魔族の動き

 にごった水とあわが視界を支配する。

 必死にもがくけど、ルイララは僕を掴んで離さず、容赦ようしゃなく水中深くへと引きずり込んでいった。


「し、死んじゃうっ」


 手をばたばたと動かす。だけど、光の溢れる水面は一瞬で遠くなり、暗闇へと変わる。もう、濁っているのか光が届かないだけなのかもわからない。


「た、助けてー!」


 僕は泳げませんよ!

 そして、水中では呼吸もできません!

 僕は、ライラやユフィーリアやニーナのお胸様でおぼれ死ぬのではなく、ルイララの魔手によって殺されてしまうのか……


「エルネア君。あんまり暴れていると、君の心を感じた水竜が集まってくるよ?」

「それだ!」

「いやいや、水竜なんて呼ばれちゃったら、僕は頑張るしかなくなると思うんだ」

「でも、そうしないと僕が溺れ死んじゃうよ!」

「溺れていないと思うけど?」

「なにを言っているんだ。僕はルイララに水中へと引きずり込まれて、今にも死にそうだよっ」

「どの辺が?」

「息ができないこととか、泳げないこととか!」

「……息、していると思うけど? 泳ぐ必要もないと思うよ」

「……」


 そういえば、さっきから普通に会話をしているように思えます。

 じたばたとみっともなく暴れていた自分を冷静な状態に戻して、状況を正確に確認してみることにした。

 確かに、僕は水中にいる。光はなく、ゆらゆらと濃密に揺れる闇がどこまでも続いている。闇のなかで気泡が踊り、上へと昇っていく様子が、状況に反してとても綺麗だ。

 でも、僕の周囲には一滴の水もなかった。衣服や髪は濡れていない。

 ルイララに身体を掴まれた僕は、巨大な泡に包まれていた。

 いつものように、意識することなく呼吸をしている。

 苦しくありません!


「……なんで?」

「ひどいなぁ。僕はエルネア君のためを思って行動しているんだけどな」

「うう、ごめんなさい」


 どうやら、ルイララの魔法で守られているみたい。

 ルイララは僕を潰さないように優しく両手で掴み、息ができるように泡で空間を作ってくれていたんだね。

 でも、なんで僕はルイララに拉致らちされてしまったんだろう?

 巨大な生物ルイララ君。彼の胸元に抱かれた僕は、ずっと先のルイララの顔を見つめた。

 だけど、気泡と濁った水がつくる闇で、ルイララの顔さえも拝めない。


「ねえ、ギルラードという上級魔族と、ルイララのこの行動には関係があるのかな?」

「どうやら、エルネア君は面倒な相手に狙われたようだね」

「ええっ!」


 なんとなくは予想していたけど、やっぱり変な騒動に巻き込まれちゃったわけか。


「でもまあ、自業自得というか……」

「どういうことかな?」


 それはね、とルイララがなにかを言おうとしたとき。

 闇の先から、きゅうきゅう、と響く音が聞こえてきた。


「ほら、やっぱり来ちゃったよ」


 なにが来たの? とは聞かなくてもわかる。

 気配を探らなくても、彼らの存在感はどこでも一緒だ。

 一見すると可愛らしい鳴き声の主。でもその正体は、水竜たちだった。

 すぐ近くで水竜の気配をいくつも感じる。

 どうやら、僕が水のなかで騒いだせいで、竜心によって水竜に伝わってしまったみたい。


「ごめんなさい。なんでもないよ」

『なにかと思って来てみれば、最近よく見かける憎たらしい魔族か』

『ちっ。今回は見逃してやろう』

「見逃すのは、こっちの方だと思うんだけどな」

「ルイララ、水竜たちとの喧嘩は禁止だよ」

「それは、初期の頃に言ってほしかったね」

「……もう、喧嘩した後なんだね」

『竜心を持つ者よ。この辺りであまり騒ぐでない』

「ごめんなさい。気をつけます」

『べ、別に貴様のために来たんじゃないんだからねっ』


 よく目を凝らして見ると、力強く泳ぐ水竜の姿が水の奥に見えた。

 顔はまさに、竜族のそれ。鋭く光る瞳。雄々しいつの。長い首から下は、飛竜をもう少し胴長にした感じ。ただし、翼は水を切るような鋭く長い形状で、長い尻尾の先は魚の尾ひれに似ていた。

 この辺りを縄張りにする水竜なんだろうね。

 水竜騎士団の水竜とは違う種だ。


 水竜はまるで空を飛ぶかのように、水のなかを自由自在に泳ぎ回っていた。

 何度かルイララを挑発するように近づいてきたときに見えた姿が格好良い。

 水竜たちはいっときの間、僕たちの周りを泳いでいた。そして満足したのか、またきゅうきゅうと可愛い鳴き声を発しながら、遠ざかっていった。


 ううむ、あの雄々しい姿と可愛い鳴き声が合致しません。

 そして、今更だけど気づきました。

 どうやら、ルイララも泳いで移動しているみたい。

 シューラネル大河の濁った水は光を通しにくいらしく、ほとんど視界が確保できないからわからなかったよ。泡に包まれているから、水の流れを身体で感じることもないしね。


 ルイララは水竜たちがいなくなった後も、変わらず泳ぎ続けた。


「ねえ、ルイララ」

「なんだい、エルネア君」


 相変わらずルイララの手のなかで。僕は水中を見渡しながら、思っていたことを口にした。


「あのね。せっかくの水中なのに視界が悪いから、なんかさみしい。……うぎゅっ」


 要望を口にしたら、ルイララに締め上げられてしまいました。

 ごめんなさい。


 やれやれ、とルイララがため息を吐く。でも、ルイララが水上に出ることはなかった。


「なるべく水中を進まないと、大事おおごとになっちゃうよ」

「そうだね。ルイララの姿は目立っちゃうから」

「それもあるけど……」

「でもまさか、魔族のルイララが人族の社会に気を使うだなんて!」

「僕は人族がどうなっても良いんだけどね。困るのは、エルネア君だよ?」

「うっ……」


 人族なんて、ルイララにとってはどうでも良い種族でしかない。それでも僕に気を使ってくれている彼に、感謝をしなきゃいけない。


 ルイララは結局、僕を掴んだまま水中を泳ぎ続けた。

 僕はというと、代わりえのしない視界が眠気を誘い、ついうとうとしちゃう。でも、運んでもらっている僕が寝ちゃうのは失礼になるよね。

 ……いや、そもそもなんで、運んでもらっていると思ってしまったんだろう。

 僕は、拉致されたんじゃないか!


「ねえ、ルイララ。僕はなんで拉致されたのかな? 自業自得って、どういうことさ?」


 改めて質問してみたら、ルイララはそれはね、と言ってようやく水上に上半身を出した。

 水の上はすでに夕刻になっていて、空が赤く染まっていた。

 ずいぶんと長い時間、僕は水のなかに居たんだね。

 ルイララはシューラネル大河から上半身を出してしばらく泳ぎ、手頃な陸地へと僕を下ろす。


「今日はこの辺で野宿だね」

「……僕はおうちに帰れないんだね」

「仕方がないよ。家族を騒動に巻き込みたくないよね?」

「でも、違う騒動に巻き込まれちゃっているよ?」

「その辺の事情は知らないけど。魔族と戦闘になったときに、エルネア君は周りへの被害を抑えられるかい?」

「まるで、僕が色々と破壊するって言っているように聞こえるよ」

「そう言ったんだよ」

「しくしく」

「冗談は置いておいて。君が気を遣っても、魔族の方は気を使わないからね」

「そうだね。実家には竜族や竜人族の人たちが滞在してくれているし、僕がそっちに居なきゃ、わざわざ手を出そうとは思わないのか」

「そういうこと。それにさ」


 ルイララはいつの間に捕まえたのか、手頃なお魚を僕の方に放ってくれた。

 夕ご飯にしろ、ということらしい。

 火を起こして、お魚を豪快に炎のなかに放り込む。

 料理?

 残念ながら、お魚はさばけません。料理しようにも、身を切り分ける短剣や味付け用の調味料さえ持ってない。着替えもないし、はっきり言って、野宿する準備なんて全然していませんでしたよ。


 炎に包まれて、お魚が暴れる。

 しまった。頭だけでも落として、絞めてから焼けばよかったよ。と思ったのは後の祭り。炎に焼かれたお魚は、すぐに動かなくなってしまった。

 ごめんなさい。ちょっと残酷ざんこくすぎました。これも全て、魔族のルイララの影響だと思うんだ。


「豪快だね。どんな状況でもたくましく生きるエルネア君を見ていると、これからの困難も君なら乗り越えられると思えてくるよ」

「……困難が待ち受けているんだね?」

「それは、君次第かな」


 勢いの収まった火のなかから取り出したお魚は、丸焦まるこげだった。うろこ付きの皮を剥いでも、焦げていた。


「ねえ、ルイララ」

「仕方ないなぁ」


 ルイララは僕の失敗を笑って、いったん水中に沈む。そしてすぐに、新たなお魚を取ってきてくれた。


「ありがとう!」


 今度は失敗しません。

 白剣で頭を落とし、手頃な枝に刺して火にべた。

 脂の乗ったお魚の身が、じりじりと美味しそうに焼けていく。

 だけど、途中で枝が燃えて、お魚がまた火のなかに落ちる。慌てて取り出すと、ちょうど手頃な焼き加減になっていた。


「ルイララも食べる?」

「僕は、不味い食べ物は口にしないことにしているんだ。これでも一応、貴族だからね」

「ひどい!」


 ルイララにふられて、仕方なく自分だけお魚にかぶりつく。


「……」


 残念ながらルイララの言う通りで、美味しくはなかった。最近は贅沢ぜいたくな食生活だったので、舌も無駄に贅沢になっていたのかもしれない。柔らかい白身が口のなかに広がるんだけど、少しの甘みくらいしか感じなかった。

 塩くらいは欲しかったな。

 それでもお腹が空いていたので、満腹になるまでお魚を頬張る。


「ところでエルネア君」

「なにかな?」

「そろそろ、話の続きをしてもいいかな」

「……そうでした」


 別に、話題を避けていたわけじゃない。

 ルイララが目の前に目移りしちゃうものばかりを出すからいけないんだ。と、ここでもルイララを言い訳にしてしまう僕。

 ううむ、いけません。

 ルイララが魔族だからといって、都合よく言い訳に利用するのは失礼になっちゃうよね。


「それじゃあ、真面目な話をしようか。ギルラードと、僕が巻き込まれている騒動について教えてれるかな?」

「喜んで」


 ルイララは、夜営地でも地上に上がってくることなく、上半身だけを水面から出して僕に向き合っていた。


「エルネア君も知っての通り。昨年の騒動で、北の魔王は領地を追われたんだ」

「たしか、魔族の支配する地域のなかでも、西の方に移動させられちゃったんだよね?」


 全ての魔族を支配する最上位の者が存在していて、その側近の人が介入してきた。見た目は深紅しんくの幼女だったけど、あの巨人の魔王やスレイグスタ老やアシェルさんがたばになっても敵わない相手らしい。

 その幼女によって、支配者の命令が伝えられた。騒動を起こした魔王クシャリラは、竜峰の北西部あたりに持っていた国を剥奪はくだつされて、代わりに遥か西の国へと移された。

 なんでも、西の方で別の魔王が倒されてしまったのだとか。


「北の魔王が去ってからは、陛下が一時的に占領していたんだけど」

「略奪していたんだよね……」

「それは仕方ないよ。弱い者、負けた者は奪われる。それが魔族の社会だからね」


 わかっているけど、こうして魔族本人から言われると、やっぱり魔族は恐ろしい種族、人族には理解できない残虐ざんぎゃくな存在だと思う。


「だけど、陛下も無駄に国を広げるようなお方ではないし、中央からそろそろ手を引けと命令もされたわけさ。そうなると、どうなると思う?」

「ううーん……。支配者がいなくなるということは。ほら、ミストラルが貰った土地のように、中央管理の禁領きんりょうになるのかな?」

「正解。ただし、それはずっと後のことだね」

「じゃあ、それまでは?」

「もちろん、無法地帯になるわけさ!」


 るんるん顏で言うルイララが怖いです。

 というか、無法地帯ってなにさ!

 国として統制されていた地域が、法と秩序のない土地になっちゃうの!?

 それって、大丈夫なの?

 僕の不安を感じ取ったのか、笑顔のルイララが言う。


「魔族には魔族の社会がある、とはさっき言ったっけ。もうちょっと詳しく言うとね。魔王が減って、支配者のいない無法地帯が生まれると、どうなるのか。力ある魔族なら、誰もが思うだろうね。次の魔王は、自分だと」


 魔族の全盛期。支配者の下に十二人の魔王がいた、とルイララは言う。だけど長い歳月が過ぎ、ひとりまたひとりと魔王が減っていった。

 争いに負けた者。寿命が尽きた者。魔王位を返上した者。

 普通なら、ひとりの魔王が消えれば、新たな実力者がその地位に就く。だけどここ最近、新たな魔王は生まれていないという。

 そしてついに、魔王の座に就く者は六人にまで減ってしまった。

 魔王位を授けるはずの支配者がなにを考えているのかはわからない。ただし、空位の魔王の座を狙う魔族は絶えず存在している。

 そこへ、禁領でもなく支配者もいない無法地帯ができたわけだ。野望を秘めた魔族たちは今、クシャリラが支配していた国へと集まろうとしていた。


「それって、明らかにわざと無法地帯を作りあげているよね、その支配者様は」


 僕の言葉に、ルイララは直接的な返事はせずに笑顔で返した。


「でも、その魔族の現状と僕がギルラードに狙われた関係性はあるのかな?」

「エルネア君、自覚を持とうよ」

「えっ」

「君は、北の魔王の国でなにをしたのかな?」

「ええーっと……」

「魔王城の上層を吹き飛ばし、死霊都市の死霊を消し飛ばし。魔将軍を何人倒したかな?」

「……」

「この騒動を簡単にしずめる方法がある、と陛下なら言うだろうね」

「聞きたくありません!」

「エルネア君が魔王になっちゃえば良いんだよ!」

「断固拒否だからね!」


 僕はなにがあっても、魔族の王にはなりません。


「残念。エルネア君が魔王になったら、僕が腹心になってあげるのに」

「隙あらば襲ってくる腹心なんて、お断りです」

「まあ、勧誘は僕の仕事じゃないので、その辺はどうでもいいや。とにかく。魔族の国で暴れた君は、結構な有名人なわけだよ。ちゃんと実力も評価されている。運やまぐれで倒せるほど、魔将軍は弱くないからね。そ・れ・で。魔将軍以上、言ってみれば魔王級の君を倒したとなると、どうなるかな?」

「……知りません」

「つまり、自分にも魔王に匹敵するだけの実力があると証明できるわけだ!」


 僕が聞きたくない、という表情をすると、ルイララは嬉々として話してくる。絶対に僕で遊んでいるよね。


「で、でも。僕以外にもミストラルや他の竜王だって活躍していたよ?」

「あっちは、竜人族だし……」

「うわっ。目標は高いのに、すごく卑怯ひきょうな感じがするよ!」


 つまり、実力を証明はしたいけど、そもそも魔族よりも強い竜人族とはあまり戦いたくない。それよりも、人族の僕を狙った方がお手頃だと判断されているんだ。


「ギルラードは、魔王位を狙っている魔族のなかでもそれなりの実力者だよ。頑張って!」

「いやいや、なにを頑張るのかな?」

「もちろん、魔族の国に行って、狙ってくる相手を全て滅ぼせばいいんだよ」

「そんなことをしたら、僕は本当に魔王に祭り上げられちゃうよっ」

「ちっ。気づいたか」

「いま、舌打ちしたね! 僕を魔王にしようとしているんだね!」


 恐ろしいことです。助言と思ってルイララの言葉を鵜呑みにしていたら、絶対にはめられちゃう。


「じゃあ、エルネア君はどうすべきだと思う?」

「今の状況でみんなのところに帰っちゃうと、周りに余計な被害が及んじゃう。ルイララは、それを配慮はいりょして僕を行方不明にしてくれたんだよね。解決する方法は、魔族の国に行って狙う相手をやっつけちゃうこと。でもそうすると、僕自身が魔王に仕立て上げられちゃう可能性もあって……」

「時間が経てば、魔王位を狙う争いも落ち着いてくると思うよ。有力者は潰しあって、そのなかから魔王に相応しい者が現れれば、その者が即位する。いくら争っても適任者が出なければ、争っていた者たちも諦めるからね」

「それじゃあ、無難に乗り切ろうと思ったら……」

「禁領で、騒動が収まるまで息を潜めているのが一番だね。あそこなら、ギルラードや他の上級魔族たちも侵入できないし」


 ルイララの顔がき木の炎に照らされて、闇のなかに浮かんでいた。

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