セリースの日々

「クリーシオ。今日も行くのですか?」

「セリース、おはよう。だって、仕方ないでしょう? あんな馬鹿だけど、帰ってきたときに誰も待ってくれていないなんて可哀想だしね」


 仕方なくよ、仕方なく。なんて愚痴りながら、クリーシオは今日もスラットンの帰りを待つために東の凱旋門跡に行ってしまった。

 クリーシオの後ろ姿を見つめるセリースは、今なら彼女の気持ちがよくわかる、と見送りながら思う。


 いつ帰ってくるかわからない男を待つことがこれ程辛いものだとは。

 思えば、リステアが先代の勇者に選ばれ、新たな勇者として立った時から。自分は彼の隣に常に居た。

 最初は、聖剣と王家の絆を結び直すため、ということで年齢が同じ自分が許嫁いいなずけに選ばれて、どうして自由気ままな姉たちではなくて自分なのだ、と幼心に不満を抱えた時期もあった。

 だが、今こうして思えば、リステアの許嫁になれて幸せだと思う。

 正義感に溢れ、人望厚い稀代きだいの勇者。リステアを目にした女性は、誰もが感嘆かんたんの息を漏らす。平均的な男性以上の身長。ただ背が高いだけではなく、均衡きんこうのとれた筋肉でしっかりとした身体つきをしている。そして、中性的な甘い容姿。

 もう少し小さい頃は、美少年ともてはやされていた。しかし、最近では男性らしい輪郭へと変わり始め、女性然とした顔から大人の男の顔へと変わりつつある。

 リステアがまだ勇者としてさほど活躍していなかった頃は「第四王女セリースの許嫁の勇者リステア」という立場だった。

 だがいつの間にか「リステアの許嫁のセリース」という風に立場が逆転してしまっていた。

 セリースはそれが嬉しい。

 やはりひとりの女として、頼れる男に引っ張ってもらいたいものだ。


 だが、そんな頼れる、そして愛するリステアが旅立って、どれほどの日数が経っただろう。

 北の地は未開の地であり、定期的な便りなど期待できない。現に、飛竜の狩場を越えて以降の足取りは全く掴めていなかった。


 巫女であるキーリとイネアを娶るための試練。満月の花と呼ばれる伝説の花を見つけるという絶望的な内容。

 セリースも彼らが旅立つ前に、資料や文献ぶんけんを探る手伝いをした。だからこそわかる。あの試練は、絶対に達成できないと思えるほどの難易度だ。

 そして、隣にリステアが居なくなって、自分なりに考えてみた。


 達成できない試練。満月の花を見つけるまで、戻ってくることは許されない。そして、聖職者と自分たちを切り分ける指示。

 もしかして……

 不安な日々を送ったこともあった。

 だが、リステアはあのエルネアと一緒に行動しているのだ。

 きっと、大丈夫。


 不安に押し潰されそうになった時。

 エルネアの残された家族はどうしているのだろう、と気になって彼の実家を訪れた。

 姉たちは、エルネアが出発して以降、彼の両親の実家で寝泊まりしていた。

 しかし、足を運んでみて。

 不安なんて一切見せずに、いつも通りの日々を送っている彼女たちに驚かされた。

 強い絆、疑いようもない信頼関係。

 彼女たちも、試練の内容の難解さは理解しているだろう。そして、自分と同じような答えにたどり着いたかもしれない。だが、誰ひとりとしてエルネアの帰還を疑ってはいなかった。


 ああ、それ程にエルネア君は実力をつけて、大きな男性になったのですね、とセリースはあの可愛い少年の成長に驚いた。

 そして同時に、そのエルネアとともにリステアは行動しているのだ。ならば、必ず帰ってくる、と確信を持つことができて、不安もその日以降薄れていった。


 だが、クリーシオはどうだろう。

 地竜のドゥラネルと深い絆を結ぶと言って、昨年の内に別れたスラットン。ヨルテニトス王国からアームアード王国に帰ってくるだけの旅路だが、それにしては随分と帰りが遅い。

 遅いだけなら自分たちのように不安を払拭できるだろうが、スラットンは行方不明になっていた。


 エルネアいわく、ドゥラネルはまだ子竜らしい。実際に、あの闇色のドゥラネルよりも巨大な地竜を多く見る機会があった。

 ただし子竜とはいえ、竜族を従えていれば否が応にも目立つ。

 竜族と共に行動する者は、竜王エルネアを除けばヨルテニトス王国の竜騎士団くらい。それ以外で竜族を連れている者がいれば、目立ち噂になる。

 実際に、エルネア大橋おおはしを渡った頃までは、風の噂でスラットンの動向も耳に入ってきていた。

 しかし、ヨルテニトス王国を越えて以降の足取りが綺麗に消えていた。


 あのスラットンのことだ。また馬鹿なことに首を突っ込んでいるに違いない。

 しかし、スラットンはそれで良いだろうが、待たされている者はたまったものではない。

 リステアやエルネアとは違い、スラットンは失敗をよくする。それでも、そこから新たな道を見つけ出すのが彼の良いところではあるが、もしも悪いほうに作用していたら。

 もしもスラットンの身になにかが起きていたら。

 便たよりもなく、足取りさえ掴めないスラットンの帰りを待ち続けているクリーシオの不安は、自分が受けたものの何倍なのだろう。


 それでも気丈きじょうに振る舞い、明るく過ごすクリーシオは立派な女性だ。

 クリーシオの大人びた振る舞いは、スラットンの両親も認めるところだった。

 スラットンの両親も、もちろん不安に違いない。だが、息子のことは全て、将来の妻であるクリーシオに任せていた。

 クリーシオは毎日出迎えに行き、帰りはスラットンの両親が住む仮設住宅に足を運んでいた。


 まだまだ建物がまばらな王都の風景にクリーシオの姿が消えるのを、思いを巡らせながら見送ったセリース。

 すると背後から、眠たそうな声がかかった。


「セリース、おはよぅ……」

「ネイミー、もう少し朝に強くならなきゃね」

「ちがうよっ。本当は強いよ。でも、リステアがいない間はぐうたらしていたいんだよっ」


 いつも元気なネイミー。

 寝癖で爆発した髪が跳ねていて、ネイミーが動くたびにぴくぴくと動いて可愛い。

 というか、起きたなら身だしなみを整えなさい。

 セリースやネイミーは、仮王宮で寝泊まりしていた。

 そして、寝所から外に出てくるまでに、多くの人にそのだらしない姿を見せたことになる。


「勇者の妻たるもの、身嗜みだしなみはしっかりとね」


 大欠伸おおあくびをするネイミーの頭を小突き、一旦仮王宮に戻る。


「それで、ぼくたちは今日も午後からエルネアの実家に行くの?」

「ええ、そうね。ここにいても出来ることはないですし」


 午前中。ミストラルや姉たちは外出して王都にはいない。

 ミストラルは、竜の森の守護竜の世話役なのだという。エルネアとも、そこで出逢ったのだとか。

 そして、午前中は伝説の巨竜の世話をするために、みんなで出払ってしまっている。なので、訪問するなら午後からだ。


 王都は、春になってもせわしなく復興が続いている。あのなまけ者のルドリアードでさえ、毎日奔走していた。

 だが、リステアの帰りを待つ自分たちには、これといって仕事はない。

 貴族や有望な民が旅立ちの一年後に通う上級学院は、夏からだ。

 それまでは勉学の復習をすることくらいが、十六歳になった者たちにできることだった。

 まあ、大変な一年を過ごしてきたのだ。半年くらいはゆっくりと休み遊びたい、というのが若者の本音だろう、とセリースも理解していた。






「こんにちはっ!」


 そして午後。ネイミーと一緒にエルネアの実家を訪れたセリース。

 出迎えてくれたのはエルネアの母親で、ミストラルたちは裏の庭園にいると教えてくれた。

 エルネアの両親は、どうも豪華な生活には慣れていない様子だった。

 着慣れないという服はしかし、意外と似合っている。立ち振る舞いも、少し貴族風に変わってきていた。


 息子のエルネアがあれほど活躍し、アームアード王国の重要人物になったのだ。

 この生活は仕方ないとして、受け入れるしかない。

 ただし、この邸宅で働いている者たちは元々が、双子の姉に仕えてきた強者揃いだ。きっと、不慣れな生活を送るこの女性をしっかりと支えているだろう。


 召使長のカレンに案内されて、屋敷の裏に回る。すると、ミストラルたちが寛いでいた。


「みなさま、こんにちは」


 ここ数日。幼女組が見えない。どこかに遊びに行っているらしい。

 耳長族の愛らしいプリシアちゃん。彼女の頭の上でいつも寛いでいるニーミアちゃん。フィオリーナとリームも姿はまさに竜族だが、小さくて可愛い。

 そんな愛らしい幼女組には会えず、残念だ。

 それにしても、将来の夫とはいえ他所様よそさまの実家でごろりと寛ぐ双子の姉に、訪問して早々叱りを入れるセリース。


 口煩くちうるさい妹が来たわ、と渋面するユフィーリアとニーナ。なぜか一緒になって猛省もうせいするライラ。彼女たちを、やれやれ、と見つめるミストラル。

 普段通りの人々を見て、姉たちを叱りながらセリースは今日も不安を消すことができた。






「せいやっ!」

「甘いわ、セリース」

「効かないわ、セリース」

「くうっ。なんでお姉様方にはこの技が効かないのっ」


 セリースたちがエルネアの実家を訪れる理由。そのひとつに、こうして手合わせができるというものが含まれていた。


 手加減なく繰り出したセリースの吹っ飛び技だったが、大剣だいけんと言ってもいいような黄金色の剣で受け止めた姉は、吹き飛ぶどころか剣さえも弾かせていなかった。

 双子の姉を同時に相手にしているセリース。

 相対している方がユフィーリアなのかニーナなのか、未だに自分には判別できない。

 二人を判別できるというエルネアの家族には、実妹として頭が上がらない。

 いやいや、いまはそんな邪念を思い浮かべている場合ではない。

 なぜ、自分の吹っ飛び技が通用しないのか。


 こうして相対している双子の姉だけではない。竜人族のミストラルや、それだけではなくて細身の華奢きゃしゃなライラでさえ、セリースの吹っ飛び技が通用しない。

 あのリステアでさえ、この技であれば軽く吹き飛ばせるのに。

 そういえば、宣告の儀でルイセイネと戦った時、彼女も吹き飛ばなかったか。


 竜術に長けた者には、自分の技が通用しない。これまでの修行の成果を叩き折られたようで悲しくなるが、同時に、全力を以って剣を打ち込める相手がいることが嬉しいセリース。


「うにゃあっ。変だよっ。追いつけないよっ」

「残像を生むほどの速度は素晴らしいけれど、動きが単調ね」


 別の場所では、速さ自慢のはずのネイミーがミストラルの動きについていけずに翻弄ほんろうされていた。


 ライラだけは、木陰に座って瞑想していた。

 ここ何日間か。エルネアの邸宅に通うようになって気づいたこと。それは、彼女たちの誰かはああして、日中は瞑想修行をしている。

 修行なのか、本当はなにかをしているのかは判別できなかったが、ああして瞑想をする者は、午後いっぱいを遊ぶことなく真面目に過ごしているように見えた。


 セリースやネイミーは、手の空いている者を相手にこうして手合わせをしたり、女性らしく取り留めのない雑談をしてここ数日を過ごしていた。


 すると、ミストラルが突然手を止めて、北の空を見上げた。

 エルネアの邸宅の敷地はとても広く、地区一画分ほどある。貴族であっても、これ程の土地を王都内には所有していない。

 では、救国の英雄とはいえ、なぜひとりの少年の実家にこれ程の土地が与えられたのか。

 それは、彼が家族の一員だという竜族たちが飛来してきた場合の、着地場所確保も兼ねているから。


 そして、見晴らしの良い庭園の空の先。

 その、エルネアの身内である巨大な竜が二体、高速で飛来してきていた。

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