月影の景色

 アリスさんや、過去にアーダさんなんかは「霊脈」と言っていた。

 でも、僕たちは竜脈と呼ぶ。


 世界中に張り巡らされている、偉大な存在。

 時に荒々しく、時に慈悲深く。

 僕たちの立つ大地の下に脈々と流れる、不思議な大河。


 だけど、圧倒的な流れで世界のあらゆる場所に通っているというのに、竜人族でさえも修行を積み重ねないと、感じることさえもできないという。

 しかも、感じ取れても手荒に触れてしまうと、すぐに溺れてしまう。

 竜脈に触れる時は、細心の注意を払わなければならない。

 僕だって、油断をすると竜脈の激しい流れに身体、というか意識を持っていかれて、あっという間に溺れて弾き出されてしまう。


 だから、慎重に。


 竜脈の流れに逆らわないように。


 それでいて、意識をしっかりと保つ。


 世界に意識を同調させた時のように、僕の意識は竜脈に溶け込んで遠くまで流れていく。


 ずっと離れた場所に、ミストラルの気配を感じた。

 流石だね。ミストラルは竜脈の本流の上で、夜営を取っているみたいだ。

 ルイセイネも竜脈の本流が視えているのか、正しい場所で休んでいる。

 いやいや、僕の家族は全員が、きちんと竜脈の本流か太い支流の流れの上にいるみたいだね。


 僕?

 ふっ……。今まで、そういうことはあんまり意識したことがなかったよ!

 それでも、寝る前なんかに必ず瞑想はするから、竜脈の強い場所で休むようにしていたよ?


「せいかいせいかい」

「こ、これからはもっと意識するようにしよう……」


 思わぬところで、妻たちの優秀さを実感した僕。

 さらに、意識を遠くへと流していく。


『わわっ。すごいね!』


 すると、霊樹ちゃんの声が届いた。


「霊樹ちゃん!」

『エルネア!』


 聴こえる。

 聴こえるぞっ!


 僕は、遠く離れた霊樹ちゃんの声を、竜脈の流れの中で聞くことができて、嬉しくなる。

 そして、すぐに背後から注意が飛んできた。


「注意しなさい。少しでも意識を乱すと、追っ手に見つかる」

「うっ。気をつけます」

「ふふ。しかし優秀だな。いきなり無茶を言われて、誰よりも上手く霊脈に溶け込むことができるとは」

「うーん。普段から竜脈には慣れ親しんでるし、竜剣舞を本気で舞う時は世界に意識を溶け込ませているからかな?」

「普通は、熟達した者でさえもそういう極みには達しない。無論、私もだ」


 自覚はないけど、どうやら僕はアリスさんよりも上手に身を隠せているみたい。

 ものは試しと、僕はもう少し慎重に竜脈の流れに身を任せてみる。

 すると、今度は竜脈に隠れている魔獣たちの気配を見つけた。


 魔獣は、竜脈に身を隠して獲物を狙ったり、強敵から逃げる。

 だから、竜脈には当たり前のように魔獣の存在があった。


「ところで、なんで天馬……イヴちゃんは竜脈に潜れたのかな?」

『それは、私が魔獣だからだろう?』

「なんと!?」

「君は知らなかったのか? 翼の生えた普通の馬など、存在しないだろう?」

「ううう……。だって、世界には僕の知らないことがいっぱいあるから、天馬が魔獣だなんて思いもしなかったんだよ?」


 額につのを生やした馬や、六本足の馬なんかが御伽話おとぎばなしなどには出てくるけど。もしかして、そういう特殊な馬たちも、実は魔獣だったりするのかな?

 それはともかくとして。


「……追っ手の巫女さまたちも、竜脈に隠れて様子を伺っていますね?」

「よく感知できるな。流石に私でもそれは無理だ。イヴ?」

『わからない。そもそもイラたちの気配に気づいていれば、ここへ来る前に撒いていた』


 イラというのは、どうやら追っ手の黒い天馬の一体の名前らしい。


「ということは、アリスさんたちは竜脈に乗って禁領まで来たんですか?」


 僕の質問に、アリスさんは首を横に振った。


しい。もう少し特殊な、古い方法で飛んできた」

「空間転移?」

「それに近い」

「まさか、過去にセフィーナがヨルテニトス王国の東から竜峰へ飛んだ時のような……?」


 ふと、古い遺跡が頭を過った。

 だけど、アリスさんは僕の思い浮かべた移動方法に気づいたのか気づいていないのか、無反応を示す。

 どうやら、深く突っ込むことはできない事情のようだね。

 それなら、無理な話題を広げるつもりはない。


「それで、これからどうするんですか?」


 追っ手が諦めるまで、身を隠す?

 でも、向こうも聖域から禁領までアリスさんを追いかけてくるような意志の強い人たちだ。こちらが隠れ続けていても、諦めてくれるとは思えない。

 だとしたら、アリスさんはなぜ、僕に無茶をさせてまで竜脈に潜ったのか。


「霊脈に誰よりも上手く溶け込めた君だ。ならば、視ることもできるだろう」


 言って、アリスさんは両刃薙刀をゆっくりと振るって、僕の視線を誘導する。


「周りを意識するんだ。霊脈は地中だけを流れているわけではない。そして、世界のありとあらゆる生物は、意識的に、もしくは無意識に霊脈の恩恵を必ず受けている」


 僕が竜脈から力を汲み取るように。霊樹ちゃんが竜脈を命のかてとするように。全ての生物は、竜脈と少なからず関わっているんだね。

 そして、霊樹ちゃんは吸い上げた竜脈を枝葉の先から惜しみなく放出して、世界に振り撒いていた。

 竜脈の流れは、そうして地表だけでなく世界をくまなく満たす。


 だとしたら、今の僕なら感じ取れるかもしれない。

 地中深くに流れる、身を任せている竜脈の本流から、慎重に意識を広げていく。

 そうして、支流の先から地上と流れていき。

 霊樹ちゃんが降り注いだ力を頼りに、意識を地上で花咲かせた。


「もしかして、魔獣たちはこうして地上の様子を伺っているのかな?」

あるじよりも優れているな』

「褒められちゃった!」


 とはいえ、アリスさんと僕とでは立場が大きく異なる。

 僕は、教わったことは素直に実行できる。

 だけど、アリスさんの立場はそれを容易には許さない。

 巫女さまは、法術以外の術を使えないからね。たとえどれほどの素質があっても、どれだけ丁寧に教わっても、それが巫女という立場を超える教えだったら、極められないんだ。

 ルイセイネの竜眼は先天的なものだから許されているけど、普通だと竜脈に関わる術はアリスさんでは身につけられない。

 だから、自由に試行錯誤できる僕よりもアリスさんが劣っていても仕方がない。


 そして、それは追っ手の巫女さまたちも同じだった。

 どれだけ上手く竜脈の流れに身を隠していても、魔獣ほど卓越たくえつはしていない。

 そして、視ることはできない。


 世界に花咲かせた僕の意識は、それを視ていた。


 夜闇のなかで静かに林立する樹々や草花。寝静まる野鳥や動物たち。獲物を狙う捕食者の存在。

 まるで自分の瞳で視認するかのように。地上にまで広がった僕の意識は、竜脈に関わる生物たちの存在を確かに「視て」いた。


「そういえば、瞑想していると竜脈だって本当の大河のように視えていたしね?」

「おうようおうよう」


 なるほど。ぶっつけ本番ではあったけど、僕はずっと前から基礎を習得していたようだね。

 ここでも嬉しくなる僕。

 日々の地道な鍛錬がこうして思わぬ形で花開く経験は、実に嬉しいね。


「それで、地上の様子が視えたけど、そこからはどうするのかな?」


 僕の疑問には、天馬のイヴが応えてくれた。


「視えない者は、身を隠し続けるしかない。しかし、世界が視える者には、地上と同じように振る舞える」

「つまり……?」


 いや、イヴが言いたいことがわかったよ!


 竜脈の流れから世界を認識できる者は、その身がたとえ地上だろうと竜脈の中だろうと、同じように振る舞える。

 それは、僕になら竜脈の中でも術が使えるということだね!


「せいかいせいかい」

「それじゃあ、今度は霊樹ちゃんの力を借りようかな?」


 せっかく竜脈に潜って霊樹ちゃんの声が聞こえるんだから、ここは思いっきり頼るしかないよね!


『ふふふ。しかたがないわねえ』

「ユーリィおばあちゃん!?」


 そこで、思わぬ声を聴く僕。


 ま、まさかここで、ユーリィおばあちゃんの声が届くなんて!?

 というか、ユーリィおばあちゃんは僕たちに気づいている?

 いや、気づいているからこそ、こうして僕に声を届けてくれたんだよね。


『霊脈に精霊たちを呼び込みましょうねえ。そうすれば、巫女や天馬も惑わせるわねえ』

「それじゃあ、お願いします! 霊樹ちゃん、いくよ!」

『お任せあれーっ!』


 竜脈の流れに逆らうように、霊樹ちゃんの力が届く。

 地上からは、ユーリィおばあちゃんの精霊力に誘導されて、わらわらと精霊たちが竜脈に飛び込んできた。

 そして、みんな溺れていく!


『わーっ』

『きゃーっ』

『やっほーい』


 まあ、楽しんでいるのなら良しとしましょう。

 それはともかくとして。

 僕は、霊樹ちゃんの力を集まってきた精霊さんたちに分け与えていく。

 そして、ユーリィおばあちゃんが竜脈の中で迷いの術を発動させた。


 ゆらり、と少しだけ竜脈が揺れたような気がした。

 地上の景色も、少しだけ揺れた。

 これがきっと、ユーリィおばあちゃんの迷いの術の発動の瞬間なんだろうね。


『主よ』

「私には視ることはできない。だから、君とイヴの感覚だけが頼りになる。走れ!」


 アリスさんがイヴの横腹を蹴り、手綱を叩く。

 イヴは正しくアリスさんの意図を汲んで、竜脈の中を北へ向かい走り出す。


 景色が流れる。

 地上で、瞳に映る景色とは違う風景が流れ始めた。


 不思議な感覚だった。


 視認する地上の樹々が、イヴの俊足で瞬く間に眼前に迫ってくる。

 だけど、イヴが避ける以前に、樹々や茂みの方が避けて道を開けてくれる。


「これが、竜脈の移動なんだね!」

「かんどうかんどう」

うらやましいな。私も視てみたかった」


 本当に残念そうに、背後でアリスさんが肩を落とす。

 僕には、それかとても悲しいように感じた。


 なんだろう、この違和感は。

 巫女さまだから、アリスさんは竜脈を通した世界を視ることができない。確かにそうなんだけど、背後から伝わってきた悲しみの気配は、もっと深い感情が織り込まれていたように思う。

 なぜアリスさんは、これほどまでに悲しみを見せたのか。


 でも、その感情は一瞬だけのもので、既に武人のような強靭な気配に戻っていた。


「イヴ、追っ手の様子は?」


 イヴだけでなく、僕も気配を探る。

 竜脈の荒々しい流れに沿って、身を隠す者たちの気配を探す。


『大丈夫。こちらの動きに気づいていない』

「気づいて動いたとしても、今度はユーリィおばあちゃんの迷いの術だからね。そう簡単には破れないよ!」


 ぐんぐんと背後に遠ざかっていく、五騎の天馬と巫女さまたちの気配。

 イヴは、竜脈の中でもまるで地上を走るように、四肢を繰り出して走る。


 このまま無事に追っ手を撒くことができれば良いんだけど……。

 でも、アリスさんが巫女殺しを諦めてくれないと、僕は巻き込まれたままだ。

 いったいどうすれば、アリスさんの硬い決意をくつがえすことができるんだろう?


 そして、そうした事情とは別に。

 竜脈の流れに乗り、世界に意識を花咲かせた僕だけど。

 オズの気配だけは何処にも感じ取れなかった。


 オズはいったい何処に行ったんだろう……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る