西と東に跨って

「エルネア、行ってらっしゃい」

「えっ!?」

「エルネア君なら、ひとりでも大丈夫だわ」

「エルネア君なら、ひとりでも問題ないわ」

「ええっ!?」

「エルネア君、無理は禁物ですからね?」

「えええっっ!?」


 予想外の反応に、僕はけ反って驚いてしまう。

 そんなまさか!?

 老齢の竜が竜峰から下山してきたという緊急事態に、僕はてっきり、みんなで事態の打開に向かうものだとばかり思っていた。それなのに、ミストラルたちのこの反応。

 予想外すぎて、変な声が出ちゃったよ。


「みんなは行かないの?」

「気にはなるけど、その程度なら貴方ひとりでも大丈夫でしょう?」


 ミストラルが僕を一人前と認めてくれるのは嬉しいけど、ちょっぴり寂しいよ?


「全員で行きますと、獣人族の方々も不安になると思いますし」

「なんとなく、私は行けないわ」

「なんとなく、私は行っちゃ駄目だわ」

「いやいや、ユフィとニーナは、手に持っているお酒が手放せないだけだよね!?」


 ルイセイネの言い分はよくわかるね。僕たち全員で行けば、それこそ大事おおごとになっちゃう。

 あくまでも老竜が下山してきただけなら、確かに僕だけでも対処できるだろうしね。

 もしも危険な状況なら、それこそ全員で行くよりも、後方に誰かを待機させていた方が無難かもしれない。


 でも、僕の足で竜峰の麓まで行くのは大変なので、移動はニーミアに協力してもらおう。

 ニーミアは僕の意図を汲んでくれて、遊びを中断させて大きくなってくれた。


「プリシアも行きたいの」

「ごめんね。危険かもしれないから、メイと一緒にいてね?」

「むうう。ニーミアだけいいな」

「お姉ちゃんは、妹を守らなきゃね」

「……うん! プリシアに任せてね」

「おねえちゃん!」


 どうも、プリシアちゃんは妹分ができてお姉ちゃん気質を開花させたらしい。ぴたりとくっついて離れないメイをしっかりと守るように、力強く頷いてくれた。


「それじゃあ、行ってきます」


 言ってニーミアの背中に移ろうとしたら。

 待ってましたとばかりに、ライラが飛びついてきた。


「ライラさん!」


 あっ、とルイセイネが声をあげた。

 だけど、ライラは勝ち誇ったような顔で、他の女性陣に微笑む。


「おほほほほっ、私だけはエルネア様について行きますわ!」

「そういえば、ライラだけは行かないとは言ってないね」

「勝利ですわっ」


 ライラの抜け駆けが成功した!?

 これこそ予想外で、ついつい僕たちは笑ってしまう。

 竜族が竜峰から降りてきたというのに、僕たちのこの能天気さに、獣人族の人たちは少し困惑気味。事態を知らせに走ってきた馬種の男性は、本当に大丈夫なのか、と周りを不安そうに見渡していた。


「……そうね。仕方ないわ。今回は貴女の勝ち。行ってらっしゃい」


 今更、自分たちもやっぱり行くとは言えずに、ミストラルは諦めたように肩をすくめる。

 ルイセイネは少しだけくやしそう。ユフィーリアとニーナは、お胸様同盟の一員ということで、ライラの抜け駆けにはさほど目くじらを立ててはいなかった。

 まあ、あの二人も抜け駆けするときがあるからね。


「それじゃあ、行ってきます」

「行ってきますわ」


 僕はライラを抱き寄せると、空間跳躍でニーミアの背中に移動した。


「もしもし。場所はよろしいのですか?」

「大丈夫です。竜族の気配なら、上空からでも察知できますから」


 馬種の獣人族の人にそう言って、僕たちは空へと上がる。

 ニーミアはくるりと空中で旋回すると、竜峰に向けて翼をはためかせた。

 少しだけ雲がある空を西に進む。すると、すぐに竜峰の険しい峰々が壁のように立ち塞がって現れた。

 空から見る竜峰の北部には、まだまだ雪が多く残っていた。

 白く染まった竜峰の奥。そこは、歳老いた竜族が最期の時を静かに迎えるために暮らしているんだよね。

 では、そこから下山してきた老竜は、なにを想ってやってきたのだろう。


 ニーミアは上空で竜の気配を探る。僕とライラも地表の気配を探ってみたけど、こういった能力は古代種の竜族であるニーミアには敵わない。

 ニーミアは素早く目標を見つけると、降下をし始めた。僕たちは、ニーミアが向かう先に意識を向ける。すると確かに、森のなかに竜族特有の大きな気配を感じ取ることができた。


 良かった。竜の気配がする周りの森は腐敗していない。つまり、腐龍にはなっていないということだね。


「にゃーん」


 ニーミアは、地表の竜にこちらの存在を知らせるように鳴いて、ゆっくりと着地する。

 着地をするといつものように小さくなって、僕の頭に飛び乗った。

 僕とライラは手を繋いで、少し離れた竜の気配がある場所へと歩いていく。

 原生林を確認しながら進んでいると、次第に低い唸り声のような空気の響きが届いてきた。

 ライラが僕の顔を見つめる。


「威嚇とか、そういうものじゃないね。なんだか、お年寄りが呼吸をするのも大変な感じに思える」

「とても苦しそうですわ」


 喉を辛く鳴らすような響き。でも、規則正しく聞こえてくるので、さして恐怖心はあおられない。

 向かう先にいるはずの竜は、こちらの気配に気づいているはずだ。もしも敵対心を持っていれば、離れた距離から威嚇してくるよね。

 では、危険性はないのかな?

 いやいや、油断は禁物です。

 僕とライラは、慎重に深い森を進んだ。そしていよいよ、くだんの竜へと接触する。


『何者だ?』


 茂みをかき分けて、少し開けた場所に出た僕とライラとニーミアを、年老いた茶色の鱗をした竜が待ち構えていた。


「こんにちは。僕は人族ですが、八大竜王のひとり、エルネアと言います」

「その妻のライラですわ」

「にゃん」


 老竜を刺激しないように、茂みを出たところで立ち止まり、名乗る。

 竜の墓所に隠居いんきょしていた竜族なら、竜王になりたての僕を知らない可能性が高いからね。

 少しだけ竜宝玉の力を解放して、証明して見せた。


『古代種の竜族の子と、人族の竜王か……。噂には聞いた。なんぞ少し前に、竜峰で随分と暴れていたようだな』

「うっ。ごめんなさい。お騒がせしました」

『ほう。我らの心を読むか』

「はい。僕もライラも、竜心を持っていますから」


 僕たちの噂を知っていて、尚且なおかつ意思疎通もできると知ってか、老竜はまだ少しだけ警戒していた瞳の輝きを薄めてくれた。

 それで、改めて老竜を観察してみる。

 どうやら、年老いた飛竜みたい。深い茶色の鱗は、身体のあちこちがげ落ちていた。せ細り、頬もげっそりとしている。

 翼はぼろぼろになっていて、これじゃあ飛べないよね、とすぐにわかる。

 飛べないということは、この老竜は歩いて竜峰を降りてきたんだね。

 レヴァリアもだけど、飛竜は地上を長距離間歩くことが苦手らしい。普通なら、それなりの距離がある場合は、飛ぶ方が断然に楽だからね。

 でも、この老竜は自らの足で下山してきたみたい。とても大変だっただろうね。そして、そこまでしてこの老竜は何かをしたかったんだろう。

 最後の安息の地を見つけるために竜の墓所へ入ったというのに、わざわざこうして抜けてきたということは、絶対に目的があるんだと思う。


「どうして、竜の墓所から降りてきたんですか? ここは飛竜の狩場よりも更に北で、獣人族の人たちが困惑しています」

『其方らは、なぜ獣人族の生活圏にいる?』

「獣人族の人たちとも交流があるので、代表して様子を伺いに来ました」

『そうか。竜峰でも活動していたのだしな。ここにいてもなんの不思議もないわけか』


 老竜は、僕の頭の上で寛いでいるニーミアを見つめた。

 老竜は僕たちと意思疎通をしている間も、苦しそうに息継いきつぎをしていた。最期を迎える前の、弱り切った体力でようやく息をしているように感じる。

 体勢も、胴だけじゃなく長い首も地面に着けて、完全に横たわっていた。

 ただ、衰弱しきった外見よりも、病気にむしばまれているような内面の気配が気になる。


『我は……まだ死ねぬのだ。このような死は、受け入れられぬ……』

「それは、どういうことですか?」


 息苦しそうな老竜。人であるなら、寝台に横になり、せきをしながらなんとか生きている、そんな感じの老竜の様子に、心配が浮かんでくる。

 このまま未練を残していたら、今後腐龍になっちゃうんじゃないのかな。


『我らは、穏やかな死を望んでいた。だが、そうもいかぬ状況になった』

「もしかして、竜の墓所でなにかが起きましたか?」

『左様。呪いが蔓延まんえんし始めておる。我は運悪く、呪いを受けてしまった。このままでは、死んでも死に切れぬ……』

「うわっ。それって、腐龍になっちゃう?」

『どうか、我の想いを届けてくれ……。我が弟。愚弟ぐていに想いを……』

「弟?」

『遥か前。愚かしくも人族の挑発に乗り、屈辱くつじょくを受けた我が弟に、兄は最後まで心配していたのだ、其方の愚かさを許す、と伝えてくれ……』


 少しよくわからない。竜の墓所で蔓延し始めた呪いとはなんだろう。それと、この老竜が想いを伝えたい弟の竜と、どのような繋がりがあるのかな?


『我はもう長くない。どうか、我が想いと呪いを……』

「もしかして、呪いと想いを伝えたいこととは、別かもしれませんわ」

「なるほど、その可能性はあるね」


 ライラの言葉を確認するように、老竜を見つめる。老竜は肯定こうていするように瞬きをした。


 つまり、この老竜はもともと思い残すようなことを持っていたんだ。だけど寿命には逆らわず、静かに竜生の幕を下ろそうとしていた。そんなときに、竜の墓所で蔓延し始めた呪いのせいで、心安らかな最期を迎えることができなくなってしまったんだね。

 それで、最後の想いを成就じょうじゅしようと、灯火ともしびが僅かになった身体に鞭打むちうって下山してきたのかもしれない。


 でも、その想いを伝えたい弟って……?


「人族の挑発って、もしかして飛竜狩りのことかな?」

「可能性はありますわ。ずっと昔に、弟様は人族に捕まって騎竜にされたのかもしれませんわ」

「でも、あれも一定の期間を過ぎれば、解放されるんだよね?」


 飛竜狩りで囚われた竜族は、人族に調教されて使役される。だけど一生涯というわけじゃなくて、約束を交わした期間が過ぎれば野生に戻される。


「はい。それに間違いはありませんわ。ですが、お役目を終えた飛竜のなかには、人族に屈したことを屈辱と思い、竜峰に帰らない方もいらっしゃいますわ」

「そうか……」


 そこで、僕は一体の飛竜を思い出した。

 そういえば。

 多頭の腐龍が暴れて竜厩舎が崩壊した時。確か、年老いた飛竜が一体、ライラの指揮下で活躍していたような。その飛竜の鱗は、この目の前で横たわる老竜と同じ茶色だったかもしれない。

 これまでの経験から、竜族は好みや扱う竜気の属性で鱗の色分けがされていたり、同じ色の者同士で部族を形成していると知っていた。

 レヴァリアと同じ部族のリームが、同じ紅蓮色の鱗だよね。


 ライラも、ヨルテニトス王国にいた老竜を思い出したのか、僕の服のすそを強く引っ張った。


「あのう。もしかすると、僕たちはその弟さんを知っているかもしれません」

「もしあの竜様でなくても、一度使役下に置いた竜族の所在は、おそらくヨルテニトス王国に行けばわかると思いますわ。退役後も緊急時の際に協力してもらえるように、所在の帳簿を付けているはずですわ」

『なんと!?』


 少しだけ、老竜の瞳に生気が戻った。


「でも、年老いた貴方をヨルテニトス王国まで連れて行くのは、さすがのニーミアでも難しいかもしれません」

「重いのは大変にゃん」

「もう暫く。あと何日か、ご辛抱いただけませんでしょうか?」


 ライラは老竜を心配するように、近づいて痩せ細った首筋を撫でてあげる。


『願いが叶うなら。想いが届くのなら、我は待とう』


 ぐるる、と老竜は少しだけ元気に喉を鳴らし、僕たちに期待を込めた視線を向けた。


「では、僕たちは弟さんを見つけに行ってきます。でも、その前に。もう少し竜の墓所の呪いのことを教えてください」


 場合によっては、ミストラルたちにも動いてもらう必要があるかもしれない。

 竜の墓所の危機は、竜峰や周りの地域にも深く関わる事件かもしれないしね。


『古き竜の呪い。長年、封印され続けてきた呪いが解き放たれた。このままでは、年老いた竜族は呪いに飲み込まれてしまうだろう……。死にゆく竜は望んでいる。嵐に乗り、竜神様のもとへと飛び立つことを幾星霜いくせいそうも願っている。古き竜の呪いをしずめよ。それは、竜人族の役目だ……』


 老竜は僕たちに想いを伝えると、ゆっくりと瞳を閉じた。ぜぃぜぃ、と荒い息が苦しそう。もう、これ以上は動けないんじゃないのかな。

 老竜の様子から見て、あまり時間は残っていなさそうだ。よくて数日が限界かもしれない。

 もしも僕たちが弟の飛竜を見つけられなければ、この老竜は腐龍になってしまうかもしれない。


「ライラ、行こう!」

「はいですわ!」

「がんばるにゃん」


 ニーミアが大きくなってくれて、僕たちは素早く背中に移動する。


「待っててにゃん。必ず弟さんを連れて帰ってくるにゃん」

『古代種の子竜よ。其方の優しい心に感謝する』

「にゃおーん」

「よし、まずはミストラルたちのところに寄ってね。竜の墓所のことを頼もう」

「私だけは、エルネア様とヨルテニトス王国へ、ですわ」

「ふふ。そうだね」


 ニーミアは可愛い咆哮をあげると、今度は東へ向けて飛行した。

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