星空の下で

『我らイース家は、竜神りゅうじん御遣みつかいなり! 今ここに、かしこみ申し上げる。竜神の御遣いたるイース家の祈りを聞き届け、竜神様の召喚を願いたてまつる!』


 エルネアとイース家の者たちの声が、世界に響く。

 そして、それは顕れた。


 全ての者が、空を見上げていた。

 天空を覆う、計り知れないほど巨大な翼竜。

 視界の遥か先で、緩やかに両翼を羽ばたかせ。長い尾は竜峰が切り取る景色の先まで続く。

 そして、竜の森の守護者たる巨竜でさえも極小に思えるような竜頭をゆっくりと動かすと、その美しい瞳で地上を見おろす。


 まさに、竜の神。


 何もかもが、伝説でさえ聞いたこともないような、神秘的な絶景。

 イース家の手によってつむがれて、広げられた「竜峰にえにしを持つ者たちの祝詞」を、全ての者が唱和した。

 全ての者が心をひとつにし、祈り、願い、希望した。


 そして、奇跡が起きた。


 祈りは星々の雨となり、願いは星の海となり、希望は天空を覆う翼竜、即ち、神竜となって全ての者たちの前に降臨した。


 神竜は神々しい咆哮で世界を満たし、全ての者の想いを、イース家の者たちに託す。

 エルネアを家長とした、賑やかしい家族。

 いつも笑顔が絶えず、周りのものたちをも巻き込んで、全ての者たちを笑顔に導く彼ら。


 エルネアたちは、竜峰の麓に集った者たちに、奇跡の続きを見せた。

 世界を、星々の輝きで満たす。

 恐るべき魔物「金剛の霧雨」の身体だという、竜峰の山二つ分を覆う霧雨だけでなく、沸き続ける魔物や、奮戦する戦士たち、それだけでなく、満月の陣に包まれたアームアード王国の王都や竜の森や、視界に映る全てを星々の輝きで染め上げた。






 人族の勇者リステアは、あまりのまぶしさに瞳を閉じる。

 目を閉じることで目視できなくなる周囲の魔物の恐怖は感じなかった。

 信じていた。

 確信していた。

 この輝きこそは、親友であるエルネアとその家族が導き出した、最高の一手。それが発動したのだ。最早もはや、周囲の魔物は脅威でもなんでもない。

 それだけではない。

 竜峰を下り切ろうと、麓の先で恐ろしい蠢きを見せていた金剛の霧雨とて、これで終わりだ。


 なんの疑いもなく、リステアは星々の輝きに任せて瞳を閉じた。

 周囲の者たちも、視界を染める輝きに、眩しそうに目を閉じていた。

 そうして、どれくらいの時間が経ったのか。

 星々の輝きと共に世界を包んでいた竜神の咆哮が美しい余韻よいんと共に世界へ溶け込んだあと。

 瞳を閉じていた者たちは、ゆっくりと目を開く。

 そして、見る。


 在るべき世界。

 正しい世界。

 穢れのない世界を。


 周囲の魔物は、ことごとく消滅していた。地面に転がった数えきれないほどの魔晶石が、新たな星の海に見えた。

 だが、全ての者たちの視線は自分たちの足もとではなく、竜峰へと向けられていた。

 竜峰を下り、王都と竜の森へ迫ろうとしていた金剛の霧雨。

 その金剛の霧雨の本体を表す「霧雨」は、晴れていた。

 もう何処どこにも、霧雨がもたらす雨粒はない。


 終わったのだ。

 奇跡を呼び起こしたイース家の者たちによって、金剛の霧雨は討伐された。


 誰ともなく、全員が走り出していた。

 エルネアたちの者へと。

 人が走り、獣が駆ける。精霊が飛び回り、竜が突進していく。

 だが、誰もエルネアたちの側に駆け寄らなかった。

 それは、竜の森の守護者が見せた態度からか。竜族たちが見せる、気配からか。それとも、エルネアたちから感じる、気高き気配からか。


「我ら全ての竜族の母にして、至高の御方おんかた。その竜神様の御遣いたる者たちよ。全ての者を代表して、今ここに御礼おんれい申し上げる」


 竜の森の守護者が、こうべを垂れる。


『我ら竜族の至高にいたりし、竜神の御遣い。我らは御遣いと共に在れて、光栄である』


 竜族たちが咆哮をあげて、ならうように平伏す。


「八大竜王エルネア・イース! いや、違う!! 竜峰同盟の盟主にして至高なる竜神の御遣いたる、エルネアとイースの者たちよ! 我らは誇ろう。竜神の御遣いと共に在ることを!!」


 そして、竜人族の言葉で、理解する。


 天空を覆うほど巨大な神竜、その子であり、眷属たる、竜神の御遣いエルネアとイース家の者たち。


 人族の常識を越え、竜人族の高みに立ち、そして竜族の至高へと辿り着いた者。


「あの野郎、とうとう本物の人外じんがいになりやがったのか!」


 リステアの傍に並ぶスラットンが、くやしそうに地団駄じだんだを踏む。だが、顔は笑っていた。

 スラットンだけではない。

 全員が笑顔を浮かべていた。


 エルネアたちは、もう「人族」ではなないのだろう。

 竜神の御遣いとして、人を超越した存在となったのだ。

 誰かに確認するまでもなく、全ての者たちが納得していた。


 ああ、そうか。

 自分たちは竜神の御遣いに導かれたからこそ、奇跡を見届けられたのだ。

 竜神へ捧げる祝詞と、奉納の神楽。

 エルネアたちを通して全ての者が竜神に祈りを捧げたからこそ、竜神の御遣いたるエルネアたちは、この地に奇跡を起こしてくれたのだ。


 人族としてのエルネアでは、人族の奇跡しか起こせなかった。

 竜王としてのエルネアでは、竜人族と竜族の奇跡しか導けなかった。

 だが、その程度では、金剛の霧雨は倒せない。

 だから、エルネアたちは昇ったのだ。

 竜峰、つまり竜に所縁ゆかりのある者たちをひとつにまとめるために「竜神の御遣い」という、人の枠を超えた存在に。


「親友と思っていたんだが、まさかあがめるような存在にまでなってしまうとはなぁ」


 竜峰の麓に集った者たちだけでなく、全ての者たちが竜神の御遣いたるイース家の者たちの名前を叫び、歓喜を上げる。

 もちろん、リステアを含む勇者一行も、エルネアたちの名前を歓喜と共に叫んでいた。

 そうしながら、リステアは感慨深く呟く。

 すると、妻のセリースが笑いかけてきた。


「崇めるの? エルネア君を? ふふふ。それはどうかしら」


 だって、とセリースは続ける。


「あの可愛いエルネア君と最初に親友となったのは、リステア、貴方じゃない。そして、エルネア君が立派に成長してひとりで竜峰に向かうと旅立った時も、竜王となった後も、リステアは親友だったでしょう? それなら、竜神の御遣い様になったこれからも、リステアとエルネア君はきっと親友のままだと思うわよ? だから、絶対にまた笑顔で肩を抱き合っていると思うわ」


 セリースの言葉に、スラットンを含む全員が笑いながら頷く。


「あの野郎、見てやがれよ! 俺様だって、竜王になって竜神のなんとかになってやる!!」

『竜神の御遣い様だ、愚か者。そして、貴様はまだまだ竜王の足もとにも及ばない』

「おおう、ドゥラネル、お前も俺の意見に賛同してくれるのか。わかっているじゃねえか、相棒!」

阿呆あほうめ』


 ぐるぐると喉を鳴らすドゥラネルに、スラットンは意気揚々と気合を入れてみせる。


「お馬鹿スラットン。ドゥラネルは貴方を愚か者って言っているのよ。竜神の御遣いどころか、まだ竜王の足もとにも及ばないですって」

「けっ、クリーシオ。適当なことを言ってるんじゃねえやいっ」


 スラットンに苦笑するクリーシオ。

 リステアたちも、スラットンの根拠のない自信に笑う。

 そうしていると、天空を覆う計り知れない巨体の竜神が、ゆっくりと動き出した。


『さあ。私の子、私の眷属たちよ。行きましょう』


 遥か天空から前脚を下す神竜。

 視界の先で肩を寄せ合っていたエルネアたちが、こちらに笑顔を向けながら、竜神の手の上に乗っていく。

 そして、手を振り、天空へと昇る。


 神々しい姿だった。

 竜神の御遣いたる存在に相応しい、全ての者の目に焼き付く一場面。

 エルネアたちは、地表で見送る全ての者たちに笑顔で手を振りながら、竜神のもとへと行った。

 竜神はイース家の者たちと共に、ゆっくりと天空で旋回していく。


 そして、竜峰の空の彼方へと飛び去った。






 竜神が去った空には、星の瞬く美しい夜空が残った。

 感慨にふけりながら、リステアたちは何時迄いつまでも夜空を見上げていた。

 その中、集った者たちの沈黙を破ったのは、竜の森の守護竜だった。


「ふうむ。脅威は祓われ、竜神様とその御遣いたちを見送ることもできた。であれば、汝らはこれより、かの者たちの偉業を讃える祝祭しゅくさいを開くべきであろう。だが、その前に」


 言って守護竜は、金色の瞳で地上を見下ろす。


「ほうれ、そこら中に散乱している魔晶石を全員で拾うのだ。勿体もったいないであろう?」


 守護竜に指摘されて、ようやく人々は足もとに視線を落とす。そして、わあっ、と歓声を上げると、我先にと魔晶石を拾い始めた。


 もちろん、リステアたちも慌ただしく駆け出す。


 金剛の霧雨を討伐できたことで、今後の不安は払拭された。それこそが最大の報酬ではあるが、魔晶石は別腹だ。

 売って良し。使って良し。人であれば、人族であろうと耳長族であろうと、竜人族、獣人族であろうとも、生活の必需品である魔晶石。

 それが、数えきれないほど地面に転がっている。


 わいわいと新たな騒ぎになり始めた者たちの様子を、スレイグスタは静かに見下ろす。


「くくくっ。よもや、これほどの舞台を間近で見学できるとは。其方の弟子は、実に面白い」


 そこへ、巨人の魔王が近寄る。

 巨人の魔王の側近であるシャルロットと妖精魔王クシャリラは、エルネアたちが去った場所の側から動いていない。

 スレイグスタは、足ともに来た巨人の魔王を見下ろし、驚く。


「ふうむ。老婆めがそれ程までに満足そうな顔を見せるのは、珍しい」

「ふん。私とて素晴らしい舞台を見れば感慨深くもなる。なにより、小僧が己の弟子に叩頭こうとうする姿など、この上なくも愉快であった」

「ふんっ。言っておれ。エルネアたちは、我が見出みいだして育てた者。それが我を越え、立派な竜神様の御遣いとして全ての者に讃えられたのだ。これ程に嬉しく、これ以上にない誉れは他になし。であれば、我とて敬意をもって頭を伏せよう」


 巨人の魔王が見上げた巨竜スレイグスタの表情も、どこまでも満足に満ちていた。

 しかし魔王と巨竜は、竜峰の麓で騒ぐ者たちを見つめながら、次第に気を張り詰めだす。


「最高の舞台であった。エルネアとその家族が編み上げた思惑通りに舞台は幕を下ろしたと言って良いだろう」

「だが、だからこそ。あの者たちの本当の試練は、これから待ち受けているのであろうな」


 言って魔王と巨竜は、神竜が飛び去った竜峰の星空の彼方かなたを遠く見つめた。

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