身から出た錆

 アリスさんやミシェルさんたち戦巫女さまの全員に「北の海では絶対に争わない」と約束をしてもらった後。

 僕はアレスちゃんにお願いをして、霊樹の呪縛をいてもらう。


「ええっと、それじゃあ」


 次に優先すべきことは、と思案する。

 そして、二つの課題を同時に解決する方法を選ぶ。


「アリスさんたち巫女さまは、ちょっと僕に付き合ってくださいね。そこの横巻き金髪の魔族から攻撃を受けて瀕死ひんしになっている飛竜を助けなくちゃいけないので。それでね、アレスちゃん」


 と、霊樹に寄り添うアレスちゃんにお願いをする。


「アレスちゃんはその間、ここで霊樹と遊んでいてくれるかな?」

「あそぶあそぶ」


 霊樹と霊樹の精霊は、切っても切れない関係なんだよね。

 だけど、深海を泳ぐ鯢竜げいりゅうの、そのお腹の中に息づく霊樹を取り巻く環境は、特殊に過ぎた。

 鯢竜のお腹の中では、世界に巡らされた竜脈の本流の恩恵を受けられない。

 しかも、鯢竜がたとえどれほどに巨大な身体を持っていたとしても、その内側にまでは流石に精霊たちも入り込まない。

 つまり、この霊樹は竜脈から栄養を汲み取れないだけじゃなくて、大切な精霊との絆さえ築けていないことになる。


 だから、僕は少しでも霊樹に精霊との結びつきを与えたいんだ。

 僕のひとりよがりかな? とも思ったけど、霊樹がこの上なく喜び、鯢竜の歓迎する竜心を読み取って、間違ってはいなかったと僕もうれしくなる。


「ふふふ、それでは私はエルネア君たちについて行きまして、最後まで無事に問題を解決できるか見届けることといたしましょう」

「最後まで無事にだなんて、なんか不吉な言い方はいやだなあ」


 シャルロットのわざとらしい物を含んだ言い方に苦笑しつつ、霊樹のことをアレスちゃんに託して、僕はアリスさんたちに合流する。

 アリスさんやミシェルさんたちは、僕との約束を守って、集合しつつも争う気配はない。

 まあ、清く正しい巫女さまが約束を破ったりすることはないと確信しているから、全く心配はいらないんだけどね。


「それじゃあ、道案内は僕が。道中の扉の開閉はアリスさんにお任せします」

「君の役に立てるように努力しよう」


 頷くアリスさんと、神妙な表情のミシェルさんたちを連れて、僕は謁見の広間を後にした。






「君は不思議だな」


 大廊下を進んでいると、アリスさんが僕に話し掛けてきた。

 ミシェルさんや四人の戦巫女さまたちは、神妙な表情のまま僕とアリスさんの後ろを無言でついてくる。

 もちろん、最後尾はシャルロットだ。


「僕って不思議ですか?」


 僕のどこがそう思えるんだろうと質問すると、大廊下の先の扉を開いたアリスさんが快活に笑いながら教えてくれた。


「自覚なしとは、これ極まれりだな。では、振り返ってみなさい。君と精霊以外に、霊樹と心を通わせていた者がいたか?」

「でもそれは、僕というよりもアレスちゃんが霊樹の精霊という特別な存在だからでは?」

「君の認識では、そうなのだな。だが、その認識自体が私たちから見れば不思議でならない。精霊が、耳長属以外の精霊力を持たない者と共に在る。それだけでなく、霊樹さえもが君と心を通わせていた」


 気づいているか? とアリスさんに問われる。


「私たちがたどり着く前からミシェルたちは謁見の広間にいたが、彼女たちは霊樹と心を通わせるどころか、近づくこともできなかった」


 そういえば、ミシェルさんがそれっぽいことを零していたよね。


「それに私でさえも、霊樹の協力は受けられなかった」

「でもそれもやっぱり、僕というよりもアレスちゃんの存在の方影響しているような?」


 と首を傾げた僕に、背後から声が掛かった。


「霊樹は特別であるがゆえに、そう易々とは他者に心を開きません」


 謁見の広間で霊樹と出会ったばかりの僕とアレスちゃん。その僕を霊樹がなんの警戒もなく近付けさせただけでなく、僕のお願いを聞いてアリスさんたちを拘束してくれた。

 それだけでも他のみんなの瞳には不思議に映ったらしい。


「人には悪人も善人も存在する。同じように、精霊にも悪感情を持つ者や悪巧みをする者はいるのだ」


 もちろん、霊樹の精霊のなかにもな。と言うアリスさんに、僕は頷く。


「知っています。毎日のように巫女さまの下着や身近な物を盗んだり、鬼ごっこを強要したりする精霊がいますよね!」


 と実体験から得た悪い精霊のお話をしたら、背後で笑いが起きた。

 見ると、ミシェルさんたちが「何をお馬鹿な事を言っているんですか」と笑い合い、アリスさんまでもが笑みを浮かべていた。


「なるほどな。君と一緒にいると何もかもが常識から外れてしまうようだ。道理で君が不思議に見えるわけだ」


 みんなの笑顔に、僕だけが首を傾げていた。

 確かに僕の周りの環境は普通とは違うという自覚はあるけどさ?

 でも、他所よそから来た人たちから見ると、普通じゃないを通り越して「不思議」な世界に見えちゃうのかな?

 僕たちのこれまでの歩みを振り返れば、それは不思議でもなんでもなく、必然的に整った世界観なんだけどなぁ。


「君のことがまた少し理解できた。やはり、話に聞くだけで物事の全てを知ることはできないな。であれば、あの魔族の存在も私たちの常識に照らすのではなく、君の不思議さをじくに考えるべきなのだろう」

「あっ、もしかして? ミシェルさんたちがさっきから神妙な表情だったのは、あの横巻き金髪魔族の存在が気になっていたからなのかな!?」

「未熟な私たちでも、気配だけでわかります。あんなに恐ろしい魔族が背後にいたら、気が気じゃありませんよ?」

「確かに?」


 僕はまあ、慣れっこだしね?

 だけど、やっぱり他の者から見れば、シャルロットはそこに存在しているだけで身の毛もよだつ恐ろしい存在なんだね!


「ふふふ、ご安心を。私は神聖なものは苦手でございますので、巫女様方に危害を加えたりはいたしませんよ?」

「えええっ! 海の上では散々に攻撃してきたのに!?」


 シャルロットが巫女さまや神聖なものを苦手としているのは、過去の経験から知っているよね。

 だけど、本当なのかな?

 単に、自分の行動に自ら制限をかけて楽しんでいるだけのように思えるよ?

 なにせ、シャルロットは有り余る魔力と魂を封印して、自身に強いかせを付けて行動しているくらいだからね。


「ふふふ。エルネア君を弄ぶためです」

「僕が原因だった!」


 ごめんなさい、と巻き込んでしまったみんなに謝る僕。

 アリスさんやミシェルさんたちも、背後のシャルロットを気にしながら「こちらこそ勝手な事情に巻き込んでしまい申し訳ない」と謝る。


 争いは禁止、という僕との約束の下。

 こうしてみんなで行動していると、やはり息の合った同郷の人たちなんだなと強く感じる。

 そしてだからこそ、僕はアリスさんの心のとげを取り除き、ミシェルさんたちと無事に聖域へと帰ってもらいたいと願う。


 ところで、聖域ってどこにあって、どんな環境なんだろうね?






 宝珠宮は、侵入者を惑わせるような複雑な造りにはなっていない。

 あくまでも最奥の霊樹が自信を海水から守るために造った防御殻ぼうぎょかくであり、鯢竜の内部に悪意を持って侵入できる者も存在しないだろうから、内部構造は単純だ。

 なので、人探しをする必要がない今回は、簡単に宝珠宮の外に出られた。


 僕の案内で、宝珠宮の外壁に沿って移動していく。

 僕以外のみんなは宝珠宮の外の風景を初めて目にするのか、遠くに見える壁や天井の「まさに生物の内臓」っぽい肉質な感じに驚いたり、鯢竜の巨大さに改めて驚嘆きょうたんしていた。

 そうして移動していると、目的の竜厩舎りゅうきゅうしゃが見えてきた。


「あの厩舎に、飛竜がいます。みんなを襲った飛竜だけど、今は反省して大人しいので、みんなもおびえないでね?」

「そう言われても、飛竜は飛竜だ。聖域の西側にも竜族が多く住む険しい山脈があるが、やはり恐ろしい存在だという常識は捨てきれない」


 エルネア君は敵対していた飛竜とも仲良くなれるなんて、やっぱり不思議ですね。と、ここでもミシェルさんたちに不思議がられながら、僕たちは竜厩舎へと近づく。


「……これは、酷い有様だな」


 そして、瀕死の飛竜の様子を目にしたアリスさんが眉間にしわを寄せた。


「応急処置はしてあるんだけど、僕では完治までできないので。アリスさんたちにお願いしますね?」


 たとえ大人しくしていても、飛竜は恐ろしい。そう言っていたみんなだけど。

 目の前に傷付いた者がいれば、巫女としての意識の方が上回るようだね。

 三体の飛竜に素早く駆け寄ったみんなが、手際良く診察していく。


「こちらの傷は薬草で大丈夫でしょう」

「この傷は深く酷いですね。法術を使いましょう」


 飛竜たちも、これまでの悪意を収めて、巫女さまたちの治療を素直に受け入れる。


『助かった。竜王の善意に感謝しよう』

「僕じゃなくて、傷を癒してくれている巫女さまたちに感謝ですからね?」

『そうだな。人族と見下してばかりでは、竜神様に見捨てられような』

「そうですよ。これからはみんな仲良く過ごしてくださいね?」

『かかかっ。残り僅かな命だがな』


 と会話を交わしている間に、治療は終わった。


「この程度なら、守護具しゅごぐも必要ないでしょう」

「それは良かった!」

「いったいどうやって、応急処置をしたのです? 普通ですと、瀕死の者を癒すためには守護具が必要になるほどの法術が必要になると思うのですが?」

「うっ。それは秘密です」

『竜王よ。其方から、我らの感謝を竜心を持たぬこの者たちに伝えてほしい』

「飛竜のみんながお礼を言っていますよ!」

「こちらこそ、皆様の安息を乱してしまい、申し訳ありませんでした」


 治療が終わって、和気藹々わきあいあいとした雰囲気ふんいきになる。

 だけど、そこに堂々と水を差してくるのが、極悪魔族なのです!


 ふふふ、と笑みを浮かべて、これまで様子を静観していたシャルロットが一歩こちらに近づく。

 それだけで、なごやかだった雰囲気が一変した。


「その、手にした物騒な物は何かな?」

「愛用のむちでございますよ?」

「いやいや、それは知っているんだけどね?」


 なんで、今になってそれを手にしているのかと聞いているのです!

 僕の思考に、シャルロットは糸目を更に細めて愉快ゆかいそうな笑顔を見せる。


「それは、ほら。用済みの者にはご退場願いませんとね?」

「えっ!?」


 何をする気かな!? とこちらが身構えるよりも速く。

 シャルロットが手にした鞭が、金色の輝きに包まれて、しなった!

 一瞬で飛竜三体を拘束する。


「ご安心を。この場での殺生は禁止ですので」


 言って、シャルロットが鞭を振るう。


『あああっっ!』

『ふあっ!!!』

『ぎゃああぁぁぁっ!』


 そして、飛竜三体は問答無用で退場させられた!

 金色に輝く鞭は、飛竜を拘束したまま鯢竜の口の方へと伸びていく。

 遠ざかっていく飛竜たちの悲鳴。

 そして、僕たちが茫然ぼうぜんと見つめる先で、飛竜の姿は見えなくなった。


「海の上に放り出しても良いのですが。それですと、今度は北の海の支配者に攻撃されますでしょう? ですので、今回だけ特別でございます。竜峰まで送って差し上げましょう」

「それは、僕じゃなくて飛竜たちに事前に言ってほしかったなあ」


 可哀想な飛竜たち。

 安息を乱されて、シャルロットに瀕死になるまで攻撃されて。気づけば鯢竜のお腹の中に捕らわれていた。それでも、傷は巫女さまたちに癒してもらったけど。でも、ひと息吐く暇もなく、強制退場させられてしまった。


 ……どうか、あの飛竜たちの余生が穏やかでありますように。と手を合わせて祈っていたら、アリスさんが苦笑した。


「まるで、飛竜たちをとむらっているように見えるな?」

「気のせいですよ!? 僕は女神様と竜神さまに、飛竜たちの安息を願っていただけですからね?」


 大丈夫だよね?

 シャルロットは、この場での殺生はしないって言っていたし?

 ちゃんと、北の海の支配者の存在にも配慮してくれたし?


 あれ?

 でも竜峰は、鯢竜のお腹の中ではないし、北の海でもない……?

 あれれ?


「ねえ?」

「ふふふふふ?」

「こらっ。駄目だよっ。ちゃんと無事に帰してね!?」

「陛下へのお土産に、飛竜の肉はいかがでございましょう?」

「駄目だからねっ。絶対に禁止ーっ!」


 僕の必死の懇願こんがんが、鯢竜のお腹の中に響いた。

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