這い寄る邪悪

 アステルに肩を貸しながら、塔の内部壁に沿って延びる長い階段を登る。

 やっとの思いで最上階に到着すると、巨人の魔王とシャルロットの冷やかな視線が待ち構えていた。


「聞こえていたぞ?」

「ふふふ。猫公爵様、どのような仕返しをお考えでしょうか?」

「くっ」


 露骨ろこつに顔を引きつらせて、巨人の魔王とシャルロットから視線をらすアステル。

 城塞を創り出したり、食糧などの兵站へいたんを準備したり。衰弱が回復して間もない今朝だって、城塞の補強を一生懸命に頑張ったアステル。その功労者にたいして、この仕打ちです。


「アステルの言う通り、極悪魔王と腹黒金髪だ!」

「心の声が口から漏れているぞ?」

「ふふ、ふふふふふ」

「はっ!」


 僕たちのやりとりに、ユンユンとリンリンはあきれ返り、ランランは慌てて右往左往する。

 だけど、ユーリィおばあちゃんやジャバラヤン様は楽しそうに微笑み、プリシアちゃんとアリシアちゃんは遠慮なく笑っていた。


「恐ろしい魔王様や大魔族様と、これほど心を許しあえていらっしゃるとは。カルナー様より事前にお伺いしておりましたが、貴方はとても素晴らしいお方ですね」

「いやいやいや、レーヴェ様。お言葉ですけど、僕はいつもこの二人にもてあそばれているだけですよっ」

「それこそが、仲の良い証拠です」


 レーヴェ様が生きた時代においても、巨人の魔王とシャルロットの悪名は知れ渡っていたのかな?

 レーヴェ様からしてみれば、その恐ろしい魔族と普通に会話している僕は、とても特殊な存在に見えたようです。


 何千年も生きて、いろんな時代、いろんな地域に伝説や恐怖の逸話いつわを残してきた巨人の魔王とシャルロット。でも、その二人にとっても前代未聞な出来事が、この飛竜の狩場で起きていた。


 ひとつは、二十人以上の仙族が一度に現れたこと。

 もうひとつは、世界との繋がりを持つ女の子が降臨したこと。

 特に、女の子の存在は特別だった。


 巨人の魔王やシャルロットがわざわざ塔の最上階まで足を伸ばして、女の子を出迎えた。

 スレイグスタ老といった古代種の竜族たちが、守護する土地を離れてまで集まった。

 そして、女の子を通して僕たちは統一したこころざしを持ち、ふるい立った。

 いったい、この女の子はどれだけ特別なんだろうね?

 いつか目を覚ました時には、いろんなことを聞いてみたい。そして、この日のことを覚えているのか、質問したいね。


 その特別な女の子は、揺り籠の寝台ですやすやと眠っていた。

 ときおり見せる、背中の小さな翼がひくひくと動く様子が可愛い。

 世界と繋がって、どんな夢を見ているんだろうね?


 アステルは、覚束おぼつかない足取りでなんとか寝台の前までやってきた。

 これまでアステルの足もとを歩いていたシェリアーが、ひょいと跳躍して寝台に飛び乗る。


「こらっ、シェリアー。寝台を激しく揺らすな」


 ゆらゆらと揺れる寝台に、アステルが苦情を入れる。だけど、シェリアーは何を馬鹿なことを言う、というていで、黒い尻尾を揺らす。


「揺り籠の寝台なのだから、揺れていた方が良いに決まっている。それに、これくらいの揺れは気持ちが良いものだ」


 ふんっ、と勝ち誇ったように鼻を突き出すシェリアーに対し、言いくるめられて不満そうに頬を膨らませるアステル。


 そりゃあ、そうだよね。揺り籠なんだから、元々が揺れる構造になっている。そして、揺り籠の中の子供は、ゆらゆらと優しく揺すられることで、母親の腕の中にいるような安心感を覚えて眠れるんだ。


 シェリアーが普段どういった魔族なのか、僕はあまり知らない。

 だけど、こんなに可愛い女の子をいじめるような悪い性格ではないことくらいはわかる。むしろ、文句を言いつつトリス君を助けたり、頑張るアステルにしっかりと寄り添っている姿を見ていると、本当は優しい性格じゃないかな?

 そのシェリアーが、無神経に寝台に飛び乗るわけがないよね。


 寝台は、ゆっくりと優しく揺れていた。

 中で眠る女の子も、どことなく気持ち良さそうに見えるね。

 アステルも、シェリアーへの不満をすぐに消して、猫のような瞳をまん丸に見開き、寝台の中を覗き込む。


「やれやれ、大人気だな」


 塔の最上階を訪れた者は、必ず女の子を見なきゃ気が済まない。その様子を見た巨人の魔王が、苦笑していた。


「せっかくだから、飛竜の狩場に集まったみんなにも見てもらいたい、と思うのは僕のわがままかな?」


 女の子の来訪を秘匿ひとくしてきた僕たちだけど。

 不思議なことに、女の子が降臨しただけで、全ての者がその存在を認識した。それなのに、頑張っているみんなに対して、これからも秘密のままにするというは、あまりにも道理に反するような気がする。

 とはいえ、女の子のことを僕が勝手に決めるわけにはいかない。

 なので、レーヴェ様やソシエさんにそれとなく質問してみた。


 ソシエさんは、相変わらず険しい顔つきのままだ。まあ、この人は険しい表情が普段通りなんだよね。

 でも、僕の意見に反論してくる気配はない。

 では、レーヴェ様は?

 恐る恐る表情を窺うと、ひとつ頷かれた。


「御子様も、きっと皆様とお会いしたいと願っていらっしゃいます。どうぞ、思うがままに事を進めてくださいませ」

「ありがとうございます!」


 なんて優しい人なんだろうね。

 見方によっては、僕は女の子を利用しようとしていることになる。でも、レーヴェ様は女の子も望んでいるから、と理由付けしてくれて、僕のわがままを認めてくれた。

 きっと、生前は聖人様だったんだろうね!


 よし。みんなに女の子を見てもらうためにも、僕たちはできるだけ早く、この騒動を終結させなきゃいけないぞ!


 塔の外では、未だに激しい戦闘が続いていた。


 ミストラルが機動力を活かして、塔へ迫る鰐亀わにがめの頭部をした妖魔を撃退していく。

 ユフィーリアとニーナは、レヴァリアと共に戦場を飛び回り、各地で竜族を召喚しては魔物や妖魔を消し飛ばす。もちろん、召喚された竜族を指揮するのは、レヴァリアの背中の上に立つライラだ。


 冒険者や戦士たちは、鰐亀の頭部をした妖魔はミストラルや上級魔族、それに双子王女様と契約せずに単独で戦う竜族に任せて、戦場を駆け回る。

 もしくは、ユフィーリアとニーナがもたらす破壊から逃げるように、城塞内へ逃げ込む。


 他にも、城塞の各所で竜人族たちが奮戦していたり、飛竜の狩り場の四方では古代種の竜族が威勢を放っていた。

 だけど、それでもこちらの包囲網の隙を突いて、魔物や妖魔が塔へ迫ろうとする。


 だけど、大丈夫。

 城塞に張り巡らされた大迷宮の術は健在だし、何よりもセフィーナさんの術で、接近してきた魔物や妖魔は問答無用で城塞のはしまで飛ばされる。


 無限に溢れ出てくる魔物や妖魔に防戦状態ではあるけど、まだまだこちらが優勢だ。

 そして僕も、この防戦状態から攻勢へ転じるために、戦いへとおもむこうとしていた。


 改めて、力をみなぎらせる。

 アレスちゃんと融合し、竜宝玉を解放する。

 荒ぶる力が全身に行き渡り、霊樹の木刀へと注がれていく。


「レティ、見てごらん。エルネア君は人族なのに、本当にすごいね」

「はい、スー様。立派な竜王様です」


 やれやれ。スー様は、今度は僕を見て感動の涙を流し始めちゃった。

 というか、僕たちはまだ、スー様が泣き止んだ普通の状態を見ていない気がします。

 本当に、いろんなことに感動して涙を流す人なんだね。

 でも、この感受性の豊かさがあるからこそ、古代種の竜族たちが守護する土地を転々と長年に渡って移動しながら生活を送っても、その過酷さに滅入めいることはないし、年に一度のレティ様との再会も全力で喜べるんだと思う。

 僕も見習わなきゃいけない。そうしないと、愛する妻たちに愛想を尽かされちゃうもんね!


「それでは、行ってきます!」


 今度こそ、空間跳躍を発動させて塔を出発する僕。……空間跳躍を……?


「あれ?」


 発動させたはずの空間跳躍が不発に終わり、変化しなかった景色に嫌な予感を覚える僕。


「……もしもし?」


 背後からの違和感に振り返る。そうしたら、やっぱり奴は居た!


「エルネア君、少しお待ちくださいね?」


 糸目をさらに細め、ふふふ、と僕の背後で微笑むのは、腹黒金髪ことシャルロットだった。

 前にも、僕の空間跳躍を妨害したことがあるよね!

 微笑みを絶やさないシャルロットだけど、実は恐ろしい力を持っている。今のやりとりだけで、十分に大魔族としての片鱗へんりんを実感できた。

 そのシャルロットが、僕の服のすそを掴んで出発を阻止してきた。


 いったい、どうしたんだろう?

 戦場へ、とはやる気持ちをこらえて、シャルロットに向き直る。

 そのシャルロットが、いつもより少しだけ気を張り詰めさせていた。

 さらに見渡せば、巨人の魔王や他のみんなも、険しい顔つきだ。

 あの泣いてばかりのスー様でさえ、涙を拭いながら外に視線を向けていた。

 スレイグスタ老が低く喉を鳴らしながら、上空を見上げる。

 僕も、みんなの視線を追って、空を見上げた。


 春の吉日きちじつの、午前の日差し。

 あるときは飛竜や翼竜が飛び回り、古代種の竜族が渡った空。

 あるときは、太陽の輝きを消すほどの発光で覆い尽くされ、女の子と仙たちを導いた。


 そして、今。


 春らしい澄んだ空に、どんよりと黒い雲が広がり始めていた。


「……ううん、違う。あれは、雲なんかじゃない。瘴気しょうきだ!」


 最初は異質な薄雲かと思われた黒いもやが、徐々に勢力を増していき、増殖していく。

 夏の雨雲よりも暗く、次第に黒く変色していく。そして分厚さを増していき、空を汚染するかのように広がり始めた。

 見ているだけで、ぞわぞわと心をむしられるような不愉快感が湧き起こってくる。


 あれは、間違いなく瘴気の塊だ!


「エルネア、警鐘けいしょうを鳴らせ」

「はいっ!」


 巨人の魔王の指示に、素早く反応する。

 塔下で僕たちと同じように空の異変を見上げていた人に、伝令を飛ばす。

 伝令は瞬く間に鐘楼しょうろうへと伝えられて、激しい鐘の音が城塞に響く。


 広い地域へ素早く情報を発信するためのかねは、城塞の各所に建てられた鐘楼に備えられている。

 塔の側の鐘楼から発せられた警告の鐘の音は、幾つもの鐘楼伝いに広がっていき、城塞の全域へ届いた。


「避難しろ! あの空の瘴気を見て少しでも不安を覚えた者は、直ちに城塞内へ避難しろ!」

「急げ!!」


 各地で、誰もが叫ぶ。

 警鐘が鳴らされた際には、城塞内へ避難すること。

 昨夜の邪族出現の時にも鳴らされた警鐘が、再び激しく打ち鳴らされる。


 魔物と戦っていた者たちが、目の前の敵を倒すと素早く城塞内へ避難していく。そして、堅牢な門を閉ざし、立て篭もる。

 苦戦を強いられていた者には加勢が入り、手早く魔物や妖魔を倒す。そうして、同じように避難していく。

 統率の取れた動きで、多くの者たちが城塞内へ撤退していった。


 だけど、誰の目にも明確にわかる危機を前にしながらも、城塞の中庭や飛竜の狩場に居残った者たちがいた。

 屈強な竜人族の戦士や、上級魔族。それに、竜族たちだ。

 残った者たちは、周りの雑魚を蹴散らしながら、上空で増殖していくどす黒い瘴気の雲を見上げる。


 あれほど透き通っていた空は、今や見上げるだけでもよおすほど不気味ににごってしまっていた。

 太陽の輝きが薄れていき、まだ午前中だというのに、夜のような暗闇に変わっていく。

 そして、僕たちが見つめる先で太陽は姿を消し、月もなく、星もなく、瘴気のどす黒い雲が広がる空に、光源はなくなる。


 暗黒が、飛竜の狩場を支配した。


「この様子じゃ、南のアームアード王国の王都や、北の獣人族たちの様子が心配だよ……」


 おそらく、影響は飛竜の狩場だけにとどまっていないはずだ。

 空は、どこまでも繋がっている。

 場所によっては、この瘴気の雲が遠くからでも見えるはずだ。


 大型の魔物や妖魔の出現は、想定内だった。だけどそれ以上に、これほどの規模で空に瘴気の雲が広がるだなんて、考えさえも及ばなかった。

 僕の不安に、スレイグスタ老が喉を低く鳴らしながら、南の方角へ黄金色の瞳を向けた。

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