなに畏まらないで」


 僕は慌てて少女の頭を上げさせる。


 少女は意識を失っている間に、ルイセイネに体を清められていた。

 泥色だった髪は、実は美しい蜂蜜色で、碧眼がよく似合う。肌は細かい傷がまだ目立つけど、それでも乳白色で滑らかそう。

 顔立ちや体格から、もしかしたら僕たちと同じくらいの年齢かも、と推測できた。


 だけど、同年代のルイセイネやミストラルとは違い。


 何て素晴らしいお胸様でしょう。


「お胸様はルイセイネとミストラルとは違うにゃん」

「エルネア?」

「ぐっ。ニーミア、なんてことを言うんだ」


 ミストラルとルイセイネに睨まれた。そして少女が顔を真っ赤にする。


「ご、誤解だよ」


 僕は慌ててみんなに弁解するけど、誰も信じてくれない。


「んんっと、ミストもルイセイネも大丈夫だよ。プリシアもぺったんこだからね?」


 いや、プリシアちゃん。それは慰めの言葉にはなっていませんよ。


 プリシアちゃんの言葉に、がっくりと肩を落として苦笑するミストラルとルイセイネ。

 愛らしいプリシアちゃんとニーミアに、少女は微笑んだ。


「喋る竜族と耳長族を見ても驚かないのね」


 ミストラルの指摘に、少女は頷く。


「はい。ここは竜峰ですわ。なので何が起きても不思議ではありませんわ」


 なるほど。少女は自分が居る場所が竜峰だと、自覚しているのか。


「ここが竜峰だとわかっているなら話が早いわ。何が目的で来たのかしら?」

「ミストラル、待って。その前に、名前を教えてくれるかな?」


 僕たちは、まだ少女の名前を知らない。なんて呼びかけていいかわからないし、先に自己紹介をした方が話しやすいよね。

 ということで、まずは僕たちの方から順番に名乗っていく。

 しかし、少女は自分の番になると途端に表情を暗くし、瞳から生気の色が消えた。


「わ、私は……私の名前は……」


 少女は苦しそうに言葉を零す。


「ごめんなさいですわ。私には名前がありませんわ」

「えっ!?」


 予想外の言葉に、僕たちは驚き顔を見合わせる。


 名前がないわけがない。産まれたら、親は必ず子供に名前を授けるよね。

 それなのに、少女は名無しだという。

 きっと何か深い理由があって、名乗れないんだろうね。でもそれを追求することは、誰もできなかった。


 少女は心の痛みに顔を歪ませ、とても辛そうな雰囲気だったから。


「んんっと、名無しのナナちゃんだね」


 プリシアちゃんは、胸を押さえて苦しく顔を歪ませる少女の脇に座り、頭を撫でてあげる。

 ニーミアが少女の膝に乗り、心配そうに見上げた。


 少女は、プリシアちゃんとニーミアの可愛い姿を見て、微かに笑みを零す。


「名前は、仕方ないわね。それじゃあ、竜峰に入った目的を聞こうかしら」

「竜人族の村か、竜の巣に案内してと言ってたのは何で?」

「それは……」


 少女は僕たちを見回し。


「みなさんは、竜人族の方なのですわよね?」


 少女の逆質問に、ミストラルだけが首を縦に振る。


「僕とルイセイネは、人族だよ」


 少女は、人族だと言った僕を見て驚いた。

 竜峰に耳長族が居たり喋る竜族が居るのは想定内だけど、さすがに人族がいるとは思わなかったのかな?


「人族の方がどうして、竜峰に?」

「それは君も同じじゃないかな」


 苦笑する僕に、少女は複雑な表情を浮かべる。


「私は、竜峰である事を達成しないといけないのですわ」


 そして固い決意の意志を乗せて、少女はミストラルを見た。


「それは何かしら」


 ミストラルは正面から少女の視線を受け、聞き返す。


 少女はゆっくりと、だけど躊躇いを見せずに続けた。


「私は竜族と竜人族を倒し、存在を示すのですわ」


 少女の言葉に、ルイセイネが息を呑む。


「わたしたちを倒して、存在を示す?」

「はい。助けていただいたことは感謝していますわ。ですが、私は自分自身の為に、やらなければいけないのですわ」


 ミストラルが竜人族だと知った上で、少女はそう言い切った。


 ミストラルは値踏みするかのように、すうっと目を細めて少女を見る。


「無理だよ。危険だよ」


 僕は少女を止める。


 竜人族と竜族に戦いを挑むなんて、無謀すぎる。どんな理由があるかはわからないけど、目に見えている勝負なんて意味がないよ。

 必死に止めようとする僕を、少女が見つめる。


「助けていただいたのに、ご恩を仇で返すわたくしをお許しくださいですわ」


 言って少女は、また深く頭を下げた。


「わたしたちに勝負を挑む理由は教えてくれないのかしら?」

「申し訳ありませんですわ。私事ですので、何を言っても言い訳にしかならないと思いますわ」

「そう」


 ミストラルと少女は一瞬見つめ合う。そしてミストラルが席を立った。

 無言で部屋を出て行くミストラル。


 僕もルイセイネも、ミストラルを引き留める言葉を口に出すことはできなかった。

 ミストラルからは、それだけ張り詰めた気が出ていた。


 怒っているわけじゃない。

 ミストラルは、少女の固い意志を受け止めたんだ。


 少女もゆっくりと寝台から抜け出す。


「お待ちください。貴女はまだ弱っています。勝負といってもまた後日でいいのでは」


 ルイセイネが止めるけど、少女は首を横に振る。


「ご迷惑を長くかけるわけにはいきませんわ」


 言って少女は周りを見回す。


「もしかして、両手棍を探しているのかな?」


 少女を助けた時、傍には身なりには似つかわしくない立派な両手棍が落ちていた。僕はそれも一緒に運んでいたんだよね。


 少女は部屋の隅に立てかけてあった両手棍を見つけ、手に取る。


 両手棍が、彼女の武器なんだろうね。

 身長の倍はある長く太い両手棍を両手で持ち、少女は部屋から出る。

 僕たちも後を追って部屋を出た。


 外では、ミストラルと竜人族の人たちが待ち構えていた。


 ザンが殺気を放っている。


「俺らを倒す、と言うのなら、容赦はしない」


 売られた喧嘩は受ける。竜人族は「まあまあ、今のは無かったことに」という優しい気質ではないんだ。


 勇むザンを、ミストラルが片手で制す。


「わたしは竜姫。竜人族を代表して相手をします。わたしを倒せたなら、竜人族を屈服させたと言っていいわ」

「竜姫様でしたのね。その称号は、昔聞いたことがありますわ」


 ミストラルや他の竜人族の気迫に気後れせずに、少女は広場の中央へと移動する。


 出来れば止めたかった。

 助けた責任があるし、少女の悲痛な決意は見てるこちらの心が痛くなる。


「介抱してくださったご恩は忘れませんわ。ですが、私にはもうこれしか存在を示す道がないのですわ」


 言って、頭を深々と竜人族に下げる少女。


 ミストラルは漆黒の片手棍を抜き放ち、周りの竜人族の人たちを下がらせた。


 村の広場の中央で相対する二人。


 僕たちは固唾をのんで見守る。


「勝負である以上、手加減はしない」


 ミストラルの計り知れない竜気が湧き上がる。


「構いませんわ」


 言って両手棍を構えた少女の、竜気が爆発的に膨れ上がった。


「馬鹿なっ」

「そんなっ」


 思いもしなかった事態に、僕だけじゃなく竜人族の人たちまでもが驚愕し、目を見開いて少女を見る。


「参る!」


 少女は、大地を蹴った。


 細く、今にも折れてしまいそうな身体のどこに、そんな力があったのか。


 強く蹴り上げた芝が、激しく舞う。

 目にも留まらぬ速さでミストラルの間合いに入る少女。

 しかし、ミストラルは驚愕も油断もしていなかった。

 振り下ろされる両手棍を目掛け、青白く光り輝きだした片手棍を叩きつける。


 一撃だった。


 両手棍の先は爆散し、少女は両手棍を手放す。


 あまりの衝撃で手が痺れたのか、両手を胸で抱え、うずくまった。


 蹲った少女を見下ろすミストラル。


 たったの一瞬で、勝負は付いた。

 どれだけ強い竜気を放っても、竜姫のミスラルには及ばない。少女とミストラルの間には、手も足も出ない程の力の差があった。


 だけど、少女は諦めなかった。

 手放した両手棍をもう一度手に取り、ミストラルと相対する。

 ミストラルもそれに応える。


 ルイセイネじゃなくても、広場にいる誰もが見えていた。

 可視化した濃い竜気が、少女を包む。

 少女は両手棍に竜気を纏わせ、ミストラルに殴りかかる。


 振られた両手棍は、元の長さの三分の二程になっていた。


 ミストラルはもう一度、両手棍に合わせて片手棍を振る。

 激しい衝撃音が、広場に響いた。

 そして、吹き飛ばされる少女。しかし少女は、今度は両手棍を手放していなかった。

 濃い竜気を纏わせていたせいか、両手棍も砕けていない。


 吹き飛んだ少女は立ち上がり、諦めることなくミストラルに再び迫る。

 ミストラルは、それにまた応えた。

 そして、まともに打ち合うことも出来ず、ミストルの圧倒的な力に吹き飛ばされる少女。


 誰の目にも明らかな勝負だった。

 でも少女は諦めない。何度吹き飛ばされても立ち上がり、ミストラルに迫る。

 ミストラルも勝負を止めず、少女の全ての攻撃に全力で応えた。


 ルイセイネは、プリシアちゃんが目にしないように隠し、自分は息を呑んで勝負を見守っている。

 僕は何も出来ず、只々勝負を見守るしかなかった。


 見ている方が悲痛に顔を歪める勝負だった。


 ミストラルは容赦しない。

 全力で片手棍を振るい、時には蹴りや拳を加減なく少女に打ち込む。

 真剣な少女の意志を、ミストラルは真正面から受けていた。


 何十度目になるのか。僕たちの近くに吹き飛ばされた少女は、弱々しく、でも必死に立ち上がろうともがく。


 だけど、もう無理だよ。


 竜気は消え、全身が酷い傷だらけ。

 吹き飛ぶたびに強く打ち付ける全身の至る所は青紫に変色し、血を流している。


 ミストラルが近づいてくる。


 少女は懸命に立ち上がろうとするけど、もう体が言うことを効かない。


「もう、いいでしょう?」


 僕はミストラルと少女に、呟いた。

 ミストラルがちらりと、僕を見る。

 しかし少女は首を横に振った。


「私はまだ戦えますわ」

「もう無理だよ。立ち上がることも出来ないじゃないか」

「それでもやれますわ」


 竜気は消えたけど、強い意志の消えない瞳でミストラルを睨み、両手棍を構えようとする少女。


「これ以上続ければ、命の危険があります」


 ルイセイネも堪らず止めに入る。


「事が成せない私の命など、何の価値もありませんわ。それならいっそ……」

「命よりも大事なものなんてないよ!」


 ミストラルと少女の間に割って入る僕を、ミストラルが容赦なく払い除けた。


「この娘は、死をもって勝負の幕引きを望んでいるわ」

「ええ、そうですわ。どちらかの死で、勝負が決するのですわ」


 止めるルイセイネを少女は払い、崩折れたままの姿勢で両手棍を構えた。


 どちらかの死でって、明らかに少女の死しかないじゃないか!


「駄目だっ、ミストラル!!」


 僕は叫んだ。


 しかし、ミストラルは僕の言葉を受け容れず、漆黒の片手棍を少女に振り下ろした。

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