弱者の高み

「くっくっくっ。エルネアよ、覚悟しろ!」

「覚悟をするのはスラットンの方だと思うけど?」


 春の日差しが気持ちいい外庭へと出た僕とスラットンは、武器を構えて対峙していた。


「今日こそは貴様を越えて、俺が竜王になる!」

「ドゥラネルに惨敗しているうちは、まだまだだと思うんだけどなぁ」

『その通り』


 僕たちと一緒に屋外へと出てきたクリーシオに優しく撫でられているのは、闇属性の地竜のドゥラネルだ。

 ドゥラネルは僕の言葉に大きく頷いていた。


「うるせぇっ! 軽口を叩けるのも今のうちだけだぞっ」

「というか、僕はクリーシオに呪術じゅじゅつを教えてもらいたかっただけなんだけど?」


 やる気満々のスラットンに、僕はちょっぴり肩をすくめる。

 するとそこへ、先ほど僕に続いて来訪してきたお客さんたちが顔を覗かせた。


「エルネア、こんなところにいたのか」

「あっ、リステア! それとネイミー」

「エルネアっち、おひさっ」


 お手伝いさんに案内されて現れたのは、勇者のリステアと、彼のお嫁さんのひとりであるネイミーだった。


「さっき、王都の上空にニーミアちゃんが見えたんでな。お前の実家の方に遊びに行ったんだが。そうしたら、戻って早々にクリーシオへ会いに行ったと聞いてな」

「うん、ちょっと用事があってね」


 俺にじゃなくて、クリーシオにかよっ。と叫んだスラットンの言葉は黙殺される。


「……ふぅん。今度は呪術を勉強しているのか。お前も大変だな」


 挨拶がてら僕とクリーシオがリステアたちに状況を説明すると、感心するように頷かれた。


「よし。そういうことなら手伝おう」


 そして、おもむろに聖剣を抜き放つリステア。


「おい、リステア。エルネアの相手は俺が先約だぞ?」

「いいじゃないか、エルネアが相手なんだ。複数相手でも問題ないだろう?」

「ああっ、いいなっ。それならぼくも混ぜてっ!」


 おお、ネイミーよ、君もか。

 片手直剣を抜いて準備運動を始めたネイミーは、これまたやる気満々です。


「ふふふ。エルネア君、頑張ってね」


 クリーシオはそう言うと、ドゥラネルの側で坐禅ざぜんを組む。


「なぜなんだ。なぜ、呪術を教えてもらいにきただけなのに、こんなことに!? というか、リステア。他のお嫁さんたちはどうしたの?」

「ああ、セリースは……」

「僕の実家で双子の姉たちに捕まったんだね……」

「ああ……。キーリとイネアは、ルイセイネと一緒に神殿へ行った」

「なるほど。……ってか、最初から炎をまとってますよ、この勇者さん!」


 リステアがなにやら呪文を唱えると、炎で形取られた鳳凰ほうおうが顕現した。そして、迷うことなく鳳凰と合体するリステア。


 こ、怖いっ。


「クリーシオ、俺にも呪術を頼むぜ!」

「あっ、それならぼくもねっ」

「ひぃっ」


 この人たち、戦闘狂ですよっ。


 スラットンはクリーシオから呪力を受け取り、大剣を青白く輝かせる。

 ネイミーも身体能力の強化を受けたのか、さささっ、と小動物のような素早い動きを見せ始めた。


「エルネア君、呪術を体験することも勉強のひとつよ?」

「たしかに。体験しないとわからないことがあるもんね。あっ、そうだ。それなら、僕も呪術で強化してみてほしいな?」

「ええ、良いわよ」

「て、てめぇっ、卑怯ひきょうだぞっ」


 ふははっ。お嫁さんを独占したいスラットンには精神的な痛手になったようだ。

 眉間みけんしわを寄せるスラットンをみんなで笑う。

 そうしていると、なんだか脚や手の動きが楽になってきた。


「おおっ。竜気を練っていないのに、身体が軽いよ!」


 準備運動をしていないのに、体の内側からぽかぽかと温かい気配が沸き起こってくる。

 これが呪術なんだね。


「竜王のくせに助力をもらうとは、情けない奴め。俺が勝って、竜王の座を奪ってやる」

「ふふふ、力だけでは竜王にはなれないよ?」


 始まりの合図もないのに、スラットンが突進してきた。

 僕は軽くなった身体の動きを確かめるように何度か剣を振って、攻撃を待ち構える。

 そして、刀身が巨大化したスラットンの斬撃を、霊樹の木刀で受け止めた。


 ふっ、と笑みを浮かべるスラットン。それと同時に、巨大化した刃が霊樹の木刀をすり抜けて僕へと迫る。


「わわっ」


 慌てて後方に回避する僕。

 気負きおったつもりはないんだけど、予想以上の動きでスラットンの斬撃を回避することができた。


「面白いくらいに身体が動くよ」


 竜気を練ったときとはちょっと違う感覚だけど、思うように身体が反応してくれる。

 なんだか、手や脚だけじゃなくて、身体全体を誰かにしっかりと補佐してもらっている感じだ。

 だけど、身軽な僕とは違い、スラットンが苦悶くもんの表情を浮かべ始めた。


「おお……おおおおっ!」


 見ると、スラットンの頭上に奇妙なもやがのしかかっていた。

 靄は、スラットンの動きを阻むように揺らめいている。


「ぐぬぬ、クリーシオよ。呪術を間違っているぞ。重い。身体が重いっ」

「エルネア君を怪我させようとする人は承知しません!」


 どうやら、これもクリーシオの呪術みたい。

 奇妙な靄がスラットンの身体にからみついていく。そうしたら、どんどんとスラットンの動きが悪くなっていった。


「隙ありっ」

「おおっと!」


 のんびりとスラットンの様子を観察している場合ではありませんでした!

 背後から、ネイミーが奇襲を仕掛けてきた。


 いつのまにか死角に回り込んでいたネイミーが、小動物のような小さな動きで攻撃してくる。

 連続した細かい突きが僕を襲う。

 僕は、白剣と霊樹の木刀で受けさばく。

 だけど、ネイミーの手数は異常だ。

 三の突き、四の突きの残像が残っているのに、五の突き、六の突きだけじゃなく、十近い刺突しとつを繰り出してくる。

 僕は思わず後方に跳躍し、回避した。


「エルネア、油断大敵だぞ?」

「わっ!?」


 今度は、リステアが迫る。

 間合いの外から、炎を纏った聖剣を振るうリステア。すると、炎が波となって放たれて、襲いかかってくる。


「あちちっ」


 炎の塊は回避したものの、火の粉が舞って熱さを感じた。


 でも、変だね?

 クリーシオは教えてくれた。

 呪術とは、普通の人が見ている景色とは違って、瞑想のときにえる世界の色に干渉する術なのだと。

 人や動物や自然が秘めた色へ任意の色を混ぜたり、色合いを強調したり薄めたりすることによって、様々な効果を引き出すのだとか。


 だけど、僕が今見ているもの、感じているものは、クリーシオが教えてくれた呪術の基本から大きく逸脱いつだつしているように思える。


 リステアは、全身に炎を纏っている。身体だけじゃなく、聖剣も炎に包まれていて、さらにはそれをこちらへと飛ばしてくる。

 炎は現実のものであり、熱さも感じる。


 これって、色に干渉するってこととどう関わりがあるんだろう?

 リステアの放つ炎を回避しながら、疑問に首を傾げた。


 すると、さらに奇妙な事が起きた。


 今や、僕の周りは炎だらけだ。

 とはいえ、火事が起きているわけではない。

 炎が意思を持っているかのように乱舞している。地面に触れた炎は、その場で燃え上がる。

 だけど、お庭の草花は炎に包まれても燃えていない?


 それだけじゃなく……


「とりゃあっ」


 ネイミーが、炎を突き抜けて攻撃してきた。

 炎に触れているはずなのに、全く熱さを感じていないかのよう。


「ど、どういうことかな!?」


 クリーシオのおかげで、僕は身軽にリステアの炎やネイミーの攻撃を回避する事ができている。

 それで、攻撃をかわしながら疑問を口にすると、リステアが答えてくれた。


「それこそが、呪術なんだよ」

「ふむふむ?」

「お前が見たり感じたりしているものは、炎であって炎ではない」

「はい?」


 クリーシオは、僕とネイミーとスラットンに呪術をかけているためか、集中して話す余裕はないみたいだね。

 でも、リステアも呪術が使えるので、僕に教えてくれる。


「クリーシオから、授業を受けたんだろう? 呪術は万物の色に干渉し、様々な効果を相手に与える」

「うん。一流の呪術師は世界の特別な色が見えるんだよね?」

「そうだ。色に干渉し、お前が受けているように身体能力を向上させたり、スラットンのように呪われたりする」

「ふむふむ」


 スラットンは、地面に転がってのたうちまわっている。

 どうやら、相当な呪いを受けているらしい。


「お前は身体能力に関わる色に干渉を受けている。スラットンは、精神に関わる色に干渉を受けている」

「ぼくも身体能力に干渉してもらっているよっ」


 ネイミーの超常的な動きは、呪術強化によるものなんだね。

 連続の斬撃は残像を生み、恐ろしい速度で迫る。僕はそれを受け流しながら、リステアの言葉に耳を傾けた。


「では、視覚や感覚に影響を受けたらどうなるだろうな?」

「……も、もしかして。リステアの炎は幻覚げんかくなの!?」

「いいや、幻覚ではない」

「えええっ!」


 話が噛み合ってませんよ、リステア先生!


 今の話の流れだと、僕は視覚と感覚に干渉されている、と思うじゃないか。

 だから炎は幻覚で、熱さも偽物だと思った。

 両方がまやかしなら、ネイミーが炎を突っ切っても平気な理由に説明がつくしね。

 だけど、リステアは違うと言う。


「真っ赤に燃える炎も熱も、本物だ。お前にとってはな!」


 リステアがなにやら呪文を唱えた。

 すると、リステアの全身を覆っていた炎は剥ぎ取られていき、身体から離れた炎が集まって鳳凰の姿になる。

 鳳凰は、神々こうごうしい鳴き声を発すると、何度か翼を羽ばたかせてリステアの肩に乗った。


「こいつは、俺の呪力そのものだ。外部に力を蓄えることによって、いざという時の切り札にしている。だが、考えてもみろ。こんな生物はこの世に存在しないだろう?」


 炎をつかさどる霊鳥などは、多くの物語や伝承に登場する。

 精霊のなかにも、ああした炎の鳥の姿をした者がいる。

 だけど、呪力で命を与えられた鳳凰なんて、たしかに聞いたことも見たこともない。

 あっ、いや。目の前にいるから、見たことはあるのか。


「リステアは、呪術のことわりを超えているのよ」


 スラットンがぴくぴくしている。どうやら、完全に伸びてしまったようだ。

 それで手薄になったクリーシオが意識をこちらへ回せるようになったのか、話してくれる。


「ほら、さっきエルネア君は見たでしょう? スラットンにまとわりつく靄のようなものを」

「うん。あれは恐ろしい呪いだったんだね!」


 放心状態のスラットンには、もう靄のような空間の揺らめきはまとわりついていない。


「わたしは、瞑想すると色が視えると言ったわよね。でも、勘違いをしないでね。わたしは違う世界を見ているわけじゃないわ。目を開けているときに見える世界も、瞳を閉じているときに視える色も、同じ世界の同じ景色なの」

「ということは……?」

「ふふふ、気づいたかしら? そう。色の世界に強く干渉すると、視覚で捉えている世界にも影響が出てくるの」

「つまり、あの靄は呪術で色に干渉している事象が、僕たちの視覚にも映るくらい強力なものってことだね?」


 竜気も、極めていくと視覚化される。

 ザンが身に纏う銀色の炎がそうだね。

 呪術も同じように、より強い威力のものは視覚化されていくってことか。


「それじゃあ、リステアの鳳凰は?」

「わたしの呪術でも、靄っぽく視える程度よ。それが、あたかも生きているような生物に見えて、更に熱も感じるなんて、人の域を超えていると思わない?」

「うん。あれは人外じんがいだ!」

「人外とは失礼だなっ」


 突っ込みと同時にリステアが放った聖剣の一撃を弾く。

 会話をしている最中も、リステアとネイミーの攻撃は続いていた。

 ネイミーは素早く動くし、リステアは強烈な斬撃を繰り出してくるので、クリーシオの言葉にばかり集中していると危険だ。


「でもさ。人外の呪術で鳳凰が視覚化されたってのは理解できるんだけど。なんで僕だけに熱が伝わるのかな?」

「それはだな。今は俺がお前だけに呪術の効果を向けているからだよ」

「なななっ!」


 つまり、この熱も呪術の効果ということか。そして、リステアの呪術を受けているのは僕だけなので、ネイミーたちは熱さを感じない?

 僕の回答に、正解だ、と応えながら聖剣を振るうリステア。


「鳳凰は視覚化されているから誰にでも視える。だが、鳳凰や俺が放つ炎の熱の正体は実は呪術そのもので、お前の感覚に干渉しているにすぎない。だから、お前だけが熱いと感じる」

「でもでも! 炎に当たったら、実際に燃えたりするよね!?」


 僕は知っていますよ。

 魔族がアームアード王国に侵攻してきたときのこと。リステアは聖剣の炎で魔族を燃やして倒していた。

 あれは幻覚などではなく、実際に燃えていたよね。

 僕の疑問に、リステアは頷く。


「それが、呪術だ。基本は、世界の色に干渉する。だが、威力が上がれば視覚で捉えている世界にも影響が出て、誰にでも見えるくらいになる。そしてその先に、この力がある!」


 ぼおうっ、と炎の柱が立つ。

 あまりの熱波に、僕は顔を逸らす。


「世界への干渉は、視覚だけにとどまらない。感覚へも作用し、事象じしょうの変化へ至る」

「つまり、呪術も極めれば本物の炎なんかに変化して、現実のものになるってことだね?」


 呪術の視覚化を幻覚だとあなどってはいけない。油断していれば自分の感覚に干渉されて、本当の熱や痛みになる。そして、最終的には実際にものを燃やしたり切り裂いたりという現実の出来事になるんだ。


「お前も、最初に受けただろう? スラットンの巨大化した刃はまさにそれだ。現実としてお前は剣を交えた」

「でも、すり抜けてきたよ?」

「それはそうだろうさ。スラットンが刃の物理化を解けば、青い刃は単なる幻覚だ」


 そうか。最初は強力な呪術で刃を現実化させている。でも、それを幻影にしてしまえば、僕の剣をすり抜けるなんて容易い。

 そして、すり抜けたあとにまた現実化させると、僕はばっさり斬られるわけだ。


 これが、呪術の奥義か! とリステアの炎から逃げながら実感する。


「わたしの場合は、リステアのように現実に干渉するまでの呪力はないから、スラットンの持つ両手剣にはめ込まれている宝玉の力を利用しているのだけどね」

「まあ、俺も聖剣の力を借りているに過ぎないんだがな」


 ううむ、さすがは選ばれし勇者様なんだね。

 先祖伝来の呪術を扱うクリーシオにもできないような呪術を、聖剣の力によって習得するなんて。


「つまりはさっ。弱っちい呪術は相手の気分を変える程度の効果しかないけど、リステアみたいにすっごくなると、現実になるってことだよねっ」


 そろそろ、ネイミーのすばしっこい動きにも慣れてきたよ。

 僕は連続の突きを回避しながら、ネイミーに頷いた。


「じゃあさ。もしも強力な呪術が使えるならね。対峙した相手の視覚や時間感覚を操作して、瞬間移動にみせたりすることもできる?」

「面白い発想だな。たしかに、できなくはないかもしれない。ただし、相当に難しいだろうな。俺なら無理だ」

「ほうほう?」

「お前自身も体験していると思うが。呪術で干渉されれば、それと気づくだろう?」


 僕は身体の内側から湧き上がる、ぽかぽかとした気配を改めて感じ取る。


「それだけじゃない。さっきも言ったが、強力な呪術は視覚的に視えるようになる」

「そうか。瞬間移動に見せかけられるくらい相手に干渉しているなら、こっちにも違和感があるはずだよね。もしくは、スラットンのときのように靄とかが見えるはずだね!」


 でも、バルトノワールから違和感を覚えても、そんなものは見えなかったし、身体の変調も感じなかった。


「それでも相手に悟られずに術をかけるとなると、相当な熟練者か複雑な儀式を要するはずだ」

「むむむ。なるほど」


 リステアやクリーシオのように、聖剣や呪具を媒体ばいたいとすれば、あるいは複雑な儀式などを省略できるのかな?

 そういえば、バルトノワールの手にしていた長剣はそれらしい作りだった。


 いや、結論を出すのはまだ早い。

 もしかすると、バルトノワールの使った術は呪術以外のものだった可能性もあるし、結論を急ぐのは禁物だ。


 ネイミーの突進を、弧を描くように回避する。そして、えいっと背中を押す。

 ネイミーは勢い余って地面に転がった。


「ネ、ネイミー。大丈夫!?」

「うえーん、痛いよっ」

「ご、ごめんねっ」


 受け身を失敗して鼻を擦ったのか、ネイミーは地面に座り込んで真っ赤になった鼻をさする。


「ところで、エルネア」

「なにかな?」

「俺とネイミーの攻撃を捌きながら呪術に関することを聞くばかりだが、そろそろ本気は出さないのか?」

「ふふふっ。僕の本気をご所望ですね、勇者様?」


 にやり、と僕はリステアに微笑んだ。

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