血に濡れた服
「ぐがあっ!」
「おのれ、飛竜ごときの分際で!」
レヴァリアに首を喰らいつかれた方の
だけど、レヴァリアは素早くガフの首から牙を抜くと、対抗心むき出しで咆哮を放った。
レヴァリアの凶悪な牙や口の周りに垂れていた血は、喉の奥から溢れ出た灼熱の炎で瞬く間に蒸発する。
ガフは片方の首から鮮血を大量に飛ばしつつも、空中で器用に身を捻ってレヴァリアの炎を回避する。
「やれやれ。こいつは前にガフが竜峰の空で襲った飛竜か。まさか、こんなところで襲撃してくるとは。だが、相手をしている場合ではないね。ここは退くべきだ、ガフよ」
「言われずとも」
「お前は振り落とされぬように、我の背中に掴まっていろ!」
『臆病者めっ、逃すか!』
レヴァリアは、再度ガフに襲いかかる。
空の景色に溶け込んで撤退しようとしていたガフは、レヴァリアに邪魔をされて苛ついたように喉を鳴らす。そして、レヴァリアの追撃を振りほどくように翼を羽ばたかせた。
「レヴァリア様、回避ですわっ」
『ふふんっ。鈍い攻撃など、当たるものかっ』
レヴァリアの背中には、ライラとミストラルが騎乗していた。
いや、ライラだけはレヴァリアの背中で仁王立ちしていた。
いつもの、引っ付き竜術だね!
「レヴァリア様、逃してはなりませんわっ」
『言われずとも、わかっているわっ。ここで仕留めてやる!』
ガフが大空へ急上昇していく。それを、レヴァリアがものすごい勢いで追尾していった。
レヴァリアの背中から、小さな影が離れる。
上空で小さく羽ばたくと、レヴァリアとガフの空中戦に巻き込まれないように注意を払いながら地上に降下してきた。
ミストラルだ。
「エルネア、みんな、無事かしら?」
いくらミストラルが飛べるといっても、竜族の空中戦にはついていけない。
ガフたちに空へ上がられてしまった以上、空中戦はレヴァリアとライラにお任せするしかない。
ガフの脅しに怖がってしまったニーミアは、ミストラルを追って申し訳なさそうに降下してきた。
「ごめんにゃん」
「いいんだよ。相手は古代種の竜族の成竜だからね」
僕たちはニーミアのもとに集う。
できれば、ニーミアにも協力してもらって、ここでルガを捕らえ、あわよくばバルトノワールたちの企みを潰したい。
ただし、ニーミアだけじゃ危ないので、僕たちも騎乗して。そう思ってニーミアに駆け寄った。
だけど、みんなはニーミアではなく、僕を囲んで顔を
「エルネア、貴方……!」
ミストラルが顔を青ざめさせている。
「エ、エルネア君。今すぐ回復法術を施しますね」
「えっ?」
全員の視線が、僕の首もとに注がれていた。
そういえば、と自分の首を撫でる僕。
ずきり、と痛みが走って、思わず視線を下に向ける。
「うわっ、思ってたよりも切れていたみたい」
僕の
首に触れた手に、ぬるりとした感触が伝わってくる。
あれだ。
バルトノールの、最初の斬撃。
どうやら、みんなが驚くくらいには切れていたみたいだね。僕自身は戦いに集中していたので、傷の具合に気づいていなかったみたい。
「エルネア君、バルトノワールと戦っている最中は調子が悪かったかしら?」
「エルネア君、バルトノワールと戦っている最中は動きが悪かったわ」
「ええっ!?」
ルイセイネの柔らかい手が、僕の首に触れる。それと同時に、首周りが暖かく優しい気配に包まれた。
でも、僕の意識はユフィーリアとニーナの発した言葉に向けられていた。
「僕の動きが悪かった?」
「はい。なんだか、バルトノワールに
ルイセイネも、僕を心配そうに見つめながら、そんなことを言う。
「へんだなぁ。たしかに、瞬間移動から続く超速の動きに翻弄はされていたけど、調子が悪いわけじゃなかったよ?」
「えっ?」
だけど、僕の言葉にミストラル以外のみんなが首を傾げた。
「エルネア君、バルトノワールが瞬間移動を?」
「エルネア君、バルトノワールの動きが超速だった?」
なにを言っているの? とユフィーリアとニーナが眉根を寄せる。
「えっ。でも、ほら……。僕の間合に一瞬で入り込んで……」
「いいえ。バルトノワールは瞬間移動なんてしていませんでしたよ? 私たちが言っているのは、エルネア君らしからぬ反応の遅さで簡単に間合いへ入られたり、竜剣舞を舞えていなかったということで」
そんな……!?
バルトノワールは、たしかに瞬間移動をしていた。そこから続く超速の動きをなんとか捉えるのがやっとで、僕は自分の戦いができていなかった。
それが、違うというの?
僕が体験していた戦いと、みんなが見ていた戦いが別のものだなんて、にわかには信じられない。
だけど、みんなが嘘を言うなんてことはないし。それに、アイリーさんも変なことを言っていたよね?
「エルネア。貴方、本当に大丈夫?」
血を拭ってくれていたミストラルも、僕を心配そうに見つめていた。
「僕は……」
両手を見つめる。片手は自分の血に濡れていて、もう片方にはびっしょりと手汗をかいていた。
僕は、知らぬ間にバルトノワールの術中に
たしかに、戦闘中はずっと違和感を覚えていた。
でも、未だにその違和感の正体がわからない。
ただし、いま言えることは。
バルトノワールは瞬間移動なんてしていないし、超速の動きもしていなかったという事実を妻たちに教えられたことだけだ。
いったい、僕はどんな術に嵌っていたのか……
「どうやら、今のエルネア君にはレヴァリア様の加勢に加わる余裕はなさそうだわ。今回は、私たちよりもエルネア君の方が危険だったわね」
セフィーナさんは、ルガの攻撃を受けるのが手一杯だったようで、僕の戦いは見ていなかったらしい。
だけど、首だけじゃなく全身に傷を負った僕の姿を見て、戦いの壮絶さを感じ取ったようだ。
「……ごめんね。僕が足を引っ張っちゃった」
僕がもう少しまともに戦えていたら。みんなは、確実にルガを捕らえることができていたはずだ。
空を見上げると、レヴァリアとガフの空中戦は続いていた。
レヴァリアが炎を放つ。ガフは空中で一回転して回避すると、お返しとばかりに空間が歪んで見えるような
咆哮や雄叫びが空を満たしていた。
「あと少しで罪人を捕らえられたかもね。でも、エルネア君からすると、本丸に手も足も出なかったことが問題かしら?」
「アイリーさん。……そういえば、アイリーさんもバルトノワールと戦いましたよね。なにか違和感とかありませんでした?」
ここへと駆けつける途中。随分と遠い場所でアイリーさんを追い抜いたはずだけど、駆けつけてくれて本当に助かったよ。
もしも僕だけだったらと思うと、今でも嫌な汗が噴き出してくる。
アイリーさんは、みんなに囲まれる僕を遠目から見つめて、にこりと微笑んだ。
そして、驚くべきことを口にした。
「ええ、瞬間移動をしていたわね。それに、たしかに驚くべき速さだったと思うわ」
「えええっ!」
アイリーさんも、バルトノワールとの戦いで瞬間移動や超速の動きを体験していた?
でも、僕が見ていた感じでは、そんな術や技は一切使っていなかったよ?
とはいえ、これは僕の体験と妻たちが見た戦いとの相違と全く一緒だ。
おそらく、この相違にバルトノワールの見せた戦闘の正体があるに違いない。
「でも、アイリーさんはバルトノワールに遅れをとっていませんでしたよね?」
むしろ、バルトノワールを押し込んでいた。
アイリーさんのおかげで、バルトノワールは不利だと判断してガフを呼んだんだし。
僕の質問に、アイリーさんはまた微笑む。
「それは、ほら。年の功よ」
戦闘経験。対応力。自力の違い。
アイリーさんは直接口にはしなかったけど、僕にそう語っていた。
「ふふふ。負けなかった、今はそれだけで良いんじゃない?
アイリーさんは、傷心の僕を
僕は「次こそは勝ってみせます」と微笑み返して、空をもう一度見上げた。
レヴァリアが降下してくるところだった。
『ちっ。尻尾を巻いて逃げるとは。次に見つけたら、必ずや消し炭にしてくれる』
「エルネア様!」
苛立ちも露わに、荒々しく着地するレヴァリア。ライラはレヴァリアの背中から僕の情けない姿を見つけて、慌てて駆け寄ってきた。そして思いっきり抱きつこうとして、ユフィーリアとニーナに阻止される。
「ライラ。それにみんな。心配させてごめんね?」
「いいのよ。こちらこそ、加勢に来るのが遅れてごめんなさい」
ミストラルは、なにもできなかったことに罪悪感を感じているのか、少し元気がない。
『ふふんっ、軟弱者め。あの程度の奴らに遅れをとるとはな。修行でもやり直したらどうだ?』
「そうだね。どうやら、僕も余裕はなさそうだ」
みんなを大切だと思う。全ての災いから守りたいと思っている。でも、僕自身がこんな有様じゃ、逆にみんなを不安にさせるばかりだね。
「とりあえず、禁領に戻ろうか。多分ルガたちは、しばらくは竜峰に近づかないと思うし」
僕同様に、ルガも散々な目にあった。
全身を負傷していたはずだし、すぐには戻ってこないはずだ。
それに、今回の件で竜の墓所も竜人族の人たちに警戒されていると理解したはずだしね。
これでまたすぐに竜峰へ入って悪さをするようなら、バルトノワールでなくても無謀な男だと
レヴァリアも、今の戦いで負傷していた。
ライラは僕の心配をしたあとにレヴァリアへ駆け寄ると、スレイグスタ老謹製の万能薬を傷口に塗ってあげていた。
「俺たちは、このまま警戒を続ける」
「いや、その前に村へと戻って他の奴らに報告だ」
二人の竜人族の戦士も、ルイセイネから法術をかけてもらって回復していた。
そして人竜化を解くと、足早に竜峰の自然の奥へと消えていく。
『世話になった。礼を言おう』
一時は暴走状態だった地竜も、現在では落ち着きを取り戻している。そして、老竜らしいのんびりとした動きで去っていく。
残った僕たちは、ニーミアの背中に移動する。
アイリーさんも当たり前のように騎乗してきた。
「ミストラルたちはどうする?」
「なにを言っているの。貴方のことが心配だから、禁領へ行くに決まっているでしょう?」
「エルネア様、
どうやら、捜索隊への報告は竜人族の人たちに任せるらしい。
レヴァリアが先に飛び立ったのを確認して、ニーミアも空へと上がる。
念のため、撤退したはずのガフが隠れていないか警戒しながら、僕たちは禁領のお屋敷へと戻った。
「ただいま。こちらは大丈夫でした?」
「平穏そのものじゃ。それよりも、エルネア君は随分と痛めつけられたようじゃな?」
「ううう、情けないですよね」
お屋敷に到着すると、僕の姿を見たジルドさんが心配そうに顔を曇らせた。
僕は「傷はもう癒えましたから」と竜峰での出来事を伝えて、逆にジルドさんから禁領の様子を聞く。
どうやら、耳長族の女性の襲撃はなかったようだ。
バルトノワールの言ったことを思い出すと、なんとなく理解できる。
バルトノワールのもとに集った仲間は、それぞれに目的を持って行動している。
耳長族の女性も、きっと禁領に何かしらの目的があって侵入してきたんだと思う。そして、自分の目的や野望のためだけに動いている。
ということは、誰かに呼応してとか、共同で作戦を展開する、なんて可能性は低いんじゃないかな?
きっと耳長族の女性は、アーダさんに負わされた傷を癒しているはずだ。
だから、ルガの無謀な行動に呼応して侵入はしてこなかった。
僕は、少しだけ胸を撫で下ろす。
もしもバルトノワールの仲間たちに協調性があって、計画的な動きをするのなら、これから危険になる。
でも、その心配は極めて低い。
赤い布を身に付けた者たちは個々に動き、連携しない。それなら、僕たちも各個撃破していけばいいんだ。
まあ、その前にもっと実力をつけて、対応力を磨かなきゃいけないんだけど。
僕は、竜の墓所で起きた戦いと、バルトノワールが見せた奇妙な戦闘をジルドさんに詳しく話す。
ジルドさんは、僕の話をじっと聞いていた。
そして最後に、こう言った。
「エルネア君、勉強は好きかね?」
「べ、べべべ、勉強ですか!?」
鍛錬とか修行じゃなくて、勉強?
体を動かすのではなく、頭を使うあれですか。
机に向かって本を開き、
戦いで血を流しすぎたせいか、僕は顔を青ざめさせてミストラルにもたれかかった。
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