精霊たちの意志

 先制しようと、ミストラルが動こうとした瞬間。


「右です!」


 ルイセイネは、そう叫ぶのが精一杯だった。


 世界に在る全てを視ることができ、未来視のごとく先を読む、ルイセイネの魔眼。その能力を持ってしても、風の精霊王の動きは事後の事象だけしか視えなかった。


「っ!!」


 ミストラルとルイセイネ、二人の眼前には、まだ風の精霊王の姿が残っている。それでも、ルイセイネが声を発した瞬間、それ以前の刹那せつなで、風の精霊王はミストラルの右側に回り込み、細身の長剣を振るう。

 ミストラルは、漆黒の片手棍を勢いよく振るった。

 流星のような青白い光が尾を引く。

 そして、ルイセイネが声を発し終える前に、漆黒の片手棍と細身の長剣はぶつかり合った。


「ほう、我の風を読むか?」


 忠告を発したルイセイネに対してなのか、瞬時に反応したミストラルに対してなのか。風の精霊王は細身の長剣を振り抜いた姿勢で、感嘆かんたんの声を漏らす。


「あら? この程度は驚くべき速度でもないでしょう? エルネアや耳長族が使う空間跳躍ではないのだから」


 そして、同じく漆黒の片手棍を振り抜いた姿勢で、ミストラルが余裕の表情で応えた。


「言うではないか、竜人族の小娘よ。だが、その威勢がいつまで続くだろうな?」


 言って風の精霊王は、またもや実体のような残像を残しながら刹那の間隔で動く。


「うっ!」


 今度は、ルイセイネの背後だった。

 風の精霊王は、ルイセイネの背後から細身の長剣を振るう。

 たとえ動きが視えていたとしても、精神と身体の反応速度が追いつかなければ意味をなさない。

 無防備に立つルイセイネの背中を狙って、風の精霊王は容赦なく斬撃を放つ。


 ぎいんっ、という硬質な衝撃音が樹海に響き渡った。


「言ったでしょう? この程度なんて空間跳躍と比べれば驚くべき移動や動きではないわ」


 ルイセイネをかばうように、ミストラルが漆黒の片手棍で細身の長剣を弾く。

 しかし、風の精霊王はミストラルの反撃に驚く様子を見せることなく、次なる剣戟けんげきを放つ。

 応戦するミストラル。

 樹海の奥で、激しい激突が繰り広げられていく。


 風の精霊王とミストラルの動きに追いつけないルイセイネは、ひとりたたずむ。

 それでも、ルイセイネは自身の目的を見失わずに瞳を輝かせ続けた。


「ミストさん、四方から風の刃です! 二歩、前へ!」


 風の精霊王は、まさに風の如く戦場をひらりひらりと舞い、鋭利な斬撃と暴風を撒き散らす。ミストラルは、ルイセイネを庇いながら的確に応戦していく。


「我を邪魔するということは、すなわち精霊を拒絶することに等しい。何故に理解できぬ? 我はこの地の秩序ちつじょを破壊しようとしているわけではない。我が先導して精霊と耳長族を導き、この地を楽園に変えてやろうと言っているのだ」

「それを傲慢と言わずして、何になるのかしらね?」

「風の精霊王様。貴方様はこの地の精霊や耳長族のことをご存知ではないのです。それでいながらご自身の理想や未来像を押し付けるのは間違っています」


 ミストラルの眼前で細身の長剣を激烈に振るっていたと思った直後には、風の精霊王はルイセイネの間合いに飛び込んでいる。そしてルイセイネに剣を向け、命を狙う。

 ミストラルが素早く反応し、ルイセイネを救う。

 ルイセイネは、自身がどれだけ狙われても怯えることなく立ち続け、ミストラルは全ての攻撃からルイセイネの安全を確保する。

 風の精霊王は、ミストラルとルイセイネの奇妙な関係に眉根を寄せた。


「わからぬな。たしかに流れ星は尊い存在だろうが、なぜ其方が庇う必要がある? 竜人族の小娘よ、其方は神殿宗教の信者ではないのだろう? なにゆえに足手纏いの流れ星の命まで背負うのだ?」


 激烈に武器を交差させながら問う風の精霊王の言葉に、ミストラルはよどみのない笑みを返した。


「それがわからない貴方は、やはりこの地の守護者にはなれないわ」

「ほう?」


 風の精霊王は、自身の言葉と理想を否定され、激しく抵抗されている状態で、ミストラルの言葉と笑みに興味を示した。


「貴方はわかっていない。わたしがルイセイネを庇う理由? そんなものは至極単純明快で、ルイセイネがわたしの大切な家族だからよ」


 そして、それはルイセイネだけではない、とミストラルは渾身の一撃を放つ。

 流星の尾を引く漆黒の片手棍の一撃を、風の精霊王は細身の長剣で受け流す。

 見た目は細くとも、れっきとした精霊剣。ミストラルがどれほどに威力を込めても、折ることも刃こぼれさせることもできない。

 それでも、ミストラルの渾身の一撃を受けて、風の精霊王は後方に吹き飛ばされた。

 しかし、林立する樹海の樹々に激突する前に、風の精霊王はひらりと軽やかに体勢を立て直す。


「貴方は言ったわね。この地の精霊たちは、精霊力のない耳長族以外の者たちと気安く触れ合っていると。それじゃあ聞くけれど。なぜ、精霊は精霊力を持たない者と関わってはいけないのかしら?」

「笑止。それこそ単純明快であろう。精霊力を持たぬ其方らとどれほどに接していても、互いに利益は生まれない。精霊は耳長族を助け、耳長族は森と精霊をはぐくむ。両者の関係の均衡きんこうがあってこそ、精霊も耳長族もすこやかに日々を送れるのだ」

「それが違うのです!」


 ルイセイネの言葉に、風の精霊王は衣をなびかせて反応を示す。


「たしかに、精霊と耳長族の関係は大切かもしれません。ですが、健やかに日々を送ることと、毎日を楽しく過ごすことは違います」


 青く光るルイセイネの瞳に見据えられた風の精霊王は、沈黙で続きを促した。


「その偉大な風で、竜王の森の精霊たちを読み取ってみてください。精霊たちはとても楽しそうでしょう? 共存共栄という相互幇助そうごほうじょのために関わり合っているのではなく、今を、今日を、これからを楽しみたいという純粋な心で、精霊たちはわたくしたちに接してくれているのです」


 精霊たちと遊んであげたからと、見返りを求めたりはしない。顕現して関わり合ってあげたからと、何かを要求されるわけでもない。

 互いに、純粋な心で関係性を深めあい、楽しくあろうとしているのだと、ルイセイネはく。


「それなのに、貴方はこの平和な関係性を崩し、わたしたちと精霊のきずなを無視した耳長族と精霊だけの世界を築こうとしているわ。だから、わたしたちは全力で貴方の野望を阻止しなければならない。貴方は何も知らない。この地で育まれてきた耳長族と精霊たち以外の者たちとの深い絆や関係性を」


 禁領は、特殊な土地であることに間違いはない。

 しかし、その特殊性を維持し発展させてきたのは、エルネアであり禁領に住む多くの者たちなのだ。

 それを、風の精霊王の一方的な理想だけで破壊させるわけにはいかない。

 ミストラルとルイセイネの強い意志は、言葉に乗って風の精霊王に届く。


 しかし、風の精霊王は退かなかった。


「よくぞ其方らの立場を明確に語った。しかし、やはりそれは精霊力を持たぬ者の浅はかな考えでしかない」


 風の精霊王も、負けじと意志を風に乗せて吹かせる。


「今は良いかもしれぬな。互いに楽しいのだろう。しかし、やはりそこには欠けているのだ。精霊たちに安寧あんねいをもたらす者、即ち精霊力を持つ耳長族や賢者の存在が。そして、せっかくの尊き霊樹を守護する偉大な存在が!」


 ごうっ、と強風が吹き荒れる。

 風の精霊王の言葉と意志が風に乗って、竜王の森を吹き抜けていく。


「其方らが何を知り、何を知らぬのか。我もそれはわからぬ。だが、いま確実に言えることは、未来をうれうならば我に従うしかないということだ! そうして我が築いた楽園で、其方らが主張するような関係性を模索することも良しとしよう。しかし、順序を間違えてはならぬ!」


 全ては、精霊と耳長族の正しい関係をいしずえとし、霊樹を護ることを優先させた後なのだ、と風の精霊王はミストラルとルイセイネを吹き飛ばそうと風を荒げていく。


 ルイセイネには、視えていた。

 全てが。


「ミストさん! 竜王の森の全てを覆う風そのものが、風の精霊王様です!」

出鱈目でたらめな力と存在ね」


 ルイセイネのかたわらにミストラルが寄り添う。そうして二人で協力していなければ、今にも風に吹き飛ばされそうだった。

 風の精霊王は勝ち気に、ミストラルとルイセイネに向かって細身の長剣を振りかざした。


「其方らの主張を我自らが拭き払い、この地の精霊たちに示そう。我の意志が正しいのだと!」


 言って風の精霊王は、全力で精霊剣を振り下ろす。

 ミストラルとルイセイネの主張を木っ端微塵に斬り刻むために。


 竜王の森を包む風そのものが刃となって、ミストラルとルイセイネを狙う。それだけではない。竜王の森の迷いの術に囚われたイース家

 の者や流れ星たちをも排除しようと風が巻き起こる様子を、ルイセイネは視ていた。


「……っ!?」


 しかし、結果は風の精霊王が望んだ未来には繋がらなかった。

 それでも、ルイセイネの魔眼は竜の森の全てを視つめ、正確に未来を読んでいた。


「我が風がいだ? ……いいや、違う。我の全ての動きが封じられたと? 風そのものである我が?」


 精霊力を持たないミストラルたちや流れ星を排除しようと、振りかぶられた風の精霊剣。

 だが、刃の切先が振り下ろされることはなかった。

 それどころか、精霊剣を振り上げた姿勢のままで、風の精霊王は完全に動きを封じられていた。


 ふふふ、とルイセイネが微笑む。


「風の精霊王様。これが竜王の森の意志です」


 ルイセイネの言葉に、風の精霊王は僅かに動かせる視線だけで問う。

 いったい、自分の身に何が起きているのかと。

 ルイセイネは答える。


「風は地上を吹き抜けて空を流れます。ですが、貴方様は地面の観察をおこたりました」


 そう言ってルイセイネが指差した自分たちの足もとは、月の影に支配されていた。


「今この竜王の森全体には、大法術『新月しんげつじんおよび重ねの大法術『月蝕げっしょくじん』が施されています。ですが、これはマドリーヌ様や流れ星の方々の暴走ではありませんよ? 竜王の森全体、いいえ、禁領に住む精霊の全てが懇願し、耳長族の方々が願い、その要請を受けたマドリーヌ様と流れ星の方々が大法術で応えたのです」

「理想たる未来を語る我の想いを阻止しようと?」


 はい、と頷くルイセイネ。


「貴方様の風は、竜王の森全体を覆っているのでございますよね? それでは、しっかりと感じてみてください。精霊たちは、楽しそうではありませんか? 耳長族の方々は、必死に精霊との絆を結ぼうと努力していませんか? それに、迷いの術によって迷っている方々は、それでも精霊と仲良く過ごしていませんか?」


 風の精霊王は、重ねられた大法術によって動かない風を通して、改めて竜王の森を読み解く。

 そして、ルイセイネの言葉が正しいことをようやく知った。


 ミストラルが続けて言う。


「精霊王としての貴方の理想は理解できるわ。だけど、禁領にその理想は軽すぎるのよ。この地は、貴方が想い描く理想郷よりももっと素晴らしい未来へと全ての者たちが心を合わせて進んでいるわ。だから、わたしたちが理想とする未来よりも程度の低い貴方の願望に賛同するわけにはいかないわ」

「言うではないか、竜人族の小娘よ」


 下位の存在と見下すミストラルやルイセイネに良いように言われた風の精霊王だが、膨らみ続けていた暴風のような意志は今や完全に凪いでしまっていた。


「其方らは、精霊力を礎とする耳長族と精霊の関係を越え、多くの種族の深い絆によってこの森を、この地を育み理想の楽園とするのだな?」


 ならば、自分がかかげた「耳長族と精霊だけの楽園」という理想は、ミストラルの言う通りに低い願望だろう。

 風の精霊王は理解する。

 この地の特異性。この地の豊かな生態系。この地に住む者たちの高いこころざしを。


 しかし、禁領にはまだ風の精霊王が見落としていた真実が残っていた。


わらわとエルネアの庭で、何を勝手に騒いでいる?」


 妖艶ようえんな声が、風の精霊王の頭上から静かに降ってきた。

 瞬間的に、風の精霊王は認識する。

 尊き存在が、この地この場所に降臨したことを。

 そして、その尊き存在が自分が振り上げた精霊剣の切先に立ち、自分を糾弾きゅうだんしていることを。


「あらあらまあまあ、まさかアレスさんがこちらに顕れるとは思いませんでした」

「貴女が帰ってきたということは、エルネアも戻ってきたのかしら?」


 風の精霊王が振り上げた精霊剣の先端に妖艶な姿で立つ尊き存在、霊樹の精霊たる大人のアレスを見つめて、ミストラルとルイセイネが微笑んだ。

 アレスは、二人の笑みに苦笑で応える。


「いいや、エルネアは置いてきた。霊樹に呼ばれたからな。妾が庇護する精霊たちの住む森に不届き者が現れたとな」

「なんと?」


 アレスの言葉に、風の精霊王が驚く。

 その気配を察知したミストラルが、意地悪そうに真実を口にした。


「そういえば言い忘れていたのだけれど。霊山の山頂の霊樹には、きちんと霊樹の精霊が寄り添っているわよ? ただし、わたしたちのおっとであるエルネアにもいているから、よく外出しているのだけれど」


 エルネア君は忙しいですからね、とルイセイネが可笑おかしそうに笑う。

 そして、アレスも微笑んでいた。


「よもや……。我は最初から勘違いをしていたのだな。この地の者たちが築き上げてきた絆や、いと尊き御方の存在を」


 そうだな、と答えるアレス。


「ようやく理解できたのであれば、もう妾から言うことはない。そうであろう?」


 自身よりも更に上位の存在からふくみのある言葉を向けられてしまえば、あとは風の精霊王とて従うしかない。

 しかし、自分の過ちを理解し、霊樹の精霊に言われて敵対心を消したとしても、風の精霊王の自由は戻ってこなかった。


「困ったわね。貴方の敵意と理想とする意志を読んだ精霊たちに請われてマドリーヌたちは呪縛の大法術を張ってくれたのでしょうけど。こちらの状況を伝えられなかったら、解除してもらう手立てがないわ?」


 ミストラルが、そう困惑した時だった。


「わわっ、わー! 何か大変な事態に遭遇してしまったのでしょうか、ミスト様?」

「カミラ!?」


 樹海の奥から淡い光を放つ数多くの精霊たちを引き連れて現れたのは、流れ星の巫女のひとりであるカミラだった。

 だが、それは本来であればあり得ない。そう驚くミストラルとルイセイネ。


 竜王の森の最奥部。精霊の里に通じる道は、耳長族の村を通過しなければならない。そして、最奥部へと通じる樹海は、たとえ流れ星といえども案内できないと判断していたからこそ、ミストラルとルイセイネは二人で入ったのだ。

 しかし、カミラが樹海の奥に現れた。

 それで、ミストラルとルイセイネは心底に驚く。

 一方のカミラは、驚愕きょうがくするミストラルとルイセイネを見つめて、不思議そうに小首を傾げた。


「迷いの術にはまったら、ミスト様が迎えに来てくださるのですよね? 私はミスト様に案内されてここに来たのではないのでしょうか?」

「あ、貴女は……」


 はあ、とため息を吐いたのはミストラルだった。

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