暴風の来客者

「嫌な風ね」


 乱れた髪を整えるミストラルと、森の奥へ流れていく風を視界に捉えるルイセイネ。

 そして、ユーリィは苦笑する。


「困りましたねえ。私やユンやリンが動いても良いのですが、それではかどが立ってしまいますからねえ。やはり、これは貴女たちにゆだねるしかないわねえ」


 いったい何を、ユーリィはミストラルやルイセイネに託したのか。

 なぜ、森の精霊王の赤子の問題を耳長族の賢者たちが解決に乗り出すと、角が立つのか。

 ミストラルとルイセイネは、意味深な言葉をつむいだユーリィに問いただすことなく、歩き始める。

 風の奔り去った森の奥へ向かって。


 竜王の森の最奥部に在る精霊の里へ向かうためには、耳長族の村からより深い樹海に足を踏み入れなければならない。

 そして、森の深部に向かうにつれて、迷いの術もより深く複雑になっていく。

 禁領の森と精霊たちに関わりのない部外者を厳しく選別する、竜王の森の迷いの術。

 しかし、ミストラルとルイセイネは迷いの術に惑わされることなく、樹海の奥深くへと進む。


 精霊たちが、わらわらと集まり始めた。

 顕現する者。姿は見せずとも、二人の周りを元気良く駆け回る者。

 ミストラルは気配で精霊の存在を察知し、ルイセイネは竜眼りゅうがんる。


「貴女の瞳は、ますます厄介になっていくわね?」

「ふふふ。今では竜気だけでなく色々なものが視えますからね。ですが、視えすぎて視界が賑やかすぎるのも困りものです」

「その辺りは、後日におきなへ相談してみましょうか。貴女の魔眼がより良い方向へ成長してくれることを期待しているわ」

「はい。エルネア君の心まで読めるようになったら楽しいのですが」

「あら。今でもエルネアの心なんて表情で読めるじゃない」

「そうですね」


 賑やかな精霊たちの相手をしながら、楽しく会話を続けるミストラルとルイセイネ。そうしながら、歩みは確実に精霊の里へと向いている。


 ルイセイネの巫女装束に潜り込もうとした鳥の精霊から、ルイセイネはひらりと逃げる。

 ミストラルへ果敢に挑もうとした人型の精霊は、ミストラルにひと睨みされると悲鳴をあげて逃げだす。

 わいわいがやがやと、賑やかな樹海の奥。

 精霊の里に近づくにつれて、より一層に精霊たちが集まり、騒ぎも際限なく拡大していく。


 しかし、そのお祭り騒ぎは唐突に終わりを迎えた。


 ごうっ、と強い風が樹海の奥を激しく奔り抜けた。

 すると、これまで無邪気に騒いでいた精霊たちが、一斉に散り散りとなって退散していく。

 ある者は地中へ。ある者は樹海の奥へ。ある者は大樹の内側へ。そうして、ミストラルとルイセイネの周りにひしめき合っていた精霊たちは、瞬く間に姿を消した。


「どうやら、森の精霊の赤ちゃんが引き篭もってしまった原因は、この風のようね?」

「ミストさん、気をつけてください。風の精霊王様です」


 樹海の奥で荒ぶる風にミストラルはため息を吐き、ルイセイネは虚空こくうに視点を定めて見据えていた。


『顕現していない我を視認するか、流れ星よ』


 ルイセイネの視界に捉えられたことを察知した風が、樹海の樹々をゆさりと震わせる。


「はい。視えています。そして、あなた様の声もわたくしたちには届いています」

『ほう?』

「偉大な風の精霊王よ、どのような要件でこの森の風を乱すのかしら?」


 顕現していない、まさに風として存在する風の精霊王を正確に視認し、言葉でない声を正しく聴き取る。ルイセイネの反応に、風の精霊王は興味を示したように風を奔らせた。

 そして、ミストラルの問いに風を吹かせて応える。


『我は、大陸の中央たる聖域で生まれ、幾度も世界を流れめぐった風である』


 精霊は、生まれた場所に居着く者と、自由気ままに世界を渡り歩く者がいる。

 大抵は生まれた場所こそが精霊の住みよい環境、生まれた意味のある領域であるため、一定の場所に居着くことが多い。

 火山地帯には土や火の精霊。海や川には水の精霊といったように、環境に合わせて精霊たちの属性がかたよることもある。


 竜の森の精霊たちがユーリィたち耳長族と移住してきたのも、精霊の大半が移り住むことに慣れていないためであったり、現地の精霊たちも移住者に慣れていなく、間を取り持つ者が必要だったからだ。


 そのなかで、いま竜王の森を揺らす勇ましい風は、大陸中をまさに風のように流れて渡り歩く存在のようだ。


 風の精霊王は言う。


けがれのない稀有けうなる原生地。遥か高き山のいただきには、霊樹の息吹いぶきを感じる。緑豊かな大地には数多くの精霊たちが住まい、この森は叡智えいちに長けた絶大な精霊力をたたえる大賢者によって守護されている』


 しかし、と風の精霊王は荒ぶる風を巻き起こす。


『霊樹の息吹はあれど、いととうとき精霊の気配はなく、豊かにはぐくまれた精霊たちは精霊力を持たぬ耳長族以外の種族と気安くたわむれるばかり。終いには、賢者の資質を持つ者から禁忌きんきの臭いまで漂ってくるではないか』


 風の精霊王の高揚こうようしていく気配に合わせて、ミストラルとルイセイネを巻き込む風は強く荒々しくなっていく。


『よって、我は天命を定めたのだ。この我がこの地の精霊王となり、全てを正しき世界に導こうと。霊樹に尊き精霊を呼び寄せ、森と大地の精霊たちには己の矜持きょうじを、耳長族には共存とは何かを教育してろうではないか。そうしてこの地は、我と霊樹の精霊と大賢者によって、精霊の楽園となる』


 ざあっ、と濃い風が樹海の奥から竜王の森全体へと吹き抜けた。

 風の精霊王の意志を乗せた風は、更に竜王の森を越え、禁領全体へと吹き広がっていく。

 そこへ、ルイセイネが声を掛けた。


傲慢ごうまんでございますね、風の精霊王様」

『なに?』


 巫女然としたルイセイネの、巫女らしからぬ語気の強い言葉に、風の精霊王は問い直す。


『流れ星よ、其方は何と言った? 我が傲慢だと?』


 これまでよりも一層に増した濃密な風が、ルイセイネだけでなくミストラルも巻き取る。

 それでもミストラルは狼狽うろたえず、ルイセイネは毅然きぜんとしていた。

 そして、ルイセイネは改めて風の精霊王に言う。


「あなた様は、たしかに立派な風の精霊王様でいらっしゃいます。聖域でお生まれになり、世界を何度となく巡ってこられたのでしょう」


 ですが、と続けるルイセイネの竜眼は、しっかりと風の精霊王の存在を視認していた。


「あなた様は、この地に来て間もないと存じあげます。その上で言わせていただきます。この地にはこの地に暮らす者たちが築きあげた営みや関係性があるのです。そこにはあなた様が知らないこと、思いもしないことが数多く含まれていることでしょう。それをご自身の見識だけの解釈で否定されるのは間違っています。禁領に住むわたくしたちや耳長族の方々、そして精霊や霊樹ちゃんの意志を確認することなくご自身の主張のみを通そうとするお姿は、傲慢でございますよ?」

『言うではないか、流れ星よ!』


 豪風が吹き乱れる。

 ミストラルとルイセイネを容赦なく吹き飛ばそうと風は乱れ、樹海の樹々が激しく揺れた。

 しかし、ミストラルもルイセイネも吹き飛ばされることなく大地に立つ。


あきれたわね」


 ミストラルが一歩前へと出る。


「精霊王がどれほどに高貴で尊い存在かということは、ユーリィ様や耳長族たちの教えでよく知っているわ。だけど、あなたの主張は呑めない。あなたは単に、運良く守護者不在の豊かな土地を見つけたから、自身に都合の良い理由を見つけて強引に自分の支配地域にしようとしているだけだわ。そして、その計画を阻害するわたしたちの言葉に耳を傾けることもなく、力で問題を解決しようとしている。それが本当に偉大な精霊王の所業なのかしら?」


 ミストラルの主張に、風の精霊王は暴風を撒き散らしながら激昂げきこうした。


『我は風の精霊王! 精霊たちの父であり母であり、下位の精霊を守護し導く者なり! 精霊力さえ持たぬ竜人族の小娘と流れ星如きが、我に指図するつもりかっ!』


 ルイセイネの竜眼でなくとも見える。

 緑色に可視化した荒れた風が激流のように流れ、ミストラルとルイセイネに襲いかかる。

 だが、それでも二人は動じない。


「脅しても無駄よ。この程度の風なんて、エルネアの巻き起こす嵐の竜術に比べれば微風そよかぜのようなものだわ」


 ふっ、と不敵に笑みを浮かべるミストラル。


「流れ星のルイセイネが言った通り。あなたはまだこの地のことを何も知らない。それでもなお、自身の主張を押し通すというのなら!」


 ミストラルが、腰に帯びた漆黒の片手棍を抜き放つ。


「わたくしたちが、お相手いたします!」


 ルイセイネが、瞳を青く光らせて風の精霊王を見据えた。


『よもや、大賢者でも耳長族でもなく、精霊力を持たぬ小娘二人に良いように言われるとは。よかろう、其方らを排除し、我の主張をこの地にとどろかせようではないか!』


 これまで竜王の森の奥深くを支配する樹海から森の外側へと向かって吹き荒れていた風が、風向きを変えた。

 樹海の奥。風の精霊王が存在する地点へと風が収束していく様子を、ルイセイネはしっかりと視ていた。

 そして、ミストラルが感じ、ルイセイネが視認する先で。


 風の精霊王が顕現する。


 緑色の長い髪を風になびかせ。端正な顔立ちに、長身の上背。長い手脚が美しく伸びた容姿は、まさに絶世の貴公子。

 右手には、風色の細い長剣が握られていた。


 精霊力を持たないミストラルとルイセイネにも、顕現した風の精霊王の圧倒的な気配は強く伝わっていた。

 風の精霊王が手先をわずかに動かすだけで、恐ろしい突風が巻き起こるだろう。殺気の乗った風は木っ葉の如く全てを斬り刻み、精霊王の意志は風に乗って何処まででも流れていくに違いない。


 しかし、それでもミストラルとルイセイネは退かなかった。

 ミストラルが苦笑混じりに言う。


「あら。やはりわたしたちだけだと精霊王の姿は男になるのね? エルネアがいると、精霊たちの殆どは女性の姿になるのよね」

「エルネア君の影響力が強すぎるのですね」


 精霊には、本来は性別などない。

 それでも使役者のついとなる性別で顕現するのは、男ならば女、女ならば男という対照の存在であろうと精霊が無意識に認識するからなのだと、ミストラルやルイセイネは教わっていた。


 そして、今。

 ミストラルとルイセイネの前に顕現した風の精霊王の性別に、思わず笑みがこぼれてしまう。

 どれだけ女性がいても、エルネアが近くにいれば精霊は女性の姿を取ることが多い。だが、それはやはり特殊な現象なのだと、風の精霊王によって実証された。

 それが笑みを誘う。


 しかし、威厳高く顕現した風の精霊王は、対峙者が自身におびえやおそれを抱くことなく笑みを浮かべる姿に、不愉快感を示す。


「精霊力を持たぬ其方らに、精霊王たる我が慈悲深くも精霊とはなんたるかを教育してやろう」

「あら、それは間に合っているわ。逆にわたしたちの方が、禁領の流儀を貴方に教えましょう」


 言ってミストラルは、手にした漆黒の片手棍を風の精霊王に向かってかざす。

 風の精霊王は、細身の長剣を優雅に降り構えた。

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