暗雲立ち込める月夜

 グエンは、今でもウェンダーさんとのつながりを持っている。

 ウェンダーさんの千眼の神術によって色々な情報を得るなかで、僕たちのことも知ったんだろうね。


 千眼せんがん神術しんじゅつ

 他者の視覚を共有する驚くべき神術だけど、それでもやはり共有できるのは視界だけであり、音は伝わらない。

 では、グエンはいったいどうやって僕たちの名前や身辺情報を知ったのか。

 きっと、グエンがまだ話していない色々な秘密があるに違いない。


 では、秘密を抱えた男の言葉を、そのまま鵜呑うのみにして信用しても良いのかな?

 とはいえ、グエンにはグエンの事情があるみたいで、僕と争う気はない、という言葉は本当みたいだ。


「貴方の目的を聞いても良いかな? それを知らないと、やはり信用はできないね」

「用心深い男だ」


 と、言いつつも、グエンは素直に話す。


「言っただろう。俺はウェンダー様が退位されてからはギルディアの護衛をしている」

「なぜ、使える主人の名前を呼び捨てにするのかな?」


 グエンは、今の主人であるギルディアのことを最初から呼び捨てにしていた。かつての上官であるウェンダーさんに対しては、未だに敬称を付けているのにね。

 僕の質問に、だけどグエンはにやりと笑みを浮かべただけで、答えてはくれなかった。代わりに、自分の身の上話を語りだす。


「俺みたいな曲者くせものは、組織の中では浮いて邪魔者になっちまう。ウェンダー様には随分と可愛がっていただいたが、あの方が退位されて、俺を拾ってくれるような懐の深い宮廷人きゅうていびとはいなかったわけだ」


 武神に直接仕えていたというのなら、グエンも相当な腕前と経験を持つ武人なはずだ。そんな男を、軍の上層部や高官が見逃すのかな?

 それとも、人々を支配し意のままに操るような者たちでさえも手に負えないほどの曲者なのかな?

 今までの印象だけでは、僕には判別できない。


「俺は、ウェンダー様の退位と同時に晴れて無職になったわけだ。それで、次の食い扶持ぶつを探すために各地を転々と放浪していたんだが」

「そうしたら、ギルディアに声をかけられた?」

「手強い魔物に襲われていたところを助けたのさ。そうしたら、気に入ってもらえてね」

「ふうん?」


 話としては、辻褄つじつまがあっているね。

 でも、やはり疑問に思ってしまう。

 手合わせをしたからこそわかる、グエンの実力。これほどの手練れを、曲者だから、という理由だけで退役させたのかな?

 それに、グエンがギルディアを呼び捨てにする理由にはなっていない。

 僕が重ねてそのことを指摘すると、グエンは肩を落としてため息を吐き、当たり前のことを聞くな、と面倒そうに答えた。


「俺は、奴の命を救った。奴は、俺に救われた。なら、呼び捨てにしても良いだろう?」

「貴方は曲者だから、それくらいは当然のことで、ギルディアも容認しているってこと?」

「ああ、そうさ」


 陰で呼び捨てにしているわけじゃなくて、本人の前でも堂々と呼び捨てにしている。そう一貫性を主張されると、確かに違和感は薄れるね。

 そして、上司さえも自分の物差しで測り、思うままに振る舞うグエンはやはり曲者で、官位や身分を重んじるような宮廷人から見れば、扱い難い男なのは確かだ。

 では、やはりグエンが話した通りなのかな?


 ようやく僕の疑念が薄れてきたと判断したのか、グエンは最後のひと押しとばかりに、さっきの言葉を口にした。


「お互いに、今夜のことは目を瞑ろうぜ?」

「それは、ギルディアの夜の護衛をおろそかにしていた自分の失態を僕が告げ口しないことを条件に、僕が勝手に夜中に出歩いたことを貴方がギルディアに言い付けないということかな? それとも、貴方には貴方なりの秘密の目的があって行動していることを見逃す代わりに、僕たちの事情は漏らさないってこと?」


 後者のような気がする。

 グエンがウェンダーさんと繋がっているのなら、僕たちが神族の帝国に足を踏み入れた理由を知っていてもおかしくはない。それを神族側に漏らさない代わりに、彼へのこれ以上の詮索せんさくをしない。という意味に僕には聞こえた。

 僕の言葉を受けて、グエンはにやりと笑みを浮かべただけで、明確な返事はしなかった。


 やはり、この男は曲者中の曲者だ。


 必要以上の情報は出し渋り、こちらが何を考えているのかや、どう動くのかを全て計算した上で、自分の都合の良いように物事を進めようとする。

 ウェンダーさんは、よくもまあこんな曲者を部下として可愛がったね。僕が武神なら、気の置けない者として早々に追い出しちゃっているよ。

 まあ、本当に他のお偉いさんたちからも目を掛けてもらえずに追い出されたのがグエンらしいけどね。


「んじゃまあ、そういうことで」


 と言って、グエンは無造作に立ち上がる。そして、右手を振りながら無警戒に畦道を歩き出す。

 そうしながら、ぽつりと今夜の感想を漏らした。


「やれやれ。人族にこれほど手こずるとはな。テユ様の蝶舞ちょうまいを知っていなきゃ、お前の演舞に絡め取られて、危うく足もとをすくわれるところだった」

「テユ様?」


 蝶舞という言葉が気になって、ついグエンを呼び止めてしまう僕。でも、それはやはり曲者グエンの罠だった。


「あの方を知らないのなら、夜が明けてから村長にでも聞いてみるんだな。……そうそう。今夜の詫びで、特別に教えておいてやる。帝国内で静かに彷徨うろつきたかったら、さっきのような力は見せるなよ? この国には、お前のような人族はいない」

「どういう意味?」

「神族以外で、目立つほどの力を持つ者はいない、という意味だ」

「それって、天族も実力があると変な目で見られるってこと?」

「帝は神族を大切にされている。天族はそれに仕える存在だ」


 つまり、天族であっても、神族に奉仕するため以上の力を持つと目障めざわりになるってことかな?

 神族至上主義とも取れる帝国の内情において、僕のような人族が力を振るえば、目障り以上に消したい存在になるんだろうね。


「出るくいは打たれる。いや、杭は無惨に引き抜かれ、跡形もなく砕かれてちりも残らず、刺さっていた穴は何もなかったかのように埋められる、という方が正しいか」


 わかり難い言い回しだけど。それって、目立った者が抹殺まっさつされるだけでなく、その者に関わった全ての者が消されるって意味だよね?

 神族の帝国は、思っていた以上に恐ろしい国みたいだ。


 今夜のグエンの本命は、もしかしたらこのことを僕に警告することだったのかもしれない。

 言いたいことだけを好き勝手に言ったグエンは、また歩き出す。と、思ったら。僕に背中を向けたまま、グエンはまた言葉を漏らした。


「もうひとつだけ、忠告しておく。気をつけろ。ギルディアの護衛にはもうひとり、曲者がいる」

「グエンよりも曲者?」

「馬鹿を言え。俺以上の曲者がいるものか。しかし、奴の言動には注意しておくこったな。じゃなきゃ、取り返しのつかないことになるぞ」

「取り返しのつかないこと? その護衛は誰?」

「名をマグルドという。奴は帝尊府ていそんふだ」

「帝尊府?」

「知らないのなら、これも村長さんに聞いてみろ。だが、気をつけろよ。マグルドに探っていることが伝われば、奴は本当に何をしでかすかわからんからな」


 自分で自分のことを曲者だと言うグエンに、これほどまでに警戒されている、もうひとりの護衛者か。

 僕もマグルドのことは気にかけておこう。もちろん、グエンの動きにもね。


 それ以上グエンは何も言わず、月と星に照らされた畦道をお屋敷の方へと帰っていった。






 翌朝、僕はいつものようにミストラルに起こされた。


「昨夜は、随分と夜更かししていたみたいね?」

「あれ? 寝ていなかったの?」

「ユフィとニーナが悪さをしようとしていたから」


 どうやら、昨晩の女性陣は、狸寝入たぬきねいりの心理戦を繰り広げていたみたいだね。


わたくしは、抜け駆けしませんでしたわ」

「ライラは素直で良い子だね」


 ライラは、僕の髪を解いてくれている。これは、抜け駆けを企てずに大人しくしていたライラへのご褒美です。

 たまには抜け駆けしないことが功を奏することもあるんだね。


 逆に、ひと晩中悪巧みをしていたユフィーリアとニーナとマドリーヌ様は、村長のお爺ちゃんを手伝って、朝食の準備に追われていた。


「んんっと、おはようだよ。ご飯できたよ?」


 お利口さんなプリシアちゃんが呼びにきてくれて、身支度が整った僕たちも居間へと向かう。

 居間には、朝から美味しそうなご飯が並んでいた。

 プリシアちゃんは、すたたたたっとアミラさんのところへ駆けていき、ぴょこんっと当たり前のように膝の上に座る。

 今日も、プリシアちゃんはアミラさんに甘える気満々だ。

 アミラさんも楽しそうにプリシアちゃんを抱きかかえる。


「いただきます」


 みんな揃って、朝食を食べ始めた。その時だった。

 がんっ、と玄関が激しく鳴り響き、扉が内側へと弾ける。

 何事か! と身構える僕たちの前に、玄関から太々ふてぶてしく姿を現したのは、見知らぬ男だった。


「ギルディア様がいらしているというのに、玄関に鍵を掛けるとはどういう了見だ?」

「えっ!?」


 意味がわからない。

 夜に戸締りをするのは当たり前のことで、それを他所者がとやかく言う権利はないはずだ。

 だけど、屋内に侵入してきた男は、さも自分が正しいとばかりに僕たちを睨む。


「マグルド。朝からあまり騒動を起こすな」


 次に玄関を潜って入ってきたのは、グエンだった。


 マグルド。

 どうやら、最初に乱入してきた男が、グエンが忠告していた人物みたいだね。


「アミラが体調を崩したと聞いてな。見舞いに来た、ありがたく思え」


 そして、ギルディアが入ってくる。


「おい、いい加減にしろよ!」


 遅れてアルフさんが駆け込むと、ギルディアたちと僕たちの間に割って入った。

 だけど、そこへ容赦のない拳が振り下ろされる。


「邪魔だ、小僧!」


 マグルドがアルフさんを殴り飛ばした。

 頬を思いっきり殴られたアルフさんが、壁に激突する。


「アルフさん!」


 穏やかだった朝が、急に騒がしくなる。

 僕は、殴り飛ばされたアルフさんに駆け寄った。そこへ、マグルドが迫る。


「おい。誰の許しを得て、人族如きが神族の前で口を開く?」

「っ!?」


 マグルドの容赦ない蹴りが僕に迫る。

 咄嗟とっさに、回避しようとした。でも、僕はあえて蹴りを受ける。

 そして、蹴り飛ばされる僕。


「くぅっ」


 腹部を思いっきり蹴られて、苦悶くもんする。

 だけど、これは演技だ。

 竜気で蹴られる箇所を保護したし、急所もらした。

 でも、あえて苦しんでいるように振る舞う。


 グエンの忠告通り、今ここで目立つわけにはいかないからね。

 ルイセイネとマドリーヌ様がすぐさま駆け寄ると、僕とアルフさんをる。

 マグルドは巫女装束の二人にさえ殺気を向けたけど、グエンがいさめてくれた。


「よせ、マグルド。朝から騒がしいと、階段から落ちて痛む左腕に響くんだよ」

「ははっ。寝ぼけて階段から落ちるなんざ、グエンの旦那だんなも焼きが回りましたね」

「俺のことはどうでも良いんだよ。それよりも、ここへはギルディアの用事で来たんだ。お前が主役を持っていくな」

「へいへい。そうでした」


 グエンとマグルドの上下関係は、どうやらグエンの方が立場が上らしい。

 グエンに言われて、マグルドはようやく引き下がる。

 だけど、代わりにギルディアが前へ出てきた。


「体調を崩したくらいで、夫である俺への接待を疎かにするとはな」

「待たれよ、ギルディア殿。今の発言は取り消していただこう。アミラは貴方の妻ではない」


 最後に長屋へ入ってきたのは、アレクスさんだった。

 落ち着き払った気配で屋内を見渡し、倒れた僕とアルフさんを見る。


「すまない、朝から迷惑をかけた」


 言葉は、村長のお爺ちゃんへ向けたものだ。

 僕がわざと蹴りを受けたことくらい、アレクスさんや他のみんなは知っている。それに、人族を見下すギルディアたちがいる手前、アレクスさんが僕たちに配慮するわけにはいかないからね。だから、まずは玄関の扉を壊された一番の被害者に謝ったんだね。

 次に、アミラさんへ声を掛ける。


「アミラ、大丈夫か」


 長兄に問われ、小さく頷くアミラさん。

 まだ体調が悪い、と頭を横に振っても良かったのに、お爺ちゃんや僕たちにこれ以上の迷惑をかけられない、と思ったのかな?

 ううん、違う。

 アミラさんを庇うように立つミストラルの気配を察して、騒ぎを収めようと気を回したんだ。


 神族よりも劣る人族の僕たちは、色々と気を回してしまう。

 だけど、神族よりも優れている種族が、竜人族だ。そして、ミストラルはその竜人族のなかでも最高位の称号を持つ、竜姫だからね。

 ミストラルは、他所様の家で好き勝手に暴れ回るマグルドや、失礼な言動を繰り返すギルディアに向かって、容赦なく強い気配を放っていた。


「朝から騒々しいわね。静かに朝食を摂りたいから、帰ってくれるかしら?」

「ちっ、竜人族の女風情が」


 マグルドが露骨に舌打ちする。

 ギルディアもミストラルを睨みながら言う。


「竜人族が山から降りて、何をする? 帝がその気になれば、お前らなぞ容易たやすく征服されるというのにな」

「もしも、そうだとして。それは帝とやらの力であって、貴方自身の力ではないでしょう? それとも、今ここでわたしに力を示してみせるのかしら?」


 ミストラルの挑発に、顔色を変えるギルディア。言葉こそ威勢は良いけど、実力はないようだね。


「今朝のことは多目に見てやる。だが、アミラ。体調が良いのなら、今日は俺に付き合え」


 と言い捨てると、ギルディアたちは長屋から出て行った。

 どうやら、ギルディアは今日も村に滞在する気のようだ。

 僕たはギルディアが隣のお屋敷に戻ったことを確認すると、壊された玄関を片付けて、遅くなった朝食に戻った。

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