月影を飛ぶ者

 老飛竜三体を無事に竜峰へと送って、謁見の広間へと戻ると。

 そこは、摩訶不思議な空間になっていた!


「アレスちゃん!?」


 虹色にきらきらと輝く、真珠質の謁見の広間。

 ただし、それは前にも見ていた景色なので、僕たちはそれほど驚かない。

 僕たちが仰け反って驚いた原因は、謁見の広間の最奥に生えた霊樹が変化していたことだ。

 僕の肩口くらいまでの背しかなくて、枝も両腕を伸ばしたくらいまでと、樹齢の割にとても小さかった霊樹が、戻ってきたら天辺は天井に届くほど成長していて、枝は謁見の広間全体に広がり、緑豊かな葉っぱを生い茂らせていた。


 さらに、それだけじゃない。

 もはや霊樹の枝葉の天井と言っても過言ではない謁見の広間の空間そのものが、極彩色に彩られていた。

 ミシェルさんと四人の戦巫女さまだけでなく、アリスさんも目を見開いて驚いている。

 僕だけが、謁見の広間が精霊の世界に近い空間に変質してしまっていることに気づいていた。


「あそんだあそんだ」

「遊びすぎじゃないかな!?」


 いったい、霊樹とどんな遊びをしたら、こんな摩訶不思議な空間になるのでしょうねえ?

 浮気かな?

 僕と霊樹ちゃんという存在がいるというのに、アレスちゃんは浮気をしちゃったのかな?


「ちがうちがう」


 きゅっ、と僕に甘えるように強く抱きついてきたアレスちゃん。

 仕方ないなあ。

 ひとりだった霊樹のために、いっぱい遊んであげたんだね?

 それなら、大目に見てあげましょう。


 アレスちゃんを抱きかかえる。

 アレスちゃんは僕に強く抱きついたまま、短期間のうちに立派に成長した霊樹を見上げた。


『楽しかったです』

「今の僕たちには、これくらいしか出来ることはないけど。でも、これからもちゃんと関わっていくからね?」

『ありがとう。また遊びにきてね?』

「もちろんだよ! 今度は、耳長族の可愛い女の子とかも連れてくるからね?」


 プリシアちゃんは、きっと喜んで来てくれるに違いない。


 ただし……


「ねえ。僕たちがここに来ようと思ったら、どうすれば良いのかな?」


 と、シャルロットに質問する僕。

 今回は、シャルロットの計画に巻き込まれたから鯢竜のお腹の中に入れたんだよね?

 だとすると、次回からはどうやって宝珠宮に来れば良いんだろうね?

 そもそも、宝珠宮の霊樹や鯢竜に接触する以前に、北の海の支配者をどうにかしなきゃいけない。

 北の海に入れば、僕たちだって問答無用で攻撃されるのだから!


「それでは、北の海の支配者を討ち倒してエルネア君が新たな北の海の支配者になるというのはいかがでございましょうか?」

「むりむり、絶対に無理だからねっ!」


 陸地ならまだしも、海という領域で北の海の支配者になんて太刀打ちできません!

 というか、結局のところ北の海の支配者って何者なんだろうね?

 海そのものを支配する恐ろしい魔力は感じ取ることができた。だけど、北の海の支配者の姿を、僕たちはまだ見ていないんだよね。


「ふふふ、気になりますか?」

「それはね? だって、あの剣術馬鹿子爵の親だからねえ」


 ルイララの本性は、巨大な人魚!

 ルイララの本当の姿を目撃した者が、いったい何人悶絶したことか。

 御伽話おとぎばなしや伝説で語られる、美しい人魚。上半身は人の姿で、下半身はお魚の体。

 確かに、ルイララも伝説通りの姿だったんだけどね?

 でも、あれは余りにも巨大過ぎです!


 多くの人々の夢とあこがれを粉々に打ち砕いた、ルイララの本性。

 それを思うと……


「ま、まさかっ! 意表を突いて、本体が魚で、そこに人の手足が生えた不気味な姿をしていたり……!?」


 想像して、ぞぞぞっと鳥肌を立てる僕。

 ミシェルさんたちも僕の言葉で変な想像をしてしまったのか、顔を青ざめさせていた。


「ふふふ。それでは、北の海の支配者に会いに行きましょうか。今後の往来のことと、宝珠宮の秘密を解き明かしたエルネア君への報酬のためには、北の海の支配者の協力が必要ですしね」

「おおおっ!」


 シャルロットが同伴して北の海の支配者と会えるのなら、きっと争いにはならないよね?

 そして、忘れてはいけません。

 この騒動を僕が無事に解決できたなら、シャルロットが報酬をいっぱい出してくれるんだよね!


「それでは、早速ですが向かいましょう」


 どうやって? とシャルロットに聞き返すよりも速く。

 僕たち全員の身体に巻き付く金色の鞭!

 もちろん、人だけでなく魔獣である天馬たちにも!


「あっ!」


 シャルロットさん!?

 貴女はいつも、強引ですね!


『また会いましょう』


 ゆさゆさと、天井を覆う枝葉を揺らして見送る霊樹。

 そして、僕たちは悲鳴の中で強制的に退場させられた!






 瞬く間に、宝珠宮を抜けて。

 流れる景色というよりも、もはや線状にしか瞳に映らない風景を流して。

 あっという間に、僕たちは鯢竜の口から排出された!


 金色に輝く鞭が光源となって、深海の暗闇から鯢竜の口周りだけが浮かび上がる。

 暗闇のなかで巨大な口だけが見える風景は、ぞっとするほど恐ろしいね。

 だけど、鯢竜は穏やかな性格なのか、僕たちが揉みくちゃになりながら排出される間、大人しく口を開けて待っていてくれた。


 ちなみに、強制退場させられた僕たちは、其々それぞれが泡に包まれていた。

 きっと、泡で護られていなかったら、あっという間に海流におぼれていただろうね。


『さあ、共に浮上しましょう。そして、あの方のもとへ』


 竜心が、鯢竜の心を伝えてくる。

 どうやら、これから僕たちは鯢竜の案内で北の海の支配者のもとへと向かうようです。


 ゆっくりと動く……ように見える鯢竜。

 なにせ、鯢竜は超巨大で、しかも周囲は暗い深海だからね。

 それでも、泡の外の海流が動き始めたことを海の音や気配で感じる。

 僕たちを強制退場させた金色の鞭が、いつの間にか消失していた。

 僕は瞳に竜気を宿して、暗闇を凝視する。


 真っ暗闇。そう思っていた深海だけど。

 金色の輝きがなくなったことで、逆に深海の輝きを目にする。

 きらきらと、雪のように降り注ぐ何かの輝きが、深海を美しく彩っていた。

 見たことのないような異形の魚や、かと思えば極彩色の鮮やかな魚や軟体の不思議な生物がゆったりと泳ぐ世界。

 陸地とは全く違う世界が、竜気の宿った瞳を通して僕の視界に入ってくる。


 そして、鯢竜の全貌を見た。


 鯨という、巨大な魚。

 小さな頃に見た絵本で、姿を見たことがある。

 ただし、それは海ではなくて空を泳いでいたけど。

 海の最上位種であるはずの海竜でさえも、鯨を襲うことはない。

 巨大な鯨は群れて大海を泳ぐという。だから、海竜でも鯨の群れの反撃を恐れて襲わない。

 ただし、鯨自体は穏やかな性格で、攻撃性は持たないらしい。


 その、絵本で見た空飛ぶ鯨に似していた。

 ただし、やはりそこは竜。

 しかも、古代種だ。


 鯨のような頭の先には、とても長い真っ直ぐなつのが一本だけ生えていた。

 まるで角の先が鯢竜の泳ぐ先を示しているかのように、頭のずっとずっと先にまで角は伸びている。

 ニーミアやアシェルさんの尻尾が本体よりも長いように、鯢竜の角もとても長い。


 そして、まさに鯨のような巨大な体には、これまた巨大な翼が生えていた。

 ひれではない。

 まごうことなき、海中を飛ぶための翼だ!


 ゆっくりと、海を掻き分けるように翼を羽ばたかせる鯢竜。

 空を飛ぶ飛竜や翼竜とはまた違った優雅さで、海中を飛ぶ。

 さっき視界に映っていた深海魚たちが、あっという間に遠くへと離れていって、深海の暗闇の奥に見えなくなった。

 きっと、ものすごい速さで泳いでいるんじゃないかな?


 長い角と不思議な翼に目を奪われる僕。

 だけど、ちゃんと尻尾の方まで確認はしているよ。

 翼は、巨大で長い胴体の背中あたりから生えていた。

 その翼から先は、巨大ではあるけど普通の鯨のように見えた。

 ただし、絵本のなかで見た鯨と比較してなので、本物と比較したら違うのかもね?


 鯢竜が泳ぐと、泡に包まれている僕たちも一緒に移動する。

 どうやら、この泡はシャルロットの魔法じゃなくて、鯢竜の竜術みたいだね。

 つまり、シャルロットは後先考えずに僕たちを放り出して、後のことを鯢竜に丸投げしたってことです!

 やっぱり極悪魔族だね!

 でも、報酬はきっちりとも貰うからね?






 鯢竜は、深海を優雅に泳ぐ。

 すると、真っ暗闇だった深海の風景に、徐々に明るさが増え始めた。

 頭上、海中の上の方から、きらきらと美しくも眩しい輝きが降り注ぐ。

 それで、僕以外のミシェルさんたちもようやく鯢竜の全貌が見え始めたのか、周囲の泡の中ではみんなが驚きや感動の表情を見せていた。


 鯢竜は、そんな僕たちを連れて、いよいよ海面へと浮上する。

 巨大な波飛沫なみしぶきを立てて、超巨大な身体の上半分を海面から浮かび上がらせた。


『さあ、私の頭の上へお上がりなさい。時期にあの方が来られるでしょう』


 鯢竜の言う「あの方」とは、北の海の支配者のことだろうね。


 僕たち全員を其々に包む泡が、鯢竜の頭の方へと近づいていく。

 そして、泡が鯢竜に触れると、ぱちんっと弾けて消えた。


「わっ!」


 急に泡が弾け消えて、海へと放り出される僕たち。


「つ、冷たいっ」


 秋とはいえ、まだ残暑も残るこの季節。

 だけど、北の海の水は思いもよらず冷たかった。

 泡から解放された天馬たちが、慌てて翼を羽ばたかせる。そして、律儀にも主人である戦巫女さまたちを海から救い出す。

 見ると、イヴもアリスさんを背中に乗せていた。


「みんな、鯢竜の頭の上へ。鯢竜の許可はとっているので、大丈夫ですよ!」


 僕の声を拾ったアリスさんが、他の者たちに指示を出す。

 ミシェルさんたちは指示に従い、天馬に乗って飛んでいった。


「さあ、君も」


 純白の天馬に騎乗したアリスさんが、僕に向かって手を伸ばす。

 僕はお言葉に甘えて、アリスさんの手を掴む。

 ぐいっ、と力強く引っ張られて、僕は海中から抜け出して、イヴの背中に移動した。


「これから北の海の支配者と顔合わせするみたいです。ふう。良かった。これでいち段落ですね?」

「君は、恐れないのだな。北の海の支配とは、無慈悲な存在なのだろう?」

「でも、こちらの言葉に耳を傾けないような自分勝手な始祖族ではないみたいですよ?」


 そもそも、他者の声を聞かないような暴力だけの存在なら、鯢竜のお願いなんて聞いていないはずだよね。

 そして、僕たちだって最初から殺されていたはずだと思う。


 僕の無警戒な返答に「そうか」と頷いたアリスさんは、イヴに指示を出す。

 そして、鯢竜の頭の上へと進路を取った。


 陽の光に当てられた鯢竜の身体は、紫紺のような、深い青色のような色合いをしていた。

 そして、海に浮かぶ姿を空から見下ろして「ああ、これはおじいちゃんよりも大きいぞ」と確信する。

 今度、苔の広場に遊びに行ったら、スレイグスタ老に話そう。

 あれ?

 北の海の秘密を話しても良いのかな?

 あとで、その辺をシャルロットに確認しなきゃね。

 と思っているうちに、僕たちも鯢竜の頭上の空に到着した。


 イヴだけでなく、先に到着していた他の黒い天馬たちも、恐る恐るな様子で鯢竜の頭の上に向かって高度を下げてくる。

 どうやら、どれだけ温厚な姿を見せたとしても、みんなには鯢竜という存在が恐ろしく映っているんだね。

 仕方ない。ここは僕が率先して動かなきゃね。


 ということで、アリスさんに声を掛けて、イヴの背中から飛び降りた。

 僕と、僕に抱きついていたアレスちゃんだけで、鯢竜の頭の上に降り立つ。


「うわあ。思っていたよりも柔らかい? お魚のようなうろこがないね?」

「ぺたぺた」


 アレスちゃんが、足もとを確認するように鯢竜お肌を触る。

 ざらざらとしているわけでもなく、つるつると滑るわけでもなく。

 陸上動物の滑らかな皮膚のようにも感じるね?


「ほら、みんなも怖がらずに降りてきてね?」


 鯢竜の頭の上から、上空のみんなに向かって手を振る僕。

 僕の無警戒な反応で少しは安心してくれたのかな?

 躊躇っていた天馬たちが最後の高度を下げて、鯢竜の頭の上に降り立つ。

 そして、その天馬たちの鞍から降りる、アリスさんたち。


 僕たちは、長く長く伸びた一本角の生え際近くに集まった。


「ようこそいらっしゃいました」


 すると、背後から当たり前のように声が掛かり、僕は肩をすくませる。

 もちろん、声の主はシャルロットだ。


「自分だけ空間転移とか、楽をしているよね?」

「ですが、道中楽しまれましたでしょう?」

「うっ……」

「エルネア君は素直でございますね?」

「くっ。僕の心を読む悪い魔族めっ」

「いいえ、心を読まずともエルネア君は表情に出ますので」


 自業自得だな。とアリスさんが遠慮がちに苦笑していた。

 あっ。ミシェルさんたちも顔を隠して笑っているよ!


「は、恥ずかしいなぁ。僕の羞恥心の補いも含めて、ちゃんと報酬を払ってもらうからね?」

「ふふふ。また報酬が増えたような気がしますが、気のせいでしょうか?」

「きっと気のせいだよ?」


 シャルロットと他愛もない会話を交わしていると、海中から不穏な気配が浮上してきた。

 一瞬で、全員に緊張が走る。

 僕も軽口を止めて、鯢竜の頭の上から海面を見下ろす。


 いったぃ、どんな存在が浮上してくるんだろう。

 北の海の支配者。

 その姿を、僕たちはいよいよ目にしようとしている!


 計り知れない気配が、その存在を隠すことなく深海から海面へと浮上してくる。

 徐々に、ではなく。一瞬にして、海の全てがその存在の魔力に染まった。


 何者も寄せ付けない、北の海の絶対の君臨者。

 北の海から邪魔者を全て消し去った、恐るべき暴虐の存在。


 ごくり、と唾を飲む僕。

 ぶくぶくと、海面が泡立ち始める。

 そして、ついにそれは姿を現した!


「ええぇ。あの子の、可愛いルイララ坊やのお友達はどちらでしょうかぁ?」


 おっとりとした言葉と共に海上に姿を見せたそれは、まさに伝説の人魚だった!

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