知っていること 知らないこと

 地竜の親子を見送ると、改めて救出された聖職者の人たちへと向き直る。

 巫女様が二人と、神官様が三人。

 装束は汚れ、人によってはすそが破けていたりする。だけど、重度の怪我を負っているような人はいなさそうだ。

 もっとも、巫女様がいるから、大怪我をしていても法術で癒せるだろうけどね。


「マドリーヌ様、申し訳ございません。このような場所までご足労頂ごそくろういただきまして、ありがとうございます……」

「何を言っているのですか。むしろ、このような危険な場所だとも知らずに、何の備えもなく送り出してしまった私を許してくださいね?」


 若い巫女様が、マドリーヌ様の腕に抱かれて泣いていた。そしてマドリーヌ様は、そんな巫女様に優しい言葉をかけ続けていた。


「女神様は、ときに厳しい試練を私たちにお与えになります。ですが、それは女神様が私たちに成長してほしいと期待なされているからなのです。貴女たちが今回見舞われた苦難も、女神様の試練だったのでしょう。ですが、貴女たちは無事に試練を乗り越えたのです。お役目であった聖水をしっかりと採取してきたではありませんか。ですから、どうか胸を張って笑顔になってくださいね? 苦しく辛い道のりの先には、必ず幸福が待っているのですから」

「はい、そうでございますね。女神様から贈られた試練を克服できたのですから、私たちは泣くのではなく、笑顔にならなければいけないのでございますね」

「そうですよ。でないと、せっかく試練を授けてくださった女神様も、お悲しみになってしまいますから」


 若い巫女様の頭を優しく撫でながら、マドリーヌ様が率先して笑顔を振りまく。すると、地竜に追い回された恐怖で心と身体を疲弊していた聖職者の人たちにも笑顔が戻り始めた。


「マドリーヌ様って、やっぱりすごい人なんですね」

「もうっ、エルネア君。私はこれでも、一応は巫女頭なのですからね?」


 普段、マドリーヌ様の私的な言動をたりにしている僕たちからしてみれば、巫女頭様という立場以前に、ユフィーリアとニーナの仲間、という認識の方が強くなっちゃうんだよね。とは口に出さずに、僕たちも聖職者の人たちを無事に救出できたことを喜ぶ。


『フィオのおかげだからねっ』

『リームもぉ』

「うん、そうだね。フィオが巫女様たちを見つけてくれて、リームがレヴァリアを説得してくれたおかげだよね。レヴァリアも、ありがとうね? これも全て、女神様のお導きだね!」

『女神なんぞ、知るものか!』


 きっと、暴君と恐れられていた頃のレヴァリアなら、人助けなんてわれても絶対にしなかったはずだ。それに、地竜と相対したら問答無用で業火の餌食えじきにしていただろうね。

 だけど、レヴァリアはフィオリーナやリームのお願いを聞き届けて、聖職者の人たちを救ってくれた。それに、地竜を威嚇いかくこそしても無用な戦闘は避けて、大きな傷も負わせていなかったよね。


 僕たちから見れば、それはレヴァリアの大きな成長だ。だけど、レヴァリアのことを詳しく知らない聖職者の人たちから見れば、行きずりの飛竜に護られたという事実は、まさに女神様のご加護とご慈悲だったと思っちゃうよね。

 しかも、その飛竜は僕の身内であったばかりか、したう巫女頭様が自ら救出に駆けつけてくれた。

 これを奇跡と言わずに、何と言うのだろう。


 聖職者の人たちは、思わぬ不幸と恐怖という考えから、女神様の試練を奇跡によって克服できたと認識を改めて、笑顔を取り戻すことができた。


 これで、ひとつの騒動は無事に解決! ……なんて、都合良くはありません。

 遠足は、帰るまでが遠足なのです。


「それじゃあ、僕たちは次に移ろうかと思うんだけど。そこで、問題です。巫女様たちをこれ以上危険な場所に連れて行くことはできないし、ここに置き去りにするわけにもいかないよね?」

「エルネア君の言う通りね。聖職者の方々を、誰かが森の外まで護衛しながら送り届ける必要があるわね」


 うん、と指をあごに当てて思案するセフィーナさん。

 そして、僕の指摘によって、困ったように眉間にしわを寄せたのは、フィレルだった。


「そうですね。誰かが護衛しながら森の外まで連れ出した方が良いと、僕も思います。ですが……」


 ここで問題になるのが、楽園の森に張られた精霊さんたちの迷いの罠だ。

 この迷いの罠を破れる者が聖職者の人たちに同行しなきゃ、せっかく救出できた人たちを今度は迷子にさせちゃうことになる。


「迷いの森を突破できる人は……。プリシアちゃんと、そのお姉さん。それと、セフィーナさんとエルネア君でしょうか」

「ははは……。フィレル、僕はね……」

「んんっと、エルネアお兄ちゃんは無理なんだよ!」

「プリシアちゃんに断言されちゃった!」


 まあ、否定はできません。

 むしろ、僕が案内役になったら、恐ろしいくらいに迷いそうです。

 なにせ、これまでにも何度となく迷子になってきた実績があるからね!


「そ、それでは……。どうしましょう?」


 苦笑気味のフィレルが、僕に問い直す。


「ううーん、困ったね」


 プリシアちゃんとアリシアちゃんを今の時点で目の届かない場所に置くのは危険だと、僕の本能が伝えています。

 かといって、せっかくユグラ様や盗賊団の位置を特定してくれたセフィーナさんを離脱させるわけにはいかない。

 それじゃあ、やはり僕が?

 いやいや、それは無理だね。

 たとえアレスちゃんの力を借りたとしても、迷子になること間違いなし。というか、アレスちゃんなら進んで僕を迷子に導くはずだ。


 では、いったい誰が聖職者の人たちに付き添うのか。

 そこで、僕はひらめいた。


『うわんっ、素敵な予感?』

『名案閃いたぁ?』

『ちっ。嫌な予感しかしない』


 僕にぐりぐりと頭をり付けてくるフィオリーナとリームが、期待を込めて瞳を輝かせる。それとは対照的に、レヴァリアは心底嫌そうな瞳で僕を睨んだ。


「そもそもさ、レヴァリアたちは精霊さんたちの悪戯を受けていないよね?」


 ユグラ様でさえ、楽園の上空を飛行していると、精霊さんたちの悪戯にあう。なのに、レヴァリアたちは楽園の上空を飛んでも奇妙な現象には巻き込まれなかったという。それに、聖職者の人たちを救ってくれたときにも悪戯されていない。

 言われてみると、と疑問の表情を見せるみんなに、僕はレヴァリアの存在を示す。


「竜峰からは遠く離れた土地だけどさ。こっちの精霊さんたちも本能で気づいているんだと思うんだ。レヴァリアに悪戯なんてしたら、森ごと焼き払われちゃうってね!」


 なるほど、と竜人族の三人が神妙に頷く。

 子竜のわがままに付き合って人族を救ってくれたレヴァリアだけど、自身に降りかかる迷惑には容赦をしない。

 それこそ、森に住む者たちが自分に気安く手を出すようなら、森ごと消してしまえ、なんて選択肢を問答無用で選ぶくらいに。

 精霊さんたちも、レヴァリアの恐ろしさを正しく理解し、悪戯をひかえていたんだろうね。


「そこで、僕からの提案です」

『拒否する』

「そんなぁ……。レヴァリア、お・ね・が・い!」


 フィオリーナとリームを連れて、レヴァリアに擦り寄る。

 ついでに、プリシアちゃんとアレスちゃんも混ぜて、可愛く懇願こんがんする僕たち。


「お礼はするからさ」

『エルネアお兄ちゃんのお願いだよっ』

『お願いだよぅ』

「んんっと、ご褒美をあげますからね?」

「おねがいおねがい」


 にこにこ笑顔で抱きつく僕たちに、レヴァリアは牙を剥き出しにして威嚇してきた。だけど、炎を吐いたり逃げたりはしない。

 まあ、僕だけが爪で弾き飛ばされちゃったけどね!


『森から連れ出すだけだ。それ以上は請け負わん』

「ありがとう、レヴァリア!」

『貴様のためではない。森の奥に気配を感じるいぼれに、貸しを作っておくだけだ』

「ふふふ。フィオのお願いを聞き届けるという体裁ていさいですね?」

『貴様は少し黙っていろ』


 どうやら、レヴァリアもユグラ様の気配に気づいていたらしい。

 もしかして、楽園に来たのはユグラ様にフィオリーナを会わせるためだったのかな?

 そこはレヴァリアにしかわからないけど、どうやら僕のお願いは聞き届けられたみたい。

 あっ、違った。

 フィオリーナのお願いを受けてくれたみたい。


 レヴァリアは渋々しぶしぶながらも、同意してくれた。


『ただし、奴らを乗せる気はない。自力で歩いて帰ることだな』

『それなら、フィオが案内役をするねっ』

『リームもぉ』

「レヴァリアは上空からフィオやリームを見守るついでに、聖職者の人たちを見ていてね」


 レヴァリアが空から監視してくれていたら、精霊さんたちも地上を行く者に悪さをしないと思う。

 それに、楽園に棲息せいそくする他の竜族たちへの牽制にもなるしね。


「フィオとリームも、よろしくね」

『お任せだよっ』

『任せてぇ』


 僕は、まとまった事情を聖職者の人たちに説明する。

 自分たちを救ってくれた竜族がこのまま護衛について来てくれると知って、巫女様たちも安心したように同意してくれた。

 すると、そこで思わぬ申し出が横から入った。


「エルネア君、少しよろしいでしょうか」

「はい、マドリーヌ様。どうかしました?」


 普段、僕たちと一緒にいるときに見せる自由気質な雰囲気を抑えたマドリーヌ様の様子に、つい身構えてしまう僕。

 真面目な話なんですね、と話す前から理解できた。


「私は、エルネア君ともっと冒険がしたいと思っています。ですが、今回はこれ以上の同行はできません。負傷した巫女たちを放っておくことはできませんから」

「巫女頭様ですからね」

「はい。そして、それは巫女頭のお役目という以前に、私自身が担わなければならないと強く感じていますから」


 このとき、僕はようやく、自分の不徳さに気付かされた。


 そういえば、マドリーヌ様が神職に身を置く者として働いている姿を、僕はあまり深くは知らない。

 巫女頭様という立場だから、きっと忙しいんだろうな、とか、双子王女様たちといるときには手に負えない人だけど、普段は真面目にお務めを果たしているんだろうな、とは認識していたけど。


 だけど、僕のこの認識はひどく間違っていたんだね。

 そしてそれは、マドリーヌ様に対して失礼だったのだと気付かされた。


 マドリーヌ様は、僕に好意を寄せてくれている。

 それはとても嬉しいことで、僕も前向きに想いを寄せている。

 でも、僕は愛に甘えてばかりいて、人の想いや世の中の流れに流されていただけなんだ。


 マドリーヌ様を心から愛し、将来は妻として迎えたい。そう思うのであれば、僕はもっと彼女のことを知らなきゃいけないんだ。

 巫女頭としてのマドリーヌ様。

 職務を離れたときの、マドリーヌ様。

 そうした表面的なことばかりじゃない。彼女が何を想い、何を大切にし、何を成したいのか。

 僕は真剣にマドリーヌ様と向き合って、もっと深く彼女のことを理解し、愛さなきゃいけない。


 それを、今更ながらに思い知らされた。

 ああ、なんて遅すぎた自覚だろう……

 自分の不甲斐なさに、幻滅してしまう。


「エルネア君、どうかしました? 私が何か変なことでも言ったでしょうか」

「ううん、違うんです。僕はまだまだ未熟だなって、改めて思い知らされちゃって。本当に、ごめんなさい」

「……?」

「ええっと、気にしないでください、マドリーヌ様。それと、マドリーヌ様の考えを尊重そんちょうします」

「ありがとうございます」

「でも、この件が終わったら改めて、僕との時間を作ってくださいね? 僕も真剣に向き合いますから」

「ふっふっふっ。よくわかりませんが、それでは覚悟しておいてくださいね!」

「はい!」


 僕は、フィオリーナとリームに、マドリーヌ様たちのことを託す。

 聖職者の人たちも、マドリーヌ様が付き添ってくれることになり、先ほどまで以上に顔を輝かせていた。


 やっぱり、マドリーヌ様はヨルテニトス王国の巫女頭様なんだね。

 僕の知らないマドリーヌ様の一面を、聖職者の人たちは知っている。

 僕も、それを知りたい。

 もっともっとマドリーヌ様のことを理解して、愛したい。


「もちろん、セフィーナさんのこともね!」

「はい?」


 突然、名前を呼ばれて、セフィーナさんは不思議そうに僕を見つめていた。

 僕はそんなセフィーナさんに笑いかける。


 僕が知らなきゃいけないことは、マドリーヌ様のことだけじゃないよね。

 セフィーナさんとも真摯しんしに向き合って、知らないことをもっとたくさん知りたい。


 ああ、でもね。

 これまでだって理解しようとしていなかったわけじゃないんだよ?

 ただ、彼女たちの覚悟に比べて、僕の想いが軽かったんだって気付かされたんだ。


「にゃあ」


 プリシアちゃんの頭の上から、ニーミアが僕を見つめていた。

 僕は遅まきながら自分の過ちに気づけたけど、恥ずかしいからみんなには内緒だよ、と心に思い浮かべる。すると、ニーミアはもう一度だけ可愛く鳴いた。


「んんっと、戻ったら遊ぼうね?」

『エルネアお兄ちゃんにいっぱい遊んでもらおうねっ』

『楽しみぃ』


 ニーミアを頭の上に乗せたプリシアちゃんが、フィオリーナとリームにお別れの挨拶をしている。その間に、僕たちは改めてセフィーナさんから次の目的地を聞く。


「盗賊団は……少し距離があるかしら。ここからなら、ユグラ様がとららわれている場所の方が近いわ」

「それじゃあ、次はユグラ様の救出だね」


 盗賊団の動向も気になるところではあるけど、近い場所から効率よく問題を解決していった方が良いよね。

 ということで、僕たちはレヴァリアや聖職者の人たちと別れて、次の行動に移る。


「マドリーヌ様、森の外で再会しましょうね」

「はい。エルネア君たちも、お気をつけて。女神様のご加護がありますように」


 僕たちはマドリーヌ様たちと別れて、今回もセフィーナさんを先頭に、森の奥へ向けて駆け出した。






 乱立する樹々をうように走り抜けていると、背後で竜人族の人たちが感慨深く話している声が聞こえてきた。


「しかし、意外だな。あの暴君がここまで丸くなるとは」」

「それだけじゃないわよ。フィオ様が進んで協力を申し出てくれるだなんて」

「平地に降りて様々な体験をしてきた。俺たちはそれなりに成長してきたと思ったが、どうやら成長していたのは俺たちだけではなかったらしいな」


 レヴァリアが面倒見の良い性格なのは最初からだと、僕は知っている。

 それに、フィオリーナが良い子なのは、ユグラ様に会う前だからだよね。

 なにせ、ユグラ様の言いつけを守らずに棲息地から抜け出してきているんだ。それでわがまま三昧ざんまいだったら、ユグラ様に叱られちゃう。

 だから、プリシアちゃんたちと遊びたいという欲求を堪えて、頑張っているんだと思います。

 なんて野暮やぼな突っ込みは置いておいて。


 相変わらず、セフィーナさんはずんずんと迷うことなく森を進む。

 すると間もなく、僕たちは怪しげな場所にたどり着いた。


「これは……」


 乱立する樹々を抜けた先で僕たちが見たもの。それは、植物が造りだした巨大なまゆだった。

 しかも、ただの繭ではない。形成している素材は草花だったり木の枝や蔦だったり。それらが複雑に絡み合い、見上げるほど巨大な繭になっていた。


『お客さんだわ』

『さっき取り逃がした人たちよ』

『耳長族がいるね』

『でも、この森の耳長族じゃないわ』


 巨大な繭を前に、呆然ぼうぜんと立ち尽くすフィレルやお付きの三人。

 セフィーナさんも、驚きのあまり言葉もなく止まって、植物の巨大な繭を見上げていた。

 だけど、僕や耳長族の姉妹は、周囲にただよう濃厚な気配と声ならざる声に気づいた。


「やっぱり、精霊さんたちの仕業だったか」

『あら、この子は知っているわ』

『私たちを活性化してくれた人だわ』

『力を与えてくれた人だね』

『じゃあさ、この人も仲間に入れちゃう?』

『良いわね』

『賛成だ』


 どうやら、精霊さんたちは僕のことを覚えていてくれたみたい。

 だけど、なにやら不穏な気配がしてきたよ?

 周囲に集まりだした精霊たちの気配が、なぜか僕に集中しだす。


 ぞわり、と悪寒を感じて、身構える。

 でも、その時だった。


「んんっとぉ、悪さをしちゃ駄目よ?」

「んんっと、悪い子はお仕置きですからね?」

「おしおきおしおき」


 アリシアちゃんとプリシアちゃんとアレスちゃんが、僕に抱きつく。

 すると、不穏な気配を漂わせていた精霊の気配がぱっと散る。


『怖いわ』

『危険だね』

『霊樹様よ』


 そして、精霊さんたちの気配は逃げるように巨大な繭の中に入っていく。


「ふふーん? 籠城ろうじょうする気ね? 徹底抗戦てっていこうせんね?」

「あのね、精霊さんたちはおっきな卵のなかに逃げたんだよ」

「にげたにげた」


 精霊の気配や声を聞くことのできないみんなに、プリシアちゃんが説明してあげている。

 それにしても、プリシアちゃん的には、あれは繭ではなくて卵なんだね。

 なにはともあれ、ユグラ様は繭の中に捕らわれていて、精霊さんたちは僕たちに抵抗するように、その中へと逃げ込んでしまったようだ。


 さてはて、これからどうすべきだろう?


 精霊さんたちのたくらみや悪戯以上に、ふふふ、と不敵に微笑むアリシアちゃんに嫌な予感を覚える僕だった。

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