生贄が必要です

 場の雰囲気を壊すようなカミラの突然の登場に、風の精霊王も驚いていた。

 しかし、それはミストラルやルイセイネとは違った意味で。


「この森では、顕現さえもままならぬような幼き精霊たちでさえも、ああして姿をあらわすのか。しかも、精霊力をわずかほども持たぬ人族に対して」

「言ったでしょう? 禁領や竜王の森に住む者たちは、そういう絆をこれまでに築き上げてきたのよ」

「無論、既に理解している。しかし、感じ理解していることと、こうしてたりにすることは違う。己の風に影響を受けてこそ、真に学べることもあるのだ、竜人族よ」


 小娘、とは続けなかった。

 それは、風の精霊王がミストラルやルイセイネたちを正しく認めている証拠だった。


「わー、すごい気配の御方おかたですが、新月の陣に囚われていますね? 大丈夫なのでしょうか? わわわっ、それにすごい剣の先に、とっても美しい女性が立っています? あれれ? どちらかで見たような容姿ですよ?」


 自分なりに状況を把握しようと、カミラが大きな瞳をくりくりと輝かせて周囲を観察する。

 その愛くるしくも幼さが残る仕草に、カミラは本当に自分たちよりも年上なのかしら、と内心で苦笑するミストラル。

 と同時に、名案を思いつく。


「カミラ」


 ミストラルに声を掛けられて、うさぎが跳ねるような軽やかさで傍に走ってくるカミラ。

 カミラを追うように、淡い光の精霊たちも寄ってきた。ただし、風の精霊王を気にした様子で。


「ふふふ。そうね、さっきまであれほど風を撒き散らせていたのだもの。怖いわね? でも、安心して。風の精霊王はもうわたしたちと争う気はないわ。ほら、アレスを見てごらんなさい? アレスがいるのだから、安心できるでしょう?」


 ミストラルの言葉に、カミラと共に寄ってきた淡い光の精霊たちが安心したようにふわふわと漂い始める。

 淡い輝きを目で追いながら、ミストラルは精霊たちにお願いした。


「誰か、マドリーヌのもとへと行ってくれないかしら? そうして法術を解いてもらえると助かるのだけれど?」


 ミストラルの願いに、多くの精霊たちが応える。

 ふわり、とミストラルたちの周りに漂っていた精霊たちが樹海の奥へと飛び去っていく。


「精霊の言葉を聞き、精霊と会話する。それだけでなく、今のように願い願われ、互いに共存しあっている。見事だな。精霊力を持たずとも、其方らは確かに共存共栄を果たしている」


 風の精霊王が感心したように声を漏らした。


「あら、この程度で感心していたら、きっとこの先はもっと驚くことになるのじゃないかしら?」


 ミストラルは、意味深な瞳でアレスを見つめた。

 ルイセイネが可笑しそうに笑っている。

 カミラは残った精霊たちと共に、周囲の状況をつぶさに観察しようと今でも瞳を輝かせながら見渡していた。






 程なくすると、地面を染めていた月の影が消えた。

 それでようやく風の精霊王は自由を取り戻す。

 もしかすると、風の精霊王がその気になれば、大法術でさえも破られていたかもしれない。それでも最後まで抵抗することなく囚われていたのは、ミストラルやルイセイネの言葉に納得したからであり、霊樹の精霊が降臨したからでもある。


 呪縛が解かれ、自由を取り戻した風の精霊王。しかし、顕現を維持したまま、その場に残る。

 アレスは精霊剣の剣先から離れると、ミストラルたちと並んだ。


「それでは、行くとしようか。手の掛かる赤子だ」


 そして、アレスは歩き出す。

 樹海の奥、精霊の里に向かって。

 そこで、ミストラルが困惑の声をあげた。


「アレス、ちょっと待ってちょうだい」


 アレスを呼び止めたミストラルの視線は、カミラに向けられていた。

 けっして、邪険じゃけんにしているわけではない。しかし、精霊の里という、精霊や耳長族にとって最も神聖な場所へカミラをともなって向かっても良いのかと、ミストラルの視線は語っていた。

 アレスは振り返ると、事もなげに返事する。


「構わぬだろう。流れ星を案内しても、害はない。むしろ、生贄いけにえに丁度良いではないか」

「わわ、わー!」


 生贄にされる、とカミラはミストラルの背後に慌てて隠れる。

 精霊たちが真似して、ルイセイネの背後に隠れた。


「ふふふっ、この森の精霊の半分は、竜の森から移住してきた悪戯好いたずらずきな者たちだからな。精霊の里に辿り着くまでの生贄は、多ければ多い方が良かろう?」

「貴女たち精霊は、まったくもう……」


 ミストラルとルイセイネは、苦笑するしかない。

 竜峰の東側に広がる竜の森でも、何度か精霊の里を訪れたことがある。その時は、精霊と深い絆を結んだ耳長族たちでさえ、全身全霊を賭けて挑んでいた。

 どうやら、竜王の森でも同じような試練が待ち構えているようだ。

 それならば、とミストラルはカミラの手を笑顔で取った。


「カミラ、精霊の里へ案内してあげるわ。ほら、あなた達精霊も、他の流れ星たちを案内してきなさい」

「わー! わー! 生贄にされちゃいます?」

「カミラさん、安心してくださいね? 命のやり取りとか、何かが犠牲になるようなものではないのです。アレス様もミストさんも、冗談で大袈裟おおげさに言っているだけですからね?」


 そう言うルイセイネも、カミラのもう片方の手を取って、微笑んでいた。






「わ……わわっ……。わぁ……」


 疲れ切った表情でカミラや他の流れ星たちが精霊の里へとたどり着いたのは、夕刻も深まってきた頃合いだった。


 流れ星の全員が、疲労困憊ひろうこんぱいしていた。

 多くの者たちの衣服は乱れ、なかには長い髪を乱したままの巫女もいる。

 逸如何いついかなるときも清く正しくあるべき巫女にとしては有るまじき光景だったが、幸いにも精霊の里には流れ星たちとイース家の妻たち、そして精霊たちしかいない。

 道中で全てを出し切った流れ星の巫女たちは、身嗜みだしなみを整えるよりもまず先に、外聞がいぶんを後回しにして自身の心と身体の疲れを癒すことを優先させていた。


「ま、まさかこういう事態におちいるとは……」

戦巫女いくさみことして数多くの試練や戦場に挑んできましたが、ああいう状況は初めてですね」

「前から悪戯好きな精霊たちだとは思っていたのですが。プリシアちゃんがいなくても、すさまじいですね」

「むしろ、プリシアちゃんがいなかったからでは?」

「ユン様やリン様だけでなく、イース家の方々も大変な悪戯にあっていたようですし、これが精霊たちなりのもてなしなのでしょうか?」


 精霊たちの悪戯に疲れ果てて放心状態の流れ星もいるなかで、それでも全員が無傷で精霊の里に辿り着いた。

 まずはひと息つき、乱れた息と身嗜みをゆっくりと整えながら、流れ星たちは最終目標地点の様子を伺う。


 精霊の里に入った直後から、全員が感じていた。

 深い自然が織りなす澄んだ森の気配が一変し、神秘的な風景と幻想的な雰囲気が漂う世界に入ったと。


 流れ星たちの視線の先には、森の奥であるにも関わらず折り重なった分厚い枝葉の天上を貫いて差し込む柔らかい陽光に包まれた花畑が在る。

 全ての季節の花が咲き乱れ、澄み切った風に乗って精霊の里全体に花弁はなびらが舞う。

 花吹雪はなふぶきに合わせて数多くの精霊たちが踊るその先では、雨上がりでもないのに綺麗な虹が夕刻に暗がり始めた空へ向かって伸びていた。


「もうすぐ日が暮れるわね。これから耳長族の村へ戻るのも大変だから、今夜はここで野宿かしら?」


 ミストラルの指揮で、イース家の者たちは手早く夜営の準備に取り掛かる。

 ユフィーリアとニーナはアレスにお願いをすると、謎の空間から食料を出してもらう。ユンとリンが近くの沢から水を汲み、マドリーヌが寝床を準備していく。

 疲れ切ってまともに動けない流れ星たちの分まで、イース家の全員が働く。


「私たちも慣れるまで大変だわったわ」

「私たちも最初は疲労困憊だったわ」

「ですので、私たちにお任せください」


 普段は少しなまけがちのユフィーリアやニーナ、それにマドリーヌが、流れ星たちに気を遣いながら準備を進めていた。

 精霊たちは、道中で十分に流れ星たちとたわむれて満足したのか、今は野営の準備を進めるユフィーリアたちに付きまとって遊んでいた。

 様子を見守っていたアレスは、精霊の里で賑やかに動く者たちから視線を外す。

 そして、精霊の里の中心の花畑、その中心から天へ昇る虹の根元に見える、極小の森へ意識を向けた。


「精霊の里での夜営を許す。しかし、日が暮れる前に問題は解決しておくべきだな」


 ミストラルとルイセイネが代表して、夕刻になっても変わらず陽光が差し込む神秘的な花畑へ踏み込む。

 花畑の中心には、竜王の森を凝縮し、箱庭程度の大きさまで縮小したような、小さく可愛らしい森が在った。

 小枝よりも細い木々が深く林立し、極小の森になっている。

 森の中心には、赤や青や黄色といった宝石色の美しい石が重なった塔が建っていた。


 ミストラルとルイセイネは極小の森を見下ろしながら、手前に座り込んだ。

 そして、中心の石の塔へ向かって優しく声を掛けた。


「森の精霊様、出てきてくださいな。風の精霊王様はもう暴れたりしませんよ?」


 竜王の森の、未来の守護精霊。森の精霊王の赤子が精霊の里に引き篭もった理由。

 それは、外来から吹き込んできた風の精霊王におびえたからだった。


 禁領と精霊の森を支配しようと、威勢良く風を吹かせた風の精霊王。

 まだまだ小さな存在でしかない森の精霊王の赤子には、太刀打ちできない。

 それで、結界としての機能を有する精霊の里に引き篭もり、助けを求めていた。


 しかし、大賢者のユーリィやユンやリンが率先して動いてしまうと、風の精霊王を余計に刺激してしまうかもしれない。

 耳長族と精霊との共存共栄をかかげる風の精霊王の意志を賢者たちが否定すれば、耳長族と精霊との関係を崩す可能性もあった。

 ユーリィがミストラルたちに事態解決を託した理由と、森の精霊王の赤子が引き篭もった原因。その全てを排除した今。


 ルイセイネの巫女らしい慈愛に満ちた優しい言葉を受けて、宝石色に重なった石の塔から、精霊が顕現してきた。


「ミスト、ルイセイネ、怖かったよぅ」


 人の言葉を正しく口にする、幼い赤子。

 ようやく二足で立てるようになった様な覚束おぼつかない足取りで、両手を軽く広げて待つミストラルの胸へ飛び込もうと、よたよたと歩く。

 しかし、森の精霊王の赤子がミストラルの胸にたどり着くことはできなかった。


「軟弱者め。妾の手をわずらわせおって」

「アレス様! きゃあっ。ミスト、ルイセイネ、助けてっ」


 悲鳴をあげる森の精霊王の赤子をつまみ持ち上げたのは、アレスだった。


「良い機会だ。其方を風の精霊王に預け、しばし鍛えてもらうとしよう」

「そんなっ、ご無体むたいなっ」


 風の精霊王も、アレスの許しを得て精霊の里を訪れていた。

 その風の精霊王が、花畑の外で端正な顔を歪ませて苦笑していた。


「偉大なり、霊樹の精霊様」


 どれほどに世界を巡った精霊であろうとも、特別な宿命を帯びた霊樹の精霊には敵わない。

 それはもちろん、生まれて数年しか経っていない森の精霊王の赤子も同じこと。

 ぽいっ、と無造作に放り投げられた森の精霊王の赤子を、風の精霊王は渋々と受け止めた。


 精霊たちのやりとりを見ていたミストラルが言う。


「森の精霊王の赤子も、女型ね? おかしいわね。この場にはエルネアがいないというのに」

「あらあらまあまあ、ミストさん? エルネア君はいませんが、半身のようなアレスさんがいらっしゃるではありませんか?」

「エルネアの影響力は、困りものね」


 森の精霊王の赤子が大人の姿をとれるまで成長したあかつきには、いったいどういう容貌の女性になるのやら、とミストラルとルイセイネは笑い合った。

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