夜空を走る

 それは古式ゆかしい言祝ことほぎの朗誦ろうしょうというよりも、まるで歌のように。

 滑らかに美しく、アリスさんの奏上が空にとおる。


 空を走る天馬と並走するように、幾つもの小さな星が生まれた。

 アリスさんは左手に手綱たづなを握り、右手で両刃薙刀りょうじんなぎなたを構える。そして、薙刀を背後に向かって大きく振り抜いた。

 つばに埋め込まれた大小幾つもの宝玉が満月色に輝く。同時に、三日月の刃が両刃から生まれて、霊山の麓付近から翼を羽ばたかせて駆け上がってきた黒い天馬の集団に向かい、放たれた。


 五騎の黒い天馬が、ぱっと空に散って三日月の刃を回避する。そこへ、小さな星々が不規則な軌道で襲い掛かると、こちらを追いかけてきた黒い天馬たちが慌てたように空を走り回って逃げだす。

 小さな星々は、それでも執拗しつように黒い天馬を追う。


 黒い天馬たちの周囲に、結界のようなまくが張られる。

 結界と星々がぶつかり合って、夜空に綺羅星きらぼしを幾つも生み出した。


「向こうの天馬にも、人が乗っていますね!」


 アリスさんを追ってきたというのなら、当然なのかもしれない。

 でも僕には、高貴な巫女、それも特別な巫女騎士と呼ばれるような女性が追われるいわれが思いつかない。

 なぜ、アリスさんは追われているのかな!?


 後方で回避行動をとる五騎の黒い天馬と騎乗する者たち。その動きを振り返ることなく把握している様子のアリスさんは、またがる純白の天馬に北を示しながら言う。


「私の決断に違を唱える者たちだろう。あれらに追いつかれると厄介やっかいだ」

「つまり、アリスさんが巫女さまを殺そうとしていることに反対している人たちってことですよね!?」


 それなら、僕は黒い天馬に跨る人たちに加勢した方が良いのでは? とつい思ってしまう。

 だけど、アリスさんがそこで恐ろしいことを口にした。


「私に余計な巫女殺しはさせてくれるな」

「うっ……!」


 アリスさんは言外にこう言っているんだ。

 僕が追っ手たちに加勢してアリスさんを追い詰めるのなら、追ってきた者たち、すなわち黒い天馬に跨る巫女さまたちを殺してでも目的を達すると。

 そう言われてしまうと、もう僕には何もできない。


 アリスさんに加担して追っ手を攻撃するということは、つまり神聖な巫女さまに手を上げるという、人族にとって取り返しのつかない罪を犯すことになる。

 かといって、アリスさんの妨害をすると、アリスさんは本気になって追っ手を排除することになる。


 今はまだ、アリスさんは本気ではないんだ。

 追ってくる者たちは、間違いなくアリスさんの同僚か部下か、どちらにしても聖域の関係者だよね。だから、アリスさんも仲間の人たちに被害を及ぼしたくはない。

 それで、足止め程度の法術で追っ手を妨害するだけで、今のところは殺意を向けてはいない。

 現に、両刃薙刀から放たれた三日月の刃も小さな星々も、黒い天馬たちを翻弄ほんろうはしても撃墜するほどの威力はないみたい。


 だけど、それが余計に場を混沌とさせていく。


 黒い天馬に跨った巫女さまたちも、反撃してきた。

 背後から、何本もの月光矢げっこうやが高速で放たれる。


「ちっ。私に敵わぬと知っていながら、執拗に追ってくるか」


 アリスさんが左手だけで器用に手綱を操り、天馬に指示を与える。

 天馬も、背後を振り返ることなく主人の意を正しく汲んで回避行動をとる。

 右に左に、空を自在に走って、後方から飛来した月光矢をかるくかわしていく天馬。


 アリスさんも純白の天馬も、卓越たくえつした戦闘技能を有していた。

 歌うように祝詞を奏上し、手加減しているとは思えない威力で絶え間なく法術を放つアリスさん。

 追っ手の反撃を気配だけで全て読み取り、振り返ることなく天馬に指示を出す。

 天馬も、攻撃に晒されているというのに怯えた様子は微塵も見せずに、こちらも背後から襲ってくる攻撃を振り返ることなく、綺麗に躱しながら確実に北へ向かって走る。


 僕は、すべもなく鞍に跨ったまま、成り行きに身を任せるしかない。


 夜空を疾駆しっくする、純白の天馬と五騎の黒い天馬。

 眼下には、夜闇に沈む深い樹海や幾つもの湖が広がる。


 きっと眼下の樹海のどこかで、今頃ミストラルや耳長族や流れ星さまたちは静かな夜を送っているに違いない。

 だけど、僕は大変な事態に巻き込まれたような気がします!


 僕は、巫女殺しの加担なんて絶対にしたくない。

 北の海を危険を冒してまで渡りたいとも思わない。

 無謀なオズを見つけ出して回収したあとに、約束の日までに集合場所に行きたいだけなのにね!


「あの者たちをここで振り払わなければ余計な面倒事に巻き込んでしまう」

「僕が既に巻き込まれている気がしますけど!?」


 僕の苦情に、アリスさんはにやりと笑みを浮かべた。

 うわわっ!

 格好良い微笑みだけど、僕はだまされませんよ?


 アリスさんは、この機に僕を完全に巻き込むつもりだ。

 空の上だと、僕は空間跳躍を使えない。いや、正確には使えるんだけど、飛んだ先が空だと、そのまま落ちちゃうからね!

 そして、僕はアリスさんの暴挙を止めることも追っ手を追い払うこともできずに、天馬に跨ったまま何もできない。

 アリスさんは、そんな僕を連れて、どうにかして北の海を渡って、巫女さまを追うつもりなんですね!


「アレスちゃん、どうしましょう?」


 狸寝入りを止めたアレスちゃんは、僕の胸に抱きついたまま周囲の様子を興味深く伺っていた。

 だけど、やはり今回は無干渉を貫くようです。

 アレスちゃんからの助言はなかった。


 まあ僕も、干渉しないと決めているアレスちゃんを無理やり巻き込むつもりはないからね。

 だから、きちんと自分で思考する。


 今の僕にできること。


 上空でアリスさんを説得するのは無理だ。

 固い覚悟を持って、それこそ同僚の巫女さまたちの反対を押し切ってまで自分の意志を貫こうとしているアリスさんに僕が何を言っても、上部うわべだけの軽い言葉にしかならない。

 かといって、背後から迫る追っ手を妨害することもできない。

 人族の僕は、巫女さまには絶対に手を上げられないからね。


 では、どうすればこの場を打開できるんだろう?


 緩やかに広く伸びた霊山の裾野を抜けて、禁領の夜空を駆ける天馬。

 眼下には、夜闇に沈んだ樹海がどこまでも広がっていた。


「そうだ!」


 僕は思いつく。


「アリスさん、樹海のなかへ!」


 夜とはいえ、月と星々が輝く空の上では、どれだけ逃げても姿が丸見えの状態だよね。

 それなら、樹海に降りて姿を隠し、追っ手をけば、少なくとも現状は打開できるはずだ。

 僕の提案に、アリスさんは頷く。そして天馬の横腹を蹴って、意思を伝えた。

 天馬は追っ手の巫女さまたちが放つ法術を器用に回避しながら、俊足しゅんそくで樹海に逃げ込んだ。


 林立する樹々の枝葉の隙間をって、地上に足を着ける天馬。美しい翼を畳み、まさに馬のような軽やかさで、今度は地上を疾駆する。

 茂みを軽やかに飛び越え、樹々を軽々と躱し、樹海の奥へ向かって走る天馬。


「よし、ここなら!」

「逃げようとはしないほうが良い」

「うっ。そ、そんなつもりで樹海に誘導したわけじゃないですよ?」


 確かに、地上に降りた今なら、空間跳躍で逃げられるかもしれない。

 さっきも、そういう思考を巡らせたしね?

 だけど、僕はあえてその選択肢を選ばなかった。


 僕の直感がささやく。

 アリスさんの行く末を見届けなければいけないと。


 ついさっき出会ったばかりのアリスさん。

 アリスさんのことを、僕は何も知らない。

 聖域がどこなのか。

 なぜ、巫女騎士となったのか。

 どうして、裏切りの巫女さまを許せないのか。


 違う地域の、関わりのなかった人たちの事情に、安易に首を突っ込みたくはない。

 それでも、僕はここでアリスさんや追っ手の巫女さまたちを見捨てて逃げ出すことはできないような気がした。


 だから、僕は僕にできることをやろう。

 揺れる鞍の上で、僕は懐から霊樹の枝先を取り出す。

 そして、竜気を練って霊樹の枝先に送る。


「禁領の森は、僕の庭だからね! 来たばかりの人たちに勝手な行動はさせないよっ」


 背後からは、アリスさんの妨害を退けた五騎の天馬が執拗に追いかけてきていた。

 二騎はこちらと同じように樹海に降りて、背後から走ってくる。

 残りの三騎は空から迫っていた。

 そして、やはり障害物のない空の方が速度は出るようで、後方遠くに距離があったはずの黒い天馬の姿が、既に頭上近くまで接近していた。


 でも、それは織り込み済み!


 樹海に入り、入り組んだ深い森を走るだけで追っ手を撒けるとは僕も思っていない。

 ではなぜ、僕が樹海へ誘導したのか!


「プリシアちゃんとアレスさん直伝! エルネアの、大・迷・宮・!」


 気合いと共に、霊樹の枝先を振るう僕。

 枝先から、力が溢れ出た。


 摘み取られた先端とはいえ、それは立派な霊樹の一部。

 はさり、と振られた枝先からは、霊樹ちゃんのように元気いっぱいに力が溢れ出す。

 そして、霊樹の力を受け取った精霊たちが、僕の想いに応えてくれた。


『大地をまどわし、方向を乱そう』

『風の流れを変えて、翻弄ほんろうしましょう』

『樹々は其方らを導こう』

『草花は感覚を狂わせる』


 精霊たちが活性化する。


「っ!」


 背後から、アリスさんが息を呑む気配が伝わる。

 天馬が四肢を繰り出して地面を蹴るごとに、夜の森の景色が変化していく。

 湖のほとりひらけた空き地。倒木の横。一歩一歩、天馬が駆けるごとに景色が変化する。


 僕が発動させた迷いの術の影響は、樹海の空も覆う。

 頭上近くまで迫っていた三騎の天馬の姿が、忽然こつぜんと消失した。

 背後から負ってきていた二騎の天馬の気配も消失する。


「よしよし、これで撒けましたね」


 迷いの術は、外敵を惑わすだけでなく、こちらを正しい場所へと導く効果もある。

 だから、天馬が疾駆するごとに景色が目紛めまぐるしく変化していても、僕たちは確実に北へと向かって進んでいるはずだ。

 代わりに、追っ手の巫女さまたちは、迷いの術の効果範囲内で迷子になり続けるだろうね。


「竜神様の話だけでは、君の凄さは伝わり切っていなかったようだ。よもや、これほど見事に精霊たちを操るとは」

「アリスさんは、これが精霊の術だと見抜けているんですね?」


 僕の方も驚きです。

 僕は、説明しなかったはずだ。

 霊樹の力を借りて、精霊さんたちにお願いをしたことを。

 迷いの術が、竜術でも霊樹の術でもなく、精霊の術だということも。


 だけど、アリスさんは驚きはしたものの困惑せずに、天馬も混乱することなく、樹海を全速力で進んでいる。


 場慣れしすぎている、と僕の方が逆に背筋を凍らせてしまう。

 アリスさんと天馬は、どれほどの死地を潜り抜けてきた武人なんだろうね?

 数えきれないほど多くの経験を積み重ねてきたからこそ、一瞬で全ての状況を把握できるんだ。

 そして、その時々で最適解の動きを瞬時に取ることができる。


 今も、迷いの術に惑わされることなく真っ直ぐに進むことが正解だと、僕に言われるまでもなく理解しているんだ。


 そして、僕が想像もつかないほどの死地を潜り抜けてきた猛者もさは、なにもアリスさんだけではなかった。


「素晴らしい術だ。だが、やはりこれだけでは振り払えないようだ」

「えっ!?」


 僕は愕然がくぜんとしてしまう。

 樹海の広い範囲に、迷いの術を掛けた。

 だけど、その迷いの術を軽々と越えて、周囲から強い気配が接近してきた!


「そ、そんなっ。本家の精霊術じゃないにしても、僕の迷いの術が通用しないなんて!?」


 即席の術が完璧ではないことくらい、僕にだって理解できる。

 でも、こうも軽々と突破されるなんて!


 樹海の奥を疾駆する、純白の天馬。

 迷いの術を破り、樹海の先や上空から迫る五騎の黒い天馬たち。

 このままでは、空を飛んでいた状況と何も変わらない。


 でも、なんで!?

 どうして、追っ手の巫女さまたちは惑わされることなくこちらを追跡できているのかな!?

 僕の知らない何かが関係している?

 それとも、そもそもの実力で僕がおとっているのかな?


 困惑する僕を他所よそに、アリスさんが天馬に指示を出す。


「仕方がない。イヴ、もぐれ!」


 そう叫び、アリスさんが手綱を操った。

 天馬がいななく。

 そうして繰り出した天馬の前脚が、ずぶりと地面に吸い込まれた。


「っ!!?」


 今度は僕が息を呑む。


 天馬は、変わらず走る。

 だけど、前脚が地面に沈み、後ろ脚のひづめも地中に溶け込むように入り込み。胴体が地中に埋もれ、騎乗した僕とアリスさんをも呑み込む!


「ま、まさか!?」


 僕は知っていた。

 獣よりも高い知性と能力を持つ魔獣は、竜脈に潜ることができる。そうして身を隠したり高速で移動したりすることができる。


 でも、なぜ天馬が!?

 いやいや、それよりも!!


 僕たちまで、竜脈に潜る!?


 ぐらり、と空間跳躍や迷いの術とは違う視界の揺れを感じる。

 これまで感じていた流れる風の気配、天馬が疾駆する大地の感触や樹々の濃密な存在感が、ゆらりと輪郭りんかくを失う。


「意識をしっかりとたもて。そうしなければ、たちまち霊脈れいみゃくに取り込まれてしまうぞ」

「なんと!」


 失いかけていたのは、外部からの影響だけではなかった。

 僕自身の存在感も曖昧あいまいになっていることを自覚して、慌てて意識を集中させる。

 そして、感じ取った。


 荒れ狂う大河のようにうねり流れる、竜脈の本流。

 支流、末流、溜まり、あらゆる流れが、竜脈の本流から無限に枝分かれをして、世界中に広がっていた。


 いつも感じていた。

 瞑想をするたび。

 竜脈を汲み取るたび。

 竜剣舞を舞うたびに。


 世界を流れる、偉大な脈流。

 油断すれば流れにおぼれる。だけど慎重に、適切に扱えば、いつだって僕たちを助けてくれる。

 スレイグスタ老に師事し、竜脈を感じ取れるようになって身近になった、竜脈。


 でもまさか、その竜脈に僕自身が魔獣のように潜るだなんて!


「君で良かった。霊脈に触れ慣れていない者であれば、潜る以前に弾かれるだけだったな」

「いやいやいや、ぶっつけ本番でなんということをするんですか!」


 もしも僕が竜脈に触れ慣れていなかったら、アリスさんの注意が飛ぶ以前に僕は溺れていましたよっ。

 僕の抗議に、にやりと笑みを浮かべるアリスさん。

 だけど、悠長に会話をしている場合ではなかった。


「アリスさん!」


 言わずとも、アリスさんと天馬も気づいていた。

 僕たちと同じように、追っ手も竜脈に潜ってこちらを追いかけてきた!


 やはり、向こうもただならぬ者たちだね!

 こちらが出来ることは、向こうも出来て当然と考えるべきだ。


 では、アリスさんはそれをわかっていて、なぜ竜脈に潜ったのか。


「魔獣がそうするように、気配を霊脈に溶け込ませなさい。そうすれば、霊脈の流れによって隠れ切れる」

「また無茶なことを!」


 予習なしの本番で、アリスさんは僕に無茶を押し付ける。

 でも、それしか方法がないというのであれば!


 僕は、意識を竜脈の流れに委ねる。

 地上で、世界に溶け込むように。

 ただし、自我は失わないように注意だね。


「見事だ」


 アリスさんが、背後で褒めてくれた。

 僕は、そのまま意識を竜脈の流れに乗せて、流れに身を任せた。

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