竜神の御遣い

 霊樹の若枝に導かれ。

 僕たちイース家の祈りと願いと希望は、竜峰の麓に集った者たちが生み出した星々の雨や海と共に、天空へと昇っていく。


 宗教観、世界観、習慣、価値観。多くの種族が集まれば、様々な想いが交錯して、意志を統一するのは難しくなる。

 人族だけであれば、創造の女神アレスティーナ様への信奉でまとまれるんだけど。

 だけど、人族以外の種族を強制的に神殿宗教の教えで纏めるわけにはいかない。でも、それだと金剛の霧雨に対抗するための意志がひとつにならない。

 だから、僕はここでも道標を示した。


 人族。竜人族。竜族。耳長族。精霊。獣人族。他にも、様々な種族が集結してくれた。その、多くの種族の共通点。

 それは即ち、全ての者が竜峰とその麓に生きているということ。

 全員が、何かしらで「竜峰とのえにし」を持つ。

 そして、竜を冠する峰に縁を持つのであれば!


 竜たちの母。

 世界の「竜に所縁ゆかり」を持つ者たちを守護する存在。

 僕たちイース家を導いてくれた者。


 竜神様へと、祈りと願いと希望を託すべきなんだ!


 だから、本来であればアレスティーナ様に捧げるための祝詞を変えて、ルイセイネとマドリーヌ様がみんなに伝えてくれた。

 竜峰の麓に集ったみんなも、僕たちの考えに賛同してくれて、こうして全ての者で祝詞を唱和し、想いをひとつにしてくれた。


 僕たちイース家は、全ての者たちの想いをたくされた。

 そして、全ての者たちの祈りと願いと希望を導き、今ここに竜神様を降臨させる!!


 大空へと昇った星々が、天空に新たな海を生む。

 僕たちの周りに広がっていた星の海も、金剛の霧雨の周囲に在った星も全て、天空へと昇ってひとつの海原となる。

 星々の輝きよりも高い天空に生まれた、星の海。どこまでも、視界を埋め尽くす。


 僕たちは見上げていた。

 きっと、竜峰の麓に集った者たち全員が、空を見上げている。

 金剛の霧雨でさえ、絶句して天空に視線を向けていた。


 その、天空全てに広がった星の海が、ゆらりと波打つ。

 大海原を逆さまにして、天空へと持ち上げたような星の海。その海が波立ち、次第に荒波へと変化していく。

 そして、天空の端から変化が顕れ始めた。


 ああっ、と竜族が感嘆かんたんの息を漏らす。

 全ての者たちが驚愕の声を上げる。

 精霊たちによって運ばれてくる声や想いに、僕たちは包まれていた。その中で、僕も天空の変化に見惚れていた。


 最初は、星の海を満たす星々の輝きの濃淡で、輪郭が浮かび上がった。

 遥か天空の先。視界の端から端までを覆うような巨大な両翼が、星の海から生まれる。

 次に、竜峰の天空に、計り知れないほど巨大な胴体が生まれ、星の海から四肢と尻尾が生える。長く何処までも続いているかのような尻尾は、流星のように胴体から長く伸びて、視界の遥か先まで続いていた。

 そして、僕たちの頭上には、星の海から生まれた胴体から続く、長い首と神々しい竜の頭が出現する。


 天空を埋め尽くしていた星の海。その星の海を飲み込んだ竜は、新たに天空を覆う。

 星々の輝きは全て竜に吸収されると、その役目を終える。


 祈り。願い。希望。

 僕たちの召喚に応じた神竜様は、星々を取り込んで、神々しい咆哮を放つ。

 神竜の咆哮が世界を満たす。


 天空の遥か先で、ゆっくりと両翼が羽ばたく。

 そうすれば、竜に縁を持つ者たちへ加護が与えられる。

 視界の先まで続く尾がなびく。すると、竜峰の先から竜気に満ちた風が優しく吹き抜けて、世界を満たす。


 竜族が絶叫していた。

 竜神様とは、竜族にとって至高の存在なんだ。

 それが今、僕たちの召喚に応じて、天空に降臨した。


『さあ。私の子、私の眷属けんぞくよ。竜に縁を持つ者たちを導き、安寧あんねいけがす者を払うのです』


 天空から、優しい声が降ってきた。

 それとは真逆に、竜神様は青い一等星のように輝く瞳を地表の僕たちへと向けると、その大きな口を開いた。


 僕たちは、霊樹の若枝に全員で手を添えたまま、意識を集中させていた。

 竜神様は、若枝を道標として、天空から地表へと星の咆哮を放つ。


 星々の全てを取り込んだ、竜神様。

 竜神様の内側で、星々は竜の力へと生まれ変わり、そして僕たちへと託される。


 竜神様の咆哮を一身に浴びた霊樹の若枝が、その姿を変化させる。

 神楽の白剣を模した、もうひと振りの新緑色の高貴な剣へと。

 刃は、竜神様の星の咆哮を取り込んで、紫色に眩く輝いていた。


「エルネア」


 傍のミストラルに囁かれて、僕はもう片方の右手に視線を移す。すると、神楽の白剣の刃も同じように、星の輝きに満たされていた。


「そうだね。右手に神楽の白剣。左手に霊樹の剣を持つ僕こそが、竜神様の御遣いたる、エルネア・イースだからね!」


 そして、僕の傍にいつも寄り添ってくれる者たち全員で「イース家」なんだ!!


「さあ、金剛の霧雨。終わりの時だ!」


 僕たちの声に、金剛の霧雨は身体の内側、即ち霧雨の中へと意識を戻す。


『小賢……シイ!! 貴様ラノ……希望……ナド…………打チ砕イテ……クレル!!』


 言って金剛の霧雨は、全方位から僕たちへと殺気を向ける。


 だけど、もう遅いんだ!


 竜神様を降臨させた時点で、既に僕たちの勝利は確定している。

 だって、竜峰の麓に生きる者たち全ての想いを託されて、僕たちの願いが竜神様に届いたんだからね!

 だから、金剛の霧雨がこれからどれほど抵抗しようとも、僕たちは絶対に負けないんだ!!


 僕は、神楽の白剣と霊樹の剣をより高く掲げる。

 家族のみんなが、僕に全てを託して手を添えてくれていた。


『世界の敵! 金剛の霧雨よ。滅び、世界に安寧を呼び戻せ!!』


 力ある言葉と同時に、僕は両手の剣を振り抜いた。


 竜神様の咆哮にも似た、神々しい波動が世界を満たす。

 神楽の白剣と霊樹の剣の刃から放たれた星の輝きは、剣筋の延長線だけでなく、何処までも広く拡散していく。

 僕たちを中心に、霧雨の中を駆け抜け。竜峰の麓を覆い尽くし、アームアード王国の王都、竜の森、北の地、そして竜峰へと広がる。


 天空で、竜神様が咆哮を放つ。


 世界へとあまねく広がった星々の輝きは、竜神様の咆哮に呼応するように眩く輝き、全ての者の視界を染め上げた。






 いつまでも続くかと思われたような星々の輝きと竜神様の咆哮は、余韻よいんを美しく残しながら次第に世界へと溶け込んでいき、最後には風の音さえも響かない静寂せいじゃくだけが残された。


 ようやく視界が開けた僕たちは、静かに姿勢を戻す。

 衣摺きぬずれの音が不思議なくらい大きく響いたように感じて驚いてしまい、はっと周囲を見渡してしまう。


 何も、なかった。

 いや、在るべきものは在り、不要なものは何もない。


 竜神様が天空を覆っている。だというのに、何故か満点の星空に照らされたような夏の夜の風景が何処までも続く。

 竜峰が見える。険しい自然を讃えた山々が、夜の景色を暗く切り取って、そこには在る。

 人々が見える。人だけでなく、竜や獣たちも、満点の星空の下に見えた。

 遠くでは、今でも結界大法術「満月の陣」に護られた王都の明かりが見えた。


 大地と空と、そこに生きる者たちの息吹。

 みんな、そこに正しく存在している。


 でも。


 不要なもの。

 即ち、世界のひずみたる魔物「金剛の霧雨」の存在は、何処にもなかった。

 見渡す限り全周を覆っていた霧雨は、一滴も残らず消滅していた。

 分体亀の気配さえ存在しない。

 そして、竜峰の山二つ分を覆っていた金剛の霧雨は、全てをこの世界から完全に消し去っていた。


「ううん、違うか。魔物だから、最後には魔晶石が残るんだよね」


 と言葉をこぼした僕の視線の先に、それは落ちていた。

 大きな、とても大きな魔晶石。

 人の頭部ほどの巨大な、水色に美しく輝く魔晶石が、地面にぽつり転がっていた。


 あれほどの脅威を示した、伝説の魔物「金剛の霧雨」の最期。その遺物が何の威圧もなく地面に転がっているさまを見て、僕はくすりと笑ってしまう。


「何だか、準備がすごく大変だったように感じるけど、終わってみると凄く呆気あっけないものなんだね?」


 僕が笑うと、妻たちが釣られて微笑ほほえむ。


「そうね。まあ、あの馬鹿みたいに巨大な魔晶石はどうかと思うけれど。それでも、エルネアの言う通りで終わってみれば感慨かんがいも何も残らないわ」

「ミストさん、それはやはりこちらに大きな被害が出なかったからでしょうか?」

「麓で戦っていた者たちは、全員がまだ元気だわ」

「麓で戦っていた者たちは、まだ戦い足りないようだわ」

「はわわっ。魔物程度では満足していらっしゃいませんわ」

「なにせ、妖魔の王を討伐した時には、これ以上の有様ありさまだったものね?」

「王都の方も無事で、巫女頭としてほっとしています」


 みんなで笑い合っていると、遠くにいた者たち、竜峰の麓で魔物を相手に奮戦してくれていた者たちも、ようやく事態を理解できたのか、歓喜をあげてこちらへと駆け出してきた。


「良い見せ物であった。で、どうする? あの魔晶石をどのように扱うつもりだ?」


 と、多くの者たちがこちらへ押し寄せてくる様子を見つめながら、巨人の魔王が問いかけてきた。それで、僕たちは改めて視界の先で地面に転がる、水色に輝く巨大な魔晶石を見る。


「どうしようか? みんなに配る今回の報酬を準備していないし、あの魔晶石を?」

「愚か者め」


 魔晶石を売るなり加工するなりして、今回頑張ってくれた竜峰の麓に集った者全員に何かしらの報酬を、と安直に考えた僕に、巨人の魔王が言う。


此度こたびは、誰もが誰かの為に戦ったわけではない。己の命の為、己の住む場所を守る為に全員が団結したのだろう? であれば、其方らが報酬を準備する必要などない。集った者たちが生き延び、これから平穏が訪れる。それが、あの者たちへの正しい報酬だ」

「それじゃあ……?」


 あの、水色の巨大な魔晶石は。


「かいしゅうかいしゅう」

「あっ!!」


 僕が決断を下すよりも早く、僕から分離したアレスちゃんが魔晶石へと駆け寄って、いつもの「謎の空間」に収納してしまう。


「それで良い。竜峰の麓に集った者たちへの報酬は、己の命とこれからの平和で十分だ。だが、邪の元凶である金剛の霧雨を討伐したのは、紛れもなく其方らなのだから、その報酬は素直に受け取っておけ」

「はい、そうですね!」


 まあ、よく考えたら、あんなに巨大な魔晶石をみんなへの報酬に変えようかなんて、無理な話だからね!

 であれば、巨人の魔王の助言に従って僕たちがきちんと回収しておいて、遺された魔晶石がもたらす今後のいざこざを無くした方がいい。


 妻たちも、それじゃあ仕方がないわね、と笑う。そうしながら、わいわいと騒ぎながら夜の麓を駆け上がってくるみんなを待つ。


 だけど、結果から言えば、誰も僕たちの傍に辿り着くことはなかった。


 まず最初に、スレイグスタ老が僕たちから少し離れた場所に降り立つ。隣にアシェルさんと、普通の姿に戻ったレヴァリア。

 続いて、竜族たちがスレイグスタ老の背後にひかえる。

 遅れて駆け寄ってきた人や獣や精霊たちも、僕たちを揉みくちゃにするような接近をすることなく、スレイグスタ老や竜族たちと並んで、遠巻きに僕たちへと視線を送る。


 僕たちは、その様子を静かに見つめていた。


 竜峰の麓に集まった全員が揃う。そして、静かに僕たちを見つめるみんな。

 僕たちもまた、集った者たちを静かに見渡す。


 最初に動いたのは、スレイグスタ老だった。


 見上げるほどの巨体。その竜の首を垂れて、僕たちを黄金色の瞳で見つめる。

 そして、言う。


「我ら全ての竜族の母にして、至高の御方。その竜神様の御遣いたる者たちよ。全ての者を代表して、今ここに御礼おんれい申し上げる」


 スレイグスタ老は大きな竜の頭を地面に伏せて、静かに瞳を閉じる。

 僕たちをうやまうように。


 すると、続いて竜族たちが揃って動いた。


『我ら竜族の至高にいたりし、竜神の御遣い。我らは御遣いと共に在れて、光栄である』


 全ての竜族が、スレイグスタ老にならってこうべを垂れた。


「八大竜王エルネア・イース! いや、違う!! 竜峰同盟の盟主にして至高なる竜神の御遣いたる、エルネアとイースの者たちよ! 我らは誇ろう。竜神の御遣いと共に在ることを!!」


 人々を代表し、イドが叫ぶ。すると、スレイグスタ老や竜族とは違い、人や獣や精霊たちが、わあっ! と歓声を上げる。

 世界を震わせるような大きな歓声は、麓に集った者たちだけでなく、王都からも届く。

 まだ、風の精霊たちの影響で、声が広く届いているんだね!


 僕たちに敬意を示すスレイグスタ老や竜族。金剛の霧雨を討伐できたと、喜びの歓声を上げる者たち。

 僕たち家族は、そんなみんなの想いを受けて胸が熱くなる。

 みんなに慕われている心が伝わってくる。愛されている。親しみを持たれている。尊敬され、あがめられている。


 良かった。


 一度は、手も足も出なくて敗退してしまった金剛の霧雨。それでもくじけずに、家族のみんなと計画し、準備してきた。だから、勝てた。だから、今がある!

 何よりも、スレイグスタ老に禁術を使わせなかったことが良かったね!!

 たとえ金剛の霧雨を倒せても、スレイグスタ老を失うような結果だけは避けたいと願ったからこそ、僕たちはこの試練を乗り越えられたんだと思う。

 そして、故郷や大切な者たちも失わずにすんで、本当に良かった。


 みんなの姿と歓声に、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

 でも、今はまだ泣いちゃ駄目だ!

 ここで泣いてしまうと、せっかく「竜神の御遣い」と讃えてくれている者たちに、恥ずかしい姿を見せてしまうからね。


 涙が瞳から溢れないように、空を見上げる。

 そうすれば、今でも天空を覆う竜神様の姿が視界を埋めた。

 竜神様は、天空の先にある両翼をゆっくりと羽ばたかせながら、地上の様子を優しく見守ってくれていた。

 その竜神様の星色の瞳と、目が合う。


『さあ。私の子、私の眷属たちよ。行きましょう』


 そして、巨大な前脚をゆっくりと地表の僕たちに向かって伸ばす。

 僕たちは家族全員で頷きあうと、降ろされた竜神様の手にみんなで乗った。

 竜神様は僕たちを手に乗せて、またゆっくりと前脚を天空へ戻す。


 視界がぐんぐんと高くなっていく。

 竜峰の麓に集まってくれた者たちが、歓声を上げながら僕たちを見守っていた。

 スレイグスタ老やレヴァリア、それにアシェルさんも、地上から僕たちの姿を見上げている。

 関所や王都では、既にお祭り騒ぎになり始めた者たちが大いに騒ぎながら、天空を覆う巨体の竜神様や手の上の僕たちを見ていた。


 僕たちは、地上のみんなに手を振る。

 竜神様は、僕たちを手のひらに乗せて翼をゆっくり羽ばたかせると、天空で旋回していく。


 そして。


 僕たちは、竜神様と共に、竜峰の夜空の彼方へと去った。

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