死を求めた男
ルルドドおじさんは、二日後に禁領のお屋敷までたどり着いた。
「おい、小僧。儂を
「なんのことかな?」
ルルドドおじさんは、出迎えた僕に向かってため息を吐く。
「北の森からここまで、道らしき道が無いではないか!」
「はっ。言われてみると? 僕たちはニーミアに乗せてもらったから平気だったけど、確かに整備された道は通っていないですね!」
お屋敷から竜王の森へ続く道を整備したときも、何日も何日も地面を踏み固めて道を作ったっけ。
残念ながら、禁領には普段の生活圏くらいにしか人工的な道はない。海に近い北の森からお屋敷までの直通の道なんて、もちろんだけど通っていない。あるとすれば、途切れ途切れの獣道くらいだ。
でも、道がなくて苦労した原因は、ルルドドおじさんが臭くて、ニーミアに騎乗拒否されたせいだよね?
そのルルドドおじさんは、相変わらず
しかも、お土産も抱えて。
背中に抱えた大きな袋からは、収まりきれないほど大きな魚や、北の森で討伐した魔獣の毛皮がはみ出ている。手にも野草や
「いらっしゃいませ、ルルドド様。お待ちしていました」
僕とルルドドおじさんのやり取りに苦笑しつつ、一緒に出迎えてくれたミストラルが挨拶する。すると、ルルドドおじさんは犀の被り物の奥から、ミストラルをじっと見上げた。
「竜人族か。では、小僧が言っていた最高の竜人族とはお前さんだな?」
「
一瞬、ルルドドおじさんが戦鎚を持つ手に力を込めた。それを軽く受け流して、ミストラルはお屋敷へ招く。
「さあ、どうぞ。ルルドド様の来訪を、みんなでお待ちしていました」
「みんなとな?」
「はい。禁領に住む者たちで、おもてなしをさせていただきますから、どうか旅の疲れをお癒しください」
死を求めるルルドドおじさんだけど、ここまで来ておいて僕たちの接待を受けない、なんて言い出したりはしない。
ルルドドおじさんは、ミストラルに案内されるまま、お屋敷の玄関に入る。
「馬鹿のように広大な屋敷だと思ったが。室内も
「全て、伝説の大工さんの手仕事ですよ」
「伝説の?」
「はい。魔族に、いるんです。ひとりでこれだけのお屋敷を建てられる人が。その人に、建ててもらったんですよ」
「造りも見事だが、調度品も一級品ばかりが揃っているな。これが見渡す先まで続いているとなると、そこいらの国の宮殿よりも遥かに豪華だ」
「ですよね……。これが、湖二つ分を囲むように建っているんですからね」
「は?」
さすがのルルドドさんも、お屋敷の規格外の大きさに目を点にしていた。
「さあ、こちらです。他の方々も、ルルドド様をお待ちしておりますので」
僕たちでも探検するとまだまだいろんな発見ができるお屋敷を、ミストラルの案内で進む。
長い回廊を渡った先には、日当たりの良い大きな部屋があった。
床には
竜王の森からは、ユーリィおばあちゃんとプリシアちゃんのご両親と、ユンユンとリンリン。竜峰の北部まで出向いてアイリーさんを招び、ついでとばかりにアームアード王国の王都でジルドさんも
「これはまた、大勢だな」
「みんな、おじさんを歓迎しているんですよ」
「歓迎か……」
僕たちの手厚い出迎えに、苦笑するルルドドおじさん。
だけど、相変わらず瞳の奥には影を宿している。
きっと、今も心の奥では思っているに違いない。
死にたいと。
そして、僕たちがそれを阻もうとしているのだと、警戒しているんだ。
「さあさあ、こちらへいらしてねえ。
それでも、ユーリィおばあちゃんの柔らかなお誘いは断れないよね。
ルルドドおじさんは、お土産や荷物をミストラルに預けると、誘われるままにユーリィおばあちゃんの隣に腰を下ろす。
「それじゃあ、おじさんの来訪を歓迎して、乾杯!」
こうして、ルルドドおじさんの歓迎会は始まった。
「ねえねえ。おじさんは西から来たんだよね? どうやって禁領や僕たちのことを知ったの?」
そりゃあ、魔族の間で僕たちのことは有名かもしれない。だけど、
それに、他種族を奴隷扱いする魔族が、山民族のひとり旅を黙って見過ごすはずがない。そうなると、結構な大者の手助けを受けたように思えるんだけど?
僕の質問に、お酒をくびぐびと飲み干したルルドドおじさんが教えてくれた。
「ここへ来る前に、魔族の支配者に喧嘩を売った」
「なんて無謀な!」
「いや、無謀を通り越して、相手にさえされなかった」
「僕たちからすれば、それは
「どうやら、小僧たちは気に入られているようだな。相手にはされなかったが、この地のことを聞かされた。まあ、正確には
「魔族の支配者との勝負はできなかったが、貴様らのことを知った」
「それで、通行証を貰って、魔族の国を横断してきた?」
「いいや、違う。奴らがそんな親切心をみせるものか」
「それじゃあ、どうやってここまで!?」
「魔族どもの奴隷狩りを相手にするのも飽きたのでな。北へ行って、船でこの地へ入った」
「えっ!? 北の海には、恐ろしい始祖族が住み着いているはずだけど?」
「ふむ。儂もその噂を聞いて海に出たのだがな。残念ながら、出くわさなかった」
北の海には、ルイララの親である始祖族が住んでいる。そして、海に出た者を容赦なく襲うという。だから、魔族であっても海路で竜峰を越えることができないんだよね。
だけど、ルルドドおじさんは北の海でも魔族の肩透かしを受けたわけだ。
魔族は、相手の喜ぶようなことはしない。まさに、極悪だ!
「北の海の始祖族といえば。ルイララのお見舞いに行かなきゃね?」
「そうね。落ち着いたら、今度みんなで行きましょう」
ルルドドおじさんの空になった
ユーリィおばあちゃんが言った通り、山民族はお酒が大好きなようだね。たとえ死にたがっていても、お酒が注がれれば、躊躇うことなく何杯でも飲んでしまう。
そうして、毛むくじゃらの頬を赤らめていく。
というか、お屋敷に来る前に汚れは落としたみたいだけど、髭のお手入れとかはしなかったんだね!
「おい、小僧も飲め」
「いやいや、僕はお酒に弱いんですよ。それに、この場で僕のことを小僧呼ばわりしても良いのかなぁ?」
「どういう意味だ?」
と、ルルドドおじさんは大部屋で賑やかに楽しむ者たちを見渡した。
人族、竜人族、耳長族。それに古代種の竜族や魔獣。気を研ぎ澄ませると、精霊たちが来ていることも知れる。
じっくりとみんなかを観察したルルドドおじさんは、最後に隣のユーリィおばあちゃんを見た。
「ふふふ。私から見たら、全員が可愛い小僧小娘だわねえ」
「ユーリィおばあちゃんは、もうすぐ一千二百二十五歳だからね?」
ユーリィおばあちゃんの誕生日は、竜の森に戻って耳長族のみんなでお祝いする予定だ。
「五百歳なんて、わたしから見ても可愛いものだわね」
さらに、アイリーさんが絡んできた。
「ぬおっ。
「あら嫌だ。性別なんて関係ないじゃない?」
「わっはっはっ。ルルドド殿、アイリー様のお相手は任せましたぞ」
「はい、ジルド
「こうして、ジルドさんは今日も、アイリーさんの
「うわわっ、エルネア君。呑気に実況しておらんで、助けなさいっ」
「師匠、頑張って!」
アイリーさんに絡まれて顔を引き
「なるほど。人族が竜術を扱い、竜人族の妻を
「いいえ、違いますよ? ジルドさんもお師匠のひとりですけど、僕に竜術を授けて、ミストラルと引き合わせてくれた方が別にいるんです」
「それは、何者だ?」
「古代種の竜族、
なにせ、遠い地の竜たちでさえ名前を知っていて、尊敬の念を抱くほどだ。
まあ、本当のスレイグスタ老は、鼻水を飛ばす悪戯好きなおじいちゃんなんだけどね。
「ほらほら、僕たちのことなんかよりも。おじさん、世界中のお話を、僕たちに聞かせてください!」
スレイグスタ老やユーリィおばあちゃんも、若い頃には世界中を旅したという。だけど、なかなか聞く機会がないんだよね。だから、せっかくの機会なんだし、ルルドドおじさんのお話が聞いてみたい。
お酒が回って少し気が緩み、舌も回るようになったのか、ルルドドおじさんは「招待されておきながら拒むことはできまい」と変な理由を付けて、僕たちに色々なお話を聞かせてくれた。
火山に住み着いた火竜との戦い。妖精族の姫との恋話。魔族や神族、他にも様々な種族が入り乱れての騒乱で活躍した出来事。巨人族の相棒と秘境を目指した時代。なかには、恐ろしい妖魔との戦いの話もあった。
「妖魔といえば、僕たちもつい先日まで妖魔の王と戦ってましたよ」
「なんだと!?」
「それはもう、大変でした……」
「特に、エルネア君の竜術に巻き込まれたみんながね?」
「セフィーナさん、それは気のせいだよっ。今回は、そんなに被害が出なかったと思うんだけどなぁ?」
「いいえ。そもそも、貴方が被害を出すから飛竜の狩場が決戦地に選ばれたのでしょう? それに、ちゃんと要塞を丸ごと吹き飛ばしたじゃない?」
「ミストラル、それは誤解だよ!? 妖魔の王の被害を抑えるために飛竜の狩場を選んだんだし、倒すために仕方なく、あそこまで威力を上げたんだからね?」
だから、要塞を消しとばしたのは、不可抗力なんです。それに、動物たちが豊かに暮らす飛竜の狩場に、人工物である
僕たちが妖魔の王との戦いを振り返って笑い合っていると、ルルドドおじさんがお酒を口もとから
「お、おじさん!?」
「お前さんたちは、いったどんな冒険をしてきたんだ……」
「ええっと、普通の冒険?」
「妖魔の王なんぞ、儂も未だに見たことないわいっ。それを、遭遇しただけでなく、討伐しただと!?」
「というか、遭遇じゃなくて意図的に
「は……?」
お前たちは何を言っているんだ、とルルドドおじさんが白目を
御遣いとして五百年間も冒険してきたルルドドおじさんでさえも、まだまだ驚くことはあるんだね。
僕たちは、わいわいと賑やかに騒ぐ。
ルルドドおじさんが手に汗握る冒険譚を話すと、負けじと魔王の話を出したり、みんなとの出逢いの話を披露する。
ルルドドおじさんも、最初こそ警戒の色を見せて身構えていたけど、いつしか僕たちと肩を抱き合ってお酒を飲み、楽しんでくれていた。
「うっぷ。結局、アイリーさんにお酒を飲まされちゃった。頭が痛い、気分が悪い」
「ならば、夜風に当たって酔いを覚ますと良い」
真夜中過ぎ。まだまだ元気な人たちは、騒ぎ続けている。
僕も主催者として場を盛り上げていたんだけど、さすがに酔いが回ってきちゃった。
すると、ルルドドおじさんが手を引いて、外に連れ出してくれた。
ごつごつと分厚い皮をした、歴史を物語る手だ。
「……小僧」
「はい?」
中庭に出ると、星空が満天に広がり、それが湖に反射して、きらきらと美しい夜景色になっていた。
ルルドドおじさんは、そんな夜空と中庭を見渡しながら言う。
「お前さんは、儂を説得するためにここへ招待すると言ったな?」
「そういえば、そうでしたね?」
「おいおい?」
こいつ、酔っ払っているな。と思ったかな?
確かに酔っ払ってはいるけど、ちゃんと意識は明確だよ?
「それで、儂をどうやって説得してみせるつもりだ?」
歓迎会の
だけど、僕はそんなルルドドおじさんに笑い返す。
「ねえ、おじさん」
「おじさんと言うな。……で、なんだ?」
「楽しかったでしょう?」
純粋に、面白おかしくお酒を飲み、美味しい食べ物を食べて、談笑した。とても楽しい時間だった。
「最初はね。それこそみんなで、どうやっておじさんを説得して死を望む心を晴らそうって相談しあったんですよ。だけど、
「なぜだ?」
「だって、おじさんは僕たちなんかよりもずっと長く生きて、色々なものを見て、沢山の経験をしてきたんだよね。そんな人に、
ルルドドおじさんだって、いろんな悩みがあったりするはずだ。そうした悩みや
「儂はてっきり、儂よりも長く生きた者を示して、まだ先は長いとでも言われるのかと思っておった。冒険話も、儂以上の体験を語って、未知はある、と訴えてくるのかと思っておった。だが、お前さんたちは本当に馬鹿騒ぎをして楽しく語らうだけで、儂を説得するような素振りは全く見せなかった」
「はい。そうですね」
「だが、お前さんたちは儂が死を求めていることを否定したいのだろう?」
「はい。今でも、それは変わりませんよ?」
「では、どうするのだ? 説得をせずに、儂をどう心変わりさせる?」
夜空から、隣に立つルルドドおじさんに視線を移す。
ルルドドおじさんも、僕を見上げていた。
「ねえ、おじさん。もう一度聞くけど、楽しかったでしょう?」
「……そうだな。久方ぶりに、楽しい酒だった」
「なら、それで良いんじゃないかな」
「?」
首を傾げるルルドドおじさんに、僕は言う。
「辛いことだって、悲しいことだってありますよね。生に飽きたり、死にたいと思ってしまうこともあるかもしれないです。だけど、こうして楽しめたでしょう? それなら、また今度もみんなで楽しみませんか?」
死を求めていたルルドドおじさんだって、今こうして「楽しい」と感じられた。だとしたら、心はまだ死んでいないんだ。
第一、寿命のなくなった僕たちは、見た目の年齢は精神年齢に比例するって言うけど、ルルドドおじさんは死を目前にした「老人」の容姿ではない。
おじさんと言える年齢だけど、けっして
「ええっとですね。実は、今日の
「聞いているだけで、ため息しか出てこんわ」
と言うルルドドおじさんの口もとは、
「また、みんなで宴会をしましょうよ? 疲れているなら、このお屋敷で好きなだけ休んで良いし、
「なぜだ?」
「だって、おじさんの冒険譚を、僕たちはまた聞きたいですもん。それに、おじさんがいない間の僕たちの物語も披露したいですし。そして、みんなが集まったら大騒ぎをするんです。辛かったこととか、嫌なこととか、全部忘れて」
「死を求める心も忘れて、か」
「そうそう。死んじゃったら、もうこんなに楽しい宴会は体験できなくなっちゃいますよ? もったいないなぁ。僕たちは、いつか死ぬかもしれない。なら、それまでは何度もこんな宴を繰り広げて、楽しく騒ぎたいな」
「やれやれ。お気楽な奴だ」
「そうですよ。気楽にいきましょう。そして、いっぱい楽しみましょう?」
だから、死ぬなんてもったいない。
僕の言葉に、ルルドドおじさんはまた夜空へと視線を戻した。
「儂はもう、心を揺さぶられるような景色も冒険も、この世界には残っていないと思っておった。だが、楽しいことは飽きることなく残っていたようだ」
「うんうん。美味しいお酒もね? そうだ。先日の妖魔の王討伐戦の祝勝会で全部飲み干しちゃったんだけど、霊樹の雫のお酒だって僕たちは手に入れられるんですよ?」
「それは
「なら、次に来た時には、もっと飲ませてあげます!」
「おおお、それは……」
お酒が大好きだという山民族には、これが一番効果があったみたい。
「……ええい、仕方ない。霊樹の雫の酒のためだ。貴様の口車に乗ってやろうではないか!」
「やったー! それじゃあ、もう死を求めたりはしない?」
「霊樹の雫の酒を浴びるほど飲むまではな」
「それじゃあ、ずっとお預けにしておこうかな?」
「な、なにーっ!?」
ルルドドおじさんが、今にも泣きそうな顔で僕にしがみついてきた。
おっさんに抱きつかれても、僕はちっとも嬉しくありませーん!
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