精霊はお好きですか?

 淡い光を放つ精霊に向かって手を伸ばし、一歩分だけ道から足を踏み外した。

 たったそれだけだった。

 しかし、そのたった一歩が竜王の森では大きな一歩になるのだとカミラが気づいた時には、既に遅かった。


「わわ、わー! どうしましょう、迷子になってしまいました!」


 ほんの少し前まで傍らにいたはずのミストラルや同僚たちの姿が、カミラの視界から忽然こつぜんと消失していた。代わりに、深い森の風景が何処どこまでも続く。

 晩夏の熱が残る昼の陽射ひざしを、幾重にも重なった枝葉がさえぎっている。それでも森全体が明るいのは、陽光を受けた葉が緑色に眩しく輝き、地上を美しく照らしているからだ。


 しかし、見通しの良い森の奥には、仲間たちの姿どころか気配さえない。

 唯一、カミラの視界に映る自然以外の存在といえば、触れようとしていた淡い光を放つ精霊だけ。


「わー、迷っちゃいましたね? これってあなたの罠ですか? それとも、不可抗力?」


 淡い光の精霊に向かってカミラが手を伸ばすと、びくんっ、と精霊は微かに震えて逃げるように離れた。

 しかし、すぐにまた距離を詰めてくる。そうしてカミラの周りをふわふわと不安定に漂う淡い光の精霊。

 カミラは、じっと淡い光の精霊を見つめて、動きを観察する。


 カミラが手を伸ばしたり視線を向けると、淡い光の精霊は何かにおびえた様子で離れてしまう。それでも、またすぐにカミラの側に寄ってくると、ふわふわと漂う。


 カミラは、これまでの経験で知っていた。

 精霊は、力の強さで顕現けんげんしたときの姿や能力に差があるということを。


「んんっと、いいですか? 精霊さんは人の姿に近づくほど偉い精霊になるんですよ?」

「プリシア、それでは説明が不足している」

「むう。それじゃあ、プリシアの代わりにユンユンが説明しますね?」

「あははっ、プリシアが面倒をお姉ちゃんに丸投げしたわ」

「やれやれ、其方が教師役で遊びたいと言い出したのだろう。仕方ない」


 人族とは違い成長の緩やかな耳長族は、実年齢と精神年齢に人族とは違う差が生まれるということを、禁領に滞在している流れ星たちはプリシアを通して知った。

 同時に、そのプリシアやお目付役のユンやリンから、精霊について多くのことを学んできた。


 だから、カミラは自分の周囲をふわふわと漂う精霊が人の言葉を話せないということを知っている。

 それでも、どれほどに下位の精霊であっても、こちらの言葉を理解しているということも知っていた。

 そして、全ての精霊には意志があり、様々な思考や性格によって、豊かな個性を持っているということを理解していた。


「わー。もしかして私が怒っていると思っているのでしょうか? それでも私を心配してくれていて、逃げたりしないのですね?」


 淡い光の精霊に気を取られたせいで、カミラは竜王の森で迷ってしった。その原因となった精霊は、カミラの周りを漂う。

 しかし、カミラの動きに怯えたような反応を示したり、それなのに心配そうに寄り添う様子を見せたり。

 淡い光の精霊の動きを観察し、この精霊の思考と個性を読み取ったカミラは、そう結論付けた。


 だから、カミラは優しく微笑む。

 精霊の不運を払拭ふっしょくするように。

 自分は怒っていないのだと表すように。


「大丈夫ですよ? だって、ほら。ミスト様は逸れたら迎えに来てくれると言っていましたけど、森は危険だから注意しなさいとは言わなかったでしょう? だら、わたしは大丈夫ですよ」


 むしろ、迎えが来てくれるのなら安心して行動できますよね? とカミラは年齢の割に随分と幼く見える笑みを振り撒く。

 すると、カミラの心が精霊に伝わったのか、怯えたり心配していた様子の精霊の気配が和らぐ。

 ふわり、とカミラの側にこれまで以上に寄ってきた精霊が、ふわふわと楽しそうに漂いだした。


「わわっ、わー!」


 そして、カミラは驚く。


 これまで、淡い光を放つ精霊が一体だけ自分の相手をしていると思っていたのだが。ぽつり、ぽつり、とカミラの周りに淡い光の粒が幾つも顕れ始めた。


「気配を感じられないだけで、精霊さんは他にもいっぱいいたのですね」


 カミラが手を伸ばすと、今度は多くの精霊たちが楽しそうに周囲に集まりだす。


「わー、賑やかになってきましたね。それじゃあみんなで一緒にミスト様たちを探しに行きましょう」


 カミラの言葉を受けて、淡い光の精霊がカミラの広げた手のひらの上にふわりと乗った。

 熱も重量も感じない。それでも、カミラは微かだが生命の温もりを確かに感じた。


 カミラの周りを楽しそうに漂う精霊たち。

 たとえ森の奥で迷ったとしても、これならば不安も孤立感も感じない。

 そして、どうやら精霊たちは自分と一緒に行動してくれるらしい、と意思を読み取ったカミラは、臆することなく深い森を精霊と共に歩き始めた。






「双子だわ」

「ユフィとニーナみたい」

「どちらが姉かな?」

「どっちが妹かしら?」


 ヴィレッタとヴィエッタ、双子の流れ星。

 衣服に潜り込んだ精霊をようやく追い払い、巫女装束を脱がそうとする子犬型の精霊がやっと諦めたかと思ったのも束の間。

 双子の流れ星は、気付くと同僚たちから逸れてしまっていた。


「ユフィ姉様、早速迷ったわ」

「ニーナ、早速惑わされたわ」


 ヴィレッタとヴィエッタの唯一の救いといえば、その迷いの術にはまってしまったのが自分たちだけでなく、ユフィーリアとニーナも一緒だったことだろうか。

 それでも竜王の森で迷ったことには変わりなく、不安げに周囲を見渡す双子の流れ星。

 二人の視界には、空中を漂う形容し難い低位の精霊から、小さな子供くらいの姿をとる高位の精霊たちまで、数多くの精霊が映り込んでいた。


 精霊たちは、自由奔放じゆうほんぽうに動き回る。

 ある精霊はユフィーリアとニーナにちょっかいを掛け、ある精霊は気の向くままに漂う。そしてある精霊たちは、ヴィレッタとヴィエッタに興味を示して近寄ってきた。


「ユフィとニーナは、区別がつかないんだ」

「こっちの双子は区別できるかな?」


 どうやら、竜王の森の精霊たちにとって馴染みの深いユフィーリアとニーナと同じ双子のヴァレッタとヴァエッタに、精霊たちは深く興味を示しているようだ。と流れ星の双子姉妹は読み解く。


「ふふふ。わたくしが姉のヴィレッタですよ」

「そしてわたくしが妹のヴィエッタです」

「さあ、それじゃあ当ててもらいましょうか?」


 ヴィレッタとヴィエッタはお互いに手を取り合って、その場でくるくると回り始める。

 二人の動きを見逃すまいと精霊たちも追うようにぐるぐると回り始めて、場が賑やかになり始めた。


「ヴィレッタは遭難したことを気にしていないようだわ?」

「ヴィエッタは精霊たちの悪戯いたずらを気にしていないようだわ?」


 そして、竜王の森で同僚たちと逸れて迷ってしまったヴィレッタとヴィエッタの様子を、ユフィーリアとニーナが見守る。


 ユフィーリアとニーナは気づいていた。

 ヴィレッタとヴィエッタが、自分たちにまとわりついた精霊に気を取られている間に、先導役のミストラルとルイセイネがそっと離れて行ったことに。

 自分から道を踏み外して迷いの術に飛び込んだカミラ以外も、流れ星の全員が今頃はおそらく森の奥で迷っていることだろう。

 しかし、それはミストラルの意図的な計らいなのだ。

 ミストラルは、エルネアとは違う手法で、流れ星たちに得難い経験を積ませようとしている。

 そして、流れ星たちはミストラルの意図を正しく汲み取り、全ての経験を自分たちのかてにしようとしている。


 迷惑な精霊たちの悪戯や、竜王の森で迷ってしまったことでさえも前向きに捉え、この特異な環境に順応しようとしているヴィレッタとヴィエッタを、ユフィーリアとニーナは見守る。


「さあ、そろそろ良いかしら?」

「私はヴィレッタ? それともヴィエッタ?」


 ぐるぐると目が回るほど周った双子の流れ星が、精霊たちに問い掛ける。

 途中で二人の動きを見失った精霊たちが、ああでもないこうでもないと騒ぎながら、二人を判別しようと飛び回る。


「流れ星の双子を見破れないようでは、私たちは一生区別できないわ」

「流れ星の双子を判別できないようなら、何千年経っても区別できないわ」

「ユフィはどっちだー?」

「ニーナはどちらかしら?」

「こっちがヴィレッタじゃない?」

「違うよ、そっちがヴィエッタだよ?」

「うーん」

『わからーん!』


 深い竜王の森の一画で、二組の双子姉妹と精霊たちが迷いの術など気にした様子もなく騒いでいた。






「むきぃっ! ミストとルイセイネにたばかられました!」

「ふふふ、巫女頭様、どうか落ち着いてください」

「大丈夫ですよ、巫女頭様。私たちがついていますから」

「というか、巫女頭様も迷いの術に囚われてしまったのですね?」


 マドリーヌは、大勢の流れ星たちと一緒に遭難していた。

 マドリーヌには見えていた。

 精霊たちが騒ぎ出した直後に、先頭を行くミストラルとルイセイネが静かに道の先へと進んで行ったことを。

 そして、先導を失った自分たちがあっさりと迷いの術に囚われてしまったということを。


 わかっている。

 ミストラルやルイセイネの考えていることは。

 それでも、言わずにはいられない。なぜ、自分が大勢の流れ星たちと一緒に迷いの術の影響を受けることになったのかと。


「あ、あのう……。私はたしかに巫女頭ですが、皆様の方がとうとい方々ですので。その……『巫女頭様』と言われてしまうと恐縮してしまいます」


 そして、自分が実は流れ星に負い目を感じているということを。


 原因は、はっきりとしていた。

 マドリーヌ自身が強く感じていた。

 人族の大きな文化圏から離れた辺境地域の大神殿に所属する巫女頭の自分などよりも、流れ星の巫女たちの方が遥かに高貴で尊い女性たちであるということを。

 深い知識。乱れのない清く正しい所作しょさ。そして、強い信念と確かな実力。全てにおいて自分よりも流れ星の巫女たちの方が優れている、と感じていたマドリーヌは、その巫女たちにうやまわれるように「巫女頭様」と呼ばれることに抵抗を感じていた。


 しかし、流れ星の巫女たちはマドリーヌの申し出を笑顔で否定する。


「何をおっしゃいますか。どの国、どの地方の巫女頭様であっても、それは尊いもの。私たちは流れ星として敬われることはありますが、それでも巫女頭様を超えるような存在ではありません」

「巫女頭とはその国で最も尊い、創造の女神様の代理人です。私たちは星。巫女頭様は月なのです。どれだけ美しく輝こうとも、星は月の輝きの前ではかすんでしまうのです」

「巫女頭様よりも上の立場というのは、全ての巫女頭を束ねる巫女長みこおさ様か、女神様の化身であられる巫女王みこおう様、もしくは聖域に御坐おわします創世の姫巫女ひめみこ様だけなのです」


 ですから、と困惑の表情を見せるマドリーヌに、流れ星の巫女たちは優しく言葉を向けた。


「私たちは巫女頭マドリーヌ様を心から敬うのです」

「それでも何か負い目を感じるというのであれば。そうですね。私たちはエルネア様や皆様から多くのことを学ばせていただいています。それと同じように、巫女頭様も私たちから色々なことを学んでいただければ良いのではないでしょうか?」


 巫女らしい慈愛じあいに満ちた微笑みを向けられて、ようやくマドリーヌの心のわだかまりが溶け始める。


「そうですね。負い目を感じるのは、私がまだまだ未熟だからです。それなら、尊敬できる方々を通してこれから多くのことを学べばいいのですね。むきぃっ、みていなさいよっ、ミスト! ルイセイネ!」


 元気を取り戻したマドリーヌの姿に、共に遭難した流れ星たちが嬉しそうに笑い合う。

 そして、巫女たちのやりとりの様子を興味深くうかがっていた精霊たちが、容赦なく襲いかかってきた。






「ミストさん、良かったのですか?」


 竜王の森の迷いの術に多くの者たちが囚われたことを知りながら、それでも先に進んだミストラルとルイセイネは、太陽が中天に差し掛かる前に目的の場所、つまり耳長族の村まで辿り着いていた。

 ミストラルは、ルイセイネの問いに「ふふふ」と微笑む。


「良いのよ。高貴な流れ星とはいえ、さすがに竜王の森の最奥にある精霊の里までは案内できないもの。それなら、耳長族の村にたどり着くまでに色々な経験を積んだ方がいいわ」

「そうですね。森の精霊王の赤ちゃんの件は、結局はわたくしたちが解決をしないといけない問題なのでしょうから。それにしても、赤ちゃんの引き篭もりとはどういうことなのでしょう?」


 耳長族の村の入り口でミストラルとルイセイネが話し込んでいると、ユーリィがつえを突きながら姿を現した。


「おやまあ。森が随分と賑やかになっていますが、こちらには二人で来たのですねえ?」

「ユーリィ様、こんにちは。ユンとリンにわれて来ました。それで、森の精霊の赤ちゃんがどうしたのでしょう?」


 そう問い掛けたミストラルとルイセイネの周りを、強い風がざあっと吹き抜けた。

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