朱山宮

 魔王ヴァストラーデの居城がある魔都ルベリアは、季節外れの嵐雲らんうんに覆われていた。

 強風がすさみ、横殴りの雨が魔都を激しく洗う。

 まだ昼日中ひるひなかであるはずなのに世界は真夜中のように暗闇が支配し、魔族たちは門扉もんぴを固く閉ざした建物にこもって、嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。


 荒波の海原を逆さにしたようにうごめく雲に、一条の雷光が走る。

 雷轟らいごうは魔都の住民全ての耳に届き、魔族も奴隷も等しく怯えさせた。


「巨人の魔王か。相変わらず、あの人は自由でいらっしゃる」


 魔都ルベリアの中心。荘厳そうごんな魔王城の窓辺から、嵐雲に走った雷光を見つめる老齢の男がいた。

 おどろおどろしい異形の角をひたいから生やした老齢の男は、魔都の外れにいよいよ落ちた雷を確認して苦笑する。


「ヴァストラーデ陛下。巨人の魔王陛下がいかに最古のお方とはいえ、あのような傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いをお見過ごしになさるので?」


 長年付き従ってきた忠実な家臣は、苦渋に満ちた言葉を漏らす。忠臣のうれいを耳にした老齢の男、ヴァストラーデは、雨風が激しく打ちつける窓から室内へと視線を移した。


「放っておけ。あの人に絡むとろくな事がない。馬鹿者どもの騒動で我が都に損害が出て、まだ二年も経っておらんのだ。これで巨人の魔王にちょっかいを出し、城に無差別な雷を落とされてはかなわん」

「あちらの方角に落雷したということは、やはり方々かたがたところへ?」

「珍しいことだが、そうだろう。ならば尚のこと、あの人には手出し無用ということだ」


 魔王ヴァストラーデと巨人の魔王。

 同じ地位ではあるが、歴然たる格の違いが存在した。

 相手は最古の魔族と呼ばれるほどの、始祖の魔族だ。

 ヴァストラーデも古参の魔王ではあるが、よわい一千年弱のヴァストラーデと数千年を生きてきたという巨人の魔王とでは、どうしても生きた歳月の差は存在する。

 それに、魔王同士が安易にいがみ合っている場合ではない。


「ただでさえ魔王の数が足らぬ時代であるのに、西の魔王ユベリオラが討ち取られ、東ではクシャリラが失脚した。まあ、クシャリラはユベリオラの後任で西に飛ばされたが……。それでも東と西の国が同時に乱れ、荒くれ者や難民の流れが激しくなっている」

「ガルラの件もございますし……?」

「ふっ、それは言ってくれるな」


 家臣の言葉に、魔王ヴァストラーデはもう一度苦笑をした。






 嵐の雲に走った雷は、雷鳴とともに魔都ルベリア近郊に落ちた。

 ルベリアの周辺で最も美しい山並みが広がる麓。その裾野すそのを覆うかのような巨大な宮殿の目と鼻の先。


「やれやれ。こちらは嵐か。あの者らに気を使ってやったというのに、この仕打ちだ。やはり善行などというものはするものではないな」


 直視すれば視力を失いそうなほど強烈な閃光とともに落ちた雷が収まると、宮殿の門前にはひとりの女性の姿が出現していた。


 女が着込んでいた濃い青色の豪奢ごうしゃな服は、転移した直後に横殴りの雨に打たれ、ずぶ濡れになってしまう。

 長く美しい金髪も瞬時に水を含んで重くなり、女は心底嫌そうな顔になった。

 女は盛大にため息を吐く。


「やはり、来なければよかったな」


 盛大にため息を吐く女。しかし、言葉とは裏腹に目の前の壮麗そうれいな門をくぐると、嵐の吹き荒れるなか、歩いて宮殿へと向かう。


 歩くことしばし。無駄に広い前庭を歩ききると、ようやく宮殿の玄関へとたどり着く。

 嵐の最中さなか。外に出てまで出迎える者はいない。仕方なく、女は自らの手で玄関の大門を開き、宮内へと入る。


「ようこそ、おいでくださいました」

「私の来訪に気づいていたのなら、玄関くらい開けろ」


 言って女は、出迎えた人形に向けて無慈悲に雷撃を放つ。

 雷電に全身を貫かれた人形は、断末魔もなく事切れた。


 女は、黒焦げになって崩れ落ちた人形を一瞥いちべつすることもなく、濡れた姿のまま玄関を進む。

 すると宮殿の奥から、慌ただしい気配とともに別の召使いが飛び出してくる。


「こ、これは! 巨人の魔王陛下。ようこそお越しくださいました」


 ばたばたと現れたのは、女ばかり十人ほど。今度は、全員が人形ではなく人族だ。人族の女召使いたちは突然の来客者を確認すると、平伏して出迎える。


 ずぶ濡れの女、巨人の魔王は、先ほどのように問答無用で雷撃を放ちはしなかった。


「ここの主人に喚ばれたのでな。仕方なく来た」

「ご案内いたします。ですが、その前に……」


 恐る恐る、平伏したまま召使いたちは巨人の魔王を見た。

 人の域を超えた妖艶ようえんな美しさも、雨風に打たれて乱れてしまっている。


「そうだな。先ずは着替えさせてもらおう」

「では、お部屋へご案内させていただきます」


 召使いの案内に従って進路を変更した巨人の魔王は、宮内奥へと消えていった。






 魔族が集い営みを築く地域では、魔王が支配する国が五国、現存していた。それ以外にも、禁領きんりょうと呼ばれる直轄地や、統治者を失った無法地帯がいくつか存在する。

 その中で、魔都ルベリアのすぐ近郊に、小さな禁領が在った。

 美しい山の麓に広がる、壮麗な宮殿。その敷地だけは、魔王ヴァストラーデの支配権が及ばない禁断の地になっている。


「ふふふ。主様あるじさま。珍しく、ローザがいらっしゃったようですわ」


 宮殿の最奥。ひと際美しい部屋では、二人の人物が寛いでいた。

 ひとりは小さな少女。まだ幼女といったほうが良いかもしれない。真っ赤な髪。色鮮やかな赤い服の、可愛らしい女の子。

 幼女は、見た目の年齢には相応しくない洗練された所作しょさで、香り立つ紅茶をれている。そして淹れ立ての紅茶を、部屋の奥でゆったりと寝そべる者のもとへと運ぶ。


 落ち着きのある部屋は、屋外で荒れ狂う嵐の気配を微塵も感じさせない。

 外界から隔離させたような空間の部屋。そこで幼女に世話をさせる人物は、上半身だけを起こすと、紅茶の入った陶器の器を受けとった。

 幼女と同じ、赤を基調きちょうとした衣装を見にまとうその人物は、絶世ぜっせいの美女。

 真紅しんくの衣装。真紅よりも僅かに色調の低い髪。この人物こそが、宮殿の住人。そして、世話をやく幼女の主人だ。


 当たり前のように世話をする幼女。世話をされることに慣れきった雰囲気の女性。

 外界からかけ離れた特殊な雰囲気は、屋内の空間だけでなく人物も含まれているのかもしれない。


 そして、なによりも驚くべきは、半身を起こして紅茶を口に含む女性の有り様だった。


 浮いていた。

 まるで、見えない長椅子にゆったりと座っているかのような姿勢の女性だが、そこに長椅子は存在しない。それでも、この女性はあたかも長椅子に腰掛けているかのように、空中で寛いでいた。


 幼女は主人に紅茶を渡すと、もとの位置に戻り次の準備に取り掛かる。

 自分用の紅茶を淹れて、お茶請おちゃうけを出す。

 自ら淹れた紅茶をひと口。唇を湿らせると、また甲斐甲斐しく奥の女性へお茶請けを届ける。そしてまた、もとの場所へ。

 次にもうひとり分の紅茶を準備していると、部屋の扉が叩かれた。

 幼女が返事をすると入室してきたのは、なまめかしい衣装を身に纏った、巨人の魔王だった。


「ええい、誰だ。私専用の部屋に常備していた衣装を、このような下劣げれつなものばかりに変えたのは」


 部屋に入るやいなや、魔王は部屋の住人を不満そうに見る。

 くすくすと幼女が笑っていた。

 魔王は幼女の笑う姿を見ると、大きくため息を吐いて諦めたように肩を落とした。


 宮殿には、始祖族が来宮した際に利用する、個別の部屋がある。全身を濡らしていた巨人の魔王は、自分に与えられた部屋で着替え、ここへとやってきた。


 なぜ、始祖族には個別の部屋が与えられているのか。なぜ、魔族各国の地域からこの宮殿へとやって来るのか。それは、始祖として誕生した魔族なら誰もが知っていた。


「招喚に応じ、参上した。決まり通り来たのだ。もう帰らせてもらう」

「あらまあ。これは大変でございます」


 ふふふ、と口元を覆って微笑む幼女。しかし、瞳が真っ赤に輝いていた。


 突然、魔王の足もとからくさりが生える。そして、鎖は魔王の手首に絡まった。


「さあ、どうぞ。淹れ立ての紅茶でございます。どうかお寛ぎを」


 見た目こそ笑顔の幼女だが、雰囲気からは有無を言わさない命令の意思が漂っていた。


「始祖族の方々には、定期的に来宮していただきまして、主様のお相手をしていただくというお約束でございますよ?」

「其方らの悪戯いたずらにこうして乗ってやったのだ。もう十分だろう。帰らせてもらう」

「ふふふ。そちらの衣装はお気に召しませんかしら?」

「趣味じゃない。それに『始祖族は定期的にここへ来て主上しゅじょうの相手をしろ』というたわむれに私を巻き込まないでいただきたいのだが?」

「ですが、ローザも始祖族でございますし」


 巨人の魔王は、床から生えて手首に絡まる鎖を難儀そうに払う。しかし、退室することなく幼女から紅茶を受け取った。

 口では嫌だと軽く言えるが、実際は逆らうことなどできはしない。ここまで来て本当に帰るような素振りでも見せれば、下手をすると手首に絡まっていた鎖だけで殺されかねないのだ。


「ローザは良いほうでございますよ。クロウグランなどは、露出の多い女物の衣装に変更されておりました。あの暑苦しくいかつい容姿に色気のある女物の衣装で、数日滞在していただきました、ふふふ。ああ、ちなみにではございますが。この悪戯はわたくしでも主様でもございませんわ。猫公爵の仕業でございますからね?」

「あれを野放しにするからだ」


 やれやれ、とため息しか出ない巨人の魔王。


「それで、今回の要件は?」


 魔王は紅茶を飲みながら、部屋の奥で寛ぐ人物を見る。


「ふふふ。再三の招喚要請を無視しておられたローザが、ようやくいらっしゃったのです。こちらの用件はご自身が一番理解されているはずでございますよ」

「知らん。伝心でんしんで来いと命令されたから来たにすぎない」


 上質な紅茶を口のなかで堪能しながら、魔王は視線を逸らす。


「ローザ」


 そのとき、部屋の奥の女性が口を開いた。

 名前を呼ばれただけ。しかし、あらががたい強制力で、魔王は視線を女性へと向ける。


「人形を壊すな。エリンベリルにまた愚痴を言われてしまう」

「であれば、エリンお嬢ちゃんには、まともに出迎えのできる程度の人形を造るように言っていただきたいものです」


 宮殿に入って最初に出迎えた人形は、命の宿る人ではなかった。

 傀儡くぐつおう、と呼ばれる始祖族が生み出した自動人形である。

 ただし、後から現れた召使いは全員が人族の奴隷だった。


 この宮殿内には、目の前で紅茶のお代わりを準備する幼女と、奥で宙に浮きながら寛ぐ女性しか魔族は住んでいない。あとは傀儡の王エリンベリルが生み出した自動人形か、奴隷として働く人族だけだ。


「大丈夫でございます。傀儡公爵は愚痴を零しつつも、喜んで新しい人形の製作に取り掛かりますわ」

「なら、あと二、三体壊して帰ることにしよう」


 冗談で言ったつもりだったが、否定はされない。

 やれやれと、ここでもため息をつく魔王。

 彼女らは、些細なことは気にも留めない。この二人が興味を示すものは、余程の事柄だけだ。

 だが、今回はその余程に触れてしまったらしい。


「なにやら、東で随分と楽しく過ごしているようだが?」


 奥の女性は寛いだ姿勢のまま、巨人の魔王を見ていた。


「随分と竜姫りゅうきに肩入れなさっておいでですわね?」


 幼女も、お茶請けを上品に口へと運びながら言う。


「なにもかもお見通し、というわけか。だが、最近は少し違う。竜姫の夫となった竜王とその周囲が面白いものでね。それよりも、お二方も西の方に随分と肩入れしているようですが?」


 意趣返いしゅがえし。いや、これは竜王が言うところの必殺話題変更だろうか。

 魔王が逆に聞き返すと、奥の女性は珍しく笑みを見せた。


「面白い巫女がいてな。あれをどうにかしてこちらへ引き込もうとしているのだが、魔女まじょが邪魔をして上手くいかない」

「ですが、主様はそれが楽しいのでございます」


 ふふふ、と笑う女性と幼女。

 奥の女性は「面白い巫女」と人物像は濁らせたが、魔王は魔王で二人の動きを把握している。どうやら、女性と幼女は二人でなにやら楽しんでいるらしい。

 ならば、自分も楽しんでなにが悪い、と開き直るのが魔族。


「東の地で、懐かしい物を見たので」

「クシャリラが支配していた地域に、とても古い遺物を送りましたでしょう?」


 情報が早い。

 東の地で、古代遺物とそれを身に纏った人族ごと転送させたのが数日前だ。

 竜王に「諜報ちょうほうを担う者はどこにでも潜んでいる」と言ったのは自分だが、この二人の情報網はやはり抜け目がない。


「ああ、困りましたわ。ここのところ神族の動きも不穏ですのに、魔族の国でも騒動が起こりそうです」

「そう思うのなら、魔王を増やせばよろしかろう」


 まさか、西から新たな魔王を引っ張ってこようとでもいうのか。ふと、そうした予感が魔王の頭に過ぎる。


「だいたい、他の魔王からも不満の声が上がっている。いい加減、新たな魔王を選定しては?」

「とおっしゃられましても、振られ続けるばかりでございますわ。ほら、ローザが推挙すいきょしておりました子にも断られましたでしょう?」


 魔王選びは、一応しているのですよ。と微笑む幼女。だが、女性と幼女が本気で国と魔族を憂いているとは到底思えない。

 では、この二人はいったいなにを想い、なにを成そうとしているのか。巨人の魔王でさえも計り知れぬ思惑に、いつのまにか全魔族は呑み込まれてしまっているのかもしれない。


「ふふふふ。ローザがこちらの事に関わっていただく時期は、もう少し計画を熟成させてからにいたします。それよりも……」

「九魔将、だったか」


 古い記憶を手繰たぐる様子の、奥の女性。

 幼女も「懐かしゅうございますね」などと呟きながら過去を思い出す素振りを見せた。


「九魔将にまつわるあれは、幾つ残っていましたでしょう?」

「聖女に消されたものがひとつ。魔女に破壊されたものがひとつ。あとは……」


 古代の遺物と言うだけあって、現存数は減ってしまっている。だが、それでも今に伝わる物もある。


「所在不明を除けば、今回見つかったもので四つだ」

「まさか、あちらの地域に残っていましたとは。道理でいくら探しても見つからないはずでございますね」

「そもそも、本気で探してはいなかっただろうに」


 魔王の突っ込みに、ふふふと微笑む幼女。

 いつも笑顔を絶やさない幼女だが、外見に騙されてはいけない。笑顔にも。容姿にも。


「ローザが保管していらっしゃいますひとつを除けば、野に三つ出回っている事になるのでしょうか。これはとても危険でございますね」


 危険と言いつつ、危機感の欠片かけらもない幼女の笑みに、魔王も笑顔で返した。


「退屈していたのだろう。なら、見ていればいい。長い間所在不明だった九魔将の武具が突然見つかった。そして、手に入れた者は人族でありながら古代遺跡の秘匿知識を持っていた。さて、これがなにを意味するのか。答えは百年と待たずに出るだろう」

「ふふふ。その答えを出す場所を魔族の世界に指定する貴女は、やはり真の魔族でいらっしゃいます」


 わざわいの種を持ち込むな、とはこの場の誰も口にはしない。それが魔族であり、支配者階級に君臨する者の支配者たる所以ゆえんだ。


「ところで、入室当初より気になって仕方がないのでございますが」


 幼女の視線を追うと、巨人の魔王が所持する長物にたどり着く。


「ローザは巫女に転職されましたのでしょうか?」

「ああ、これは……。返すのをすっかりと忘れていたな」


 嘘だ。存在を忘れるような小物ではない。

 巨人の魔王が手にしている長物は、高位の巫女が所持していそうな大錫杖だった。ただし、主要な部分にめ込まれていただろう宝玉が、今は欠けてしまっている。


「くくくっ。これも面白くなりそうな気がするな」

「おやまあ。巫女から宝物ほうもつ拝借はいしゃくするだなどと、ローザも色々と悪いことをなさっておいでなのですわね」

「お二方に比べれば、私など可愛いものだ」


 数千年の付き合いがある三人は、互いの思惑を胸に笑いあった。

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