呪術師の家系

「クリーシオ先生、僕に呪術を教えてください!」


 アームアード王国の王都。未だ再建途中にある王城にほど近い城下の一画に、その家はある。

 真新しい石造りの素敵なお屋敷が立ち並ぶなか、一軒の質素しっそな木造のやかたが建っていた。

 とはいっても、周囲のお屋敷に比べれば質素というだけで、一般的な家屋の何倍もの敷地と建物になるのだけれど。


 僕は、そんな木造のお屋敷の玄関を元気よく叩く。

 すると、見慣れた女性が扉を開けて姿を現した。


「あら、エルネア君。どうしてうちに?」

「クリーシオ、お久しぶり!」


 黒髮が美しいクリーシオは、前触れもなく訪れた僕を屋内へと案内してくれる。

 新築なためか、建物のなかは木の良い香りで空間が満たされていた。


「突然、どうしたの? 呪術を教えてとか言っていた気がするけど?」

「うん。僕に呪術を教えてください、クリーシオ導師どうし!」


 僕の気迫に、くすくすと笑みを浮かべるクリーシオ。そうしながら、広いお庭の見えるお部屋へと案内してくれた。


「うわっ。なんか、薬草とかいろんな香りのするお部屋だね?」

「エルネア君には苦手な匂いだったかしら?」

「ううん、そんなことないよ。森の奥深くにいるような、落ち着いた感じがするし。僕は香水とかよりもこういった自然の香りの方が好きかな」


 窓から見えるお庭では、クリーシオの夫であるスラットンと、彼の騎竜であるドゥラネルが取っ組み合いの喧嘩をしていた。……いや、あれは仲睦なかむつまじく鍛錬たんれんをしているのかな?

 そんなにぎやかなお庭から視線を室内へ向けると、このお部屋が特殊な場所だとすぐにわかる。


 壁際には、小口の引き出しがずらりと並んだたなえられている。

 机には見たことのないような道具が並べられ、なかには薬草や岩石を磨り潰すための器具があったり、不思議な香りのまきが積まれていたり。

 床は絨毯じゅうたんではなく、それどころか木の床でもなく。土間どまのように、踏み固められた土がむき出しだ。

 そして、土床には円形の陣や複雑な紋様が色の付いた砂で描かれていた。


「ふふふ。興味津々ね?」

「うん。こうして呪術師のお部屋を見たり道具をじっくり観察するのは初めてだから」


 クリーシオは、同い年で学校に通っていたみんなのなかでも、一番のお姉さん気質だ。

 僕の急な来訪にも怒らないし、いきなり呪術を教えてと言い出しても、頭ごなしに「なぜ?」とは聞き返さない。

 思慮深しりょぶかく立ち振る舞い、こうして僕を呪術に関する部屋へ案内してくれた。


 あっ、ただし。

 スラットンがお馬鹿なことをすると、すぐに怒ります!


「エルネア君」

「はい」


 クリーシオは、土床に敷物を敷いて座るように促す。でも、僕は土の上でも平気なので、そのまま腰を下ろした。

 クリーシオも土床にそのまま座ったしね。

 そして、二人で腰を下ろすと、クリーシオは言う。


「学校に通っていたときに基本的なことは習ったと思うけど。あのね、呪術を扱うためには先天的な資質が必要なのよ?」

「うん、知っているよ。呪力が宿っていないと、儀式や呪文を真似しても呪術は使えないんだよね?」


 僕の返答に、大変よくできました、と頷くクリーシオ。


「では、そうと知っていて、呪術を習いたいの?」

「ああ、ごめんなさい。僕は呪術が使えるようになりたいわけじゃないんだ。ただ、呪術の知識を身につけたくて」

「なにか、必要性に駆られているわけね?」

「ご明察の通りです」


 さすがはクリーシオだ。

 言葉足らずな僕の話の断片だけで、こちらの状況をなんとなく把握したらしい。


 では、とクリーシオは僕を促した。


「瞑想をしましょうか」

「はい」


 僕は素直に従う。

 座禅を組み、瞳を閉じて深く精神を鎮めた。


「すべての基本は、瞑想にあるわ」

「うん。竜術や法術なんかも一緒だね」

「ええ、そうね。瞑想することによって精神を落ち着かせ、集中力を高める。これはどんな術でも共通することね」


 瞑想すれば、僕はすぐに竜脈の気配を感じることができる。それだけじゃなく、クリーシオの息遣い、スラットンやドゥラネルの気迫、更には風の流れや世界の息吹だって感じ取ることができるようになっていた。


「エルネア君の瞑想は、本当に素敵ね。瞳を閉じて瞑想すると、よくわかるわ。世界と繋がっている、とでも表現したらいいのかしら?」

「そう言ってもらえると嬉しいな。ありがとう」


 どうやら、クリーシオも瞑想しているらしい。そして、僕の気配を確かに感じ取ってくれているんだね。


「ところで、エルネア君。貴方は瞑想している最中に周りの景色を見ることができるかしら?」

「むむむ、どういうことかな? 目を閉じていたら景色は見えないけど……? でも、周りの気配を感じることはできるよ?」

「それは、視覚的にかしら?」

「ううん、感覚的にだね」


 スラットンがドゥラネルに弾き飛ばされた。スラットンは無様に転がって、苦悶している。

 あっ、お客さんが来たみたい。でも、お手伝いさんが対応に出たみたいだね。

 と、こんな感じで、僕は広い範囲の気配を読み取れる。でも、視覚として見えているわけじゃない。

 言うなれば、感じ取ったものを頭のなかで映像に置き換えているだけだ。


 僕の返答に、クリーシオが頷く気配が伝わってきた。


「そうね。普通は気配を感じるだけでもすごいと思うのだけど。でもね、エルネア君。わたしはえるのよ?」

「えっ。目をつむっているのに周りの様子が見えるの?」

「そう。ただし、普通とはちょっと違うかしら。あのね、色が見えるの」

「色?」

「そう。いろんな色。たとえば、そうね。エルネア君は普段、とても優しい色を発しているわ。それは、瞳を閉じていると緑色としてわたしの視覚に映っている。だけど、今こうして瞑想し始めると、途端に光眩しく輝き始める。大地と繋がり、それは世界を満たしていくように広がっていく。草や木、動物たちはエルネア君の輝きに包まれると、幸せそうな色になる。……でも、今のエルネア君には、少しだけにごった色が見て取れるわ。かげりというか、よどみというか。おそらくだけど、悩み事があるんじゃないかしら? そして、その悩みを解決する糸口を求めてわたしを訪ねてきた?」

「おお、なんか凄いね!」


 竜眼を持つルイセイネは、竜気の流れなどを視覚的に捉えることができる。

 竜脈から汲み上げた僕の竜気は緑色に輝いているって、前に言ってたっけ。

 でも、それは竜脈や竜気に関連するものだけであって、自分の法力や魔力などは視えない。


 クリーシオが瞑想状態で見えるという色は、そうしたものなのかな?


「わたしに言わせると、世界には色が溢れかえっているの。一見普通の青空でも、瞑想をすると赤や紫、黒や白が入り混じっていて複雑に絡み合っているわ。そして、人や空だけじゃなく、草木や風や大地の全てにいろんな色があるの」

「瞑想していると、世界がより賑やかに感じ取れるんだね」

「感じ取れるというか、わたしには視覚として見えているわね」

「そうでした」


 不思議な話だね。

 僕は目を閉じると視界が真っ暗になっちゃう。だけど、クリーシオは黙想することで全く別の世界が見えるようになるんだ。


「呪術とはね。こうした鮮やかな色に干渉することなのだと習うのよ」

「なら、呪術師は誰でもクリーシオみたいにいろんな色が見えるの?」

「ふふふ、実はそうではないの。それが難しいところね」


 クリーシオは、呪術の基本を僕に語ってくれる。


「自分で言うのもなんだけど。こうしていろんな色が見えるのは、ごく限られた資質を持つ呪術師だけだと言われているわ」

「というとは、クリーシオは一流の呪術師だね!」

「ふふふ、ありがとう」

「でも、それじゃあ色が見えない呪術師の人はどうなるのかな?」


 資質が欠けているのなら、普通だと術者自体になれないと思うけど。

 呪術師の場合は、色が見える人は限られた資質の持ち主というくくりなだけで、見えない人でも立派な呪術師なんだよね?

 僕の質問に、クリーシオが頷く気配が伝わってくる。


「エルネア君が疑問に思うのは正しいわ。そして、そこに呪術の歴史があるの」


 クリーシオは言う。


 呪術とは、相伝そうでんわざなのだと。

 瞳を閉じたときに世界の色を視認できる者は、ごく限られた資質を持つ者だけで、残りの大多数は見ることができない。

 それでも、人族は呪術をあつかう。


 ううん、扱わなきゃいけない。


 なぜならば。人族は他種族よりも弱く、しいたげられる存在だから。

 色は視認できない。でも、呪力を宿している。

 なら、色が視えない人もどうにかして呪術を使えるようになれないか。使えるのなら、より強力な術を、より効果のある術を、と願う。そして、その試行錯誤こそが呪術の歴史なのだと言う。


「呪術とは、世界の色に干渉すると言ったわよね?」

「うん」

「わかり易く言うとね。ほら、これもさっき言ったけれど。エルネア君の今の色には、濁りがあるわ」

「悩み事が色としてにじみ出ているのかな? 僕自身は意識してないんだけどね」

「そう。無意識でも必ず色には出てくるの。そして、呪術師はその色を見て、そこに干渉することができるのよ」


 つまり、クリーシオには心の悩みとか隠し事はできないということだね。

 スラットンよ、後ろめたいことはするんじゃないよ?


「例えば、わたしが悪い呪術師だったとするわね。それで、エルネア君の濁った色に干渉する。すると、どうなるかしら?」

「むむむ。呪術は詳しくないから、わかんないや?」

「ふふふ、そうね。詳しくなるために来たのよね。では、教えてあげます。エルネア君は、いま抱えている悩みを膨らませていき、気持ちが沈んでいくわ。それだけじゃなく、意欲を失い、終いには寝込んでしまうかもしれない」

「そんなことが呪術でできるの!?」


 おそるべし、呪術。

 見た目は竜術や魔法に比べて地味だと言われているけど、効果はすごいんだね。


「逆に、濁りを薄めてエルネア君の気を軽くすることもできる。もしも戦いの場であれば、仲間を高揚させたり敵に畏怖いふを与えたりできるわ」


 でもね、とクリーシオは続けた。


「そういう効果は、色が見えないと意味がないと思わない?」

「僕に濁った色がないと、呪術で干渉しても効果が出ない?」

「出ない、とは言い切れないかしら。こちらから色を混ぜてあげればいいのだし。ただし、必要以上に呪力を消費することは間違いないわね」

「そうか。色が見えていたら最初からその色に干渉すればいいけど、見えていなかったら、先ずは干渉してみて、効果がないなら色を加える、なんて手間がかかっちゃうもんね」

「そうよ。そして、無い色を加えるのはとても困難で、呪力の消費が激しくなるの。しかも、反発しあう色や馴染みやすい色の相性もあるから、繊細に術をかけないといけないわ。でも、どうにかして効果を出したいと思ったとき。そこに先祖伝来の知識なんかが役に立つのよ」


 呪術の儀式では、呪具や薬草、香草や香木、石や土や水やお酒といった多くの道具を使う。

 それだけじゃない。

 土床に描かれているような陣や紋様を使用したり、複雑な呪文を唱えたりと、他の種族が使う術よりも複雑で難解だ。

 そして、クリーシオの言うところによると、呪術に正解は存在しないという。


「エルネア君の色に干渉しようと思ったときにね。どう色を変色させるのか、どんな色を加えるか。これは、呪術師それぞれで手段が違うの。そして、その手段は何千、何万とあって『正しい』という答えはないのよ。最適解はあるかもしれないけど、それを知っているのは呪術を極めた者だけね」


 呪術には、無限と言っていいほどいろんな術式がある。

 だから、クリーシオたちは日々研究をし、その成果を子孫へ伝えていくのだという。


「でもね、人は強欲なの。祖父母や両親、自分たちで研究し、発見したものは独り占めしたいと思ってしまう。だから、無闇やたらと他人に発見や術式を教えたりはしないわ。伝えるのは、大切な子供や孫に、と思ってしまう」

「ううん、その気持ちはわかるよ。呪術の知識や経験から得られたものって、大切なお宝だと思うんだ。だから、大切なお宝は大切な相手にだけ渡したいと思う心は、正しいんだと思う」

「ふふふ、ありがとう」


 呪術は、相伝の術。

 だから、家系ごとに儀式の手順が違ったり、使用する呪具なども違う。術式は複雑で、他者が容易に盗めるようなものでもないらしい。


「だから、クリーシオはスラットンを婿養子むこようしとして迎えたんだね。子供には、戦士としてでなく呪術師として、先祖からの知識を受け継いでほしいから」

「そうね。いずれ子供が産まれたら、必ず呪術師の道を歩ませたいと思っているわ。まあ、呪力を宿していればだけどね?」

「大丈夫、クリーシオの子供なら、きっとすごい呪力を宿しているよ! はっ、まさか……。身ごもっていたり!?」

「残念ながら、それはまだね」


 閉じたまぶたの先で、クリーシオが笑っていた。


「ところで、クリーシオ。呪術がどんなものかって基本はわかったんだけど。でも、そこで疑問です。スラットンの剣はクリーシオの呪力で刃を大きくするし、リステアなんて呪力を炎のように燃え上がらせて戦うよね? それって、今の色の話とどう関係してくるの?」


 僕の疑問に、クリーシオは良いところに気づきました、と瞑想を終わらせた。

 そして、立ち上がる。


「くっくっくっ。エルネアよ。それはこれから、俺様が身をもって教えてやるぜ!」

「痛いっ!」


 お庭でドゥラネルにこてんぱんにされたスラットンが、鍛錬を終えてお部屋へ入ってきた。そして、八つ当たりで僕を羽交い締めにする。


「てめぇ、人の嫁となに仲良く日向ひなたぼっこしてやがるんだ!」

「ぐええっ、違うんだ。僕はクリーシオから……」

「スラットン、エルネア君になにをしているのっ!!」


 立ち上がったクリーシオは、僕を締め上げてお庭に連れ出そうとするスラットンに思いっきり拳骨げんこつを飛ばした。

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