魔王のいぬ間に
「ぬああぁぁ。つーかーれーたー」
ぐてーんっ、とふかふかの布団が敷かれた寝台に寝そべる。
「おつかれさま。だけど、あまり休んでいる暇はないわよ?」
先ほど取り込んだみんなの着替えを畳んでいる最中のミストラルが、僕を見て苦笑していた。
「ううう、ミストラル。僕はもう精も根も尽きてしまったんだよ。ああ、
寝そべりながら、ちらっと、もの欲しそうにミストラルを見る。
「はいはい。これが終わったらね」
「やったー!」
衣類を畳み終わったら、なにが貰えるのかな!?
とてもとても楽しみです!
ミストラルのお仕事が早く終わらないかな、とごろごろしながら見つめる。
現在、この部屋には僕とミストラルしかいない。
ユフィーリアとニーナは、プリシアちゃんを
ルイセイネは、落ち込むマドリーヌ様を
そしてライラは、王妃様とお庭をお散歩中かな?
ここは、ヨルテニトス王国の王族が
魔剣使いの騒動から、すでに五日が過ぎていた。
「それにしても、魔王は急にどうしちゃったのかな?」
「さあ? 用事ができたなんて言っていたけれど、なにかしらね?」
この五日間、魔王の相手をするので大変でした。
日中は、大錫杖を奪い返そうとマドリーヌ様が何度も何度も魔王に挑む。でも、相手は最上級の魔族です。手も足も出ません。それで、僕たちも巻き込まれて大騒動。
夜は、お酒好きの魔王に晩酌を付き合わされて、さあ大変!
家族のなかでまともにお酒を飲めるのはユフィーリアとニーナなんだけど、この二人でも最後は飲み負けていた。
僕?
はい。もちろん、数口で酔っちゃって、気づけば朝です。
ぐわんぐわんと痛む頭。気持ち悪い胸焼け。その状態で、またマドリーヌ様に巻き込まれるのです……
だけど、結局のところ大錫杖は取り戻せなかった。
急に帰ると言いだした魔王。
すぐ側に王妃様が居たというのに、耐性のない人には害でしかない
いろんな転移の仕方があるんだね。と感心したのも束の間。マドリーヌ様の悲鳴で、大錫杖の持ち逃げが発覚したのでした。
マドリーヌ様は現在、傷心中です。
ルイセイネが慰めているけど、立ち直ってくれるかな?
「あの魔王が呼びつけられるなんて、きっと大ごとだよね?」
「そうね。自国で緊急事態が発生したのか、もしくは上の人に呼ばれたのか……」
「上の人かぁ。そういえば、あの魔王よりも上位の存在って、何人いるのかな?」
ちょっとした疑問だった。
僕の知るところでは、魔王の上には魔族を真に支配する人がいるんだよね。そして、スレイグスタ老やアシェルさん、それに二人の魔王を相手取り、一瞬で戦場を制圧してみせた赤が印象的な幼女が、側近として存在するのを把握している。
では、他にそういった人はいないのかな?
「どうかしら? わたしもエルネアと同じく二人しか知らないし、それだけじゃない? 魔王の上位者が何人もいるなんて、考えるだけでぞっとするわ」
「そうだね。嫌な感じしかしないよね」
巨人の魔王であれだ。その上位者が何人もいたら、世界は大変なことになっちゃうよ!
ちょっと想像してみただけで、背筋がぞっとしちゃう。
でも、ぞっとしたのは別の要因だった。
「エルネア君!」
ばーんっ! と勢いよく部屋の扉が開かれる。そして、ずしずしと勢い込んで入室してきたのは、落ち込んでいたはずのマドリーヌ様だった。
あああぁぁ。嫌な予感しかしません。
遅れて入ってきたルイセイネの、ぐったりとした表情が僕に確信を与えていた。
「私、決めました!」
「却下よ」
「むきーっ」
なにを決心したのか聞く前にミストラルから拒否されて、マドリーヌ様が
「あの錫杖は、本当に大切な物なのです!」
「そ、そうですね……」
「私はヨルテニトス王国の
「は、はい……」
「というわけで、これからは私もエルネア君の家族に同行して活動いたします!」
「えええーっ!」
いや、入室してきたときの勢いと雰囲気から、想像はしていたんだけどね。
でも……
「ええっと。確かに錫杖奪還は大切だと思うんですが。巫女頭様がお役目を放棄なんてできないですよ?」
「そうですよ、マドリーヌ様。大錫杖はわたくしが責任を持って取り戻しますので、どうかヨルテニトス王国で大人しく待っていてください」
ルイセイネが
「必ず。必ずや、エルネア君の家族の一員に!」
「そこ。本音が漏れているわよ?」
「はっ!」
やれやれ、とマドリーヌ様以外の三人で大きくため息を吐く。
「さあ、洗濯物も畳み終わったことだし。エルネア、ルイセイネ、外に出ましょうか」
「そこー! 私を除け者にしないーっ!」
どうやら、ミストラルの癒しはお預けになっちゃったみたい。
ルイセイネだけの追加なら問題なかったんだろうけど、マドリーヌ様を前に
僕たちは外部に面した窓から出ると、宮殿の中庭に出た。
もちろん、ぶうぶうと文句を言いつつ、マドリーヌ様もついてくる。
宮殿は王族所有というだけあって、大きくて広い。中庭も、池や建物、回廊などで区切られて、いくつも存在する。そのなかで、僕たちが利用させてもらっている離れに面した中庭では、二体の竜族が寛いでいた。
「リリィ、お酒よ」
「リリィ、お肉よ」
「お酒は、お二人が飲みたいだけですよねー」
「んんっと、プリシアはお菓子が食べたいよ?」
「プリシアちゃん、お菓子は駄目よ。ミストラルに怒られるわ」
「プリシアちゃん、お菓子は駄目よ。ルイセイネから叱られるわ」
なんて、ユフィーリアとニーナとじゃれ合っているのが、黒竜のリリィ。その頭の上に登って遊んでいるのが、いつも陽気なプリシアちゃん。
リリィは魔王に置いていかれたので、僕たちがお世話をしなきゃいけないのです。
それと、リリィと少し距離を置いた場所には、夕日に輝く紅蓮色の鱗が
「お、王妃陛下。この竜様が
そして、レヴァリアの近く、というか微妙に距離を置いた場所に、ライラと王妃様の姿があった。
王妃様は、ライラの背中に隠れて怯えたようにレヴァリアを見上げていた。
「大丈夫ですわ。レヴァリア様はとても優しいですわ」
どうやらライラは、王妃様にレヴァリアを紹介したいみたいだね。
だけど当の王妃様は、竜騎士団の竜族よりひと回り以上も大きく、大小合わせて四枚の翼、四つの瞳という異形の姿をしたレヴァリアに、完全に怯えていた。
宮殿に滞在して、今日で五日目。
実を言うと、僕たちはすぐに帰るつもりでいた。
だってさ。大変な騒動だったけど、王妃様は世間体からすれば
フィレルたちが王妃様に顔を見せなかったのも、幽閉している人に気安く会いに行くわけにはいかない、という意志の表れなんだよね。
だから、僕たちも王様と一緒に帰るつもりでいた。
ライラも、後ろ髪を引かれる思いながら、帰る決心をしていた。
でもねぇ。
やっぱりここでも迷惑をかけたのは、魔王でした。
「ふむ。景色が気に入った。滞在させてもらおう」
なんて言い出したものだから、ヨルテニトス王国の人たちは大騒動。その結果、巻き込まれた僕たちの滞在が決まってしまった。
そして「エルネアよ、あとは頼むぞ」と王様は帰り際に、あとを僕に
王様としても、
「ライラよ。王妃をよろしく頼む」
そして、ライラにも大切な想いを託していった。
王様にお願いされたライラは、しっかりと自分の役目を全うしているみたいだね。
「お、王妃陛下もレヴァリア様に触れてくださいませ。きっと喜びますわ」
「ラ、ライラ……さん……」
とはいえ、なんだかぎこちない。
他人行儀というか、距離感があるというか。むしろ、見えない壁が存在していて、二人の想いを妨害していると言って良いかもしれない。
ううーん、なにか二人の仲を取り持つ協力ができれば良いんだけどなぁ。
ライラの背中に隠れながら、及び腰でレヴァリアを見る王妃様は、複雑そうな表情だ。
二人の関係、過去のわだかまり。色々とあるんだろうけど、ライラはきっと過去なんて吹っ切れている。だからこそ王妃様を助けに来たんだし、ああして積極的に触れ合おうとしているんだよね。
王妃様も、ライラの愛と優しさをしっかりと受け止めているはずだ。
あのとき。魔剣使いを追って出て行く前。王妃様は確かにライラの想いに応えて、心を開いていた。
だけど、落ち着きを取り戻した今になって、またぎくしゃくしちゃっている。
「ライラ」
すると、ぎこちない二人の関係を目にしたミストラルが、たまりかねて動いた。
「名前で呼んであげたら? 魔族以外の人は誰しも、称号や地位ではなく名前で呼ばれたいものよ?」
ああ、そうか!
「そうだよ、ライラ。せっかくなんだから名前で呼びあったら良いんじゃないかな?」
普段「王様」「王妃様」なんて言ってるような僕が言うのもなんだけどさ。やっぱり、仲良くなるためには、称号なんかよりも名前で呼びあったほうが、断然深い関係になるよね。
僕も「竜王」とかって言われるより、名前で呼ばれるほうが好きだしね。
「で、ですが……。王妃陛下は、高貴なお方ですわ」
ミストラルの助言に、すこし困り顔になるライラ。
でも、この場面では王妃様の方が積極的に動いてくれた。
「ラ、ライラさん。どうか、私のことはレネイラとお呼びください」
「はわわっ」
王妃様に
「で、では。私のことはライラと呼び捨てでお願いしますわ。私は……レ、レネイラ様の子供くらいの年齢しかありませんし」
「はい。……ライラ」
「レネイラ様」
ちょっとぎこちないけど、お互いの名前を呼びあう二人。なんだか、今のやりとりだけで、うんと距離感が縮んだね。
「さすがはミストラルだね!」
そういえば、僕とミストラルが出会って間もない頃に距離を縮めてくれたのも、ミストラルの方からだったよね。しかも、今回のように名前を呼びあうことで。
ああ、なんだかあの頃が懐かしいな。僕は
「エルネア君、ミストさんを見てなにをにやけているのです?」
「あっ。違うんだ」
「むきぃ。エルネア君、見るなら私にしなさい!」
「マドリーヌ、それだけは無いわ」
中庭に出ても、マドリーヌ様は相変わらずでした。というか、こんな人が巫女頭様でヨルテニトス王国は大丈夫なのでしょうか。
僕に飛びつこうと迫るマドリーヌ様を、ミストラルとルイセイネが妨害する。僕も襲われないように逃げる。
やんやと騒ぐ僕たちをよそに、ライラと王妃様はこれまで以上に心を通わせあっていた。
「さあ、レネイラ様。レヴァリア様に触れてくださいませ」
「こ、怖いですわ……」
「大丈夫ですわ。レヴァリア様は
さあ、と王妃様の腰に優しく腕を回し、レヴァリアのもとへと案内するライラ。
レヴァリアは丸まったまま、大人しくしていた。
ううーむ。レヴァリアも丸くなったものだね。ひと昔前なら、牙をむき出しにして威嚇していたと思うんだけど。
『威嚇ではなく、貴様を丸焦げにして食らってやろうか』
「ひえっ。焦げたら美味しくないよっ」
しまった。竜心で心を飛ばしちゃった。
レヴァリアは凶暴な顔をもたげ上げると、ちりちりと喉の奥に炎を宿して僕を睨む。
「ひぃ」
そしたら、せっかく間近まで来ていた王妃様が、レヴァリアの恐ろしい表情と低い喉なりで怯えちゃった。
「こらっ。エルネア!」
「エルネア君、お二人の邪魔をしてはいけませんよ」
「うわぁん、ごめんなさい」
マドリーヌ様の動きを妨害していたミストラルとルイセイネが、今度は僕に矛先を変えて追いかけてきた。ついでに、マドリーヌ様もどさくさに紛れて追いかけてくる。
逃げる僕。
すると、リリィと遊んでいたプリシアちゃんが参戦してきて、こちらは阿鼻叫喚な世界になっていった。
「レネイラ様、ご安心を。これは、レヴァリア様の挨拶のようなものですわ」
『貴様は……』
顔を上げたついでにと、ライラと王妃様を見下ろすレヴァリア。だけど、すぐ傍にまで来た二人には、無用な威嚇をしない。
やっぱり、丸くなったなぁ。
『そこに直れ。丸焼きにしてくれよう』
「うわぁぁぁっっっ!」
また竜心を飛ばしちゃったせいか、レヴァリアはとうとう僕に向かって炎を吐いた。
「こらこらっ。綺麗なお庭が黒焦げになっちゃうじゃないか」
『そう思うのなら、大人しく焼かれてしまえ』
「お助けーっ」
このままでは、本当に丸焼きにされちゃう!
こうなったら、池に飛び込んでやり過ごすしかない、と中庭の隅にある池に向かって走る。
「やあ、エルネア君。相変わらず騒がしいね」
「あっ。ルイララ、まだ滞在していたんだね」
「ひどいなぁ。帰ったのは陛下だけだよ」
逃げた先の池には、ルイララがぷかぷかと浮いていた。
人の姿で。もちろん服は着てるけど、池に浮いているのでずぶ濡れです。
「怪我は治った?」
「まあ、大したことはないからね」
と言いつつも、この五日間、ルイララは時間の許す限り水辺で時間を過ごしているのを知っている。
やっぱり、魔剣使いが放った漆黒の光線は結構な痛手だったんだね。魔王もルイララの怪我を心配してか、滞在中のお世話はルイララにではなく僕たちにさせていた。
「ところで、炎から逃げなくてもいいのかい?」
「きゃー」
ルイララと呑気に会話している場合ではありませんでした。僕は慌てて、池に飛び込む。
「ひえっ。冷たいっ」
「そりゃあそうだろうさ。まだ冬が終わったばかりだからね」
「くぅぅ。君が平気な様子で池に浮いているものだから、そういうことに気を配るのを忘れてたよ」
僕が池に飛び込んだことで、レヴァリアは炎を吐くのを諦めたみたい。ついでにミストラルたちの追跡も止まった。
プリシアちゃん。なぜ君は嬉々として服を脱ごうとしているのですか!?
慌ててプリシアちゃんを止めるミストラル。ルイセイネが、脱ぎ捨てられた服を回収している。マドリーヌ様は、僕たちの追いかけっこについて来られなかったのか、少し離れた場所で
ちょっと冷たい思いをしたけど、これで安心です。
僕は池から顔だけを浮かべると、ライラの様子を見る。
「ほら、美しい鱗ですわ」
「本当に、綺麗……」
「竜峰で一番美しいのですわ」
「まあ、あの竜峰の。ライラは竜峰におひとりで?」
「エルネア様たちと一緒ですわ!」
「そうですか。貴女は今、幸せなのですね?」
「はい、とっても!」
満開の笑顔を見せるライラ。王妃様も、ライラの笑顔に照らされて柔らかく笑う。
「そうですわ!」
そして、ここでどうやらライラに
「レネイラ様も、竜峰の旅に参加すると良いですわ」
「まあ、竜峰へ? ですが、危険なのでは?」
「大丈夫ですわ。アームアード王国の王妃陛下やエルネア様のお母様も参加されますし、ルイセイネ様のお母様は巫女でいらっしゃいます。私たち全員で案内しますので、きっと楽しいですわ」
良いですよね? と僕を期待の瞳で見つめるライラ。
「ライラにそんな顔でお願いされちゃったら、断れないよね。よし、王様には僕が掛け合うよ!」
ライラの思わぬ提案に、王妃様は複雑な心境ながら、とても喜んでいた。
よし。ここは僕がひと肌脱いであげましょう。
王妃様は幽閉の身で、自由がきかない。でも、王様と交渉して連れ出すことができるように動きましょう。
まかせなさい、と池のなかで胸を叩く僕。
なぜか池のほとりで、マドリーヌ様が「よしっ」と呟いたのは気のせいでしょうか。
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