普通の山登り?

「わたしは絶対に同行しないからな!」

「いやいや、アステルは誘っていないからね?」

「ふふ、ふふふ、楽しみでございますね」

「いやいやいや、エリンちゃんも誘っていないからね!?」


 なんてやり取りが、出発前にあったとか無かったとか。……いや、本当はもっと激しい攻防が繰り広げられたんだけど、アイリーさんの


「ついてきても良いわよ。その代わり、道中にまった瘴気なんかと一緒に間違って貴女たちを浄化しちゃっても恨まないでちょうだいね? まあ、恨まれちゃっても、それも含めて浄化しちゃうんだけどね?」


 という満面の笑みの言葉に、二人が顔を青ざめさせて逃げて行った。

 この辺は、さすがに犬猿の種族仲なのかな?

 アステルと傀儡くぐつおうは、どちらも自身の戦闘能力は低い。それに始祖族といえども、何百年もの老竜と渡り合っってきたアイリーさんには、逆立ちしても敵わないのかもね。

 アイリーさんと始祖族二人組のほのぼのとしたやり取りを、アリスさんが苦笑しながら見学していた。


 ちなみに、これもいい経験だと思って流れ星さまを誘いたいと考えたんだけど、やっぱり取りやめたんだよね。

 竜峰北部。竜の墓所と呼ばれる領域と竜の祭壇は、竜人族と竜族にとって神聖な場所になる。そこに見学だからと軽はずみに人を招いたら、アイリーさんにも竜峰に住む者たちにも失礼になっちゃうからね。

 ということで、竜の墓所にはアイリーさんと僕の家族だけで向かうこととなった。


「はあ、はあ。僕の選択に間違いはなかったね!」


 そして。


 禁領のお屋敷から西に進み、そのまま竜峰に入って間もなく。

 僕は肩で荒く息をしながら、流れ星さまやアステルたちを連れてこなくて本当に良かったと、自分で深く納得する。


 険しい斜面。道とも呼べないような、荒れた獣道。当たり前のように行く手を阻む岩場や谷や絶壁の連続に、僕だけでなくみんなが息を荒げていた。

 やはり、これこそが竜峰だよね。

 人を容易たやすくは受け入れない極限の自然は、竜峰を旅慣れた僕たちにさえ牙を向く。

 この登山に、竜峰の自然の厳しさを知らない始祖族二人組や流れ星さまたちを同行させていたら、まず間違いなく入山直後に頓挫とんざしていたはずだ。


「さあさあ、これからだわよ。君たちは初心に返って頑張るんでしょう? それなら、竜気や法力に頼らずに竜峰を登る修行をしちゃいましょうね!」


 必死に竜峰を歩く僕たちに、アイリーさんが声を掛ける。


「はぁはぁ、アイリーが容赦ないわ」

「はぁはぁ、アイリーが恐ろしいわ」


 ユフィーリアとニーナが、同時に愚痴を漏らした。

 それもそのはずです!

 僕と妻たちは、全員が竜気と法力の使用を禁止された状態で歩かされていた!


「ほらほら、頑張ってちょうだいね。旅はまだ始まったばかりよ。ニーミアちゃんやレヴァちゃんたちの翼の有り難みに気づけるでしょ? 良いわねぇ、若いって。ちょっとの困難なんて若さで乗り切れちゃうんだから」


 アイリーさんが先頭に立って、険しい斜面をずんずんと進んでいく。僕たちは、アイリーさんに置いて行かれないように、必死に進む。

 アイリーさんを見失ったら、竜峰北部で遭難しちゃうからね!

 竜気と法力を禁止された状態で冬直前に遭難したら、確実に命に関わってしまう。

 だからみんなは愚痴を零しつつも、頑張って歩く。

 ただし、家族のなかには未だに涼しい顔をしている者がいた。


 そのひとり。アイリーさんの課した修行をものともしていない人物は、ミストラル!

 なにせ、彼女は竜人族だからね。

 人族とは、そもそもの基礎的な身体能力が違うんだ。

 そして、家族のなかでもっとも基礎体力がないのは、マドリーヌだった。


「ほらマドリーヌ、頑張りなさい。もう少しでひとつ目の山の山頂よ」


 とミストラルに励まされて背中を押されるマドリーヌだけど、いつものような元気もなく、荒い息で急勾配の斜面を登る。

 マドリーヌは、本来はヨルテニトス王国の大神殿で聖務にたずさわり、屋外の現場を飛び回るような身分じゃないからね。体力がみんなよりも低かったとしても、それは仕方がない。

 それでも僕たちと一緒に行動し始めて、ずいぶんと基礎能力は上がっていた。

 現に、アイリーさんが振り返って、感心したように微笑みながら言った。


「誇って良いことよ。竜人族の戦士だって、竜峰を歩くときは身の心も消耗しきって、すぐに膝を折るんだから。それを、君たちは竜人族以上の速さで進んでいるのよ」


 人族よりも遥かに優れた竜人族といえども、竜峰の自然を前にすれば小さく弱い存在でしかない。だから、竜峰を旅する竜人族はうやまわれるし、竜峰の自然を甘く見たり馬鹿にする者はいないんだよね。


 あれ?

 そう考えると、ミストラルだって竜人族だから、竜峰の自然に苦戦していてもいいような?

 いやいや、ミストラルは竜姫りゅうきだからね。その辺の戦士や旅人と比べても、遥かに優れているんです!


 では、息を荒げながらも気配を乱すことなく足を前に運んでいるライラはどうなんだろうね?

 同じく息を乱すルイセイネの手を取って、ライラは急斜面を一緒に登っている最中だった。

 ルイセイネは、戦巫女として日々の修行を怠けたりはしない。だから、基礎的な身体能力だけを見れば、流れ星さまたちよりも優れていたりする。それでも人族としての限界はあって、だから竜峰の自然には苦戦を強いられているんだよね。

 だけど、ルイセイネと同じ人族でありながら、ライラは少しみんなとは違うように感じるね。


 体力は、みんなと同じくらい。それでも、これまでの道中を見ていると、みんなよりも苦戦したり疲弊したりしている様子はないんだ。

 なんでだろう? とライラをじっくり観察ていると、あることに気づいた。


 ライラが選ぶ足の置き場。斜面の登り方。獣道にまで伸びた枝葉や草木を避ける挙動。そうそた何気ない行動のなかに、体力を無駄にしないような無意識の節約術が垣間見えた。


「そうか。ライラはそもそも、自力でミストラルの村の近くまで来られるような実力を持っているんだよね。だからまだ余裕なんだね?」

「はわわっ。エルネア様、昔のお話は恥ずかしいですわ」


 ルイセイネを補佐していたライラが、顔を真っ赤にする。

 でも、僕は心からライラを凄いと思っているんだよ。

 竜族だけでなく、魔物や魔獣が跋扈ばっこする竜峰を自力だけで旅したことのあるライラは、もしかしたら僕なんかよりも旅の達人かもしれないね。

 それなら、ライラに体力を温存する方法や疲れても気配が乱れない方法を学べば良いのでは、と何気なく口に出して言ったら、ライラは顔どころか首まで真っ赤に染めて恥ずかしがった。


「エルネア君、ライラさんを弄んで楽しんではいけませんよ?」

「ルイセイネ、誤解だよ。僕は本心で言ったんだ。竜気や法力の使用を禁止された僕たちは、自分の非力さを改めて思い知らされている最中だよ。それなら、同じ条件でも余裕を見せるライラから何かを学ぶことは大切だと思うんだよね。ライラ先生、ご教授お願いします!」

「はわわわっ、エルネア様っ」


 ライラは恥ずかしさのあまり、とうとうルイセイネの陰に隠れてしまった。その愛らしい反応にほっこりと心が癒されて、疲れが吹き飛ぶ。

 ただし、周りの妻たちからは苦笑されちゃった。


「それじゃあ、可愛いけれど余裕のあるエルネアからも、色々とおしえてもらわなければいけないわね?」

「ミストラル!?」

「ミストが良いことを言ったわ」

「ミストが素敵なことを言ったわ」

「むきぃっ、それじゃあまずは私に指導してくださいっ」


 わいわいと賑やかになり始めた僕たち。

 その様子を見守るアイリーさんの表情もゆるんでいた。

 きっと、この辺りにはまだそれほど危険な魔獣や竜族は棲息せいそくしていないんだろうね。

 なにせ、振り返ればまだ遠くに禁領の自然が見えるくらいの位置だからね。


 禁領は、千手の蜘蛛のテルルちゃんが守護している。竜族も魔獣たちも、伝説の魔獣の恐ろしさを知っているから、禁領には近づかない。

 だって、僕たちだからこそテルルちゃんが守護する禁領と竜峰の自然の境界を知っているけど、竜族や魔獣たちはそうした決まり事を知らないからね。

 そうなると、竜族や魔獣たちはテルルちゃんに襲われない安全な距離を取ろうとして、結果的に、禁領に接する竜峰付近には危険な竜族や魔獣の存在は少なくなるんだよね。


 ただし。

 何事にも例外はある。

 その例外をたずさえて、これまた竜峰の自然をものともしないセフィーナが、山の山頂の方角からくだってきた。


「エルネア君、アイリー様、報告よ。このまま進んで山頂に行くと、翼竜に見つかるわよ」

「えっ!?」


 セフィーナがもたらした報告に、僕たちは目を丸くして驚いた。


 だって……


「セフィーナ、質問なんだけど。セフィーナの後を追って降りてきたその翼竜とは別の翼竜がいるってこと?」

「えっ?」


 何を言っているの? と不思議そうに首を傾げながら、背後を振り返るセフィーナ。そして、自分で驚く。


「なっ! なんで山頂で寝ていたはずの翼竜が!?」


 セフィーナが振り返った先。つまり、山頂側の獣道の奥には、小さな体格の翼竜が静かに腰を下ろして、興味深そうにこちらを見つめていた。

 僕たちと翼竜の視線が交わる。


 深い青色をした、綺麗な瞳。

 体格は、小柄とはいっても、そこは翼竜だからね。平均的な地竜よりも身体が少し小さいくらい。それでも翼を広げれば地竜よりも大きい。

 小柄な翼竜は、敵意がないと示すように、頭を地面につけていた。

 知性豊かな瞳でこちらを観察している様子で、僕たちが驚いたり慌てたりする姿を見ても、なにも動じていない。


 竜の墓所に住まう、まさに老練なる翼竜だね。

 その証拠なのか、それともこの小柄な翼竜の特殊性なのか。

 地面に下ろした頭や長く伸びた首や小さな身体や翼には、苔がむしていた。

 くすんだ青色の鱗の上に、緑の苔が広がっている。

 まるで、自然にもれる前のちかけた倒木のような苔のむしかたに、僕はこの老翼竜が長いあいだ竜の墓所で静かに暮らしてきたのだろうということを読み解く。


「ごめんなさい。僕たちが騒がしかったから、貴女の安息を邪魔しちゃったんですね」


 竜心くらいは、使っても良いよね?

 言葉に竜気を乗せて謝罪したら、老翼竜は小さく喉を鳴らした。

 すると、僕と老翼竜の最初の交わりを見届けたアイリーさんが、間に入ってくれた。


「セフィーナちゃん、偵察ありがとうね」


 ミストラルやライラのように体力に余裕のあるセフィーナは、苦労しながら獣道を進んでいた僕たちよりも前に進んで、先の様子を偵察してくれていたんだよね。

 アイリーさんはそれに謝意を示しながら、教えてくれた。


「安心してちょうだいな。このおばちゃまは温厚だから、君たちを襲ったりしないわ。ねえ、おばちゃま?」


 アイリーさんに声を掛けられて、また小さく喉を鳴らす老翼竜。


『初めまして、可愛い人の子たち。私はサーシュラルアー。あなた達の様子は、いつもこの山の上から見つめていたわ」

「わわっ。そうなんですか!?」


 禁領近い、竜峰の入り口に位置する山の頂上からなら、禁領のお屋敷も確認できるかもしれないね。

 だけど、人の視力だとお屋敷は確認できても、そこに住む者たちの様子までは見えないはずだ。

 その辺りは、さすがは竜族、と驚く部分だね!


 サーシュラルアーお婆ちゃんが挨拶をしてくれたので、僕たちもしっかりと名乗る。

 もちろん、竜神さまの御遣いとして、堂々とね!


 僕たちの名乗りに、サーシュラルアーお婆ちゃんは深い青色の瞳を目いっぱい広げて、驚いてくれた。

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