月下の攻防

 月と星の明かりだけを頼りに、畦道あぜみちを進む。とはいっても、瞳に竜気を宿せば、僕は昼間のように景色を見渡すことができる。

 背伸びをする振りをして、竜気の宿った瞳で周囲を見渡す僕。


「上手く隠れているね?」


 僕を尾行する何者かの姿は、だけど視線に捉えることはできなかった。

 物陰の少ない田畑の真ん中で、こうも上手く姿を隠せるとは。やはり、普通の神兵ではないように思える。

 まあ、神族は人族などよりも遥かに優れた身体能力や術を使えるので、神族である、という時点で油断することのできない強者つわものなんだけどね。それでも、いろんな種族と渡り合ってきた僕だから、客観的に相手の力量を測れると思っている。

 潜伏者は、少なくとも上級魔族くらいの実力はありそうだ。

 竜人族の戦士が本気を出せば勝てるけど、逆に言えば、竜人族の戦士が本気にならなければいけないくらいの実力者。

 僕も、油断をしていたら負けてしまうだろうね。


 では、この手練れの潜伏者をどうやって襲おうか。

 ユンユンに不意打ちをお願いする?

 いや、上級魔族に匹敵するような実力者なら、姿を消したユンユンの気配を読み取る可能性がある。

 達人は、自分に向けられる殺気や敵意を敏感に感じ取るからね。たとえ、ユンユンの姿が見えなくても、近付けば勘付かれる可能性は高い。


『それでは、どうする?』


 ううむ、と考えながら歩く僕。

 幸い、潜伏者は今のところ、僕を尾行するだけで襲撃してくるような気配はない。おそらく、夜中に長屋を抜け出した僕の行動を怪しんで、監視したいだけなんだと思う。

 なにせ、ギルディアは僕たちのことを邪魔だとは思っていても、横暴を阻もうとする強敵とは認識していないだろうからね。

 それに、僕は人族だし。

 竜人族のミストラルならまだしも、人族の僕を不意に襲撃してまで排除しようとは思わないはずだ。


「ってことは、手練れでも僕を甘く見て油断しているってことかな?」


 見た目で僕の種族はわかったとしても、実力までは知らないはずだ。

 僕はまだ、竜王だとも名乗っていないしね。

 それなら、と散歩を続行しながら、周囲に手頃な地形がないかを探す。すると、畦道の先に、ちょうど良い大きな樹が立っていた。

 農作業の合間に木陰で休めそうな、枝葉を大きく広げた老木。幹周りが随分と太そうだ。


『エルネア、あの樹に向かって歩くのだ』


 ユンユンも仕掛ける気みたいだね。

 僕から離れて、先に老木の方へと向かうユンユン。


 僕はさっきまでの調子で畑を眺めたり夜空を見上げたりしながら、老木へと近づいていく。

 僕を尾行している者も、ゆっくりとだけど移動してくる気配が読み取れた。

 ごく自然に、僕は大きな老木を目指して尚も歩く。そして老木の太い幹の側まで到着すると、何気なく頭上に視線を向けながら、幹周りをぐるりと回る。

 必然的に、背後に潜伏する者の視界から僕は幹の陰に隠れた。


「今だ!」


 僕は空間跳躍を発動させた。


「っ!?」


 潜伏していた者に、緊張が走る。

 直前まで尾行していた人族が、幹の陰に見えなくなった瞬間に気配さえ消したのだから、慌てるのも道理だ。

 潜伏者は畦道の脇から姿を表すと、素早く老木の幹周りを一周する。だけど、僕の姿どころか、気配さえも消失している。


 これまでの潜伏者としての優位性を失った人影が、老木の根本で周囲を警戒するように身構えた。

 用心深く周囲を見渡し、頭上に広がる老木の枝を凝視する。

 だけど、やはり僕の姿は見えない。


 でも、当の僕は、潜伏者が見上げた老木の枝の上に潜んでいて、上から様子を見下ろしていた。

 では、なぜ潜伏者が僕を見つけられなかったのか。

 事前に移動していたユンユンが、精霊術で老木の枝に幻惑げんわくをかけていたせいだ。


 さあ、何者だ。と僕は息を殺して潜伏者を見下ろす。

 竜気が宿った瞳が、老木の根本で警戒する者の姿をはっきりと映し出す。

 やはり、日中に僕たちを捕らえに来た神族の兵士ではない。

 夜闇に紛れやすいような暗い装束しょうぞくを身に纏った、青い髪の若い男だった。


 男は腰に帯びた剣のつかに右手を伸ばしながら、背中を老木の幹に預けて、周囲を見渡す。そうして、夜闇に向かって声を発した。


「出てこい、小僧。お前が俺の気配を最初から察知していたことくらい、わかっている」


 おや?

 僕が気付いていると知っていて、男はこれまで尾行してきたのかな?

 いいや、違うね。これは、はったりだ。

 男は僕のことを熟知したうえで尾行してきたのだと威勢を張り、自分にとってこの状況は不利ではない、とこちらの動揺を誘いたいんだ。

 でも、僕にそんな小手先の誤魔化しは通用しないよ。

 背後からの強襲を恐れて老木の幹に背中を預けたようだけど、それは逆にこちらの思うつぼだ。


「アレスちゃん?」

『おまかせおまかせ』


 僕の側には、必ずアレスちゃんがいる。

 そして、アレスちゃんは霊樹の精霊だ。

 霊樹の精霊の意思に従い、精霊を通して大樹がうごめいた。


 植物が、自分の意思を持って動く。

 枝葉を伸ばし、根本の男に頭上から襲いかかる!


「なにっ!?」


 思わぬ攻撃に、男が驚愕きょうがくする。それでも男は素早く反応すると、頭上から迫った老木の枝を回避する。

 そこに、がさり、と下草が揺れた。

 男は咄嗟とっさに剣を抜き放ち、音がした下草の方へと振り向く。


 でも、残念。それは、ユンユンの陽動です。

 僕は、男が下草の音に気を取られた瞬間、がら空きになった男の背後に空間跳躍で回り込んだ。

 そして、拘束しようと手を伸ばす。


 だけど、ここでも男の反応は素早かった。

 何重にも重ねた不意打ちをかわして、こちらの手から逃れる。それだけでなく、反撃してきた。


わたれ』


 力ある言葉を発した瞬間、男の姿が僕の前から消える。

 直後。背後に違和感を覚えた僕は、素早く身をかがめる。

 ほんの一瞬前まで僕の上半身があった場所を、鋭い斬撃が通り過ぎていった。


「まさか、神術による空間跳躍!?」


 予想を超えた反応の速さと、思いもしなかった術による反撃に、驚愕してしまう。でも、驚きで身体の動きを止めている場合ではない。

 僕は屈んだ姿勢から伸びるように上半身を起こす。そうしながら、竜気を宿した手刀を突き上げた。

 剣を振り抜いた男の僅かな姿勢の崩れを狙った一撃。

 だけど、男はまたしても力ある言葉を放つ。


『渡れ』


 次の瞬間には、僕の手刀の間合いの外に立つ男。

 短い神言しんごんによる、隙のない空間跳躍だ。

 だけど、空間跳躍なら僕だって負けていない。男が瞬間移動した直後に、こちらも空間跳躍を発動させた。男の背後を突くように。

 間合いを取った、と思ったはずの男の背後から、蹴りを放つ僕。

 脇を狙った蹴撃しゅうげきは、男が次の神言を口にする暇を与えない。それでも、男は異常な速さで僕の空間跳躍と蹴撃に反応する。男は身体を反転させ、硬く力を込めた左腕で僕の蹴りを受け止めた。


「くっ!」


 だけど、僕の蹴りは只の人族の蹴りではない。竜気の宿った、岩をも砕く重撃だ!

 蹴りをまともに受けた男の表情がゆがむ。

 男も神力を腕に宿して受けたようで、骨を折るまでの威力は示せなかった。それでも、男の左腕は使い物にならなくなったはずだ。


 僕は動きを止めずに、そこから無手の竜剣舞へと繋げる。

 両手に剣は握られていないけど、全身を使う竜剣舞の型は健在だ。

 受け止められた脚を支点に跳躍し、そのまま二段蹴りを放つ。そうして空中に浮いたまま身体をひねり、手刀で空間を薙ぎ払う。

 竜術に「力ある言葉」は必要ない。想い、具現化させられるだけの竜気を錬成すれば、術は発動する。

 鋭い空気の刃が男を襲う。


れ!』


 僕の二段蹴りを受けて体勢を崩しながらも、男は神言を口にする。そして、右手に握った剣を振るう。

 剣と空気の刃が交差し、僕の術が弾け飛ぶ。

 男はそのまま次の力ある言葉を放つ。


『渡れ』


 また、神術による空間跳躍だ!

 咄嗟に身構え、男がどこへ飛んだのかを探る。

 だけど、男は予想外の場所に姿を現した。

 畑の反対側。男の剣戟けんげきも僕の竜剣舞も届かない間合いの遥か外。


 では、次に狙ってくるのは神術による遠隔攻撃か。と男のどんな動きにも反応できるように気を張る。

 でも、次に男が取った行動に、僕はまたしても意表を突かれた。


 男は、おもむろに剣をさやに収めると、動く右手を頭の上に挙げる。そして、神力の乗っていない言葉を口にした。


「待て。これ以上、争う気はない」


 まさかの降参宣言?

 いいや、油断はできないよね。そうしてこちらの気の緩みを誘い、いきなり襲いかかってくるかもしれない。


「夜中に尾行するような人の言葉なんて、信じられないよ」


 僕も、その気になれば空間跳躍で畑の反対側まで飛べる。

 空間跳躍に必要な竜気を維持しながら、注意深く男の動きを観察する。

 男は、僕が警戒を解いていないと感じ取ったのか、次の行動に出た。

 いきなり、畦道に座り込む。


「なんなら、拘束してくれても構わない。だが、聞け。こちらに争う気はない」

「剣を容赦なく振り抜いておきながら争う気はないだなんて、信じる者がいるとでも?」


 あの時、僕が正しく反応できていなかったら、今頃は下半身と上半身に両断されていたよね。

 なのに、今になって「争う気はない」と言われても絶対に信用できない。

 すると、男は口の端を上げてにやりと笑い、ここでも僕の意表を突いてきた。


「いや、あれくらいはお前なら躱すだろう? なあ、八大竜王エルネア・イース」

「!?」


 なぜ、この男は僕のことを知っている!?

 しかも、名前だけでなく、竜王の称号まで!


 僕は、村に着いてから竜王だとは名乗っていない。それどころか、身のあかしを立てるような言動はしていない。それなのに、男は僕のことを知っていた。

 もしかして、ミストラルの存在から僕の存在を割り出された?

 それでも、ミストラルは竜姫だと名乗っていない。そうなると、男が確信を持って僕のことを「八大竜王エルネア・イース」だとは言えないはずだ。

 それなのに、男が本当に僕のことを知っていたとしたら。

 この神族の男は、竜峰や人族の国について色々と知っているということを意味している。そうじゃなきゃ、人族の僕が竜人族の称号を持つことに違和感を覚えているはずだからね。


 僕が怪訝けげんそうに男を注視している間に、ユンユンが気配を殺して男の背後に忍び寄る。

 どうやら、男は僕のことを知っていても、ユンユンの気配にはまだ気付いていないようだ。それとも、ユンユンの気配には気付いてるけど、言葉通り拘束される覚悟があるのかな?

 それなら、時と場合によっては男をいつでも拘束できるはずだ。

 僕は状況を確認すると、小さく深呼吸をして、男を問い正す。


「なぜ、僕のことを知っているの?」


 僕の質問に、男は笑みを浮かべたまま、またもや意外なことを口にした。


「俺は、グエン。武神ぶしんウェンダー様の元部下だった者だ。今は、ギルディア付きの衛兵をしている」

「ウェンダーさんの部下!?」

「元、だ。あの方は退位された。お前も知っているだろう?」


 グエンと名乗った男は、さも当たり前のように僕たちのことを口にする。

 だけど、それは驚愕すべきことだ。


 グエンが本当にウェンダーさんの部下だったとして。でも、グエンが僕たちのことを知っているという辻褄つじつまが合わない。


 ウェンダーさんとは、春先に妖魔の王討伐戦で初めて出会った。

 それから顔見知りになったけど、ウェンダーさんは妖魔の王の討伐が終わると、そのまま竜峰を横断してルイララの領地に入った。それは、つい先日に僕たちもこの目で確認している。

 でも、そうなると。グエンはいつ、僕とウェンダーさんが面識を持っていると知ったのかな?


 もしかして、やはりウェンダーさんは神族のみかどの命令で、竜峰や人族の国、そして魔族のことを密かに調べている!?


 グエンは、ウェンダーさんの名前を出せば僕が気を許すと思っていたのかな?

 だけど、ウェンダーさんの一連の行動とグエンの情報に時間と距離の齟齬そごがある以上、僕はグエンを信用できないどころか、ウェンダーさんにも疑念を持ち始めていた。


 すると、グエンも僕の疑念を感じたのか、話を続けた。


「お前も、知っているはずだ。ウェンダー様は千眼せんがんの武神」


 ウェンダーさんは、周囲の者たちと視線を共有し合える神術を使える。

 魔王などのように強い精神防御力を持つ者には阻まれるようだけど、それでも多くの者たちの視線を覗けるという術は汎用性はんようせいが高い。

 ウェンダーさんが色々と物知りだったのも、千眼の神術を使い、多くの者たちの視線から情報を得ていたからだ。

 では、グエンが僕たちのことを知っていたのも、ウェンダーさんの千眼の神術によるところなのかな?


 僕の疑問に、男は座ったまま大きく頷いた。


「ウェンダー様の千眼によって情報を得られる者は、なにもウェンダー様ご自身だけではない。術の影響を強く受けることのできる俺のような者は、逆にウェンダー様の視界から視覚情報を得ることもできる」

「……それで、僕たちのことを?」


 そうだ、と笑みを浮かべる男。


「俺とウェンダー様は、互いに距離があっても視線を共有できる」

「それじゃあ、やっぱりウェンダーさんは旅をする振りをして、魔族や竜峰の情報を探っていた!?」


 ウェンダーさんが見た色々な情報が、このグエンを通して神族の帝国に流れている。その恐ろしさを知って、僕は戦慄せんりつする。

 グエンの背後で気配を殺すユンユンも驚愕していた。


 だけど、グエンは僕の疑念を笑って受け流す。


「馬鹿者め。もしもそうであったら、俺がウェンダー様との関係を軽々しく口にすると思うのか。あの方は、まごうことなき至高の武神。だが、今はもう帝のお側を離れられた」


 ウェンダーさんは、神族の帝の侵略方針には従えないと意志を示して、武神のくらいを返上したんだよね。でも、帝の暴走を止めたいという想いはあって、だから魔族の国を横断してまで侵略計画を阻止しようとしている。と、僕たちはウェンダーさんから直接聞いていた。

 でも、僕は今、その言葉に疑念を抱いている。ウェンダーさんの話は本当だったのか。僕たちを騙し、別の狙いがあって魔族の国に入ったのではないか。


 だけど、グエンはウェンダーさんをかばう。そして、僕にウェンダーさんの想いと真実を教えてくれた。


「お前に聞こう。帝のお側を離れたウェンダー様は、何者だ?」

「何者って……?」

「ウェンダー様は、この村のご出身。では、この村の者は全員が何者だ?」

「それは……闘神の末裔であるアレクスさんたちの家臣?」

「そうだ。そして、アレクス様が闘神としてお戻りになるためには、何が必要だ?」

「魔族の支配者が持つ、魂霊こんれい。……そうか!」


 僕はようやく、ウェンダーさんの真の狙いを知った。


「ウェンダーさんは、魔族の国を横断しながら、魔族の支配者の情報を得ようとしているんだ。そして、その情報をアレクスさんたちのために持ち帰りたい?」


 帝の暴走を止めたい。と願う気持ちも本当なんだと思う。でもそれ以上に、ウェンダーさんの忠誠は最初からアレクスさんに向けられていたんだね。

 ウェンダーさんが武神にまで上り詰めたのも、アレクスさんのため。そして、支配者である帝の意に従えないといって、あっさりと武神の位を返上できたのは、本当の主君をアレクスさんと決めていたからだ。

 ウェンダーさんは、友であり主君であるアレクスさんのために、最初からずっと動いてきたんだ。


「俺がお前のことを知っていることに、納得してもらえたかな? 俺はお前とやり合っても良いが、これ以上はお互いに本気にならざるを得ない。そうなると、俺もお前も立場が悪くなるだろう?」

「そういえば。貴方とウェンダーさんの関係はわかったけど。なぜ武神だった人の元部下が、ギルディアのような貴族の護衛をしているのかを聞いていなかったね?」


 どうやら、グエンもここで騒ぎを起こしたくないらしい。

 グエンは座ったまま、抵抗する様子を見せずに、僕に言った。


「ここは、お互いに目をつむろうじゃねえか」

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