祈り

 生存の危機に際しても尚、王都に留まってくれた人々。傍観者とならず、各地から集ってくれた者たち。今も尚、魔物の大群と戦う戦士や支援者のみんな。

 竜峰の麓に集った全ての者が祈る。


 どうか、世界に安寧あんねいもたらしたまえ。

 世界の歪みたる金剛の霧雨を祓い、平穏を導きたまえ。

 愛する者と、これからも末長く生きていくため。

 大切なものを失わないため。

 家族との繋がり。仲間との絆。隣人を超え、種族の壁を打ち破り、動物と植物の境を無くし。


 竜峰の麓に集った者たち全ての祈りが、星となる。


 想像の女神アレスティーナ様を象徴する存在は、月。

 そして、女神様によって生み落とされた世界に生きる者たちを象徴する存在こそが、夜空にまたたく星々。


 その、満点の星々が、僕が左手に持つ霊樹の若枝の動きに合わせて、天上から落ちてくる。


『……ッ!!』


 金剛の霧雨が、絶句していた。

 宝石亀が在らん限り首を伸ばして、雨粒のように天空から落ちてくる星々を見上げていた。


「さあ、人々の想い、生きとし生ける者たちの意志を受け取れ!」


 叫んだ僕の声は、降り落ちてきた星々が響かせる奏音そうおんによって、かき消された。

 鈴が鳴り響くような、空気が優しく共鳴する音。それが何百、何千、何万と重なって、世界を柔らかく包み込む。

 そして、きらきらと瞬く流星の尾を弾きながら、僕が地上に示した道標みちしるべを目指して、満点の星々が降り注ぐ。


 世界の歪みより生まれ、世界の宿敵として存在する者。

 金剛の霧雨。

 その核に刻み込まれた道標は、祈りを導く。


 はらたまえ。

 きよたまえ。

 まもたまい、さきわたまえ。


 宗教観のない種族だろうと、日々を願い、祈り、望む。だからなのか、天空から降り落ちてきた星々は、僕がかつて見た女神様の想いが宿ったかのような慈雨じうではない。

 何ものにも分類されないような純粋な想いが結晶となり、星の瞬きとなって、金剛の霧雨の核に降り注ぐ。


 それだけではない。

 道標を目指して降り注いだ星々は、宝石亀に直撃すると、そのまま消えることなく、周囲に散って、今度は地上に満点の星の海を生み出す。


 視界の全てか星のきらめきとなり、耳に届く音は奏音だけとなる。

 僕たちに迫ろうとしていた金剛の霧雨の分身体や、周囲に蔓延まんえんしていた霧雨さえも視界から消え、頭上を見上げて絶句していた本体たる宝石亀さえ見えなくなるほどの星々の雨が、終わることなく降り、そして星の海を創る。


 幻想的な風景に、世界の祈りを導いた僕さえも息を呑んで見惚れてしまう。


 だけど。


 終わりではない。


 星の雨と海の先。


 金剛の霧雨の核の気配は、消えていない!


『ァ……ァアアァァア…………アアッッ……ッ!』


 星の海の先で、宝石亀が絶叫をあげた!


『我……コソ、ハ…………世界……ノヒズミ。………………混沌コントン……タル者……ノ…………眷属ケンゾクニ……シテ、……邪族ヲ超エシ……存在! ソノ我…………ガ……コノ程度ノ…………祈リ……デ! カヌ! 貴様ラノ……祈リ……ナド………………世界…………ノコトワリナド……効カヌ!!』


 ぞくり、と全身に悪寒が走る。

 祈りと願いと希望に満たされた星の海に、いびつな振動が浸透していく。

 魂の根幹から震えるような不気味な揺れに、僕たちは激しい目眩めまいを起こして意識を失いそうになる。


 でも、ここで負けちゃ駄目なんだ!

 みんなが、僕たちに全てをたくしてくれた。

 スレイグスタ老は、信じてくれている。

 僕たちが金剛の霧雨を祓い、竜峰とその麓に平穏を取り戻してくれると。

 それに、僕たちが失敗したら、スレイグスタ老が禁術を使ってでも金剛の霧雨と対峙してします。


 嫌だ!

 絶対に、それだけは避けるんだ!!


 僕だけでなく、家族のみんなの想いを受けて、星の海が波立つ。

 宝石亀が放つ不気味な波動から僕たちを護るように、星々の煌めきが幾重にも重なって、障壁となってくれる。


 それでも、波動は収まらない。

 対峙する僕たちを通過した波動は、そのまま世界へと広がる。

 そして、霧雨たる「身体」全身に浸透させていく。


「ま、まさか!?」


 星の海の先。

 僕によって道標を刻み込まれた宝石亀の気配が、希薄になっていく。


 ……いいや、違う!


 希薄になっているのではなくて……


「霧雨の身体に溶け込ませているんだ!!」


 魔物であれば、身体の内側に核として魔晶石を持つ。それは、猩猩しょうじょう千手せんじゅ蜘蛛くもと同格とさえわれる金剛の霧雨であっても、同じこと。

 そして、金剛の霧雨の魔晶石とは即ち、宝石亀のことだ。


 だけど、今。


 その核たる宝石亀の気配が、星の海の先で希薄になっていく。

 あろうことか、魔晶石を霧雨に溶け込ませることによって、竜峰の山二つ分を覆う霧雨そのものを核にしてしまう気なんだ!


 そして、それが意味することとは……!


『ククカ……カカッッ! ……如何イカ……ニ……貴様ラノ……祈リ…………ガ……有効デアロウト……モ………………ソノ祈リ……ヲ分散……シテ……シマエバ………………取ル……ニ……足ラヌ……衝撃デシカ……ナイ!』


 なんとういことだろう!


 天空に瞬く満点の星々は、世界に生きる者たちの祈りの結晶だ。それを僕の道標によって、核である宝石亀に一点集中させて落とすことによって、金剛の霧雨を祓おうとした。

 金剛の霧雨も、それに気づいたんだ。だから、一点集中で受ける核を霧雨の本体に溶け込ませることによって、星の雨を山二つ分の超巨大な身体で分散して受け止めようと考えたんだ!


 どんなに高威力の術や技であろうとも、力を分散されてしまって、本来の能力は発揮できない。

 現に、道標を失った星の雨は次第に周囲へと分散され始めて、収束力と同時に威力を失っていく。


『カカカカッ。……世界ノ……理? ……無意味! …………混沌タル者……ノ……眷属デアル我ニハ……無意味ダ!!』


 金剛の霧雨の声が、星々の奏音を突き破って、全周から響く。

 そして、自身の言葉を裏付けるかのように、僕たちの周囲で異変が起き始めた。


 星々の雨が止む。

 いや、違う!

 正確に言うなら、星々の雨が地上に届かなくなった!!


 今や、核たる魔晶石を山二つ分の霧雨に溶け込ませた金剛の霧雨。その霧雨が、広大な表層で星々の雨を弾いていた。


「そんなっ!」


 ミストラルが絶句する。

 ミストラルだけじゃない。全員が、金剛の霧雨の底力に目を見開いて驚愕していた。


 視界の先。

 星々の雨が降りやんだ後に残された星の海の中心。

 確かに存在していたはずの、金剛の霧雨の本体。

 それはもう、僕の目に映らない。


 ううん、本当は映っているんだ。

 視界を埋め尽くす周囲の霧雨こそが、金剛の霧雨の身体であり、核そのものなんだ!


 動きの止まった僕たちを嘲笑あざわらうかのように、金剛の霧雨は言う。


『忘レ……テハ……イマイナ? …………貴様ラ……ハ……我ガ内側ニ……居ルコト……ヲ。…………ククク……カカカカカッ!』


 金剛の霧雨の嘲笑ちょうしょうに連動するかのように、周囲の霧雨が蠢き始める。

 星の海の中に佇む僕たちへ向かい、世界を侵食していく。

 僕たちを喰らうために!


「みんな!」


 僕の声で、全員が意識を引き戻す。

 そして、にこり、と妻たちは優しく微笑ほほえんでくれた。

 だから、僕も微笑み返す。


「大丈夫。僕たちなら、まだやれるよね!」

「そうね。万全の準備をしてきたのだもの。この程度は想定内かしら?」

「あらあらまあまあ、ミストさん。そんなことを言っていますと、金剛の霧雨が激怒してしまいますよ?」

「ルイセイネ、勝手に激怒させておけば良いわ」

「ルイセイネ、勝手に勝ち誇らせておけば良いわ」

「はわわっ。そ、想定内ですわっ」

「むきぃっ! 女神様の慈悲の雨に素直に導かれなかったことを後悔させてあげます!」

「マドリーヌ様、あの星々の祈りの中には神殿宗教の信者ではない者たちも多く含まれているから、女神様の慈悲とひとくくりにしてしまうのはどうなのかしら?」

「にゃん」


 遥か上空では、霧雨の表面に弾かれていく星々の雨が、今でも降り注いでいる。

 星々の雨は、それでも弾かれた先で星の海を創る。

 その星の海を、竜の王レヴァリアが神々しく飛び、業炎の竜術を放ち続けていた。

 僕たちは、迫り来る霧雨なんて気にした様子もなく、上空の様子を見上げていた。


 そして、この状況で余裕を見せる僕たちとは真逆に、金剛の霧雨は苛立ちを募らせていく。


「貴様ラッ!」


 世界の祈りたる星々の雨を無効化し、僕たちを身体の内側に取り込んだまま霧雨によって喰らい尽くそうとする金剛の霧雨。

 形勢は、完全に金剛の霧雨が有利なように傾いている。

 だというのに、僕たちは周囲で蠢く霧雨にさえ、危機感を覚えていない。

 金剛の霧雨は怒りの本能をあらわに、僕たちを喰らおうと動く。


 星々の雨と星の海によって全て消滅していたはずの分身体が、霧雨の塊から何体も生み落とされる。

 霧雨から生まれた分身亀は、そろって大きく口を開き、口腔に歪みの波動を収束させていく。それと同時に、濃度を増した霧雨も僕たちに向かって蠢き、迫ってきた!


「貴様ラ……ヲ……喰ライ…………我ニ……楯突イタ者ドモヲ……全テ…………滅ボシテ……クレヨウ!」


 金剛の霧雨が全周からそう声を響かせたのと、分身亀が歪みの波動を放ち、蠢く霧雨が僕たちに津波のように押し寄せたのは同時だった!


「っっ!!」


 一瞬で、視界が真っ白にかすむ。

 しとしとと降る霧雨。真逆に、魂の根幹から歪ませて存在ごと消滅しそうな波動。


 だけど、その全ては、僕たちには届かない。


「ナ……何故ダッ…………!?」


 瞬時に異変を察知した金剛の霧雨に、動揺が走る。

 だから、僕は周囲を見渡しながら、にやりと不適な笑みを浮かべて言ってやる。


「やれやれ。これだから魔物は。どうやら、まだ気づいていないみたいだね?」


 ふうっ、とわざとらしく肩を落として、嘆息たんそくしてみせる僕。

 そして、金剛の霧雨の疑問を晴らしてあげる!


「邪族は、世界の敵だと前に教わったんだ。お前は、その邪族を超える存在だと自ら宣言した。ということは、やっぱりお前も世界の敵でしかないよね!」


 だったらさ、と僕は金剛の霧雨の身体の外側、僕たちが待ち構えていた方角へ視線を向ける。

 でもそこには、黄金色に瞳を輝かせて戦況を見守るスレイグスタ老の姿しかなかった。

 巨人の魔王も、シャルロットの姿もない。そして、妖精魔王クシャリラの気配も。


 なぜなら。


「くくくっ。実に面白い見ものだ」

『憎し、竜王!』

「えええっ、僕のせいなの!?」

「ふふふ。大変に貴重な体験をさせていただきました」


 という言葉と同時に、僕たちの傍で気配が揺れる。そして、唐突に巨人の魔王とシャルロットが姿を現した。

 ただし、空間跳躍をしてきたわけじゃない。

 だって、二人は最初からずっと、僕たちの傍に存在していたんだからね!


 では、なぜ今まで姿が見えないどころか、存在さえ感じられなかったのか。

 答えは、クシャリラが持っていた。


「ふむ。其方そなたの内側に居れば、私たちの気配を消せるどころか、姿まで見えなくなるのか。良い収穫だ」


 と言って、愉快そうに笑う巨人の魔王。


「ですが、そう多くの者は内側に取り込めないのではないかと思います。あの空間で自身の存在を明確に保てる者でないと、厳しいかと。ああ、エルネアくんであれば、きっと妖精魔王陛下の内側にも入れると思いますよ?」

「本当に!?」

『ええい、勝手にわらわのことを決めつけるなや!』


 クシャリラが、苛立ったように叫ぶ。すると、クシャリラの身体に触れていた霧雨が、弾かれたように霧散した。


 そう。

 世界の敵であると宣言した金剛の霧雨。であれば、この世界に生きる者全ての敵ということになる。それはつまり、魔族の敵ということにもなるよね!

 だから、巨人の魔王やシャルロット、それにクシャリラは観客の立場を辞めて、参戦してきた!


 そして、今の状況は全ては、クシャリラの力のおかげだった。

 巨人の魔王とシャルロットを自身の内側に取り込んで、特等席で僕たちの戦いを観戦していた。

 そして、今し方。分身亀が放った歪みの波動や、濃度を増してこちらへ迫ったはずの霧雨を全て弾いた。


 クシャリラは、存在が特殊な始祖族だ。

 確かにそこに存在しているはずなのに、姿を正確に視認することはできない。それどころか、世界の違和感を読み取れる僕でさえ、強く意識しなければ気配さえ感じられない。

 きっとクシャリラの本体は、精霊の世界のようにこの世界に幾重いくえにも重なった違う空間のどこかに存在しているんだと思う。だから、僕たちが普段目にしたり気配を感じる感覚では、とらえられない。


 同時に、違う空間に存在するクシャリラには、生半可な攻撃は通用しない。

 それこそ、霊樹の術のように、重なり合った世界を貫き通せるほどの術や技でなければ。

 僕たちの日常の理が通用しない存在。それが、妖精魔王クシャリラだ。


 ある意味、世界の理の外に存在する金剛の霧雨と似ているかもしれない。

 だからこそ、金剛の霧雨も気づく。


「オノレッ! ……我ガ……力……ヲ……跳ネ除ケル…………存在……カ…………!」


 蠢く霧雨を弾き霧散させ、分身亀の歪みの波動をものともしないクシャリラに、金剛の霧雨がこれまでになく怒気を膨らませていく。

 それを感じて、僕は疑問をていした。


「良いのかな? 金剛の霧雨。お前の存在が何よりも恐ろしかったのは、この世界に生きる者の常識の枠外、世界の理が通用しない歪みそのものだったからだよ。でも、今はどうだろうね?」


 僕たちを喰らう。そう宣告した金剛の霧雨。

 つまり、僕たちを「喰う」という世界の理に自ら縛られた。

 そして、クシャリラによって自身の攻撃が阻まれた。

 本来、この世界の理の外に存在し続けていたら、クシャリラの存在定義なんて無意味で、攻撃も通っていたはずだよね?

 だって、たとえどんなに特殊な存在であっても、クシャリラもこの世界の理の内側で生きているんだ。だから、本来の金剛の霧雨であれば、こちらの世界の理なんて無視するかのように、自身の理を貫き通せていたはずだ。


 それが、今。


 自身の攻撃が「弾かれた」という世界の理にのっとった事象を認識し、怒りを覚えている。

 怒りはクシャリラを、僕たちという外敵を強く認識しなければ、生まれない。そして、僕たちを強く認識するということは、即ちこの世界に生きる者の理に、完全に取り込まれたということだ!!


「ようやく、準備が整ったね!」


 僕たちの強襲。霧雨の外で、今も戦い続けている者たちの臨戦。王都で祈り続けているみんな。

 そして、星々の雨と、星の海。


 これが、僕たちの全て?


 いいや、違う!


 これまでが僕たちの下準備であり、これからが本番だ!


「良い特等席での観戦だ。であれば、少しばかりは其方らの手助けをしてやろう」

「ふふふ、今回は無償でご助成致しますね?」

『終わったら、帝尊府ていそんふどもの末路を聴かせよ』


 三人の始祖族に守護された僕たちは、最後の締めへと動き始めた。

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