竜の森の異変
次は来年、王都で。それを合言葉に、僕たちとリステアたちは別れた。
もっとたくさん話をしていたい。一緒にいろんなことをしたい。だけど時間は有限で、僕の個人的な願望だけでスレイグスタ老の
というか、竜の森と霊樹のことを本当に憂いているなら、ふらふらと物見遊山なんてせずに空間転移で帰っているよね。
「汝は酷いのう」
「ですよねー。リリィもそう思います」
新たな師弟関係になりそうな古代種の竜族同士で頷きあう。
うむむ、早くも親しげな雰囲気です。
スレイグスタ老は代替わりに関して思うところはないのかな? 僕としては、後継者が知らない竜になるよりかはリリィで良かったと思っているんだけど。
「これからであろう。すぐに隠居をするわけではない。時間をかけてわだかまりをなくし、お互いを知っていけば良い。小娘も我も古代種の竜族だ。時間は十分にある」
何十年という、人族から見たら一生以上に長い時間をかけてゆっくりと、代替わりしていくんだね。
僕のようなちっぽけな存在が心配をする必要はないんだ。スレイグスタ老たちにはたっぷりと時間がある。それに、スレイグスタ老とリリィの性格を考えれば、険悪な関係にはなりそうにない。
「人族ごときに心配をされるような程度の低い古代種の竜族はいない。守護の役目は私らにとっては
アシェルさんはそう言うと、わかっているわよね、とニーミアに釘を刺していた。
ニーミアもいつかは守護の役目に就く日が来るんだよね。そのときに僕たちと一緒に過ごした日々が大切な経験や思い出になっていると良いな。
「なに年寄り臭い思いにふけっておるのだ」
「良いじゃないですか。リステアと会えたと思ったらまたすぐに別れたりで、ちょっと寂しい想いに浸っていただけですよ。ああ、はやく年が明けて立春の日が来ないかなぁ」
「ん?」
僕の言葉に、ルイセイネがレヴァリアの上で首を傾げていた。
どうしたのかな?
「エルネア君、もしかしてですが……」
困ったように僕を見るルイセイネと双子王女様。
なんだろう。僕は大事なことを見落としているのかもしれない。三人の表情が「なにを言っているの?」という心の声を強く伝えてきていた。
「エルネア君、質問です。旅立ちの一年の始まりと終わりはいつでしょうか」
むむむ。ルイセイネさん、今更そんな質問をしてくるなんて、どうしたんですか。そんなの決まっているじゃないですか。
「それは十五歳になった年の立春の日から、十六歳になった年の立春の日まで以外に答えはないと断言できるよ!」
胸を張って答える。
「それは区切りね」
「それは建前ね」
「どういうこと?」
双子王女様の言葉に、今度は僕が首を傾げた。
「エルネア君、よく思い出してくださいね。同級生の皆さんは立春の日に一斉に旅立ちましたか?」
「言われてみると……?」
正確には、年明けに行われる宣告の儀が終わると、立春前に旅に出る人たちもいたよね。
立春の日には必ず親もとを離れてひとりにならなきゃいけないけど、宣告の儀さえ終われば、立春前に旅立っても良いんだよね。
僕の説明に、うんと頷く三人。
「では。わたくしたちはともかくとして、リステア君たちのように遠くに旅立っている人が次の立春の日にぴったりと帰ってこられるでしょうか?」
「むむむ。それは少し難しいかな。旅の日程は天候なんかにも左右されるし、距離が長くなるほど正確には測れなくなるよね」
「そうですね。それでは、誤差を踏まえてわたくしたちが旅立ちの一年を終えて良いのはいつからでしょうか?」
「どういうこと? 旅を終えて故郷に帰っても良い日ってこと?」
「そうです」
ルイセイネに問題を出されて
そういえば、いつから戻っても良いんだろう?
旅立ちの日が立春と決まっているから、終わりも立春の日だと疑うことがなかった。だけど、ルイセイネの言うように、旅に出ている人や遠くで一年を過ごした人は、正確にその日に戻ってこられるとは限らない。それに、仕事をしながら一年を耐えた人も、都合によっては立春の当日にぴたりと帰郷できるとは限らないよね。
そう考えると、旅立ちの時のようになにかを皮切りに戻ることが許されている日が決められているのかも?
だけど、僕は知りません!
記憶を辿っても、知識を掘り起こしても、ルイセイネの問題に対する答えが出てこない。
「……エルネア君。座学で習いましたよ?」
「えええっ」
なんてことでしょう。全く覚えていません。
がっくりと肩を落として落ち込む僕を見て、みんなが笑っていた。
「ふふふ。正解は、年が明けたら戻っても良いんですよ。さすがに年明けの翌日などは褒められることではありませんけど。旅立ちの一年は、年が明けたら立春までに戻るというのが一般的な目安ですよ」
「ということは、早ければ年越しの後にはまたリステアたちに会えるんだね!?」
「エルネア君、お忘れですか。リステア君たちは、早くても年越し前後にようやくアームアード王国内に入れると言っていましたよ」
「そうでした……」
「ふふふ。貴方はどれだけ彼が好きなの?」
「嫉妬ですわっ」
ミストラルとライラが困ったように僕を見ていた。
「んんっと、プリシアも旅をするの」
「にゃんもするにゃん」
「いやいやいや。君たちは既に大冒険を体験していますからね!」
プリシアちゃんは、実年齢が九歳。でも、見た目は三、四歳くらい。ニーミアは約百歳。だけど見た目は子猫並み。長命の彼女たちを人族の年齢に当てはめるのは間違えている。見た目と精神年齢で比較しなきゃいけない。そうすると、プリシアちゃんとニーミアはまだまだ幼いということになる。
それなのに、既に僕らと同等の大冒険を体験済み。これ以上の旅なんて、そうそうありませんよ。
「これからこれから」
アレスちゃんがさらっと恐ろしいことを言いました。
却下!
魔族どころか、魔王やその上の存在が絡むような大騒動以上の冒険なんて望みません。お断りですよ。
「こじんまりとした人生なんぞ、面白くはないぞ」
「おじいちゃんと一緒にしないで。僕は平和と平穏を愛しているんです」
「都を破壊するような者のどこに、その平和と平穏は存在するのだ?」
「ええい、なにを他人事のように。壊したのはおじいちゃんとアシェルさんだからねっ」
「聞き捨てならないわね。悪いのは巨人の魔王よ」
「うむ。あれが一番悪い」
この場に居ないからって、全ての責任を巨人の魔王に
「リリィはエルネア君が魔王にならないか心配ですよー」
「ならないからね。断固拒否だからねっ」
なんて会話を続けながら。
スレイグスタ老は相変わらずふらふらとヨルテニトス王国内を飛びながら、西へと飛ぶ。
飛竜たちも楽しそうについてくる。地竜たちは必死に走る。竜人族のなかには、同行を諦める人たちも出始めていた。
残ってもヨルテニトス王国側の接待を受けられるように僕と王様が約束をしているから、この際は楽しんで帰ろうという人たちだろうね。
そうしてのんびりと西進していると、西の空に太陽の光を反射する
黄金の光が眩しい。
ユグラ様だ!
スレイグスタ老たちは、僕よりもずっと前からユグラ様の存在に気づいていたのか、真っ直ぐにお互いの飛行線が重なっていた。
「久しいな」
『スレイグスタ様、こうしてまた同じ空を飛べることを嬉しく思います』
高い高度で滞空しながら、伝説の竜同士が挨拶を交わす。
アームアード王国王都でのどたばたな再会を除けば、三百年ぶりの
だけど、どことなくユグラ様には余裕が感じられない。ユグラ様の背中に騎乗しているフィレルも顔面蒼白で、こちらに挨拶を交わせるだけの余裕もない様子だ。
「ふむ。どうしたというのだ?」
フィレルだけではなくてユグラ様までもが動転するような状況が発生したのは間違いない。
胸騒ぎがする。
スレイグスタ老も只事ではないと感じ取ったのか、いつものような冗談を交えることなく本題を要求した。
『申し訳ございません。お留守を預かる身でありながら……。竜の森が……』
ユグラ様の動揺した声に、スレイグスタ老はぐるると低く喉を鳴らした。
いったい、竜の森でなにが起きたのだろう。
巨人の魔王が守護をしてくれているはずなのに。
「あの老婆め。皆の者、我は先を急ぐ。汝らはゆっくりと戻ってくるが良い」
言ってスレイグスタ老は、ただちに計り知れない竜気を練り始めた。
上空に、黄金色に輝く立体術式が出現する。
『スレイグスタ様、我らの力は不要でしょうか?』
「竜の森の問題は我が負うべきものだ。汝らは気にせず、滅多にできぬ旅を楽しんでまいれ」
一時ではあるけど、守護する場所を離れたのはスレイグスタ老の意思。旧知の仲の巨人の魔王に後を任せたのも、スレイグスタ老の最終判断。それなのに竜の森で問題が起きたのであれば、それはスレイグスタ老の
他者の介入は誇りに触れる。
竜族や竜人族たちもそれがわかるのか、誰も
スレイグスタ老とアシェルさんとリリィ。そしてレヴァリア。騎乗する僕たちだけが立体術式の光に飛び込んだ。
目を開けていられないような光のなかを通過し、空間を転移する。そして、眩い光が収まり目を開けた先。見える竜の森が変異していた。
「ぐぬぬ」
スレイグスタ老が
突如として空に出現した巨竜のスレイグスタ老に、地上から多くの歓声があがる。
どうやら、王都の上空に転移をしたみたい。
スレイグスタ老の姿や活躍は、あの騒動から十日経った王都の住民たちに
そして、王都の人々の歓声のなかには、竜の森の異変をスレイグスタ老なら鎮められる、という期待が深く
「翁、これはいったい……」
ミストラルが顔を青ざめさせて、竜の森を見つめていた。
「気を引き締めてついてまいれ」
言ってスレイグスタ老は、気を張って竜の森へと向かい飛ぶ。
竜の森は、紫色の濃い
どんよりと
既に、魔の森へと
スレイグスタ老が守護していた時のように、魔の森には迷いの術がかけられていた。それでも僕たちは迷いの術を突破して、苔の広場を目指す。
濃い瘴気は空高くまで立ち込めていて、霊樹の姿さえ見えない。
竜族が張りめぐらせる竜気で護られていなかったら、僕たちは呪われて死んでいたかもしれない。それくらい濃い瘴気。
だけど、なぜか森の木々は腐ったり枯れたりはしていない様子。
スレイグスタ老もそのことには安心した様子だけど、この瘴気は只事ではない。
緊張した面持ちで、勝手知ったる森を進む。
そしてついに、苔の広場の上空に到着した。
スレイグスタ老は天に
濃い紫色の瘴気をかき分けて降りていくと、苔の広場の中央に二人の人物が確認できた。
「んんっと、大おばあちゃんだ!」
「あっ、駄目だよっ!」
僕たちの制止を聞かずに、プリシアちゃんが空間跳躍をした。そして、地上に佇む人物のひとりであるユーリィおばあちゃんの胸元に飛び込んだ。
「ローザよ、これはいったいどういうことだっ!」
スレイグスタ老が迫力のある声で、もうひとりの人物、巨人の魔王を怒鳴りつけながら着地した。
「なんだ。早かったな。もう少し旅行を楽しんでくれば良いものを」
「貴様のせいで
低く喉を鳴らし、巨人の魔王を
ユーリィおばあちゃんは困った様子で、プリシアちゃんを抱いたまま僕たちから距離をとった。
「これだから小僧は。言っただろう、其方が留守の間は私がこの森と霊樹を護ってやると」
「だが、この瘴気はなんだ!」
「其方は勘違いをしている。
「ぐぬぬぬ」
スレイグスタ老の威嚇にも動じず、澄ました顔で答える巨人の魔王。
スレイグスタ老といえども、巨人の魔王の前では子供扱いになるんだね。
「スレイグスタ様、申し訳ございません。迷いの術は私が……」
「ユーリィか」
どうやら、森を迷いの術で覆っていたのは、耳長族の大長老であるおばあちゃんだったみたい。
おばあちゃんの手には、縦長の酒壺が握られていた。見れば、巨人の魔王の手には
耳長族の大長老に
「事情は理解した。我は戻ってきた。ならば瘴気を収めよ。森や霊樹に少しでも害が出ていたならば、ローザと言えども容赦はせぬぞ」
「くくく。昔も今も威勢だけは良い」
お酒を飲みながら、愉快そうに笑う巨人の魔王。
「瘴気を自在に操るなど、何千年も前に会得している。護るべきものはきちんと護っている」
ユーリィ様にお酒のお代わりを要求する巨人の魔王。飲みながらだけど、確かに瘴気は薄まっていった。
瘴気が消えると、今度はスレイグスタ老が森全体に新たな術を
「やはり老婆なんぞに任せるべきではなかった」
やり込められたスレイグスタ老が珍しくて、僕たちは顔を見合わせて笑いあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます