帝尊府

「アミラ、食べ過ぎてお腹を壊すといいわ」

「アミラ、お酒を飲んで酔っ払うといいわ」

「いやいや、食べ過ぎはまだしも、朝からお酒を飲んじゃ駄目だからね?」


 ユフィーリアとニーナらしい提案に、僕たちは笑う。

 たしかに、さっきまでは体調が良かったけど、また急に悪くなった、という作戦は良いかもしれないね。

 ギルディアの横暴な要求に対して、滅茶苦茶めちゃくちゃな理由で拒否の意志を示したら、少しは向こうも大人しくならないかな?

 ううん、ならないだろうね。むしろ、アレクスさんたちの立場や、アミラさん自身が追い込まれるだけかもしれない。

 だから、笑い話は朝食の間だけだ。


 それでも、僅かな時間だけでもアミラさんの気を軽くしようと気を配るみんな。

 僕もユフィーリアとニーナに突っ込みを入れて場を盛り上げる。

 だけど、それが裏目に出た。


 つんつん、と隣に座るアミラさんにつつかられた。

 アミラさんはプリシアちゃんを抱いたまま、筆談用ひつだんようの紙に文字を書く。


「なになに?」


 アミラさんの文字は綺麗で、とても読みやすい。それに、筆談用の紙も上質な素材だね。


 最初にアミラさんが筆談に使う用紙を見た時、神族の国では辺境においても上質の紙が普及しているのか、と驚いた覚えがある。

 だけど、現実は少し違っていた。

 出稼ぎや出会いを求めて村から出ている村民のみんなが、アミラさんのために、と帰郷するたびに筆談用の紙を持ち帰ってきてくれるのだと、村長のお爺ちゃんが教えてくれた。

 アミラさんは、村のみんなにとても愛され、親しまれているんだね。

 アミラさんは、そんな用紙を無駄のないように小さく切り分けて、小さな文字で筆談する。

 言葉は話せないけど、意思疎通に問題はない。


「……ふむふむ。食べ過ぎと飲み過ぎも駄目だけど、夜更かしもいけない? はっ。アミラさんも昨夜のことを知っていたのか!」


 こっそり出かけたつもりだったのに、結局はみんなに露見してしまっていた。

 みんなが優秀なのか、僕がお間抜けなのか。

 まあ、アミラさんだって闘神の末裔なんだし、寝ていても同じ屋内で気配が動けば気付くだろうね。だから、僕の手落ちではなくて、みんなが優秀だったという結論で良いはずだ。

 だって、村長のお爺ちゃんは、どうやら気付いていなかったようだからね。


「ふうむふむ? 何をなさっていたね?」

「ごめんなさい、怪しいことはしていないですよ。ただ、慣れない土地で寝付けなくて。それで、ちょっとだけお散歩に出たんです」

「元気な少年だね。でも、気をつけるんだよ。儂が言うのもなんだが、都会の方ではあまり目立たない方が良い」


 昨夜、グエンにも釘を刺された。

 アレクスさん一家や村長のお爺ちゃんは親切だけど、やはり他の地域では神族至上主義の思想が広がっていて、人族や他の種族が目立つと危険なんだね。


「儂が若い頃は、こうも酷くはなかったんだけどね」

「昔は、人族とかにも有名な人がいました?」


 奴隷がいなかった、というわけではないだろうね。でも、神族をことさらに持ち上げる思想はそこまで広がっていなかったのかも。

 僕の質問に、お爺ちゃんは昔を懐かしむように目を細めた。


「四百年前くらいは、この辺りは小さな国がいくつかあるだけの、静かな田舎だったんだよ。その頃は、神族も人族も力があれば名声を手にできていた。しかしな。帝国にここいら一帯が征服されて、色々と変わってね。三百年くらい前からかのう。帝尊府ていそんふが現れ始めたのは」


 あっ、と声を漏らす僕。

 まさか、お爺ちゃんの方から「帝尊府」という言葉を聞くことになるなんて。

 僕が驚いたことに、お爺ちゃんが長い眉を上げて疑問符を浮かべる。それで、僕は話の方向を変えることにした。


「村長さん。帝尊府のことをもう少し詳しく、僕たちに教えてもらえますか?」


 アミラさんへ気を配ることも大切だけど、昨夜にグエンが残した疑問を解消しておかなきゃいけない。そうじゃないと、後々のちのちになって後手を掴まされて、手遅れの状況を生んでしまうかもしれないからね。


 朝から好き勝手に暴れたマグルドは、帝尊府だとグエンは言っていた。

 いったい、帝尊府とはなんなのか。それを知っておかなきゃ、マグルドへの対処で間違いが起きてしまうかもしれない。そして、その間違えが大きな破滅に繋がるような気がしていた。


 村長のお爺ちゃんは、僕が「帝尊府」という言葉に興味を示したことに驚いたようで、目を丸くしてこらちを見つめる。

 見れば、アミラさんも驚いたように僕を見ていた。


「ええっと。平地に降りる前に竜峰で出会った竜人族の旅人から言われていたんです。帝尊府には気をつけろって」


 嘘です。本当は、昨夜グエンに言われるまで知りませんでした。でも、グエンの名前は出せないし、嘘をつくしかないよね。

 僕の質問に、お爺ちゃんはお茶をゆっくりとすすってから何度か深く呼吸をして、ようやく反応してくれた。


「竜人族の旅人さんから聞いたか」


 言葉を発するまでに時間がかかったのは、頭の中を整理する時間を稼ぐためだ。きっと、僕たちにどうやって説明したら良いのかと考えていたんだろうね。

 お爺ちゃんは僕の質問の出処でどころを疑うことなく、帝尊府のことについて教えてくれた。


「このベリサリア帝国のみかどは、神族こそが至高の種族だとうたっておる」


 神族こそが世界最高の種族だと思い込んでいるから、他の種族を征服したり滅ぼしたりするんだね。

 神族ではない僕たちから見れば、なんとも身勝手な主張だけど。当の神族からは高い支持を得ているようで、帝国内で帝の思想に異議を唱えるような者はいないらしい。


「それで、帝の思想と『帝尊府』との繋がりってなんです?」


 神族の中でも支配者たる帝こそが最高の存在だから、とうとべってことなのかな?

 行政府に、そういう組織があるのだろうか、と疑問を口にしてみたけど、お爺ちゃんは否定した。


「いいや。帝尊府は朝廷ちょうていの組織ではないよ。そうだね。お前さんたち人族にもわかり易いように言うなら、宗教みたいなものかね」

「それって、僕たちが創造の女神様を信奉するように、帝尊府は帝を崇拝すうはいしているってこと?」

「そうなるね。世界の中で、神族こそが最高の種族。その中でも、ベリサリア帝国の帝こそが頂点に立つ者だという民間思想だよ。そして、そういう思想を持つ者を『帝尊府』とうようになった」


 三百年くらい前。

 最初は、神族の偉い学者さんが発表した提唱ていしょうだったらしい。

 それが長い歳月を得て次第に人々へと広がり、神族の中に浸透していった。すると、民間思想に染まった過激な者が現れて、帝の威光に影を生む邪悪を排斥はいせきしろ、という活動が流行はやり始めたという。

 でも当初は、民間思想の意識は帝の支配をけがす反乱分子や不正を働く役人に対して向けられていた。

 帝を崇拝する者たちは自主的に反乱者と戦ったり、地方の政治に目を光らせて不正を暴いてきた。

 そうしていると、次第に市井しせいの人たちから支持を得るようになる。

 自分たちの代わりに腐った役人を成敗したり、世の中の悪者を排除してくれるのだから、そりゃあ人気になっちゃうよね。

 そうなると今度は、朝廷内にも行政の健全化を図るための第三者的な存在として捉えるような気配が広がり始めたという。


「今から思えば、もうその頃には、貴族様の間にも思想が広まっていたんだろうね」


 そうして、ひとりの学者が提唱した思想は、ベリサリア帝国内の神族たちに深く浸透していった。


「いつからだろうね。そうした思想を持つ者たちのことを『帝尊府』と呼ぶようになったのは」


 帝尊府は、朝廷の組織ではない。でも、朝廷のお役人たちでさえも軽んじられないような大きな存在になって、いつしか政庁のような名前が付いたんだね。

 だけど、大きくなりすぎた組織は権力と影響力を持ち始めて、狂い始めるのが世のつねだ。

 帝尊府も、次第に変わり始めた。

 当初の思想がより過激に解釈され始めたのだと、お爺ちゃんは話してくれた。


「昔は、お前さんのように元気の良い人族や他の種族もいたんだ。天族にも優秀な者は多かった。しかし、帝を崇拝し、神族こそが最高の種族だとする帝尊府の思想から見ると、そうした者たちも邪魔な存在に思えてきたんだろうね」


 そうして、神族以外の目立つ者たちも排斥されるようになって、今になるという。


「それじゃあ、帝国内は帝尊府の思想に染まりきっているの?」

「いやいや、それはないよ。神族は賢い。そうした思想もあるのだと皆が認めてはいるが、全員が同調しているわけじゃあない」


 だから、悪目立ちをして帝尊府にさえ目をつけられなければ、人族の旅だって大目に見てもらえる、とお爺ちゃんは笑ってくれた。


「奴隷にも休みはあるし、金を貯めれば旅行にも行ける。まあ、神族の儂が言うと嫌味に聞こえるかもしれないけどね」

「いいえ。お爺ちゃんは僕たちに良くしてくださってますし、善い神族だと思っていますよ。もちろん、アミラさんやアレクスさんたちもね?」


 うんうん、と頷いてくれるアミラさん。


「それじゃあ、村長さんの話から察すると、ギルディアやマグルドは帝尊府ってことになるのかな?」


 グエンは、ギルディアについては言及していなかったけど、これまでの言動を振り返ると帝尊府のような気がするね?

 お爺ちゃんは少しだけ考えて、ふむ、と頷いた。


「領主様は、まあ、なんだね。田舎豪族いなかごうぞくから成り上がって気が大きくなっているんだろうさ。だが、あのマグルドとかいう護衛の男には気をつけなさい」

「はい。気をつけます」


 みんなにも、まだ昨夜の出来事を詳しくは話していない。それでも、マグルドが帝尊府で、警戒しなきゃいけない男だということは伝わったはずだ。


「ところで、村長さん」

「なんだね?」

「さっきの話で気になったんですけど。ここは、ずっと昔は帝国領じゃなかったんですね?」

「そうだよ。ベリサリア帝国の始まりは、もっと南の国だった」

「ってことは……?」


 ふと浮かんだ疑問だった。


 アレクスさんの一族は、闘神として帝に仕えたいと願っている。でも、その「帝」って、ベリサリア帝国の「帝」とは別物なんじゃないのかな?

 だって、この辺りは元々、小国だったんだよね?

 それに、と前に巨人の魔王から教わった歴史を思い出す。


 魔族の国や神族の国々は、数千年前はもっと東に在ったという。

 魔族の支配者に滅ぼされた神族の国や倒された闘神だって、元を辿れはずっと東の話だよね。

 なのに、アレクスさんはベリサリア帝国を支配している帝の闘神になりたいと願っているのかな?


 僕の疑問に、お爺ちゃんが笑いながら答えてくれた。


「はっはっはっ。お前さんは随分と博識だ。色々と歴史を知っているんだね? それなら、もう少し教えておいてあげよう」


 アレクスさんの一族は、確かに「帝」の闘神として復活したいと願っている。

 でもそれは、かつて滅ぼされた神族の国の帝ではなくて、今現在において神族を纏める国の帝に、という意味だと話すお爺ちゃん。


「つまりそれって、もしもベリサリア帝国が滅びて次の国がおこったら、その帝でも良いってこと?」


 帝国に住む人には失礼な言い方かもしれないけど、お爺ちゃんの説明だと、そういうことになるよね?

 僕の問いに、その通り、と頷くお爺ちゃん。


「闘神とは、神族のために闘う勇ましき存在であらねばならん。要は、時の支配者である帝に仕えることによって、神民の為に尽くすことこそが、儂らの願いなのだよ」


 世の中には、いろんな思想や願いが存在するんだね。

 そのどれもが間違いではないと思う。だけど、行きすぎた思想や願望は、いつかは身を滅ぼす呪縛となる。

 アレクスさんたちが、その呪縛に囚われていなければ良いんだけど……


 だって、と思わざるを得ない。


 僕たちは知っている。

 あの、魔族の支配者の恐るべき力を。

 ただそこに存在するだけで、全てを圧倒し、呑み込んでしまう。

 最古の魔王であろうと、霊樹を何千年も守護してきた古代種の竜族であろと、太刀打ちできない。

 その絶対的な存在から、本当に「魂霊の座」を取り戻せるのかな?


 ウェンダーさんは、少しでもアレクスさんの力になろうと魔族の国に入ったけど、果たしてどれほどの成果が得られるのか。

 そして、もしも魂霊の座を取り戻せないと心が折れてしまったら。そのとき、アレクスさんの一族はどうなってしまうのかな。

 僅かな不安が、僕の心に過ぎる。


「おおっと、悪い考えは捨てよう」

「にゃん」


 どうしたね? と首を傾げるお爺ちゃんに、僕は別の質問を投げてみた。


「そうだ。帝尊府のことを話してくれた旅人さんに、これも聞いたんですけど。テユ様って誰です? 蝶舞ちょうぶが素敵だって聞きました」


 グエンは、僕の竜剣舞を受けそうになって、降参した。

 テユって人の「蝶舞」を知っていたから、竜剣舞の恐ろしさに気付けたって言っていたよね。

 僕の竜剣舞と、テユの蝶舞。

 竜剣舞のように、舞の動きを取り入れた技なのだろうか。それを、テユという人物が極めている?

 僕の疑問に、またまた村長のお爺ちゃんとアミラさんが驚く。そして、お爺ちゃんが教えてくれた。


えん武神様まで知っておるとは、ほんとうに物知りだね」

「艶武神!?」

「そうだよ。艶武神テユ様は、帝の左に座するお方。一説においては、宴席で帝はテユ様から注がれた御酒みしゅしかお飲みにならない、と伝えられるほどのお方だね」


 思わぬ大物だと知って、今度は僕が驚く。


「これも噂話ではあるがね。テユ様は、帝が国を興す以前より傍におられたそうだ。帝が皇后こうごう様をめとらないのも、テユ様がおられるからだと云う者もいるね」

「帝の心をとりこにするだけじゃなくて、武神としての実力もある凄い女性なんですね? その武神様が、蝶舞を?」

「見る者全てが魅了される、魅惑的な舞だそうだ」


 千眼の武神だったウェンダーさんの部下だったから、グエンは艶武神だというテユのことも知っていたんだね。

 他所よそから来た人族の僕が帝国のことを少し知っていたり、色々と興味を示したことが嬉しかったのかな。村長のお爺ちゃんは、上機嫌に頬を緩ませていた。

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