聖域の者たち
「くっ!なんですか、この木の根はっ!?」
「は、剥ぎ取れない?」
全身に巻き付いた霊樹の根を
「止めなさい! どのような理由があろうとも、霊樹を傷つけてはならない!」
アリスさんが叫ぶ。
自身も、真珠質でありながら七色に輝く床から伸びた霊樹の根に縛られたまま。
そして、アリスさんに叱責されたことで、戦巫女さまたちはようやく事態を飲み込めたようだった。
「れ、霊樹様……!」
「それでは、やはりあの幼樹は!」
「ですが、この部屋に閉じ込められていた私たちでさえ近づくこともできなかったあの樹に、彼はどうやって……!?」
「あの子は?」
呪縛法術に縛られているわけではないので、目も口も首も動かすことはできる。それで、戦巫女さまたちはようやく、謁見の広間の最奥に立つ僕とアレスちゃんに注目してくれた。
やれやれ。
アリスさんを力尽くでも連れ戻す、と意気込んでいた戦巫女さまたちにとっては、それ以外の者たちは眼中にない
戦巫女さまたちは、未だに気づいていない。
謁見の広間の大扉の前に立つ、横巻き金髪のシャルロットに。
まあ、それでも僕に注目してくれたのなら、有難いです。
僕は改めて言う。
「ここは、霊樹のお膝元。
アリスさんを説得して、故郷である聖域へと連れて戻したい。そのためには、どんな手段も
でも、宝珠宮の
ゆらり、と僕とアレスちゃんの傍で、小さな霊樹が揺れた。
本当に、小さな霊樹だった。
幹は僕の肩口くらいまでしかなく、広げた枝は両手を伸ばしたくらい。枝につく葉っぱも、生い茂っているとまでは言い難かった。
それでも、大気中の竜脈を力強く吸い上げて、霊樹の術を使うアレスちゃんへと力を分け与えてくれていた。
『ありがとう、可愛い男の子と精霊さん』
霊樹が枝先を震わせた。
僕は頷く。アレスちゃんも、微笑んでいる。
そして、アリスさんは興味深そうにこちらを見つめていた。
アリスさんは、知っていたはずだ。
この宝珠宮が、一体どういう場所なのか。
宝珠宮の主が何者であるのか。
だから、あの武人の如き動きを見せるアリスさんが、なんの抵抗もなく霊樹の根に縛られたんだよね。
「もしかして、アリスさんたちが住む聖域にも霊樹が生えているのかな?」
だけど、聖域に生えた霊樹に関わることのできる者は、限られているんじゃないかな?
ミシェルさんや四人の戦巫女さまたちは、霊樹の存在と
一方、聖域の守護者たる巫女騎士のアリスさんは、霊樹に深く関われる立場なんじゃないかな?
「戦巫女という立場を変えて、巫女騎士として聖域を守護するアレスさん。でも、本当に守護している存在は、聖域の霊樹なんじゃないかな?」
僕の言葉を受けて、ミシェルさんや四人の戦巫女さまたちが、はっと顔を
逆に、アリスさんは破顔した。
「さすがだ、竜神様の御遣いたる者よ。だが、正解に触れてはいても、真実の全てを見通しているわけではない」
つまり、聖域には霊樹以外にも守護すべき者が存在している。
もしかして、それはさっき戦巫女さまのひとりが口にした「奥の姫様」と「姫巫女様」なんじゃないかな?
それは口にしなかったけど。
僕とアリスさんの会話を耳にしたミシェルさんと四人の戦巫女さまたちが、今度は表情だけでなく全身を強張らせた。
「り、竜神様の御遣い様!」
「そ、そんなっ!? エルネア君?」
ミシェルさんの戸惑った表情に、僕は頷く。
「さっきは真実を伝えきれずに、ごめんね? そう。僕は竜峰の八大竜王であり、竜神さまの御遣いである、エルネア・イース。そして彼女は、僕と一心同体である霊樹の精霊、アレスちゃんです」
アレスちゃんは、幼い女の子の姿をとっている。
それでも、霊樹の存在を知る者であれば、アレスちゃんの存在がいかに尊いものなのかということはわかるはずだ。
現に、四人の戦巫女さまたちの視線は、僕とアレスちゃんを
だけど、ひとりだけ。
ミシェルさんだけが、僕に向かって違う感情を向けてきた。
「どうして? 竜神様の御遣い様であり、霊樹の精霊様と一心同体と言い切ったエルネア君が、どうして私の邪魔をするの? なぜ、お母さんを救ってくれないの!?」
ミシェル! と娘を
「お母さんは、悲しんでいるのよ? お父さんを亡くして、後を追おうとするくらいに未来を失っているのよ? それなら、お母さんを殺すことで救いを与えるんじゃなくて、未来に続く道を示して助けてよ! 私はもう大切な家族を失いたくないの! ねえ、竜神様の御遣い様。私を助けて! お母さんを救ってよ!!」
涙を零し続けるミシェルさん。
娘が母を想う気持ちは、僕にも強く理解できる。
僕だって、故郷の母さんや父さんが悲しんでいたり困難に直面していたら、全力で助けたいと思うからね。
だけど。
「それは違いますでしょう?」
ふふふ、とこれまで静観していたシャルロットが謁見の広間の入り口で微笑んだ。
たったそれだけで。
「なっ!」
「何者だっ!?」
「な、なんという存在……」
「こ、この気配は!」
四人の戦巫女さまたちが、振り返る。
そして、微笑むだけのシャルロットの存在を認識して、恐怖に顔を真っ青にさせた。
同じく、ミシェルさんもようやくシャルロットの存在を認識して、謁見の広間の最奥から入口の方へと視線を移す。
いや、正確には、シャルロットがそう仕向けたんだ。
押し殺していた気配を解き放ち、謁見の広間の者たちに存在を示した。
その理由は、ミシェルさんが間違った考えを僕に向けたから?
でも、なんでかな?
僕が誰かに間違った認識をされたり誤解されたりしても、シャルロットには何も関係ないはずなのに。
むしろ、それを面白可笑しく見守って、どう弄んでやろうかと悪巧みをするのが、シャルロットや巨人の魔王だと思う。
だけど、今回は違った。
ミシェルさんの間違った考えに、シャルロットが容赦なく言い放つ。
「エルネア君がどのような立場であれ、貴女様の抱える悩みや問題とは無関係でございましょう? エルネア君を勝手に巻き込みましたのは、
シャルロットの言葉は正しい。
僕は、あくまでも巻き込まれただけ。
世界の
だから、冷たいようだけど僕もシャルロットの意見に同意せざるを得ない。
アリスさんを救いたいのなら、聖域の者であるミシェルさんや戦巫女さまたちが全力で取り組むべきなんだよね。
それを、竜神さまの御遣いだからと、全てを僕に投げてしまうのは間違っている。
ましてや、大切な母親を失いたくないというのであれば、ミシェルさんが何がなんでも自分で向き合うべきなんだと思う。
ただし、その先でどうしても誰かの助けが必要だったり、僕という存在が関わった方が良い結末を導き出せるというのであれば、僕だって惜しみなく協力するよ?
もしかして、シャルロットはそうしたミシェルさんの甘えから僕を守るために、介入してくれたのかな?
「ふふふ。ちょっとした手助けでございます。私にとっては、この者たちの争いなど些末なことでございますから。それよりも、私はもっとエルネア君と関わりたいのでございますよ?」
「それはつまり、この宝珠宮の秘密と霊樹のことだね?」
シャルロットは、最初から僕を利用して悪巧みを働かせていたよね。
そのためにアリスさんやミシェルさんたちを利用しただけで、彼女たちの事情に興味があったわけではない。
だからミシェルさんの発言に介入することによって、
とはいえ、僕としてはアリスさんやミシェルさんたちの事情を無視することもできない。
だから、もう少しだけシャルロットには待ってもらおう。
あとで、ちゃんと答え合わせをするかさ?
ふふふ、と微笑むシャルロットに同意を得られたと判断して、僕はミシェルさんに向き合った。
「ミシェルさん」
僕の声を受けて、全員の視線と注目が再び謁見の広間の最奥へと移る。
「僕は竜神さまの御遣いです。だけど、僕にだって出来ることと出来ないことがあるんですよ?」
そんなっ、と絶望に苦しむミシェルさん。
これまで以上に大きな涙の粒を止め処なく零し続けて、深い悲しみと焦燥感によって紫色に変色してしまった唇を震わせていた。
でも、僕はミシェルさんを絶望のどん底に落としたいわけじゃない。
だから、真っ直ぐにミシェルさんへ視線を向けて、力強く言った。
「でも、僕に出来ないことだとしても、ミシェルさんになら達成できるものだってあります。そして僕は、そんなミシェルさんに協力することはできますよ」
だから、と僕は強い視線を、今度はアリスさんに向けた。
「僕は、巫女殺しなんて大罪は犯しません。アリスさんもその覚悟でいてくださいね?」
揺るぎない僕の意志が乗った視線を受けて、アリスさんはどう思ったんだろうね?
武人然とした表情からは、何も読み取れない。
ただ真っ直ぐに、僕の瞳を見つめ返すアリスさん。
アリスさんの意志を
未だに僕は答えを
それでも、たったひとつだけ。
今の僕にできることがあった。
それは、絶対にアリスさんを殺さない、という決意を示すことだ。
アリスさんがなぜ、夫だった神官さまの故郷である小島へ
そしてなぜ、そこで死にたいのか。
きっと、アリスさんにはアリスさんなりの深い事情がある。
でも、それを僕は知らない。
きっと、娘であるミシェルさんでさえも知らないんだと思う。
だから、アリスさんの抱えた深い事情を知らない僕たちでは、全員が納得できるような解決案を導き出すことはできない。
だけど、ミシェルさんが諦めずに母親と向き合った先に、きっと答えは示されるはずだよね。
僕も、ミシェルさんのお手伝いができるはずだ。
そのためにも、僕は先ずはシャルロットと向き合う必要がある。
この宝珠宮の秘密を解き明かして、深海の超巨大生物のお腹の中に生えた霊樹と向き合う必要があった。
「ふふふ。それでは、エルネア君。改めてお聞きいたしますね? 宝珠宮の秘密とは何でございましょうか?」
シャルロットの問いに、僕は迷うことなく答えた。
「宝珠宮を構成する真珠質の壁や床や全ては……霊樹の宝玉だね?」
僕の断言に、シャルロットは糸目を細めて微笑む。
そして、傍の霊樹が嬉しそうに枝葉を揺らした。
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