疲れを癒しましょう

 結局、僕たちは例外なく泥まみれの姿になった。

 プリシアちゃんとアレスちゃんが泥んこ遊びをしたからじゃない。


 沼地に沈んでいたのは地竜の骨で、すぐに見つけることができた。だけど、骨を引き上げるのに難儀しちゃった。

 潜ったとしても、視界は泥水で真っ暗闇だからね。

 沈む足先で僕が骨の場所を定め、ニーミアに知らせる。ニーミアは大きくなって沼に手を突っ込み、頑張って引き抜いてくれた。

 この程度なら、泥に汚れるのは僕とニーミアだけで済んだんだけど。


 泥沼に沈んでいた地竜の骨は、もちろん泥で汚れている。その泥を払い、どの部分が利用できるかを見定めなきゃいけない。

 ということで、全員で手分けして、ニーミアが引き上げた骨の泥を払う作業にいそしんだ。


 地竜の遺骸から取れた部位は、牙と骨と爪。分厚い頭蓋ずがい、太い尻尾の骨、背びれとつのだった。

 回収した素材は、大きい姿を維持してもらっているニーミアの背中へ。

 アレスちゃんの謎の空間を期待していたんだけど、汚れたものは収納したくない、と断固拒否されました。


「これだけで足りるのかな?」

「あまり大きな物を作るわけじゃないから。もしも足らなくなったら、また取りに来ましょう」

「疲れましたわ……」

「さあ、プリシアちゃんとアレスちゃん。泥遊びは終わりですよ」

「わかったよ!」

「たのしいたのしい」

「やっと終わったわ。でも、顔も手も泥で汚いわ」

「やっと終わったわ。でも、髪も服も泥で汚れているわ」

「そうだね。みんな泥まみれになっちゃってるよ。お疲れさま。ようし、このまま帰るわけにもいかないし、みんなで温泉に寄って帰る?」

「温泉?」


 ミストラルたちは、竜の墓所のどこに温泉なんてあるのかしら、と僕を不思議そうに見た。


「あるじゃないか、絶景の露天風呂が!」






「というわけで、来ちゃいました。こんにちは、アイリーさん」


 ニーミアの背中に乗って死火山の火口跡にある竜の祭壇さいだんへと到着した僕たちは、出迎えてくれたアイリーさんに挨拶をする。


「あなたたちは本当に、自由に生きているわね」

「ええっ。そうですか? これでもけっこう忙しいんですよ」


 アイリーさんは、泥んこまみれでやって来た僕たちを苦笑まじりの視線で見つめる。

 僕は挨拶がてら、アイリーさんと握手を交わそうと、手を伸ばす。

 もしかして、手が汚れていると言われて拒否されちゃうかな?

 これでも、手だけは綺麗にしたんだけど。と少し躊躇いを見せたのは僕だけで、アイリーさんは嫌がる素振りもなく僕の手を掴む。


 そして。


「どりゃあぁっ!」

「きゃーっ!」


 僕は全力で、小島の周りに広がる湖へと投げ飛ばされた。


 僕だけじゃなかった。

 僕の扱いを見て、悲鳴をあげて逃げ出したルイセイネとライラも、問答無用で投げ飛ばされた。

 ユフィーリアとニーナは竜奉剣りゅうほうけんを構えて抵抗したけど、瞬殺で蹴り飛ばされた。

 プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアは、自分から喜んで湖へと。

 残りのミストラルだけはアイリーさんと正面から対峙して、睨み合う。

 でも、そのあとに自分で湖へと飛び込んで来た。


「ちょっとそこで、綺麗になって来てちょうだいな」

「えええっ。アイリーさんの家の露天風呂に入りたかったのに」


 と言いつつも、湖で綺麗に泥を落とす。

 アイリーさんは、岸辺で僕たちを監視していた。


 夏でも、高山にある湖の水は冷たい。

 だけど、それが気持ちいい。

 泥を流しているとユフィーリアとニーナが水を飛ばして来たので、僕も応戦する。

 プリシアちゃんとアレスちゃんは、じゃぶじゃぶと遊ぶ大きな姿のニーミアの背中に乗って一緒にはしゃぐ。

 ルイセイネはライラの髪の泥を洗ってあげているし、ミストラルも気持ちよさそうに服や髪の泥をぬぐっていた。


「ほら、やっぱり自由じゃないの。どんな状況になっても、自分たちで楽しみを見つけちゃっているわ」

「はっ、言われてみれば……。じゃあ、アイリーさんも一緒にどうですか?」

「エルネア?」

「エルネア君?」


 軽い気持ちで誘っただけなのに、ミストラルとルイセイネに睨まれちゃった。

 アイリーさんは笑っていた。


 アイリーさんは豊かな髪とふくよかなお胸様、そしてなまめかしい肢体したいをしているけど、ちょっと違うんだよね。

 女性陣は、それに少しだけ抵抗があるのかも。

 だけど、女性陣が困った様子を示すと、そこを嫌らしくつついてくるのがアイリーさんだ。


「それじゃあ、遠慮なく」

「ちょっ、ちょっと、アイリーさん! なぜ服を脱ぎ出すのかしら!?」


 慌てて岸に戻ったミストラルは、躊躇いなく服を脱ぎ出したアイリーさんを止める。


「恐ろしいわ……」

「怖いわ……」


 ユフィーリアとニーナが震えて見ていた。


「エルネア様、浮気は駄目ですわ」

「いやいや、浮気とかそんなことはしていないし、アイリーさんは違うからね?」


 みんなの隙を見て、僕に抱きついて来るライラ。

 水の下で、ライラの濡れた身体が絡まってきます。

 周りの冷たい水のせいか、ライラの人肌の温もりがいつも以上に気持ちいい。


「ミ、ミストさん!」


 ライラの抜け駆けに、しかしルイセイネは気づいていなかった。


 それもそのはず。

 池から出たミストラルは、全身を濡らしていた。

 僕たちは服を着たまま湖に入ったんだけど、濡れた服がミストラルの細い身体に張り付き、色っぽい輪郭を見せていたんだ。


 服を脱ぎかけていたアイリーさんより、濡れた衣服を身体に張り付かせたミストラルの方が何倍も艶かしい。


 ミストラルは僕の視線に気づき、じと目で睨んできた。

 ふいっ、と視線を逸らす振りをして、それでもミストラルを見る。


「男の子だねぇ」

「いいじゃないか、僕は許されると思うんです」


 ふっふっふっ。

 ひとりの男子として、ちょっと怒られたくらいじゃ目は逸らさないよ!

 ここぞとばかりに、ミストラルの色っぽい姿を見つめる。

 ミストラルは、もともと僕に薄着を見られても恥ずかしくない。

 じと目で睨んだものの、鈍器どんきが飛んでくるわけでもなく、今も服を脱ごうとしているアイリーさんを止めていた。


「ミスト様だけを見るのはずるいですわ」


 水中で、僕の腕をつねるライラ。

 ライラも水の中で色っぽい姿をしていた。

 水に揺られ、衣服が緩んでいる。押し付けてくるお胸様の胸元が大きく開き、今にもこぼれ出しそうになっていた。


「しまったわ、ライラに先を越されたわ」

「しまったわ、ライラの抜け駆けが成功しているわ」

「ちょっと、お二人とも。なぜそこで服を脱ぎ出すんですか!」


 湖に浸かったまま、一発逆転を狙って服を脱ぎ出したユフィーリアとニーナに、慌てて止めに入るルイセイネ。

 そうしているルイセイネも、水流によって服が乱れていた。


 うむむ。

 素敵なご褒美だね。

 竜の亡骸を沼のなかから探し出すという大変な役目を全うした、僕への報酬に違いない。


 プリシアちゃんとアレスちゃんは、すでにすっぽんぽんになって遊んでいた。






 後から考えたら、ミストラルの色っぽい姿をアイリーさんに見られたことはちょっとだけ嫉妬心に触れたけど。

 僕たちは思う存分、湖で遊んだ。


 アイリーさんは服を脱いで湖に入ることを諦めたのか、僕たちを残して露天風呂の準備に行ってくれた。


 まさか、このあとはみんなでお風呂に……

 という僕の下心は叶わなかったけど、冷たい湖のあとに入った露天風呂は、最高に気持ちよかった。


「……引き出物ね。それは良い考えじゃないかしら。それで、わたしになにをしてほしいのかしら?」


 お風呂に入ったあとは、アイリーさんが準備してくれた夕食を食べながら、僕たちのことを話す。

 さすがは話術の天才です。

 気づいたら、根掘り葉掘り僕たちは自分たちのことを語ってしまっていた。


 それで、丁度いいやと、ここへと来た本来の目的も話してしまうことにする。

 なにも、アイリーさんのところへは露天風呂に入りに来ただけじゃない。ちゃんと、別の用事もあったんだよ。


「はい。ジルドさんから、次に会ったときに渡してほしいと言われていたんです」


 僕は、アレスちゃんから受け取った石の彫り物をアイリーさんに手渡す。

 竜の祭壇に飾る、竜の石像だ。

 さすが、竜の王の竜宝玉を僕の前に宿していたジルドさんだけのことはある。春にここで見た竜の王の姿によく似ている石像だった。

 アイリーさんはありがとう、と受け取りつつも、愚痴ぐちる。


「まったくもう。あの子はいつになったらここに遊びにくるのかしらね」

「ごめんなさい。王都の復興で、まだ暫くは忙しくなるみたいなんです。ですから、逆にアイリーさんがジルドさんに会いに行きませんか?」


 言って僕は、手紙を渡した。


「これは?」

「僕たちの、結婚の儀の招待状です。お師匠様のひとりとして、アイリーさんも来てくれませんか?」


 露天風呂も、ジルドさんからの届け物も、ついででしかない。

 本命はこれ。

 アイリーさんへ、招待状を届けること。


「アイリーさんはここで竜族の禍祓まがばらいをするのがお役目だとは知っています。でも、数日だけ離れたりはできませんか? 僕たちは、アイリーさんにぜひ、来てもらいたいんです」


 招待状は、式に参加する人たちの全員分を僕たちで準備した。一枚一枚、手書きで作った招待状だ。

 アイリーさんは微笑みを浮かべて、招待状を見る。


 来てくれるかな?

 やっぱり、昔のことがあって、ここから離れられないかな?

 でも、やっぱり来てほしい。

 僕たちは、強欲ごうよくなんだ。

 関係者のみんなに祝福されたい。

 僕たちが幸せになる姿を見てもらって、みんなにも幸せになってもらいたい。


 全員で、固唾かたずを飲んでアイリーさんの反応を待つ。


「……しかたがないわね、困った弟子だこと」


 そして、嬉しそうに笑ってくれた。


「ぜひ、お待ちしています!」

「ジルド坊には内緒よ。こっそりと行って、驚かせてあげなくちゃね」

「わかりました!」


 よかった。アイリーさんは来てくれるみたい。

 僕たちはほっと胸を撫で下ろし、また食事に戻る。


「それで、どんな式になるのか教えてちょうだいな?」

「駄目ですよ。それは当日のお楽しみです」

「そんなことを言わないで。あの、竜の骨とかをなにに使うのかしらね?」

「ひ、秘密です」

「竜姫ちゃんは竜人族よねぇ……」

「はい、そこのお姉さん! 詮索しちゃいけませんよっ」

「ふぅん……。ああ、そうそう。あなたたちが綺麗に洗ったその竜の骨とかだけどね。きちんと清めておいてあげたわよ」

「うっ……」

「呪いなんてないんだけど、やっぱりああいったものは神聖な方がいいものね?」


 ぐうう。

 直接的な言及はないけど、アイリーさんは全てを見透かしているようにしか見えないね。


 集めた竜の遺骸は、本来であればこのあと、僕がおはらいをしようと思っていたんだ。

 アイリーさんの言うように、竜の骨や牙にはけがれなんてついていなかった。だけど、亡骸だからね。死んだ竜へのとむらいと、遺骸を利用させてもらうことへの計らいはしなきゃいけない。

 でも、それはもうアイリーさんが済ませちゃったみたい。

 明らかに、僕たちが竜の素材でなにをしようとしているのかを知っているよね。

 だって、アイリーさんも竜人族だから。


「アイリーさん、深入りはしないでくださいますか? これはわたしたちのおもてなしに関わりますから」

「あら、ミストラルちゃん、そんなことを言っても良いのかしらね?」

「と、言いますと?」

「あの竜の遺骸、どうやって加工するつもりかしら?」

「それは……」

「あれって、地竜のやつよね? 並みの工具じゃ加工どころか傷もつけられないんじゃないかしら」

「それは、村に戻って……」

「加工用の道具を借りる? でもそれって、わたしに借りるのとなにが違うのかしらね」

「言われてみると……」


 彫刻刀などの道具を、僕たちは持っていない。

 竜の爪や牙は普通の刃物では歯が立たない。

 だから、ミストラルの村で加工用の道具を借りる予定だったんだけど。

 たしかに、アイリーさんの言う通りだよね。

 アイリーさんには招待客として来てもらいたいんだけど、スレイグスタ老は言っていたよね。僕たちだけじゃ準備しきれないことは、周りに協力を仰げってさ。


「今なら、お買い得だわよ。特別な物が作れるわよ。なにせ、ミストラルやあなたたちの案だと今風の普通の装飾になるだろうけれど、わたしの助言を受ければ、古式こしきゆかしい七百年前のお洒落しゃれなものになるわ」

「むむむ、それは魅力的ですね」


 アイリーさんの提案は、とても魅力的すぎました。

 せっかくみんなに記念のものを渡すなら、とことんこだわりたいしね。


 僕たちは相談したあとに、結局アイリーさんに協力を仰いで、引き出物を製作することになった。

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