夜中散歩

「申し訳ないが、私はギルディア殿の接待があるので、この辺りで抜けさせてもらう。あれでも一応は、この地の領主だからね」


 村長さんの連れ添いは、二十年ほど前に老衰ろうすいで亡くなったらしい。それで、僕たちも手伝って夕食の準備をしていると、アレクスさんが申し訳なさそうに言ってきた。


「いえ、こちらにお気遣いなく。でも、アレクスさんも大変ですね。母屋おもやを占有されちゃっただけでなくて、接待までしないといけないだなんて」


 アレクスさんのご両親も、ずっと前に亡くなったと聞いたことがある。恐ろしい魔物と戦って、他にも多くの村人が犠牲になったと、アレクスさんは過去にお酒の席で教えてくれた。

 闘神とうしん末裔まつえいと武人たちが暮らす村を襲い、多くの犠牲者を出した魔物は、本当に強かったんだろうね。そんな魔物とは比べようもないほど弱い存在のギルディアに、今度は大切な妹のアミラさんを奪われようとしている。しかも、そうとわかっていながら面と向かって反抗できず、接待までしなきゃいけない。

 アレクスさんは表情こそ穏やかだけど、内心はえ繰り返っているに違いない。

 現に、兄や妹の鬱憤まで発散させるかのように、弟のアルフさんは感情剥き出しで眉間にしわを寄せて怒りを露わにしていた。


「くそっ。あの野郎、いつか叩きのめしてやる」


 妹のために素直に怒れるお兄さんだなんて、素敵だね。

 アミラさんも、自分のためにいきどおってくれるアルフさんに、弱々しくではあるけど嬉しそうに微笑んでいた。


「兄様、俺もお手伝いします。でも、アミラ。お前はここに残れ。あいつらの接待を、お前がすることはない」


 でも? と首を傾げるアミラさんの頭を、アレクスさんが優しく撫でる。


「構わんよ。妹は体調を崩したとでも言っておこう。ちょうどいい具合にエルネア君の身内には巫女が二人もいるのだから、看病してもらっていると言えばギルディア殿でも手出しはできまい」


 やはり、神族の帝国でも聖職者は一定の身の安全が保証されているみたいだね。そして、聖職者が保護した者にも、その保証は適応される。


「それでは、アミラさんはこちらでお預かりさせていただきますね」


 ルイセイネの言葉に、アレクスさんとアルフさんは強く頷く。そして、長屋から出て行った。


「んんっと、プリシアはアミラお姉ちゃんとご飯を食べるの」

「こらこら、プリシアちゃん。あんまりわがままを言ったら駄目だよ?」


 と、僕がプリシアちゃんをたしなめようとしたけど、アミラさんは進んでプリシアちゃんを抱きかかえた。

 どうやら、アミラさんの悲しい心にプリシアちゃんの愛らしさが癒しを与えているみたいだね。


 アミラさんは言葉を封印されている、とアレクスさんが前に言っていた。

 なぜ、言葉が封印されているのかはわからない。

 喋ることができないなんて不自由極まりないよね。それでも、アミラさんは表情や仕草で、思っていることや言いたいことを伝えてくれる。

 プリシアちゃんも、アミラさんの気を紛らわせたいと幼女心に思っているのか、なぜかアミラさんにばかり甘えついているね。


 アレクスさんの判断は正解だったようだ。

 あのままギルディアの待つ母屋にアミラさんが戻っていたら、絶望に打ちひしがれていたかもしれない。それに引き換え、こちらで過ごしていれば、少しだけかもしれないけど心を穏やかにしていられる。

 そして、アミラさんとギルディアを引き離している間に、対抗策を練れば良いよね。

 とはいっても、僕たちはまだアレクスさんから手伝うことの了承をはっきりと得たわけではない。

 好意的な返事はもらえているけど、それだけで他所よその国の他所の家庭に土足で上がり込んで良いわけじゃないからね。


「さあさあ、田舎料理で悪いが、たらふく食べておくれ」

「遠慮なく、いただきまーす!」


 僕たちのやるせない想いとは違い、夕食の準備は着々と進んでいった。

 居間に大きなたくが置かれて、たくさんの料理が並ぶ。

 狩猟しゅりょうを主な生活の生業なりわいにしているというだけあって、いろんな獣のお肉が使われていた。


「あのね、プリシアはあの大きなお肉が食べたいよ?」


 プリシアちゃんの要求に、アミラさんが応えて料理を取る。そして、ふうふうと冷まして、食べさせてあげる。

 アミラさん自身、子供が大好きみたいだね。

 ギルディアのことなんて忘れたかのように、プリシアちゃんと楽しくご飯を食べるアミラさん。


 そういえば、と改めてアミラさんを見る。

 ふわりと長い黒髪がとても綺麗な女性だ。肌は白く、目鼻立ちははっきりしている。

 ギルディアが目をつけるだけあって、美人さんだ。

 年齢は、僕たちより年上だけど、まだ未成年。という年齢かな?

 神族だから実年齢はわからないけど、さっき「成人したら兵役に出る?」みたいな話の時に、兵役は否定されても未成年だという部分は間違いを指摘されなかったから、間違っていないと思う。

 まあ、神族の成人が何歳から、なんてことも知らないから一概にはいえないけど。それでも、見た目的には十代後半くらいの年齢に見える。


 そして、優しい表情が素敵だ。

 妖魔の王の討伐戦に参戦してくれていた時は、もっと凛々りりしくて積極的に戦場へ出る強気な女性に見えたけど。

 どうやら、戦場での雰囲気と普段の雰囲気には大きなへだたりがあるみたい。

 村では優しいお姉さん。戦場では、闘神の末裔。ふたつの素顔をあわせ持つアミラさんは、独特な雰囲気をかもし出していた。


「んんっと、こぼれちゃった」


 ぽろり、とプリシアちゃんが落としたお肉を拾い、自分で食べるアミラさん。そして、プリシアちゃんの汚れた口周りを拭いてあげる。


 本当に優しいね。

 こんなに素敵な女性が、ギルディアのような横暴貴族にとつぐ必要なんて、絶対にない。

 でも、このままでは、アミラさんは一方的な要求でギルディアのめかけにされちゃう。

 それだけは、何がなんでも阻止したい。


 ミストラルたちは、食事中に出す話題ではないとわかっているので、ギルディアの名前さえ出さずに食事を楽しんでいた。

 僕も、せっかく忘れている嫌なことを思い起こさせないように、ギルディアの話はしなかった。


「お前さんたちは、どこから来たね? こんなに別嬪べっぴんな竜人族の女性は、初めて見たよ」

「私も美人だわ」

「私も綺麗だわ」

「人族の双子さんは、全く見分けがつかないね? それと、あんたはその双子さんと似ているね? お前さんたちは、双子さんの区別がつくのかい?」

「はわわっ、昔は見分けがつきませんでしたわ。でも、今ではユフィ様とニーナ様を見分けられますわ」

「姉様たちに似ているなんて、なぜか素直には喜べないわね」


 村長のお爺ちゃんは、僕たちに気さくに話しかけてくれる。

 種族を見分けられない僕たちから見れば、お爺ちゃんが神族だなんて全く思えないね。

 アミラさんも、僕たちを見下したりするどころか、積極的にプリシアちゃんの面倒を見てくれるし、やっぱり神族のなかにもい人たちはちゃんといるんだ。


「そうだわ。アミラ、貴女もわたしたちと今夜一緒に寝ない?」


 少しでもアミラさんの気を紛らわそうと考えたのか、ミストラルが素敵な提案をする。一番に嬉しがったのは、甘えっきりのプリシアちゃんだ。

 アミラさんは最初こそ驚いた表情を見せたけど、すぐに笑顔になって頷いてくれた。

 どうやら、今夜は賑やかになりそうだね。なんて、夜のことを色々と想像した僕だけど、現実は残酷だった!


「では、唯一の殿方とのがたであるエルネア君には、申し訳ないですが別室でお休みいただきましょう」

「えっ!?」


 ルイセイネさん、何を言っているのかな? と目を点にする僕。

 アミラさんが一緒に泊まる代わりに、僕が追い出された?

 そ、そんな馬鹿な!?


「ほっほっほっ。愉快ゆかいな者たちだね。どうだい、少年。儂と一緒に寝るかい?」

「い、いえ……。これ以上のご迷惑をおかけするわけにはいきませんので、僕だけ別室で休ませてもらいますね」


 お爺ちゃんは善い人だけどさ。でも、おじいちゃんと二人っきりで一夜を過ごすのは厳しいです!


 僕だけが別室になったことで、いつものように抜け駆けをしようとする数名が出てきたり、それを阻止しようと騒ぐ者たちで、今夜も賑やかになった。

 むしろ、いつも以上に盛り上がっていた。

 全員が、アミラさんの気を紛らわせようと気を遣っていた。






「……さて、どうしよう?」


 夜中。

 ミストラルの提言通りに別室で寝ることになった僕。

 とはいえ、なかなか寝付けない。

 自分たちの今後の予定よりも、アミラさんのことが心配で落ち着かないね。


 いったい、僕たちには何ができるだろう?

 他所者よそものの、しかも種族さえ違う僕たちができる協力なんて、たかが知れているかもしれない。だけど、何か少しでも手伝えることはないのかな?

 でも、やはりアレクスさんたちの考えをまだ聞いていないから考えがまとまらないし、動けない。

 そもそも、アミラさんはギルディアの話に強い拒否感を示していたけど、領主の命令を断れたりするのかな?


 僕たちは、あまりにも神族の国の事情を知らなすぎる。

 たとえ闘神の末裔だとしても、領民が領主に反抗できるものなのか。

 反抗した場合に、どんな罰や苦難が待ち受けているのか。

 何も知らない僕たちが、僕たちの感情だけで動くわけにはいかない。

 少なくとも、アレクスさんたちの意志だけは確認をとっておかなきゃね。


 と、わかっていても、色々と考えてしまう。


 もやもやとする思考を鎮めるために、僕は仕方なく寝台を抜け出した。

 女性陣や村長のお爺ちゃんはもう就寝したのか、静かな夜だ。

 僕は廊下に出て、そっと平屋を後にした。


「うわっ、本当に寒いや」


 月と星に照らされた夜空。それをさえぎるようにそびえる西方の竜峰から、冷たい風が吹き降りてきて、晩春だというのに肌に刺さる。


『散歩か』


 ユンユンの声が頭に直接聞こえてきた。気配を探ると、僕の側にユンユンの気配が漂っていた。

 うん、と頷く僕。

 僕は姿を消したままのユンユンと一緒に、のんびりと歩き出す。


「アレクスさんたちも寝たみたいだね」


 平屋の横のお屋敷もあかりは消えていた。

 だけど、と少しだけ眉根を寄せる僕。

 みんなが寝静まった夜に、不穏な気配を読み取る。


 遠くの物陰から、こちらを監視しているような気配があるね。

 もしかしたら、神族の兵士が夜も僕たちを監視しているのかな?

 でも、変だな?

 日中に見た神兵の中に、これほどたくみに気配を消せるような達人はいただろうか。

 世界の違和感を読み取るすべを身につけていなかったら、その存在に全く気付けなかった可能性がある。

 かなりの手練てだれだ。


 僕は物陰の気配に注意しながら、それでも素知らぬふりで歩き出す。

 今は、気づいていない振りをしていた方が無難だ。相手の目論見もくろみがわからない現状は、必要以上にこちらの実力を見せる場面ではないからね。

 ユンユンも物陰の気配に気づいたようだったけど、偵察に近づいたりはせずに、むしろ僕への不意打ちを警戒して側にいてくれた。


 月と星に照らされた田舎道を、なく歩く。時おり吹き抜ける冷たい風が頭を冷やしてくれているようで、色々と考えすぎる思考を鎮めてくれた。


「……ふむ、ついてきているね?」


 田畑や夜空に視線を向けながらも、こちらの様子を伺う物陰の気配の動きだけはしっかりと把握はあくしていた。

 僕が歩くと、追尾するように追いかけてきた潜伏者せんぷくしゃ

 完全に、僕のことを付け狙うきだね?


 僕はまだ気づかないふりをしたまま、ゆっくりと歩き続ける。

 田畑の間の畦道あぜみちを進み、たまに屈んで畑に何が植えられているかを見たりする。

 まあ、夜闇の中だし、小さな芽を見ても素人の僕には何が植えられているかなんてわからないんだけどね。

 でも、そうして潜伏者にただの夜の散歩だと思わせておいた方が、油断を誘える。


「くっくっくっ。魔獣や精霊たちと隠れんぼや鬼ごっこを繰り広げてきた百戦錬磨ひゃくせんれんまの僕に、その程度の潜伏は通用しないよ?」

『まるで、悪役の台詞せりふだな』


 潜伏者には聞こえない程度の声で話す僕と、頭の中に直接話しかけるユンユン。

 もしも、風に乗って僕の声が潜伏者のもとまで届いていたとしても、何を喋っているかまでは聞き取れないだろうし、ユンユンの気配を感じられないのなら、独り言だろうと思うはずだ。

 でもまあ、潜伏者はそれだけ離れた距離に身を潜めて僕を追跡しているという意味でもある。


 なかなかに用心深い潜伏者だ。

 腕前も凄そうだし、やはりギルディアが連れていた神兵のなかにこれほどの手練れがいた記憶はない。


『いや。考えが浅い。我らの前に現れず、母屋に残っていた可能性もあるだろう』

「そうか。ギルディアの身辺を警護する兵士なら、僕たちを捕らえに来ずに、母屋に残っていた可能性があるね」


 なにせ、兵士を全員出してしまったら、その間に、逆上した闘神の末裔であるアレクスさんたちが反撃してくる危険性もあるからね。そう考えると、やはり母屋に残ってギルディアを護衛していた神兵は、アレクスさんたちを牽制けんせいできるほどの手練れということだ。

 そして、護衛を任せるということは、ギルディアの腹心でもあるよね。


「よし、決めた。捕まえて情報を聞き出そう」

『手荒なことはしないのではなかったか?』

「しないよ? でも、ほら。何者かが潜んでいたら、魔物や魔獣だと思って、つい自衛行動はとっちゃうよね? それで相手が神族の兵士だったら、潜伏していた事情とかを問い正しても問題ないよね?」

『良い理由付けだ』


 ユンユンが苦笑する気配を感じた。


「さあて、どうやって襲おうかな?」


 潜伏者は気付いているだろうか。狩人と獲物の立場が、今まさに逆転したことを。


 僕はのんびりと田舎道を進みながら、潜伏者を襲撃する機会を密かに伺い始めた。

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