宝珠宮の主

 予想外の事態だった。


 謁見の広間にこそ、宝珠宮の秘密を解き明かす「それ」が存在しているはずだと睨んでいた。

 確かに、僕たちの予想通りに、それは謁見の広間の最奥に存在していた。

 だけど、謁見の広間には、他にも僕たちが探していた者たちが捕らわれていた。


 ミシェルさんを含む、追っ手の巫女さま五人と、天馬たち。


 そして、謁見の広間と大廊下を隔てていた大扉が開かれた今。

 捕らわれていたミシェルさんたちは、自分たちを解放してくれる者を認識し。

 そして、喜びに駆け寄ろうとした。


 だけど、物事はそれほど単純ではない。


 アリスさんに駆け寄ろうとした巫女さまたちの行く手を阻む、両刃薙刀の刃。

 もちろん、両刃薙刀を構えてミシェルさんたちの足を止めたのは、巫女騎士のアリスさん。


「どうしてっ!?」


 困惑に叫ぶミシェルさんに、アリスさんは冷たく言い放つ。


「未熟者が聖域を離れるとは、愚かしいにも程がある。貴女たちはすぐに帰れ。そうすれば、見逃す。だが、もしも私の邪魔をするというのなら、容赦はしない」


 ぎらり、と両刃薙刀の刃が鋭く輝く。


 アリスさんは本気だ。

 ミシェルさんたちを救出しようと僕に協力してくれたのは、彼女たちを聖域へ帰すため。

 でも、自分の目的の邪魔になるというのなら、言葉通りに容赦はしない。

 僕なんかよりもアリスさんのことを深く知っているミシェルさんたちは、刃を向けられて息を呑む。

 それでも、ここまで来て素直に納得なんてできないよね。

 ましてや、自分の大切な母親の命が掛かっているのなら。


「お母さん、止めて! 私は嫌だよ! お父さんだけだけじゃなくてお母さんまで失うなんてっ!!」


 悲痛に叫ぶミシェルさん。

 だけど、アリスさんが構えた両刃薙刀の刃の先は僅かにも揺れない。


「お母さんは悪くないよ! あの時、お父さんを救うためにはあの手段しかなかったんだよ? お母さんとお父さんのきずなは、みんなが深く知っているよ? だからみんなも、奥の姫様も姫巫女様もお赦しくださったんだよ?」


 必死に訴えかけるミシェルさん。

 それでも、アリスさんは刃を降ろさない。


 わかっていた。

 この程度の説得でアリスさんが諦めてくれるのなら、僕たちは北の海まで来てはいない。

 もう、言葉だけでアリスさんを止めることは誰にもできないんだ。

 たとえ娘のミシェルさんだったとしても。


 でも、それじゃあ僕はどうやってアリスさんの暴挙を止められるんだろう?

 母娘の交わらない想いを前に、僕は何もできない。


「お母さん、お願い。もう止めて。じゃないと……そうじゃないと!」


 大粒の涙を零し続けるミシェルさん。

 どうにかして大切な母親を説得しようと、必死に訴えかける。

 だけど、アリスさんは意志を曲げない。

 もちろん、ミシェルさんたちもここまで来てアリスさんを諦めることなんてできない。

 その両者が辿る道は、やはり限られていた。


 泣きながら、ミシェルさんが薙刀を構える。

 意を決したかのように、他の戦巫女さまたちも薙刀を構えた。


「どうしても諦めてくれないって言うのなら、実力で阻止するだけだよ!」


 ミシェルさんの叫びに合わせて、戦巫女さまたちが祝詞を奏上し始めた!


 やっぱり、こういう展開になってしまうんだね!

 止めなきゃ! と身構えようとした僕に、一歩だけ前に出たアリスさんが言う。


「君に巫女に手を出す罪を負わすわけにはいかない。君はここで見ていればいい」

「……それなら、僕にアリスさんを殺させるなんて大罪も負わせないでほしいんだけどね?」


 僕の切実な想いに苦笑しながら、アリスさんは更にもう一歩だけ前へと進む。

 そして、ミシェルさんたちが構える謁見の広間へと入るアリスさん。


 救出しに来たアリスさんと、救出されたはずのミシェルさんたちが、戦おうとしている。

 それなのに、僕は何もできないの?

 アリスさんが言ったように、人族の僕はミシェルさんたちを攻撃することはできない。

 創造の女神様に仕える神職の者に手を挙げるなんて罪は、人族には絶対にできないからね。

 かといって、この場でアリスさんを説得する自信もない。


 無力な僕。

 竜神さまの御遣いになったのに、目の前で悲しむ人たちさえ僕は救えないの?

 不甲斐なく動けない僕を他所よそに、アリスさんとミシェルさんたちは間合いを詰めていく。


 戦巫女さまたちの祝詞の奏上が終わりに近づくにつれて、アリスさんの足もとに三日月の輝きと影が生まれる。

 三日月の影に入った者を縛る、呪縛法術「三日月みかづきじん」だ!

 それだけではない。

 謁見の広間全体にも別の月の影が降りている。

 きっと、これも上位の呪縛法術だ。

 戦巫女さまたちは、アリスさんの動きを封じようと、呪縛法術を中心に戦うつもりかな?


 だけど、呪縛法術を向けられたアリスさんの歩みによどみはない。

 一歩一歩と確かな足取りで、謁見の広間の中心へと進むアリスさん。

 対するミシェルさんや他四人の戦巫女さまたちは、たったそれだけで息を荒めてじりじりと後退していく。


 刃を交える前から、法術を放つ前から、勝敗が決まっているように僕には見えた。


 巫女騎士として、聖域の守護を任されていたアリスさん。

 対するミシェルさんたちは、ルイセイネや流れ星さまたちと同じような普通の「戦巫女」でしかない。


 それでも、ミシェルさんたちは諦めない。

 アリスさんを無事に聖域へと連れて帰ることを。


 アリスさんの足もとに展開されていた三日月が、淡く輝く。同時に、月影が濃くなった。

 ぴたり、と淀みなく歩んでいたアリスさんの動きが止まる。

 更に、謁見の広間全体に広がっていた月の影も密度を増した。


 完成された呪縛法術に、何重にも縛られるアリスさん。

 完全に動きを止めたアリスさんとは対照的に、法術を施した四人の戦巫女さまたちは動く!

 薙刀を構えて、動けないアリスさんへ向けて突撃する四人の戦巫女さま!


躊躇ためらってはなりません、相手はあの巫女騎士様です!」

「アリス様の武器を奪え!」

「取り押さえるのです!」

「アリス様、お許しを!」


 口々に叫び、間合いを詰める四人の戦巫女様。

 呪縛されて身動きの取れないアリスさんには、抵抗のしようもない。

 そう思ってしまったのは、僕だけだった。


「未熟だ」


 全身を縛られて、指先さえ動かせないはずのアリスさんの唇が揺れた。

 その直後。

 アリスさんの足もとの三日月の輝きと影が消えて。

 謁見の広間を満たしていた濃い影も消失し。

 アリスさんが、なんの縛りもなく動いた!


 ぎぃんっ、と激しい金属音が響き、間合いに飛び込んだ戦巫女さまの薙刀が払われる。

 払ったのは、アリスさんの両刃薙刀の刃。

 アリスさんはそのまま腕を伸ばして弾いた薙刀の長い柄を掴むと、片手だけで戦巫女さまを振り飛ばす!

 振り飛ばされた戦巫女さまは別方向から迫っていた戦巫女さまとぶつかって、二人で重なるように倒れ込んだ。

 アリスさんは更に動く。

 二方から突撃してきた戦巫女さまの薙刀を容易く弾き返すと、容赦なく拳を叩き込む。


 そして、四人の連携とは別に不意を突こうとしたミシェルさんを牽制するように、両刃薙刀の刃を向けるアリスさん。


「今更知らぬとは言わせないぞ。巫女同士、互いの法力に大きな開きがある場合は、上位の者が一方的に下位の者の法力を抑えられることなど、初歩の知識だ」


 僕は息を呑む。

 アリスさんの歩みに、淀みがなかったはずだ。

 アリスさんがその気になったら、ミシェルさんたちの法力は封じられて、法術は使えなくなってしまう。

 そして、今まさにミシェルさんや四人の戦巫女さまたちは法力を抑え付けられて、発動させたはずの呪縛法術さえあっさりと破られてしまった。

 しかも、薙刀術や体術においても比べられないほど明確な実力差がそこにはあった。


 一瞬の攻防で、手も足も出なかったミシェルさんや四人の戦巫女さまたち。

 だけど、この程度で諦めるようなら、ミシェルさんたちだって聖域を離れてまでアリスさんを追ってはこない。


「諦めない! 私はお母さんを諦めないんだから!!」


 言ってミシェルさんが床を蹴る。

 自分に向けられた両刃薙刀の刃を、強く握りしめた薙刀で弾く。そして、間合いを詰めた。

 大きな薙刀の間合いにも、不得手な距離は存在する。

 長い柄の先に取り付けられた刃の内側に入り込めば、大振りな薙刀の動きを制限できるんだ。

 でも、その程度はミシェルさんだけでなくアリスさんだって承知の事実。

 それでも、ミシェルさんはアリスさんの懐に飛び込んだ!


 ばっと薙刀を捨てて、両手でアリスさんに抱きつくミシェルさん!

 予想外の動きだったのか、アリスさんの反応が一瞬だけ遅れた。


「離さない! 私はお母さんを絶対に離さないよっ!!」


 幼子のように泣き叫びながら、必死にアリスさんへ抱きつくミシェルさん。

 だけど、ミシェルさんたちの想いがくじけないように、アリスさんの意志も折れることはなかった。


「……ミシェル、ごめんなさい。それでも私は」

「嫌だ! いやだいやだいやだっ!」


 アリスさんも、流石に娘へ拳を叩き込むようなことはできないのか、抱きついて離れないミシェルさんに困惑の表情を見せる。

 それでも、アリスさんはミシェルさんの想いを受け止めてくれない。


 なぜ?

 僕は深く疑問に思ってしまう。

 これほどまでに娘から愛されて、みんなからしたわれているというのに。

 なぜ、アリスさんはそこまでして、夫の神官さまの後を追おうとしているんだろう?

 なぜ、自分の罪を許せないんだろう?

 大切な娘のミシェルさんを独りにすることさえ躊躇わないアリスさんの固い意志に、疑問しか湧いてこない。


 そして、それは僕だけの疑問ではなくて、ミシェルさんたちの疑問でもあった。


「……何故なぜなのでございますか? 何故そこまでにかたくなにご自身の罪をお赦しにならないのですか?」


 ひとりの戦巫女様が疑問を呈した。

 敵わないと知りながらも薙刀を構え、それでいながら殺意や敵意ではなく敬愛を込めてアリスさんと対峙する戦巫女さまたち。

 アリスさんは、自分に抱きつミシェルさんをどうにか引き剥がそうとしながら、深く瞳を閉じる。

 まるで、様々な想いに葛藤かっとうを巡らせるように。


「……駄目なのだ」


 そして、ぽつりと言葉を零した。


「私のような身勝手な愚か者は、聖域には相応しくない」


 どういう意味だろう?

 夫を救うために、邪族と取引してしまったことをなげいている?

 でも、それはもうみんなから赦されたんでしょ?

 それでも自分が許せない?

 だとしても、それが理由で夫の生まれ故郷で死にたいとは思い至らないはずだよね?

 それじゃあ、何かもっと深い理由がアリスさんにはあるのかな?


 ミシェルさんたちも、アリスさんの零した言葉の真意はわからなったようだ。


「そんなことないよ! お母さんは立派な巫女騎士様だよ!」

「そうです、アリス様。奥の姫様に認められて巫女騎士になられたということは、それだけで立派なことではありませんか!」

「私たちは皆知っています。アリス様がどれほどに厳しい鍛錬を重ねてきたのか。どれ程に勉強なさってきたのかを」

「アリス様が愚かならば、私どもは全て愚か者でしかありませんよ?」

「人は誰でも自分勝手なのでございます。ですが、女神様はそれも含めて全ての者を愛してやまないのです」


 口々に、アリスさんを説得しようと言葉を発する戦巫女さまたち。

 だけど、それでもアリスさんの心には届かなかった。


「違う。お前たちは理解していない。私のような者が、聖域を滅ぼすのだ。かつてのように」


 言って、アリスさんは抱きついていたミシェルさんをとうとう引き剥がした。

 そして、改めて両刃薙刀を構える。


「私は、私の罪を清算する。お前たちは大人しく聖域へ帰れ。私の言葉が聞けないというのなら、容赦はしない!」


 アリスさんの周りに、十本以上の月光矢が出現した。

 アリスさんは本気だ!

 呪縛法術ではなく、攻撃法術でミシェルさんたちを制圧しようとしている。


 アリスさんの本気に、息を呑む四人の戦巫女さまたち。

 ミシェルさんは泣き叫んで、もう一度アリスさんを捕まえようと手を伸ばす。

 だけど、アリスさんはその手を払った。


「ミシェル、ごめんなさい。だけど、私にはこの道しか残されていたいのだ」

「嫌だよ! お母さん、私を置いていかないでっ!!」


 娘との決別を覚悟したアリスさんと、母親を絶対に諦めないミシェルさん。

 見ていて、心が痛くなるばかりだ!


 だから、僕は動く。


 こんな、無意味で悲しい争いはもう見たくない!


 空間跳躍を発動させる。

 そして、謁見の広間の最奥へと到達する僕。


「全員、そこまで!」


 僕は叫ぶ。


「宝珠宮内での殺生は御法度です! 宝珠宮のあるじも、貴女たちの争いに心を痛めている。だから、僕たちが代行してこの争いを強制的に止めさせてもらいます!」


 一方的に宣言した僕は、傍のアレスちゃんにお願いした。


「アレスちゃん。霊樹の精霊として、宝珠宮の主の想いを代行してね?」

「じゅばくじゅばく」


 うん、と頷いたアレスちゃんが、大切に手に持つ霊樹の枝を振るう。

 すると、宝珠宮に流れる竜脈の流れが変化した。

 竜脈が、謁見の広間の最奥へと向かって流れる。


 いや、違う!


 僕とアレスちゃんの側に生えた小さないのちが、全ての竜脈を吸い上げているんだ!


 小さな樹は、吸い上げた竜脈の力をアレスちゃんと霊樹の枝に送る。

 小さな樹の力を受けたアレスちゃんが、霊樹の術を発動させた!


 今や七色に輝く真珠質の床から、何本もの樹の根が生える。そして、驚くアリスさんたちを、瞬く間に縛り上げていった。


「宝珠宮の主、霊樹の代行者として、僕とアレスちゃんがこの場の争いを預かります。聖域の方々は、もちろん霊樹のことを知っているんだよね? なら、抵抗はしないでね?」


 アリスさんが禁領の霊樹ちゃんや霊樹の枝の神秘さに驚かなかったのは、そもそも霊樹の存在を知っていたからだ。

 そして、これまでの口ぶりから、きっと聖域にも霊樹が存在しているんだろうね。


 そして。


 この宝珠宮の主もまた、幼い霊樹だった。

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