勉強はお好きですか

「これにこれを加えると?」

「むうむう」


 顕現したユンユンの前で、プリシアちゃんが指折り考え込んでいる。


「汝の指だけでは、数がたらないだろうな」

「んんっと、いっぱい?」

「きちんと考えよ!」

「あのね、プリシアは精霊さんたちと遊びたいよ?」

「遊ばせてやろう。だが、この勉強が終わってからだ」

「むうう」


 ほほを思いっきり膨らませて、教師ユンユンに抗議の意思を示すプリシアちゃん。だけど、ユンユンはプリシアちゃんの愛らしい仕草にだまされることなく、勉強を続ける。

 外庭に面した窓の先では、禁領に住む精霊さんたちが集まってきていて、屋内の耳長族たちを興味深そうに見つめていた。


「あははっ。プリシアちゃん、頑張れぇ。お姉ちゃんは真面目だから、融通ゆうずうは利かないのよね」

「リン、其方も暇ならば精霊術の修行に励め」

「はいはい」


 プリシアちゃんとユンユンの授業風景をからかい半分で見学していたリンリンは、適当な返事をしながら退室していった。

 返事は軽かったけど、お姉ちゃんの言いつけを守って、ちゃんと修行をするんだろうね。


「それじゃあ、エルネア君。儂らも休憩を終えて勉強を再開するとしようか」

「はっ! ここにも厳しい先生がいた!」


 プリシアちゃんではないけど、僕も正面に座るジルドさんを見て顔をしかめる。


「はっはっはっ。そう嫌そうな顔をしなさんな。なあに、儂は優しいぞ?」

「はい。それはよく知ってるんですけどね」


 ここ最近、ジルドさんに修行を見てもらっているセフィーナさんは、ユフィーリアとニーナが作った摩訶不思議まかふしぎな味の料理をオズのところへ届けに行っている。

 その間に、僕はジルドさんから授業を受けているわけです。


 でも、プリシアちゃんのように算術などを教えてもらっているわけじゃない。


「さあて、エルネア君。君はどんな術が使えるかね?」

「ええっと、僕は竜術が使えます。あと、霊樹の術も使えると言えるかな?」

「そうじゃな。エルネア君は人族としては珍しく、竜力りゅうりょくを宿しておる。それに、アレスちゃんの力を借りることによって、霊樹の術も使えるね。では、世の中には他に、どんな術があるかね?」


神術しんじゅつ魔法まほう気術きじゅつ呪術じゅじゅつ。あと、法術ほうじゅつとか」


 教師ルイセイネから受けた授業によると、巫女様は法術しか使っちゃいけないらしい。

 先天的に呪力じゅりょくなどを宿していても、洗礼を受けたら、それ以降はもう法術だけしか使用してはいけないのだとか。


 ジルドさんは、僕の返答に満足そうに頷いていた。

 でも、なんで今更そんな質問を、と僕自身はいぶかしんじゃう。


 昨日。

 僕の惨憺さんたんたる戦いっぷりを聞いたジルドさんは、勉強をしようと僕を促した。

 それで僕は現在、こうしてジルドさんと向かい合っているわけなんだけど。


「では、エルネア君」

「はい!」


 僕が元気よく返事をしたら、同じお部屋で勉強していたプリシアちゃんが真似をして返事をした。そして、真面目にやりなさい、とユンユンに叱られる。

 ジルドさんはそんなプリシアちゃんを見て微笑みながら、僕に更なる質問を投げかけた。


「戦いにおいて、最も警戒しなければならんことは何じゃろうな?」

「むむう……。それは、相手の手の内かなぁ? 今回僕がそうだったように、相手がどんな術や技を使うかわからないって、すごく怖いですよね。一撃必殺の技や、一発逆転の手段を隠し持っていて、それに気づけなかったらとても危険です」


 僕は、ルガの必殺技を素早く見定めることができたから、回避することができた。でも、あの技を見誤っていたら、きっと今頃は身体中を穴だらけにして、竜の墓所で死んでいたよね。


「そうじゃな。相手の手の内を知らない、ということはとても危険で恐ろしいものじゃ。じゃが、初めて相対する者の技や術を事前に熟知している、などという戦いはそうそうないじゃろう?」

「というか、そんな戦いはまず無いですよね」


 戦う前にどれだけ下調べをしていても、初めて戦う相手の全てを知っているなんてことはないと思う。

 ジルドさんは僕の言葉に頷く。そして、言う。


「そうじゃな。だからこそ、どのような戦いにも対応できるように日々鍛錬をするのだし、経験がものをいう」

「経験かぁ……」


 こちらよりも圧倒的に経験を積んでいるだろうバルトノワールに、僕は翻弄ほんろうされてしまった。

 そして、バルトノワール以上に経験を積んでいたアイリーさんによって、撃退された。


「一流の戦士とは、つまりはより多くの経験を積み、どのようなことにも臨機応変に対応できる者のことじゃと、儂は思う」


 はい、と頷く僕。

 ジルドさんは、話を続ける。


「だがね、エルネア君。ならば、経験を積み重ねた熟練者に、未熟者は勝てんのじゃろうか?」

「それは……。そんなはずはないと思います。だって、僕もまだまだ至らないけど、魔族と戦ったら負けないと思うし、竜人族の戦士にだって引けを取らない自信はあります!」


 よわいを重ねた竜人族の戦士は、人族の倍以上の年齢だったりするよね。そして歴戦の戦士は、人族では体験できないくらい多くの経験を積んでいたりする。でも、そんな人たちにも、僕は負けないと思っているよ。


「そう。たとえ強者を相手にしても、経験不足だから絶対に勝てない、ということはない。では、それはなぜじゃね?」


 スレイグスタ老やジルドさんといった僕たちを導いてくれる存在は、簡単には答えを教えてくれない。まずば自分で考えなさい、と促してくれる。

 だけど意地悪ではないので、ちゃんと道標みちしるべは示してくれるんだ。

 この質問の繰り返しにも、きっと意味がある。

 僕はなぜだろう、と自己分析をしながら答えを探す。


「たぶんですけど。それを僕に当てはめるなら、自分の戦い方ができていたから、じゃないかなと思います?」


 竜剣舞の最大の利点。それは、舞踊ぶようの動きで敵を翻弄し、相手を巻き込んでこちらの思うような戦いに導けることにあるよね。


 でも、ジルドさんは僕の答えが満足のいくものではなかったのか、首を横に振る。


「なぜ、自分の戦い方ができるのじゃ? それと、その言い様では、自分の戦いができぬのなら勝てない、ということかね?」

「それは……」


 現に、僕は自分の動きができなかったからこそ、バルトノワールに翻弄されたんだよね。

 逆に、バルトノワールは自分の動きができていたからこそ、僕を圧倒することができたんだと思う。

 だけど、ジルドさんの質問の本質は、そういう戦術面を聞いているんじゃないと気づく。


「勝つ理由……。負ける理由……。そうか。勝ち方にはいろんな方法があるけど、負けるときはいつも一緒ですね。相手の動きや術に対応できなかったときです!」

「そうだね。言い換えると、速く動く、力強く動く、奇をてらったり不意打ちするのも、全ては相手の対応力を上回ることによって、勝利を引き寄せるためじゃな」

「ああ、だからセフィーナさんは流水の動きを学んでいるんですね。水の流れのように自在に反応できるようになるってことは、対応力で相手が上回れないようにする、つまりは負けなくなるってことですもんね」

「そうじゃね」


 ジルドさんはにっこりと微笑んだ。


「しかし、何事にも限界はあるものじゃ。例えば、いくらセフィーナさんが水の流れの動きで敵の攻撃を受け流し続けても、必勝の手がなければ、いずれは体力も精神力も尽きて負けてしまうじゃろう」

「そのために、一発逆転の技を教えているんですよね?」


 竜の墓所では見られなかったけど、僕と話していたときのセフィーナさんは、随分と自信ありげだった。


「あれは、時と場合によっては必殺の技になる、というもので、過信をしてはいかん。と、セフィーナさんの方に話題が逸れてしまったが。では、エルネア君。どうすれば対応力は身につくだろうねえ?」

「それはやっぱり、経験かなぁ……。でも、そう答えると最初に戻っちゃうので、駄目ですよね」


 ジルドさんはいろんな質問を通して、経験を越えてなぜ勝てるのか。どうすれば負けないのかと聞いているんだ。

 むむむ、と頭をひねる僕。


 プリシアちゃんも、ユンユンが出した問題にしかめっ面で向き合っていた。


「プリシア、もう少し頭を使え。十四に十八を加えるのが難しいのなら。先ずは、四に八を加えると何になる?……こらっ、指を使わない!」

「むうう。んんっと……じゅうに?」

「そうだ。なら、十が二つだと?」

「二十?」

「合っている。では、二十にもう十を足すと?」

「三十!」

「よくできた。では、最後に。十四に十八を加えた数字はなんだ? 別々に計算した答えを上手くまとめてみろ」

「んんっと、三十二だよ!」


 元気よく答えたプリシアちゃんを、ユンユンはよくできました、と撫でてあげる。

 そして、次の問題へ。

 一瞬喜んだプリシアちゃんは、瞬く間に顔を曇らせていった。


 頑張れ、プリシアちゃん! と、応援している場合じゃありません。

 僕も、ジルドさんの質問の答えを考えなきゃ、と思考を戻す。そして、気づいた。


「そうか。知識が大切なんだ。戦いにおいて、実力や経験を補う要素で必要なものは、知識なんですね!」


 プリシアちゃんの算術の勉強と一緒だね。足し算や引き算をいかに早く解くかは、何度となく計算を反復していくうちに蓄積されていく法則や知識がものをいう。

 それと同じで、戦いにおいても知識が大切なんだ。


 僕は、竜人族が竜術を使うことを知っている。

 魔族が魔法を使うことを知っている。

 威力は恐ろしく、まともに受ければ無事では済まないことを熟知している。

 経験が足らなくても、知識を活用することで不足な部分をおぎない、その結果、上級者にも勝てたり負けなかったりするんだよね。


 僕の話に、ジルドさんは頷く。


「そうじゃな。エルネア君は実力や経験だけでなく、知識においてもバルトノワールに遅れをとってしまった。じゃから、手も足も出なかったのだろうさ。だが、それを言い訳にしてはいかんぞ? 負けたときに言い訳を言って良いのは、守るものがない者だけじゃ」

「はい……」

一朝一夕いっちょういっせきで、バルトノワールという男の実力や経験を上回れるなどというのは、土台無理な話じゃ。だがね、知識ならどうじゃろう? 運の良いことに、エルネア君にはバルトノワールよりも多くの知恵を持つ仲間がいるじゃろう?」


 部屋を見渡せば、勉強している僕やプリシアちゃんだけじゃなく、ミストラルたちが寛いでいる。そしてそのなかに、アイリーさんの姿があった。


「はい。おじいちゃんやジルドさんや多くのみんなは、バルトノワールより博識で素晴らしい知恵を持っていると思います!」

「では、知識では上回れると思わんかね? 知識で勝てるのなら、エルネア君は奴にも勝てる。弱者が強者に勝てる理由という先ほどの話は、そういうことじゃろう?」

「そうですね! ……でも。バルトノワールの使った術がなんなのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。だから、ジルドさんに助言を貰おうにも、なんて言えばいいのか……」


 相対した者と観戦していた者との相違は説明していた。でも、その術の正体がわからない以上は、的確な助言は貰えそうにないよね。

 それとも、ジルドさんにはバルトノワールの術に思い当たる節があるのかな?

 質問してみたら、知らないとあっさり返答された。

 ついでに、こちらの話に耳を傾けていたアイリーさんも術の正体は知らないわよ、と答えてくれた。


「だがね、エルネア君。そこは儂とて元八大竜王じゃ。これまでに蓄えた知識や経験で補うことができる」

「そうですね。足らない経験を補うのが知識であるように、未知を補うのは経験なんですね」

「そうとも。それでじゃが」


 ジルドさんは、にこりと微笑んで、また同じ質問をしてきた。


「エルネア君は、どんな術が使えるかね? それと、世の中にはどんな術が存在する?」

「それは……」


 休憩直後の問答に戻っちゃった!


 僕は最初の答えをもう一度答えた。

 すると、ジルドさんの次の質問は別のものになった。


「はて、ここで疑問に思わぬかな? 儂は先ほど、エルネア君は人族には珍しく竜力が宿っていると続けた。では、人族は本来どのような力を宿す?」

「ええっと、普通だと人族は呪術を使うための呪力です。……はっ!」

「そうじゃな。魔族は魔力、竜人族は竜力、そして人族は呪力を宿すのが普通だね。ところで、バルトノワールの種族はなんじゃったかな?」


 竜峰で初めてバルトノワールと相対したとき。

 たしか、ニーミアやルイララが言っていたよね。

 認識阻害が入っていて確定ではないけど、バルトノワールはおそらく人族だと。


 ということは……!


「僕は、呪術を使われていた?」

「さて、エルネア君のような例外もあるし、断言はできん。しかし、少なくとも手がかりにはなると思わんかね?」


 そういえば、バルトノワールが手にしていた武器の作りは、呪術の儀式で使う道具のようでもあった。


「さて、そこでもうひとつ質問じゃ。バルトノワールがもしも呪術を使っていたとして。エルネア君は、呪術の知識を持っているかね?」


 言われて、はっとする。

 僕の身内には、呪術師はいない。そして、実は呪術師と呼ばれる人と対峙したことがなく、知識にとぼしいと思い知る。


「どうやら、なにを勉強せねばならぬのか見えてきたようじゃな」


 ジルドさんは満足そうに微笑んで、お茶のお代わりを求めて退出していった。

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