北の海の秘密

「ふふふ、正解でございます」


 シャルロットの返答に、ミシェルさんや四人の戦巫女さまたちが驚愕きょうがくする。

 だけど、アリスさんだけはやはり驚かなかった。


「アリスさんも気づいていたよね? 宝珠宮がどういった存在なのかと、その主が何者であるかを」


 アリスさんは、霊樹に関わりのある巫女騎士として、宝珠宮に捕らわれた時点で気づいていたんだ。

 だから、開かない扉をどうすれば開けられるのかを知っていたし、宝珠宮の主が謁見の広場の最奥に存在していると確信していた。


「霊樹の宝玉がこのような形で存在するとは予想外すぎた。だが、君と同様に私もまた、気づいていた」


 頷くアリスさんに、やっぱりそうだったんだね、と自分の推測が正しかったことに嬉しくなる僕。


「それでは、エルネア君。では何故、霊樹がこちらに存在しているのでございますか?」

「それこそが、僕は北の海の秘密に関わる全ての問題の起点だと思うんだけど?」


 なぜ、深海の超巨大生物のお腹の中に霊樹が生えているのか。

 霊樹はなぜ、宝玉の形を変えて宝珠宮を造ったのか。


「そもそも、霊樹や宝珠宮だけじゃなくてもっと広く視野を向けるとさ。疑問じゃない? 何者も寄せ付けない凶暴な北の海の支配者が、なんで深海の超巨大生物の存在を認めているんだろうってね?」


 深海の超巨大生物が、北の海の支配者ではない。その答えは既に導き出されている。というか、シャルロットから聞いていたよね。

 それじゃあ、深海の超巨大生物はなぜ、凶暴な支配者が君臨する北の海で存在し続けられていたのか。


 深海の超巨大生物が、北の海の支配者の力にあらがうだけの実力を持っているから?

 ううん、それは違う。

 だって、北の海の支配者は最初から、というか少なくとも僕たちが深海の超巨大生物に呑み込まれてからずっと、無干渉なんだよね?

 北の海の支配者が深海の超巨大生物を攻撃しているような気配は感じられない。

 それはつまり、あの暴虐極まりない北の海の支配者が、深海の超巨大生物の存在を認めているということなんじゃないかな?


 そう考えると……!

 僕は考えを口に出しながら、答えを導き出す。


「そもそも、なぜ北の海の支配者はこの海を力と恐怖によって支配して何者も寄せ付けなかったんだろうね? 僕はそう考えてね。ひとつ、似たような場所を知っていることを思い出したんだよ」


 それは、深い叡智えいちと計り知れない竜力をたたえた古代種の竜族に守護された聖域、竜の森だ!


「おじいちゃんは、普段は悪戯好きで温厚なんだけど。竜の森を荒らそうとする者には絶対に容赦をしないんだよね。愛弟子である僕たちにでさえ、躊躇わずに牙を向けるほどなんだ」


 竜の森の守護者、スレイグスタ老。

 竜の森の深部にそびえ生えた霊樹を二千年以上も護り続けてきた、偉大な存在。

 そのスレイグスタ老の立場と考え方に、北の海の支配者は似ていた。

 聖域を守護するためならば、何者にも容赦はしない。

 ただし、もともとそこに住む動植物まで根絶やしにすることなく、悪さをしなければ優しく見守ってくれる。


「おじいちゃんは、竜の森を守護することこそを最上位の使命だと定めて、そこに私情は挟まないんだ。それと同じように考えたらさ。北の海の支配者も、使命のためには手を抜かない存在なんじゃないかな?」


 北の海に悪意を持つ者が入り込んで、大切な使命を阻害することは許されない。

 だけど、北の海はとても広い。何せ、僕たちが住む大陸の北側に面した海の全てだからね?

 それは、竜の森の何百倍だろう?

 禁領の何十倍だろう?

 もっともっと広いかもしれない。


 でもそうすると。

 そんなに広大な北の海を、ひとつの存在だけで完璧に守護し切れるのかな?

 北の海に入った者の善悪をひとつひとつ判断して、排除すべきか見逃すべきか見定める。

 そんな芸当を、始祖族とはいえ北の海の支配者が完璧にできるのかな?


「僕たちは、というかニーミアが教わった考えを思い出したんだよね。無用な戦いを避けたいのなら、相手が争う意志さえ持たないくらい圧倒的な力を示せって」


 争いごとを怖がって、逃げ癖のあったニーミアだけど、その教えを身に付けるために、必死に努力したよね。

 そして現在では、竜峰でニーミアに喧嘩を売るような愚か者はいなくなった。

 まあ、最初から、古代種の竜族であり闘竜とうりゅうであるニーミアに喧嘩を売るような者はレヴァリアくらいだったけどね?

 それでも、ニーミアが授かった教えは間違いではなかった。


 そして、北の海の支配者も同じ考えを持って、実行に移したんだ!


「北の海の支配者の存在を知っている者であれば、絶対に北の海には近付かない。だって、領域に入っただけで問答無用で殺されちゃうからね!」


 あの老飛竜たちでさえも、北の海の空までは飛ばなかった。

 北の海の支配者は、その絶対的な力と無慈悲な意志を示すことによって、北の海を守護してきたんじゃないかな?


「北の海に何者も侵入しなければ善悪を判断する必要性さえないからね」


 それじゃあ北の海の支配者はなぜ、そこまでして北の海を護ってきたのかな?


「それこそが、深海の超巨大生物の存在であり、霊樹だったんだ!」


 僕は、傍の霊樹にそっと触れた。

 霊樹が嬉しそうに葉っぱを震わせる。


「どういう理由で超巨大生物のお腹の中に霊樹が生えたのかはわからないけど。少なくとも、北の海の支配者は深海の超巨大生物と霊樹を守護しているんだ。そして深海の超巨大生物と霊樹は、素直に北の海の庇護ひごを受けている」


 どうかな?

 僕の推論は正しいのかな?

 問い掛けるようにシャルロットを見つめる。

 すると、シャルロットは満足そうに微笑んでくれた。


「それは昔話でございます」


 そして、おもむろに語り出す。






 ずっとずっと昔のこと。

 北の海に溜まった瘴気しょうきから、ひとりの始祖族が誕生した。

 数十万にも及ぶ天族の未練や怨念や想い。海に生きる生物たちの、散っていた魂。それらをひと塊として誕生した始祖族。

 始祖族は、圧倒的な力で瞬く間に北の海を支配した。


 そんな時代に、ある存在が北の海に泳ぎ渡ってきた。


 広い海をゆったりと泳ぐ、それ。

 始祖族は「それ」にも容赦なく牙を向けた。

 だが「それ」の内側には、その時すでに尊き命が芽生えていた。


 それはう。


『どうかお救いください。尊き命を悪の手から護るために、私は世界中の海を渡ってきたのです』


 始祖族は、誕生した時点で知っていた。

 霊樹という存在と、その尊さに。


 始祖族は約束した。

 霊樹と貴女を守護しようと。


 そうして、始祖族はより一層の支配力を示して、北の海に君臨することとなった。






「ねえ、シャルロット。『それ』って結局はどんな生き物なのかな? 飲み込まれる直前に、一瞬だけ口周りが見えたけどさ?」


 ひげのようなものが、口にびっしりと生えていた。

 巨大な竜族でさえ丸呑みにしてしまいそうな「それ」こと深海の超巨大生物の全貌ぜんぼうを、僕たちは見ていない。

 シャルロットは、微笑みながら教えてくれた。


「海に生きる古代種の竜族、鯢竜げいりゅうでございますよ」

「な、なな、なんだってーっ!」


 僕は大きくって驚く。

 そうしたら、霊樹が真似して幹を反らせた。

 アレスちゃんが、霊樹の芸当に手を叩いて褒める。


「海にも竜族が住んでいることくらいは知っているけど。まさか、僕たちを丸呑みにした存在が古代種の竜族だったなんてね!」


 広大な海には、くじらと呼ばれる飛竜や翼竜よりも巨大な魚が泳いでいる、と補足を話してくれるシャルロット。

 鯢竜とは、その鯨に似ている巨大な古代種の竜族なのだという。

 道理で、超巨大なわけだね。

 もしかして、鯢竜の全貌を見ることができたら、スレイグスタ老よりも巨大だったりして?


「ところで、エルネア君。まだ全ての秘密を解き明かしたわけではありませんよ? まだ私は満足しておりません」

「ぐぬぬ。それはつまり、なぜ僕がここにばれたかってことだね?」


 なぜ鯢竜のお腹の中に霊樹が生えているのか。その疑問は、きっと今回シャルロットが悪巧みをして僕を巻き込んだこととは関係のない部分なんだろうね。

 だから、必要最低限のお話しはしてくれたけど、詳細までは教えてくれない。

 きっと、僕がシャルロットの満足のいく答えに辿り着いたら、ご褒美として教えてくれるに違いない。


「ふふふ。ご褒美が増えていっているように感じるのでございますが?」

「気のせいだよ?」


 ともかく、僕は全てのご褒美を手に入れるために、シャルロットの問いに答えなくちゃいけない。


「僕が喚ばれた理由……それは!」


 なぜ、北の海の支配者が密かに守護してきた鯢竜と霊樹に僕は関わってしまったのか。

 シャルロットはどんな思惑で、僕を宝珠宮へと導いたのか。


 答えは、僕の傍でアレスちゃんに優しく撫でられている霊樹が示していた。


「小さいよね?」


 僕だけじゃなくて、霊樹の存在を知っているアリスさんやミシェルさんや戦巫女さまたちも、気づいたはずだ。


「さっきのお話しから考えたら、鯢竜と霊樹は既に一千数百年以上も生きてきたんだよね? それなのに、小さすぎないかな?」


 そうなんだよね。

 霊山の山頂に生えた霊樹ちゃんだって、窪地くぼちを覆うほどに枝葉を広げる巨樹に成長している。

 僕が一生懸命にご飯を食べさせてきたからという影響は少なからず受けているんだろうけど。

 それでも、霊樹ちゃんとこの傍の霊樹を比べたら、比較にもならないほど成長の度合いが違いすぎた。


 そして、そこに僕が喚ばれた真相があるんだ!


「霊樹は、竜脈の本流の上で根から竜脈をいっぱい汲み取って生きているんだ。そして、天を貫き重なり合った世界を貫く柱のような存在として、生きているんだよね」


 だけど、と傍の霊樹へと視線を落とす僕。

 僕の肩口程までしかない高さ。枝も、両手を伸ばした程しか広がっていなくて、葉っぱも霊樹ちゃんや竜の森の霊樹が緑を示すほど多くはない。


「きっと、成長できていないんじゃないかな? 鯢竜の体内には、たしかに竜脈が流れているけど。でも、竜脈の本流ほどの大きな流れではないし、根から吸い上げるのと幹や枝葉から吸い上げるのとでは効率が違うはずだよね?」


 幹や枝葉から十分な竜脈を吸い上げられるのなら、霊樹ちゃんたちは竜脈の本流を選んだり根から吸い上げたりはしていない。


「それに何より。霊樹はやっぱり大地に根付かないと駄目なんだ」


 僕から十分なご飯を食べさせてもらっていた霊樹ちゃんでさえ、今では大地に根を下ろしている。


「だけど、この霊樹が根を下ろしている場所は、鯢竜のお腹な中だよね。それに、鯢竜が古代種の竜族だとしても、必ず寿命は迎える。僕のおじいちゃんがいずれそうなるようにね?」


 二千年以上も竜の森と霊樹を守護してきたスレイグスタ老でさえ、寿命は訪れる。

 そう考えた時。

 少なくとも千数百年以上も生きた鯢竜の寿命が近づいていても不思議ではない。


「つまり、シャルロットが僕を喚んだ理由は、霊樹の行く末を託すため?」


 もしかしたら、本当に僕を喚んだのはシャルロットではなくて、北の海の支配者だったのかもしれない。

 もしくは、北の海の支配者に依頼を出した鯢竜か、そのお腹の中に生えた霊樹か。


 ともかく、一度ルイララと海を渡った僕が霊樹や霊樹の精霊と深く関わっていと知っていた北の海の支配者が、子供であるルイララを通してシャルロットか巨人の魔王に依頼したのかもしれないね?


 僕の辿り着いた答えに、シャルロットが糸目を細めて微笑んだ。

 そして、次なる難題を口にする。


「満足のいく答えでございます。では、エルネア君。エルネア君はどのようにしてこの問題を解決なさいますか?」

「それはつまり、寿命が近い鯢竜の想いと霊樹をどう扱うかってことでね?」


 鯢竜の寿命が尽きた時。はたして、霊樹はどうなってしまうのかな?

 深海に沈んで、枯れちゃう?

 それとも、霊樹は深海でも生きて海底に根を下ろす?


 いや、と後者の考えに疑問を浮かべる僕。


「もしも霊樹が海の中で普通に生きられるとしたら、宝玉を変化させた宝珠宮のような建物で自分を覆わないはずだよね?」


 もうひとつの疑問。

 なぜ、宝珠宮は造られたのか。

 それは、霊樹が鯢竜のお腹の中で生きるためだ!


「窓もなく扉も容易には開かない宝珠宮は、霊樹が自分自身を海水から守るための防衛手段だったんじゃないかな? 鯢竜は海に生きる竜なんだから、もちろん海水を飲み込むよね? 僕たちが飲み込まれた時のようにさ」


 現在は、僕たちが体内で活動できるように、鯢竜が海水を抜いてくれているんだと思う。

 だけど、普段の宝珠宮は、鯢竜がえさなどと一緒に飲み込んだ海水にさらされているはずだよね。

 でも、海の中では霊樹は生きられない。

 だから、霊樹は自ら産み落とした宝玉を利用して、自身を守る宝珠宮を造ったんじゃないかな?


 そして、そう考えると、鯢竜が寿命を迎えた先に待つ霊樹の運命は定まっているように思えた。

 亡くなった鯢竜と共に深海へ沈んだ霊樹。たとえ宝珠宮で海水から身を守れたとしても、竜脈を吸えなくなってしまう。

 鯢竜の体内に流れる竜脈は、鯢竜の能力だろうからね。

 それでも、海の底に沈んだ霊樹が海底に根を下ろして、そこから竜脈を吸える可能性はある。

 だけど、それは賭けでしかなくて、霊樹の尊さを知っている者であれば絶対に選択しない結論だよね。


「……つまり霊樹を救うために、僕は喚ばれたんだね?」


 はい、と頷くシャルロット。


「エルネア君は、どのように其方そちらの霊樹を救うのでございましょうか? ふふふ、楽しみでございますね?」


 シャルロットに微笑みを向けられて、僕は考え込んだ。


「霊樹ちゃんがまだ小さかった頃にね。僕はミストラルと一緒に地面を掘って霊樹ちゃんを抜いたんだ。大きくなったらもう僕たちには抜けなくて、それでスレイグスタ老に抜いてもらったこともあるね」


 スレイグスタ老は雑草を抜くように、霊樹ちゃんを引っこ抜いたことがある。

 では、僕も過去と同じように動く?


 いいえ、絶対に駄目です!

 だって、霊樹が根を下ろしているのは鯢竜の身体だよ?

 スレイグスタ老や僕たちが霊樹ちゃんを抜いた時でさえ、根っこは土をいっぱいつかんでいた。

 そう考えると、霊樹を抜いたら鯢竜の内臓を痛めてしまうということだよね!


 それに、と僕はアレスちゃんと一緒になって霊樹を優しく撫でた。


「僕と霊樹ちゃんが強い絆で繋がっているようにさ。鯢竜とこの霊樹も想い合っているよね」


 僕と霊樹ちゃんとアレスちゃんは、三位一体。

 同じように、長年連れ添ってきた鯢竜と霊樹だって、断ち切れないほど強い絆で繋がっているはずだ。


「そうでなきゃ、鯢竜は霊樹や自分の身の安全を北の海の支配者にゆだねてはいないはずだよね。そして霊樹も鯢竜が大切だから、成長していない?」


 そうかもしれない。

 僕は最初に、霊樹への栄養が足らないから成長できていないんだと思ったけど。

 もしも霊樹自身が鯢竜をおもんぱかって意図的に成長を止めていたとしたら?


「鯢竜と霊樹の絆を僕が断ち切るなんて、絶対にできないよ!」


 それでは、どのようにして霊樹を救うのでございましょう? と問い掛けてきたシャルロットに、僕は笑顔で答えた。


「救う? 違うよ、シャルロット。僕は応援するだけだよ? 協力するだけだよ?」


 何を? と首を傾げるシャルロットに、僕は言った。


「鯢竜が少しでも長く元気に生きていくことの手助けと応援だよ!」


 スレイグスタ老は、嘗て僕の浮かべた疑問を笑った。

 寿命が近いとはいっても、数年、数十年ではない。人族が及びもつかない年数を、これからまだ生き続けるのだと。

 同じように、鯢竜の寿命が近いとはいっても、それで数年後に亡くなるわけじゃないと思う。

 それなら、僕たちにできることは!


「最期まで鯢竜と霊樹の絆を見守り続けて、必要な時に手助けをしたり応援したりすることこそが、僕の役目なんじゃないかな?」


 僕には寿命がないからね。

 鯢竜と霊樹の絆の行く末を見届けることができるはずだ。

 そして、鯢竜が最期を迎えた時に、見届けた者として霊樹の将来を託されよう。

 それが、宝珠宮に喚ばれた僕の役目だ!


 僕の決断を受けて、霊樹が嬉しそうに霊気を振り撒いた。

 そして、どこか遠くから、澄み通った竜の咆哮が響いてきた。

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