禁領にて

「わー、わー。ミスト様は私たちよりも早く毎日起きて、忙しいのですね?」

「おはよう、カミル。わたしには大切な役目があるので。それでも、毎日、というわけではないのよ? ルイセイネや他の家族も手伝ってくれるから、昔よりもずっと楽をさせてもらっているわ」

「わー、今が楽だなんて、竜人族様は巫女よりも大変ですね」


 幼さの残る話し方でミストラルに話しかけてきたのは、カミルという小柄な巫女だった。

 歳の頃は二十歳代半ばほど。それでも、小柄な見た目と愛らしい話口調で、どうしても歳下に見えてしまう。


 この日、ミストラルが苔の広場でのお役目を終えて禁領の屋敷へ帰ってくると、カミルがひょこひょことうさぎのように跳ねながら歩み寄ってきて、声を掛けてきた。

 先日まではプリシアと仲良く過ごしていたカミルだったが、ライラが帰ってくるのと同時に東の魔術師が大鷲おおわしを通して遊びに来たことで、プリシアと東の魔術師は仲良く竜の森へ遊びに行ってしまい、カミラが残されてしまった。

 それで、一願千日いちがんせんにちの修行日ではないカミラは、ミストラルに人懐っこく寄ってきたようだった。


「朝ご飯前にどちらへ? エルネア様の畑ではないですよね?」

「ふふふ。どこへ行っているかは言えないのよ。ごめんなさい」


 竜の森の秘密。スレイグスタの秘竜術によって苔の広場と禁領を毎日のように往復しているとは言えない。

 流れ星が尊い存在だということは、一緒に暮らし始めてミストラルもよく熟知している。それ以前に、ルイセイネやマドリーヌの清く正しいたたずまいを日々見ていれば、神殿宗教を詳しく知らない者であっても、神職に身を置く者たちがどれほど清廉せいれんかということは理解できるはずだ。

 まあ、マドリーヌに関しては、稀に癇癪かんしゃくを起こすくせが玉にきずだが。


「そういえば、エルネア様は帰ってきませんでしたね?」


 カミラはミストラルと並んで歩きながら、気さくに話題を振ってくる。

 ミストラルも邪気のないカミラの話に合わせるように、微笑みながら受け答えていた。


「そうね。あの子はまた騒動に巻き込まれているのかしら? ふふふ、困った夫だこと。そろそろ追加の人員を派遣する必要があるかもしれないわね。貴女たちの方も、エルネアに巻き込まれてメジーナさんが帰ってきていないけれど、大丈夫なのかしら?」

「はい。メジーナ先輩であれば、どのような状況でも大丈夫ですよ!」


 禁領に長期滞在をすることになった、流れ星の団体。

 流れ星の巫女たちには、この地、この時、関わる者たちを通して、なるべく多くの経験を積んでほしい。というのがイース家の家長であるエルネアの方針である。

 そのためか、禁領に移り住んでからも日々騒がしい日常に、エルネアは流れ星の誰かを必ず同行させるようにしていた。

 今回、傀儡の王が巻き起こした「人形劇」という大騒動には、メジーナという特位戦巫女が同行していた。

 だが、先日レヴァリアに乗って帰宅したのはライラとニーミアと大鷲だけで、メジーナはエルネアと共に魔族の国に残った。


「それにしても、昨夜はライラさんのお話で興奮してしまって、眠れませんでしたよ。すごい冒険譚ぼうけんたんでしたね! わー。みなさん、いつもあんな冒険をなさっているのですか?」

「あら、困ったわね。へんな誤解だわ? いつだって騒動に巻き込まれるのはエルネアで、わたしたちはエルネアを補佐しているだけなのよ?」


 けっして、自分から騒動を起こしたり巻き込まれたりはしていません、と笑うミストラル。

 そこへ、合流してきたルイセイネが突っ込みを入れる。


「あらあらまあまあ。ミストさんと初めてお使いに出た時に、偽竜人族の問題に嬉々ききとして介入されていたように思うのですが、記憶違いでしょうか?」

「あれは、平地で竜人族の評判を落とすような行為をしていたあの男たちが悪いのよ」

「わわーっ。そのお話、もっと詳しく聞かせてくださいっ」

「良いわ。じっくり聞かせてあげるわ」

「良いわ。たっぷり教えてあげるわ」

「ユフィ姉様とニーナ姉様は、その時はまだミストどころかエルネア君にも出会っていなかったわよね?」


 ユフィーリアとニーナが加わり、セフィーナが追加される。

 ライラだけは、今朝早くからレヴァリアに奉仕をしていて、この場にはいない。

 そしてマドリーヌは……


「賑やかになると収拾がつかなくなるわね。さあ、みんな。朝食の準備を終わらせてしまいましょう」


 ミストラルが竜の森から帰ってくる場所は、屋敷の中でイース家が利用している区画。

 将来的には、ミストラルの村にある竜廟のような転移に利用できる建物か部屋を造る計画だが、何せ禁領には大工が存在しない。

 エルネア的には「伝説の大工」に任せたいらしいが、果たしてどうなるのか、とミストラルは内心で苦笑していた。


「むきぃーっ。皆様、早く私を手伝ってくださいっ」


 妻団欒つまだんらんの輪に入れなかったマドリーヌ。

 そう。彼女は本日の朝食当番。

 本来であればユフィーリアとニーナも当番日だったのだが、昨夜に色々と騒動があり、罰としてマドリーヌだけが朝食の準備に追われていた。


「巫女頭にこのような事をさせていたら、罰が当たりますからねっ」

「騒ぎすぎて女神様の罰が当たったのは、マドリーヌの方だわ」

「私とユフィ姉様の罠に掛かって罰が当たったのは、マドリーヌの方だわ」

「きぃーっ。今、罠だったと白状しましたね!?」

「わっ、わっ、わーっ。巫女頭様、お手伝いしますからお気を鎮められてくださいーっ」

「カミラ、良いのよ。ユフィとニーナの罠だったとはいえ、あれはマドリーヌへの罰なのだから、身分なんて関係なく償いをさせなさい」

「ミストが邪悪な竜に見えるわっ」


 と言いつつも、マドリーヌは手際よく朝食の準備を進めていく。

 ヨルテニトス王国の聖職者の中で最も名門であるヴァリティエ家の長女でありながら、マドリーヌは意外にも家事の手際が良い。

 エルネアいわく「お母さんや叔母おばさん、それに師匠さまがとても厳しい女性だからじゃないかな? だから、しつけとか家事とか、基本的なことをしっかりと仕込まれているんだろうね? それに引き換え、王女のユフィとニーナは……あはは!」ということらしい。


 マドリーヌが早朝から準備した朝食の数々を、全員で食卓へと並べていく。

 今日は、中庭ではなくて大食堂での朝食だ。

 なにせ、中庭にはレヴァリアが居座っていて、流れ星の巫女たちが近づけない。

 ライラが一生懸命にお世話をしているが、恐らくは満足するまで中庭を占拠し続けるだろう。

 耳長族の人々でも、未だにレヴァリアには近づけない。

 数日間は中庭への出入りが禁止になるだろうと、屋敷の者たちは共通の認識を持っていた。


「おはようございます」

「お手伝いいたします」


 と、一願千日の修行日でない流れ星や住み込みの耳長族の人々が続々と大食堂に顔を見せ始めると、全員が朝食の準備を手伝う。

 そうして様々な料理が大皿に盛られて大食卓に並べられると、全員で女神へ祈りを捧げ、朝食の時間になった。


「わー。先に食べ始めちゃって良いのでしょうか? ライラ様はよろしいのですか?」

「あの子は、レヴァリアの世話が第一優先だから良いのよ。きっと後でレヴァリアと一緒にご飯を食べると思うわよ?」

「私も飛竜様に触れてみたいです」

「ふふふ、それじゃあ少しずつ慣れていかないとね?」

「がんばりますっ」


 さて。頑張るという努力だけでレヴァリアと仲良くなれるものだろうか、と心配するミストラルたちだったが、カミラは新たな目標ができたと無邪気に喜んでいた。


「ミストさん。ところでなのですが。エルネア君をこのままひとりで行動させていますと、また次の騒動が起きますよ?」

「そうね。そろそろ手綱を握る者を送らないといけないわね?」

「それなら、私とニーナが行くわ!」

「それなら、ユフィ姉様と私が向かうわ!」

「姉様たちは前に北の海へエルネア君と行ったから、まだお預けです」

「そう言うセフィーナさんも、竜王の都へ行ったのですからお預けですよ?」

「貴女もよ、ルイセイネ。貴女は魔都でエルネアと一緒に観光したのだから」

「そんな、ミストさん!? あの時は傀儡様の邪魔が入って、観光になっていませんよ? それに、それを言うのでしたらミストさんだって竜王の都へ行きましたよね?」

「あら? あれこそ緊急事態だったのだから、勘定には入らないと思うのだけれど?」

「わー。楽しい食事ですね!」


 食事を摂りながら、わいわいと賑やかに話すイース家の妻たち。

 けっして行儀が良いとは言えないが、これがイース家の、禁領に住む者たちの食事風景であり、誰も嫌な気分にはならない。

 むしろ、どうやって会話の輪に入ろうかと、いつも誰かが虎視眈々こしたんたんと狙っている。


「皆さんは、順番でエルネア様と遊んでいるんですね?」

「あ、遊んでいるというか」


 カミラの言い方に、つい笑ってしまうミストラルたち。だが、間違いではない。ミストラルたちは、楽しんでいるのだ。

 どうやって、エルネアを独占しようか。他の妻たちを出し抜き、独り占めするためにはどうすれば良いのか。

 日々を賑やかに、楽しく過ごす。

 そうしてエルネアを中心に物事が回り、新たな騒動に発展していく。


「なになに? ミストたちはもう一巡しちゃったの? 仕方ないわねっ。それじゃあ、私が行ってあげようかしら?」

「リンよ、其方の役目は竜王の森の精霊たちへの奉仕だ。我と一緒に今後も償いなさい」

「冗談だってば。っもう。お姉ちゃんたら。私は精霊たちにも旅行させてあげたいと思っただけよっ」

「その気遣いは不要だ。精霊は思うがままに暮らし、旅をする」


 普段は竜王の森に暮らす精霊たちの世話をしているユンとリンが、今日は朝食に顔を出していた。

 ということは、何か用事があるのだろう。

 なにせ、現在はプリシアも禁領にいないのだ。その状況で、リンはまだしもユンが竜王の森を離れるはずがない。


「ユン、向こうで何かあったのかしら?」


 ミストラルの問いに「朝食の後でも良かったのだが」と前置きをしたユンが話し始めた。


「其方らも、竜王の森の精霊王のことは覚えているだろう?」


 ユンの問いに、ミストラルたちイース家の者が揃って頷く。


 正確には、まだ精霊王としての実力は備わっていない、森の精霊の赤子。しかし、いずれは必ず竜王の森を守護するだけのうつわを持つ精霊が生まれたのは、数年前のこと。

 ある日、禁領の屋敷の玄関前に、愛らしい赤子が現れた。

 その精霊の赤子は、現在は竜王の森の奥に棲んでいる。


「ここ最近は、会いに行けていなかったわね」


 森の精霊王の赤子は、イース家によく懐いていた。

 エルネアが霊樹の精霊であるアレスにかれているから、という理由もあるが、何よりも全員が精霊のことを理解し、よく相手をしてくれる。

 それで、森の精霊王の赤子は竜王の森の奥に棲みながらも、よくイース家の者たちと遊んでいた。

 しかし、ここ最近は深刻な騒動が続き、ミストラルたちどころかエルネアでさえ、森の精霊王の棲む精霊の里から足が遠のいていたのは事実だ。


「あの子に何かあったのかしら? 困ったわね。アレスがいないと、あの子は際限なく甘えてくるわ」


 いずれ竜王の森を守護する精霊王となる、森の精霊の赤子。しかし、霊樹の精霊には逆らえない。

 どれほどに森の精霊王の赤子が我儘わがままを見せても、最後にアレスが介入すると、素直に従う。

 それが森の精霊王の赤子と禁領に住む者たちの関係だったが、現在は肝心のエルネアとアレスが不在だ。そこで森の精霊王の赤子が我儘を言い出せば、ミストラルたちの手にも余ってしまう可能性がある。


「困りましたね?」


 と苦笑するルイセイネやほかの女性陣。

 しかし、言葉とは裏腹に深刻さが伺えないイース家の妻たちの様子に、カミラや他の流れ星たちが首を傾げた。


「わー、わー。森の精霊王様の赤ちゃんですか? すごい存在が身近に存在しているのですね? でも、ミスト様たちは困ったと言いつつも、楽しそうですね?」

「ふふふ、そう見えたかしら? 実際に、精霊の相手をするのは色々と大変なのだけれど、嫌ではないのよ?」


 精霊の起こす騒動に、悪意はない。

 精霊たちは、関心を寄せる者へ無邪気に関わろうとしているだけなのだ。

 それを目障めざわりだ、面倒だと感じる者もいるかもしれないが、少なくとも禁領にはそうした狭量きょうりょうの者はいない。


「それで。森の精霊王の赤ちゃんがどうしたのかしら?」


 ミストラルの問いに、ユンが答えた。


「困ったことに、あの子は精霊の里に引き篭もってしまった。だが、どうも様子がおかしいのだ。それで、ユーリィ様たちが其方らを呼んでいる」


 ユンの言葉に、イース家の妻たちは互いに顔を見合わせた。

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