残された者たち

 主に復興支援関係の聖務が終わり、ほっとひと息入れていると。

 誰かが軽く部屋の扉を叩いた。


「はい、どうぞ」

「ヤシュラ様、ヨルテニトス王国大神殿の巫女頭みこがしらマドリーヌ様がお見えです」


 上級巫女の案内で簡素な部屋へと入ってきたのは、隣国の若き巫女頭マドリーヌだった。黒絹くろぎぬのような美しい髪が映えるマドリーヌは、無邪気な笑みを浮かべて部屋へと入ってくる。

 アームアード王国大神殿の巫女頭であるヤシュラは、座っていた椅子から立ち上がってマドリーヌを招き入れた。


「ヤシュラ様、ご無沙汰しております」

「ふふふ、貴女の任命の儀式以来かしら。随分と立派になりましたね」


 貴族出身だというマドリーヌは、自分と同じ巫女装束を着ているはずなのに、まぶしい気品を感じる、とヤシュラは思う。

 だがマドリーヌは逆に、自分と同じ服装なのにおごそかで落ち着きのあるヤシュラに対して、どうしてこうも違うのだろう、と内心でため息を吐いていたとは、ヤシュラも知らない。


 礼儀正しい挨拶を交わし合い、応接用の椅子に座り直す二人。


「勇者とエルネア君を試練に送り出したとお聞きしました」

「はい……。わたくしは大きな罪を犯したのかもしれません。勇者と竜王、同時に二人の英雄を人族の世界から去らせてしまったのですから」


 ヤシュラの顔には、歳を重ねて刻まれたしわ以上に、自責の念で苦悩する辛さが深く刻まれているように見えた。

 マドリーヌはそんな気苦労の耐えない歳上の巫女頭を労うように、明るく笑う。


「ヤシュラ様、心配は必要ないと思いますよ。エルネア君は絶対に戻ってきます。あの子はそういう子です。勇者? そっちはどうでも良いのです。そもそも、ヤシュラ様は巫女頭として正しい行いをしただけです。ご自身を責めるのはお止めください」

「ふふふ、貴女にそう言ってもらえると、少し肩が軽くなります。それにしても、貴女にとって勇者とは随分軽いのですね。それに引き換え、エルネア君の比重ときたら……」

「だって、ヤシュラ様。勇者はアームアード王国の象徴ですが、ヨルテニトスの国民ではありません。エルネア君もヨルテニトスの民ではないですが、私には大切な殿方とのがたですから」

「こらこら。貴女は巫女頭なのですから、他国の信徒とはいえ軽はずみなことを口にしてはいけませんよ」

「ごめんなさい」


 マドリーヌは、冒険者の頃と何も変わっていない。立場は変化したが、内面は好奇心旺盛な可愛い娘だ。

 数年ぶりに再会し、変わらないマドリーヌの振る舞いに、ヤシュラも少し笑みを零す。


「それで、今回訪問させていただいた件なのですが……」

「ふふふ、エルネア君や双子の王女様と一緒に居たいから退位したい、という相談は禁止ですよ?」

「うっ……。ち、違いますっ。それも少し……半分くらい? もう少し比重は大きいかもしれませんが」

「比重が大きすぎますよ」

「……ごめんなさい」


 ヨルテニトス王国では誰もが悩まされるマドリーヌの言動だが、どうやらヤシュラには頭が上がらないらしい。しおらしく謝るマドリーヌは、肩をすぼめて素直に反省した。


「それでは、真面目に。今回はエルネア君たちの婚姻の儀式についてご相談に伺いました」

「と、言いますと?」

「ヤシュラ様は既にご存知の案件と思いますが。エルネア君がめとる女性のなかに、ヨルテニトス王国の国王が大変気に入っている子がいまして」

「ふふふ、ライラさんと言ったかしらね?」


 なるほど。だからこの時期に、ヨルテニトス王国の巫女頭が直々に訪問してきたのですね、とヤシュラは頷く。

 裏の事情を耳にしたのは、昨冬の騒動後。ヨルテニトス王国から数多く支援に訪れる復興部隊や商人たちの口からだった。

 どうも、ライラを取り巻く事情は、国王に近い者たちにとって公然の秘密という扱いらしい。

 ただし公式的には、ライラは一般市民。それなのにエルネアの婚姻の儀式にヨルテニトス王国が出しゃばって来るのは不自然すぎる。ということで、委任されたのがマドリーヌということなのだろう。


「エルネア君のお嫁さんには双子の王女や巫女が含まれていますが、ヨルテニトスとしても退けません。それで、式場の場所をどうするかとご相談に」


 マドリーヌは屈託くったくのない笑顔を見せているが、それとは裏腹に一歩も退かないという気迫が感じられた。


「とは言いましてもねぇ。巫女のルイセイネだけならどうとでも融通が利くと思うのですが、双子の王女様が絡んでいますし。アームアード王国側としても、開催地を譲る気は毛頭ないでしょう」


 そもそも、そういった政治の絡むような話を二国の巫女頭だけでするものではないですよ、とたしなめるヤシュラ。

 しかも、当事者である竜王たちは女神の試練に旅立ってしまっているのだ。婚姻の儀式や式場など、エルネアの意見も聞かなければいけない。

 それどころか、いつ戻ってくるのか、ということよりも、彼らが戻ってくることさえも疑わしいほど厳しい試練なのだ。

 マドリーヌと久方ひさかたぶりに再会し、少し高揚こうようした気分だったヤシュラだったが、自分の下した非情な難問に思いを巡らせて、また気を沈ませた。


「ふっふっふっ……」


 しかし、マドリーヌは不穏な笑みを見せた。


「そうですよね。双子が邪魔ですよね。私の野望にとっても、あの二人は邪魔なのです。こうなったら、エルネア君の嫁からあの二人を追い落として……」

「こらこら。なんてよこしまな気を起こしているのです」


 マドリーヌはどうやら、ヤシュラの気落ちを、王族が絡むことで問題が複雑化していると勘違いした様子だった。

 この若さ溢れる巫女頭を前にしていると、じめじめと悩んでいる暇はないようだ。ヤシュラは姿勢を正し、気持ちも切り替える。

 そして、闇にちそうなマドリーヌの笑みをしかり、話を戻す。


「王女様の件もそうですが。エルネア君のお嫁様のなかには、竜人族のお姫様も居たでしょう。王国側だけではなく、竜峰の竜人族とも話を擦り合わせないと、この件は進まないと思いますよ?」

「では、こうなったら……」

「エルネア君を追いかけて駆け落ち、という選択肢を選んだら、本当に怒りますからね?」

「ううっ……」


 どこまで冗談なのやら。

 眉尻まゆじりを下げて心底困った様子のマドリーヌに苦笑するヤシュラ。


「こうなったら、エルネア君に直談判じかだんぱんするしかありません! 早く帰ってこないかしら」

「貴女は、エルネア君を信じて疑わないのですね」

「ヤシュラ様は、勇者やエルネア君を信じていらっしゃらないのですか?」

「信じては……います。ただ、この試練は……」

「ヤシュラ様、考えてみてください。建国以来約三百年。竜の森の守護竜に師事しじし、竜峰の竜人族や竜族、それだけではなく魔族や耳長族や魔獣と親交を持った者は居たでしょうか。そして、悪の脅威から人々を守りながら、ついでに他国の王城や故郷の都を吹き飛ばす滅茶苦茶で面白い少年なんて、前代未聞ですよ。なら、誰も成し得たことのないこの試練も、エルネア君ならきっと乗り越えると信じています」


 マドリーヌは力説しながら、エルネアの出鱈目でたらめな活躍に面白くなったようで、自分で笑っていた。


「きっとミストラル様たちもエルネア君を信じて疑っていないと思いますよ?」

「ふふふ、たしかに。残された彼女たちは普段通りの生活を送っていると報告を受けています。試練の内容を疑っていない、というよりもエルネア君は絶対に帰ってくると信じているのでしょうね」

「もしも帰ってこないと……。ミストラル様たちは絶対に追いかけると思いますよ。彼女たちにはそれだけの能力がありますし。ミストラル様は怒ると怖いんです。巫女頭の私にも容赦なく怒るんですよ? ヨルテニトス王国大神殿の巫女頭にですよ、信じられます?」

「ふふふ。良かったではないですか。貴女を叱ることのできる立場の者なんて、数える程度なのですから。関係を大切にしなさいね。ミストラルさんといえば、昨冬の騒動の際、背中に翼を生やした神々しい姿を見ました。あの翼で、どこまでも追いかけるでしょうね」

「ルイセイネたちは飛竜の背中に乗りますし、エルネア君は逃げられません。だから、絶対に帰ってきます」

「では、巫女頭としてわたくしもあの子たちを信じるしかありませんね」

「そうですよ。あまり悩みすぎていると、倒れちゃいますよ。ヤシュラ様はもうおばあちゃんなんですから」

「おやまあ。わたくしはまだまだ元気ですよ。あと十年は巫女頭として頑張ります」


 ヤシュラの歳は既に五十を超えている。

 人族の平均寿命は約五十年と言われているが、それは出生後の幼児の死亡率が高いことや、流行病はやりやまいで命を落とす者、魔物などの脅威に絶えず晒されていて不慮ふりょの事故死を遂げる者が多いため、平均値が下がっているからだ。

 とはいえ、五十を過ぎた人族は十分に老人の域に入っている。

 その五十過ぎのヤシュラがまだまだこれから、と気合を入れている姿を見て、マドリーヌは多くの可能性を感じた。


「私も、いずれ……」

「お役目をまっとうすることが巫女頭として一番の責務ですからね!」

「きいぃぃっ。リンゼ様の馬鹿! リンゼ様の大馬鹿っ! なんで私を巫女頭に指名したのよっ」


 リンゼとは、ヨルテニトス王国の前代の巫女頭だ。そして、マドリーヌの師匠でもある。

 リンゼが退任前にマドリーヌを指名したことで、後任が決まった。

 双子王女と各地を冒険して周り、国内外の知名度が高かったことも要因だが、リンゼの言葉が一番の要因なのだとは、マドリーヌ自身も理解していた。


「こらっ。リンゼ様に悪態をついてはいけませんよ」


 頬を膨らませてぷんぷんと怒っているマドリーヌは不貞腐れて、つんっ、とそっぽを向く。それを見て、ヤシュラは笑顔になる。


 どれくらいぶりだろう。

 救国の英雄たちに試練を言い渡し、連日気が滅入るような日々を送ってきたヤシュラ。

 それが、天真爛漫てんしんらんまんなマドリーヌの相手をしていると、若さと元気を貰っただけではなく、心も軽くなった。

 マドリーヌは、リンゼに選ばれたから仕方なく巫女頭になったと愚痴を言っているが、こうして人々を幸せに導く素質は、十分に巫女頭たりえるのだと感心させられた。


 結局、マドリーヌとヤシュラは重要な案件も忘れて、談笑を続けた。

 巫女頭の執務室近くを通った巫女や神官たちは、部屋から漏れ聞こえてくる二人の明るい声や笑いに、自分たちの親愛する巫女頭が久々に元気を取り戻したのだと喜んだ。


 昼食を挟み場所を中庭に変えて談笑を続けていると、ひとりの神官が慌てたようにやって来た。


「お、お伝えします。北の空より竜が……」


 一瞬、飛竜の襲来かと身構えるヤシュラ。しかし、直後に竜王エルネアのことが頭を過る。

 マドリーヌも神官の報告に驚いていたが、彼女の場合は飛竜の襲来という部分が抜け落ちていた。

 マドリーヌにとって、もう「竜族といえばエルネア」という図式なのだろう。

 木陰に設置された長椅子から二人は立ち上がると、北の空に視線を移す。

 しかし、建立途中の神殿の壁が視界を阻み、目的のものは見えなかった。


「巨大な、黒と白桃色の竜でございます」


 マドリーヌとヤシュラは、もちろんニーミアやリリィのことも知っている。

 但し、神官の断片的な報告だけでは、同じく黒い体躯たいくの竜の森の守護竜やニーミアの母親なのかは判別できない。

 そして、なぜ北の地からそれらの竜が飛来するのか、それも疑問だ。


 マドリーヌはヤシュラの手を取ると、見晴らしの良い神殿前の広場に出た。

 すると、巨大な二体の竜は、大神殿から少し離れた王都の一画に着地するところだった。


「あの辺りは、エルネア君のご両親が住む邸宅がある場所ですね」

「では、行ってみましょう」


 もしかすると、試練で北の地へ向かった者たちが戻ってきたのかもしれない。

 ヤシュラは馬車を用意させて、マドリーヌと共に一路、エルネアの実家へと向かった。

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