奉納 竜演の神楽舞台

 星々の雨が、いつまでも降り続ける。

 だけど、竜峰の麓に集った者たちの祈りは、金剛の霧雨の表面で弾かれて、地表までは届かない。

 それでも、最初に降り注いだ星々は今でも地表に星の海を揺蕩たゆたわせ、弾かれた先でも新たな星の海を生み出し続けていた。


 祈りと、願いと、希望。全てを弾き寄せ付けない、金剛の霧雨。

 まさに、名前に冠された通りの、最高の硬さを誇る。


 だけど、その「金剛の硬さ」は今や、僕たちが生きるこの世界の理に縛られた「硬さ」だ。

 けっして、世界の理の外に存在するが所以ゆえんの、不可侵の「硬さ」ではない!


 そして、世界の理に縛られた金剛の霧雨に、僕たちは最後の切り札を出す!


「みんな、準備を!」


 はい! と妻たちが威勢よく返事をすると、僕から一時的に分離したアレスちゃんが謎の空間から必要な道具を取り出す。

 巫女鈴みこすず玉櫛たまくし。太鼓と笛。

 決戦場には相応しくない楽器や道具を目にした金剛の霧雨が、訝しそうに唸る。


『今更……何ヲ……スル気…………ダ』


 そう敵対者に問われて、素直に答える善意者なんていないよね!

 でも、僕は答えよう!!


「決まっているじゃないか。これから、僕たちも祈りを捧げるんだよ!」

『ナ……ニ!?』


 僕の答えを聞いて、余計に不審がる金剛の霧雨。

 だって、そうだよね。

 竜峰の麓に集った者たち全員の祈りでさえ、金剛の霧雨は弾き返した。それなのに、今更に僕たち家族が追加で祈りを捧げたって、豆粒程度にも効果は生まれない。

 金剛の霧雨の疑念はわかる。


 でもね?


 わかっていないね!

 僕たちの祈りこそが、最後にしてとっておきの奥の手なんだ!!


 くくくっ、と巨人の魔王が愉快そうに喉を鳴らす。


「何よりも巨大で硬い金剛の霧雨に対する其方らの準備した答え。特等席で観戦させてもらおう。そのために、金剛の霧雨からの邪魔な手出しは私らが防ぐとしよう」

「はい、陛下。お約束でしたね」

『貸だ、竜王』


 そう言うと、三人の始祖族が最初に動く。


 ぞわり、と味方である僕たちでさえも悪寒に囚われるような殺気と瘴気を解放させたシャルロット。それに合わせて、星の海だけでなく、霧雨の内部が金色に染め上げられていく。

 この場には、シャルロットの魂の欠片かけらである金色こんじき羽衣はごろも大錫杖だいしゃくじょうの宝玉が揃っているからね!


 シャルロットの金色の魔力に触れた霧雨が、それだけで霧散していく。


 だけど、金剛の霧雨だって、手をこまねいてこちらの動きを待つようなことはしない。

 霧雨が更に濃度を増し、もはや極小の雨粒の嵐となって、僕たちに襲いかかる!

 意思を持つ霧雨の波が、星の海ごと飲み込むように、こちらに覆い被さってきた。


『笑止』


 クシャリラの気配が揺れる。

 そして、僕たち全員を包み込むように、存在を変化させる。

 クシャリラは、認識する者の意識に合わせて、姿を変化させる。

 きっと、本体の姿は明確に在るんだろうけど、僕たちが認識でるこの空間では、それは不確定なんだろうね。

 言ってみれば、クシャリラも金剛の霧雨のような、僕たちの常識や認識の外に存在する者なんだ。

 そのクシャリラが、僕たちを守護するように姿を揺らした。そうすれば、最早もはやこの世界の理に縛られてしまった金剛の霧雨の攻撃なんて、通用しない!


 不気味に蠢き、僕たちを容赦なく飲み込んだ霧雨の大津波。

 だけど、全てがクシャリラの身体に弾かれて、こちらまで被害は及ばない。


『オノ……レッ……!!』

「ふっ。金剛の霧雨め。己こそが絶対防御の存在として祈りの星々を弾いておきながら、対峙者に同じような存在が居ただけで苛立つのか。そういう部分は、世界に生きる者と同じなのだな」


 金剛の霧雨の怒りに呼応するかのように、霧雨の津波と嵐が勢いを増す。それでも全てをクシャリラが弾き、シャルロットの魔力が空間を黄金色に染め上げていく。

 そして、巨人の魔王は愉快そうに魔法を解き放つ!


 シャルロットが広げた金色の世界を伝い、青白い雷光が幾筋もはしる!!

 全周に広がる霧雨の中を縦横無尽に奔り抜けた雷撃は、容赦なく全てを消し炭に変えていく。


『ッ!』


 金剛の霧雨の分体亀たちが、悲鳴をあげて消滅していく。

 霧雨の中に現れた分体の亀だって、金剛のように硬い。それを易々やすやすと砕き、消滅させていく巨人の魔王の雷光。

 きっと、クシャリラが僕たちをおおって護ってくけていなければ、こちらだって一瞬で消し飛ばされているはずだよね!

 これが、巨人の魔王の全力の魔法。

 アミラさんの声を封印するために、霊樹の宝玉に内包されていた巨人の魔王の呪いを利用したことがある。あの時も、世界を破壊し尽くそうとする森羅万象の力に拮抗した。巨人の魔王が本気になった時。その魔法は、何にも勝る破滅の威力を示す。


 だけど!


 その、巨人の魔王の全力の雷撃が、弾かれた!


 何処までも奔り抜けるかと思われた雷光は、しかし霧雨の先で消失する。

 巨人の魔王の魔力が届かなかったからではない!

 金剛の霧雨が、身体を更に変質させたんだ!!


 縦横無尽に幾筋も奔っていた雷光が、その先で散り散りに弾け、消滅していく。

 いったい、何が起きているのか。

 精神を研ぎ澄ませて、周囲の霧雨を観察する。そして、絶句する。


 霧雨の、極小の雨粒。その一粒一粒が「金剛」の硬さを有して、巨人の魔王の雷撃の威力を少しずついでいるんだ!

 一粒では、雷撃に抗えない。それでも、数万、数十万の「金剛の雨粒」が雷撃の威力を少しずつ削り、最終的にいかずちを消滅させている!?


 常識では有り得ない変質を見せる金剛の霧雨。でも、だからこそ、伝説級の魔獣とその名を並ばせ、最高位の魔物として君臨するんだ!


 スレイグスタ老でさえ、猩猩には手も足も出ないと言わせた。

 その猩猩と同格の、魔物「金剛の霧雨」。

 巨人の魔王は、戦いたい存在ではないと首を横に振り、魔女さんであればあるいは、と言わしめた。

 その、圧倒的な存在。


 金剛の霧雨は、絶対の硬質をもって雷撃を消し飛ばす。

 それたけでなく、シャルロットが侵食していた世界も自身の存在で塗り替えようと、霧雨をより激しく蠢かせていく。


『竜王、早くしいや。妾の空間にまで、奴の侵食は始まっておるや』

「むむむ、急がないとね!」


 クシャリラの防御が破られてしまうと、僕たちがせっかく入念に準備をした計画が丸潰れになってしまう!

 僕はみんなに合図を送る。


 ライラが、笛を手にして歌口うたぐちに唇を添える。ユフィーリアが巫女鈴を持ち、ニーナが太鼓のばちを持つ。セフィーナさんは玉櫛を掲げて、体勢を整えた。


「エルネア、わたしは本当にこれで良いのね?」


 と、ミストラルが愛用の漆黒の片手棍を構える。


「うん。良いよ。竜姫ミストラルを象徴する武器は、その片手棍だからね!」


 ミストラルに頷いた僕の右手には、もちろん神楽の白剣を持つ。

 そして、左手には。

 霊樹ちゃんの若枝が、しっかりと握られていた。


「さあ、始めようか!」


 僕の合図に、しゃりん、と巫女鈴を涼やかに鳴らすユフィーリア。


『『祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え』』


 祝詞の始まり。

 神拝詞となえことばを朗々と響かせる、ルイセイネとマドリーヌ様。


 すると、不思議なことが起きた。

 二人が口にした祝詞は、ユフィーリアとニーナの「竜言拡散」がなくても、世界に広がる。

 しかも、それだけではない。

 ルイセイネとマドリーヌ様の祝詞言葉に続き、何処からともなく復唱の唱和が世界を包んだ。


『……ナ…………何……ダ!?』


 金剛の霧雨が違和感に気配を揺らす。


 金剛の霧雨が、未だに理解できていなかったこと。そのひとつ。

 クシャリラに隠れて僕たちの傍で観戦していた巨人の魔王とシャルロットだけど、なにもこの三人の始祖族だけが、僕たちと一緒に金剛の霧雨の内側に突撃してきたわけじゃない。


 精霊は、何時いつでも何処どこにでも存在している。だから、それは僕たちの周りには今でもいるし、霧雨の外にだって存在している。


 シャルロットが意味もなく金色の世界を広げていると思った?

 大間違いです!

 シャルロットは、金剛の霧雨の身体の内側に金色の世界を創り出すことによって、精霊たちが活発に動ける空間を生んでくれていたんだ!


 そして、精霊たちは僕たちの計画になくてはならない存在なんだ!


 風の精霊が、ルイセイネとマドリーヌ様が奏上する祝詞を世界に届ける。そうすれば、王都に集ったみんなや、霧雨の外で奮戦する者たち、それに、自然や昆虫や獣たちが復唱して、祝詞の唱和が世界を満たす。

 水の精霊は世界に生きる者たちの想いを浄化し、火の精霊が生存本能の熱を伝えていく。地の精霊は命の暖かさを繋ぎ、光と闇の精霊が世界に輝きと影の本質を与える。

 他にも、様々な属性の精霊たちが手を取り合って、竜峰の麓に集った者たちの意識をひとつに纏め上げてくれている。


 そして、竜の森の最奥。霊樹の精霊たちが、霊樹の力を惜しみなく世界に広げて、僕が左手に持つ若枝を通して、イース家の意志を乗せた。


 僕は、ルイセイネとマドリーヌ様の祝詞、ライラとユフィーリアとニーナの奏でる神楽曲に併せて、神楽の白剣を振るう。同じように、神楽舞を舞うように、ミストラルが漆黒の片手棍を交えてきた。

 そうすれば、僕たちの祈りは祝詞と奉納の竜剣舞によって、世界へと渦を巻きながら広がっていく。

 そして、世界に広がったイース家の祈りと、竜峰の麓に集った者たちの祈りの雨と海を、セフィーナさんが美しく織りなしす。


 今も尚、降り止まない星々の雨。

 弾けた星々は消えることなく海のように広がり、世界を満たす。

 そこに、僕たちイース家の祈りと奉納が溶け込んでいき、ひとつの大きな意志となっていく。


 ルイセイネとマドリーヌ様が、長い長い祝詞を奏上し続ける。それに合わせて鈴や笛や太鼓が鳴り、僕は竜剣舞を舞う。ミストラルは竜剣舞に合わせて優雅に身体を踊らせる。

 竜峰の麓に集った者たちも、僕たちの想いに合わせるように祈り、唱え、舞う。


 全て、全員で準備をしてきたことだ。

 僕たち家族だけでなく、竜峰の麓に集った全員で。


 金剛の霧雨を討伐するためには、誰か一部の者たちの武力や祈りだけでは駄目なんだ。

 武器を持てる者。祈りを捧げる者。全員が一致団結をして、ひとつの希望を願う。


 でもね?

 そうすると、困ったことが起きてしまう。


 人族だけであれば、祈りを合わせることは容易い。創造の女神アレスティーナ様に祈りを捧げて、奇跡を願えば良いんだからね。

 だけど、そこに竜人族や耳長族、それだけでなく竜族や魔獣や他の多くの種族が混ざると、人族の宗教観念は通用しなくなってしまう。


 だから、僕たちは最初に祝詞を準備した。

 竜峰の流れ星たるルイセイネと、巫女頭のマドリーヌ様。二人が中心となって、みんなの祈りを纏めるための新たな祝詞を創った。そして、それを王都の各所で説法していた巫女様や神官様の協力を得て、全ての者たちに伝え、覚えてもらった。もちろん、戦場で戦っているみんなにもね。


 そうして、ひとつの祈り、ひとつの祝詞を全ての者で唱和することによって、僕たちは万全の準備とした。


 降り続ける星々の雨も、広がる星の海も、イース家の奉納の神楽も、全ては最後の一手の為。


 三人の始祖族に守護された僕たちは、粛々しゅくしゅくと祝詞を奏上し、奉納の竜剣舞を舞い続ける。

 金剛の霧雨も、こちらの動きに危機感を募らせたのか、激しく抵抗する。

 手当たり次第に霧雨の嵐を暴れせさ、分体亀を召喚してはひずみの波動を放つ。

 だけど、僕たちは止まらない。

 霧雨の嵐と歪の波動はクシャリラに阻まれ、分体亀は巨人の魔王の雷撃に消し飛ばされていく。シャルロットが広げた金色の世界の内側で、精霊たちが活発に動きまわる。


 竜峰の麓を包む祈りと願いと希望は、イース家の奉納によって昇華し、世界に満ちていく。

 誰かひとりが突出した力を持てば良いわけではなく。誰かひとりの祈りが女神様に届けば良いわけでもなく。

 全ての者が、全てひとつに纏まる。


 もう、僕だけの「竜剣舞」ではない。

 世界のみんなで演じ、奉納する舞台「竜演舞」によって、準備は完全に整う。


 僕は、ルイセイネとマドリーヌ様の祝詞が奏上し終わり、イース家の祈りと願いが星々の雨と海に綺麗に溶け込んだことを確信すると、家族全員を呼び寄せた。

 ミストラル、ルイセイネ、ライラ、ユフィーリア、ニーナ、セフィーナさんと、マドリーヌ様。みんなが、僕の左手に握られた霊樹の若枝に手を添える。

 そして、全員で霊樹の若枝を天高く掲げると、揃って唱和した。


『我らイース家は、竜神りゅうじん御遣みつかいなり! 今ここに、かしこみ申し上げる。竜神の御遣いたるイース家の祈りを聞き届け、竜神様の召喚を願いたてまつる!』


 そう。

 これこそが、僕たちが十全に準備してきた最後の切り札!


 僕たちの祈りの唱和は、世界に竜の咆哮のように轟いた。

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