ようこそ 竜王の森へ

「良い機会だわ。カミラたちも良かったら竜王の森へ行かないかしら?」

「わー。凄そうな森ですね? 良いんですか? 行ってみたいです!」

「ミストが、今回の生贄いけにえを確保したわ」

「ミストが、今回の犠牲者を選んだわ」


 ユフィーリアとニーナの合いの手に、流れ星の巫女たちがぎょっと驚く。


「姉様たち? ごめんなさい、流れ星様。誤解ですから。この二人の言葉に惑わされないでください」

「そう言うセフィーナが、前回の被害者でしたね?」

「マドリーヌ様。一応は巫女頭という地位に就いているのですから、ユフィさんとニーナさんの軽口に便乗してはいけませんよ?」

「むきぃっ。それでしたらルイセイネも、私を巫女頭としてうやまいなさいっ。というか、一応ってなんですかーっ」


 ユンとリンがもたらした森の精霊王の赤子の事情は、流れ星の巫女たちには深刻な問題のように聞こえた。

 しかし、ミストラルやイース家の妻たちのいつも通りの和気藹々わきあいあいとした様子を見ていると、危機迫った事態ではないように見えてしまう。

 それで、カミラが陽気に名乗り出る。


「わーっ。私、絶対に行きたいです! 森の精霊王の赤ちゃんを見てみたいです!」


 カミラの名乗り出に、リンが意地悪そうに微笑む。


「ふーん? そう簡単に精霊王の赤ちゃんに会えるかしらね?」

「こらっ、リン!」


 ユンが隣で苦笑していた。






 竜王の森へ向かう面子めんつは、イース家からはミストラルを代表として、ルイセイネ、ユフィーリア、ニーナ、マドリーヌ。

 残念ながら、ライラはレヴァリアへの奉仕で参加できず、セフィーナも霊山のいただきに根を下ろした霊樹のもとへと向かう用事で同行できなかった。

 そして流れ星からは、カミラを含む大勢の巫女たちが同行することになった。


「思っていた以上に多いわね?」

「一願千日の修行日ではない巫女の大半が申し出てきましたね?」


 ルイセイネの言葉に頷いたミストラルは、後方を振り返る。

 竜王の森へと続く道を先導して歩くミストラルとルイセイネの後から、十名余の巫女が続いていた。


 禁領の屋敷から竜王の森へと続く道は、エルネアが時間を掛けて踏み固めた成果もあり、細くとも立派な道になっていた。

 そのおかげで、空間跳躍を使えない者たちも苦労せずに竜王の森を訪れることができる。

 かつては往復だけで数日かかっていた行程も、今や一日あれば往復できる程に短縮されていた。


 とはいえ、道中や竜王の森で何かしらの事態が起きれば、当日中に屋敷へ戻って来られないかもしれない。

 それで、一願千日の修行日ではなかった流れ星の内の数人は、現在修行の祈りを捧げている巫女たちの交代要員として残った。

 しかし、それ以外の流れ星の巫女たちが全員参加してくるとは、ミストラルやルイセイネたちでも思いもしない事態だった。


「貴重な体験をしっかりと積み重ねてくるのですよ?」


 と、残された巫女たちは行けないことを残念そうにしながらも、出発する巫女たちを見送っていた。






「それじゃあ、竜王の森へと入る前に注意事項を伝えておくわ」


 そして、昼前。

 魔物の襲撃もほとんどなく、無事に竜王の森の手前まで辿り着いた一行を前に、ミストラルが言う。


「これから入る森は、きっと貴女たちがこれ迄に知っていたような森ではないわ。森全体には迷いの術が掛けられていて、わたしたちから逸れればすぐに迷ってしまうわ。でも、必ず迎えにいくから安心して。以上」

「わー、えっ!?」


 竜王の森は、普通の森ではない。という前置きからの、あっさりとしたミストラルの説明に、カミラだけでなく多くの巫女たちが目を点にする。


「わー。ミスト様、それだけですか? ほら。竜王の森には耳長族の方や精霊が住んでいるのですよね? そうした注意事項とか……?」


 身近に耳長族がいなければ、精霊と接する機会など皆無に等しい。それでも流れ星の巫女たちは、プリシアや屋敷の耳長族を通して少なからず精霊と接してはきた。しかし、精霊が棲家とする深い森へ入るのだから、もっと詳しい説明があっても良いのではないか。

 カミラが質問すると、ミストラルは柔らかく微笑んだ。


「そうね。エルネアならきっと根掘り葉掘り注意事項を説明して、貴女たちが不安に思ったり危険になったりすることを避けてくれるわ。それがあの子の良いところなのだけれど。でも、わたしは少し違うわよ?」


 ルイセイネたちはミストラルに任せているのか、口出しせずに様子を見守っている。


「禁領はとても広いわ。人族的に言うなら、ひとつの国くらいの大きさはあるのではないかしら? わたしたちもまだ行ったことのない場所、知らない場所が多く存在しているのよ。エルネアは、その禁領に宿屋を開いて、限られた者とはいえ客を招くことを決めたわ」


 竜王のお宿の最初の客が、流れ星の団体だった。

 客をもてなす側のエルネアやミストラルたち、それに屋敷に住む耳長族は、試行錯誤をしながら日々を送っている。


「エルネアはきっと、客には万全を尽くそうとするわ。でもね、カミラ。わたしたちでさえ行ったことのない場所や知らない場所へ貴女たちが向かった時にも万全を尽くせるかと言われたら、きっと無理なのよ。目の行き届かない場所、手の届かない場所で問題が起きた時に、説明がなかったから、と貴女たちは諦められるかしら?」

「わー、それはできませんね!」

「でしょう? だから、わたしの方針としては、最低限のことだけを伝えて、あとは貴女たちに委ねたいと考えているわ」


 懇切丁寧こんせつていねいに説明を受ければ、困ることはないだろう。危機に陥ったとしても、対処できるだろう。しかし、もしも説明を受けていない事態に遭遇そうぐうした場合。その遭遇者は、もしかすると自分の思考を放棄して絶望に暮れるかもしれない。

 それに、様々な説明を受けていると、必ず油断してしまう。

 何が起こるのか。何か起きた時の対処方法。それらを知っている状態と、未知が潜む場面での心のあり方は、絶対に違うのだ。

 そして、説明を受けていな事態、知らない危機にもしも遭遇した時。心の油断から、大きな被害に続く可能性が極めて高い。

 だから、余計な説明はえてせずに、自ら様々なことを体験しながら経験を積んで、禁領での暮らし方を身につけてほしい。

 そう説明するミストラル。


「それに。貴女たち流れ星は、些細ささいな問題程度なら自力で乗り越えられる実力を持っているでしょう? これだけは追加で言っておくわ。竜王の森では、何が起きてもきっと命の保証はあるから、それだけは安心して」

「わー、わー、すごい森ですね!」


 竜王の森の奥で何が起きても、流れ星の巫女たちならば問題ない。ミストラルはそう判断したからこそ、余計な説明は入れなかった。

 流れ星の巫女たちも、ミストラルの意図を正しくんで、素直に頷く。


「説明も終わったことだし、行きましょうか。まず目指すのは、耳長族の村ね。ユーリィ様にもう少し詳しい事情を聞かなきゃいけないわ」


 竜王の森に住む耳長族とは、ユーリィを含む竜の森からの移住者と、屋敷に住んでいない耳長族たち。

 カーリーとケイトは、深い問題を抱えていた耳長族たちを竜王の森へ入れて住まわせることを危惧していた。

 それでも、新たな生活を手に入れた耳長族たちの直向ひたむきな日常や、精霊たちと必死に交流しようとする姿勢を観察し続け、数名を「資格あり」として竜王の森に招き入れた。

 そうして、竜王の森の奥にある耳長族の村は、少しずつではあるが住民が増え出していた。


 ミストラルとルイセイネを先頭にして、一行は竜王の森へと踏み入る。

 するとすぐに、濃密な森の香りが流れ星の巫女たちの鼻腔びこうを支配した。


「わー。入っただけでなんとなくわかります。素敵な森ですね!」

「あら、カミラ。なんとなくなの?」

「わわわ、わー。違いますよ、ミスト様。しかりと感じていますよ。森全体から、神聖で透き通った気配を感じます」

「巫女というのは、そうした感覚に優れているのかしらね? 精霊を感じられない状態でも、森の神秘さや気配がわかるのかしら?」

「もう周りに精霊がいっぱいいるのでしょうか? 残念ながら私たちは精霊の気配を感じ取ることができませんが、それでも森の雰囲気や気配はわかりますよ」


 竜王の森の奥へ向かっても、エルネアの道は続いている。

 ただし、エルネア自身がよく迷っていたように、道順を追って進んでいるからといって、耳長族の村へ向かっているとは限らない。

 道を少し逸れて近くの茂みを覗こうとしたカミラの手を、ミストラルは苦笑しながら掴んだ。


「こら。道をはみ出した瞬間に迷うわよ。それに、精霊はなにも竜王の森だけに住んでいるわけじゃないわ。ユンとリンが屋敷に来た時点で、精霊たちも大勢やってきていたわよ」

「わー、本当ですか!?」


 興味深く周囲を見渡すカミラや流れ星の巫女たち。

 しかし、残念ながら精霊の気配は感じ取れない。

 かくいうミストラルたちでさえ、顕現していない精霊の気配まではさすがに読み取れない。

 それでも、意識を研ぎ澄ますと周囲に集った精霊たちの話し声が、万物の声を聞く特殊な能力を通して微かに聞こえてきていた。


『来たわ』

『いっぱい来たね?』

『楽しくなりそうだわ』

『楽しみだなー』


 竜王の森に入ったミストラルたちや流れ星の一行の周囲で精霊たちがうずうずとし始め、気の早い精霊は既に顕現を初めていた。

 ふわり、とカミラの目の前に柔らかい光が浮き上がる。

 一瞬驚いたカミラだが、その光が下位精霊の顕現した姿なのだとすぐに理解する。そして、精霊に触れようと手を伸ばす。

 淡い光の精霊は、カミラの手から無邪気に逃げるように、ふわふわと森の奥へ飛んでいく。


「わー、可愛いですね」

「あっ」


 淡い光の精霊に見惚みとれたカミラが、目で追いながら一歩道を外れた。

 その瞬間。流れ星たちが見つめる前で、カミラの姿が消失いた。


「さっさく迷子が出たわ」

「さっそく生贄が出たわ」


 笑うユフィーリアとニーナ。

 ミストラルも、間に合わなかったと苦笑する。


「やれやれ。仕方ないな」


 顕現してきたユンが困った顔をしながら森の奥へと飛んでいく。そして、ユンの姿もすぐに森の景色から消え去った。


「ご覧の通りよ。道から逸れたりわたしたちから離れたら、すぐに迷いの術に嵌ってしまうわ」


 とミストラルが流れ星たちに声を掛けた時には、すでに賑やかな状態に陥っていた。


「きゃっ、服の中に何か入ってきたわ!?」

「ちょっ、ちょっと! 服を脱がさないでくださいね?」


 双子の流れ星、ヴィエッタとヴィレッタが服を押さえて困惑している。ヴィエッタは巫女装束の中に侵入した精霊を取り出そうともぞもぞ動き、ヴィレッタは小柄な犬の姿をした精霊が巫女装束を引っ張るのを必死に押さえている。


「だめですよ、錫杖しゃくじょうを返しなさい」

「手を引っ張らないでね? 道から逸れたら迷子になるのよ?」

「きゃーっ」


 ある巫女は油断していた隙に錫杖を奪われ、ある巫女は少女の姿をした精霊に手を引かれて森の奥へ誘われる。そしてある巫女は突然襲ってきたつたに縛られて、森の奥へ。


「楽しくなってきましたね」

「マドリーヌ様、一応は巫女頭なのですから、流れ星様たちを心配してください」

「むきぃっ、一応ってなんですかっ。私は立派な巫女頭です!」

「その巫女頭が精霊たちに襲われているわ」

「その巫女頭が、さっそく遭難しそうだわ」

「きぃっ、笑っていないで助けなさいっ」


 と叫んだマドリーヌが、本日のイース家の迷子第一号となって森の奥へと消える。


「ふふふ。今日中に森の精霊王の赤ちゃんの要件を済ませて、全員が屋敷に戻れるのかしらね?」

「ミストさん、楽しそうですね?」

「あら、ルイセイネは楽しくないのかしら?」

「わたくしはもちろん楽しいですよ?」

「精霊を相手に楽しまないと損だわ」

「精霊を相手に遊ばないともったいないわ」


 ミストラルたちにも、精霊が寄り始めた。

 一層に騒がしくなり始めた竜王の森。


「っもう。エルネアだけじゃなくて、家族全員が騒動好きなんだからっ」

「あら、リン? エルネアは貴女たちのことも家族と思っているのだから、それはつまり自分も騒動好きということかしら?」


 ミストラルの鋭い突っ込みに、顔をしかめるリン。

 そこへ、ミストラルや流れ星たちの周りに集まっている数以上の精霊が押し寄せる。


「リン、遊ぼうよ」

『リンが遊んでくれるわ』

『リンがやる気よ』

「わーい、今日はリンが思う存分に構ってくれるぞ」

「野郎ども、襲えー」

『わーい』

「ちょっ、ちょっと!」


 顕現してくる精霊たち。顕現せずにリンへまとわりつく精霊たち。

 圧倒的な数の精霊が群がる様子に、流れ星の巫女たちは自分たちも襲われながら驚いていた。

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