生を捨てた者
大陸の、ずっとずっと南の方。そこには、豊かな表情を見せる
山民族は、そうした深い山々の奥で生きる種族らしい。
小柄ながら屈強な肉体を持つ山民族は、山の硬い岩盤を砕き、
何せ、獣たちの亡骸を焼いて弔っている最中は時間を持て余すからね。色々と聞いちゃうよね。
「南の方かぁ。それって、神族の帝国よりも、もっと南ってことだよね?」
「愚かだな、小僧。お前が知る地域なんぞ、世界全体から見れば僅かばかりの土地でしかない。そもそも、この地の南に広がる神族の帝国の南には、広大な海が広がっておるわ」
「そういえば、南の賢者の塔は海の近くって言ってたっけ」
「南の賢者どもか」
「知ってるんだ?」
「南の賢者、北の魔女。西の聖女と東の魔術師だろう? ここへ来る前に西の地で耳にした、地域伝承だな。しかし、儂が出逢ったのは南の賢者どもだけだった」
それじゃあ、アリシアちゃんのことも知っていたりするのかな?
聞いてみたいけど、それはまた今度にしよう。まずは、どこまでも広がる世界のお話が聞きたいよね。
ルルドドおじさんは、弔いの炎を前にして、遠い目をしながら話してくれた。
「大海原の、さらに南。そこにも広大な大陸が広がっている」
「えっ! それじゃあ、この世界には大陸が二つあるの!?」
創造の女神様は、世界をお創りになった。ひとつの大陸と、それを覆う大海だ。だけど、二つ目の大陸なんてお話は聞いたことがないよ?
僕とセフィーナさんが首を傾げている様子を見て、ルルドドさんは少しだけ目尻を下げる。
どうやら、死にたがっていた暗い気持ちは、一時的にでも晴れたようだ。
僕たちの馬鹿話に巻き込まれたせいかな?
「
「やっぱり、僕たちが御遣いってことも知っているんだ。その辺も、後でじっくりと聞かせてもらいますよ?」
ともあれ、ルルドドおじさんに話の続きを聞く。
「小僧たちが
「つまり、大陸の全体像は三日月のような
「そこまでは知らん。この儂でさえも、まだ訪れたことのない場所があるからな」
ともあれ、やはり大陸はひとつなんだね。
そして、西回りで行けばルルドドおじさんの故郷である大陸の南に行けるし、東回りでも途中で船に乗れば辿り着けるみたい。
「むむむ、待てよ? 海を南下すれば、もっと早く大陸の南に行ける?」
「本当に、大馬鹿者だな。大海を渡る? 港を出て半日で海に沈んで死んでしまうわ」
「えええっ、なんで!?」
「んにゃん。南の海には、気性の荒い
「ニーミア、それって古代種の竜族?」
「そうにゃん」
「それじゃあ、海は渡れないのか……」
近そうに思えて、とても遠い。
ルルドドおじさんは、そんな場所から旅をしてきたんだね。
「でも、待てよ? ジャバラヤン様も、大陸の南西部から移住してきたって言っていたけど。獣人族は、何百年もかけて南西部から北の地まで移動してきたんだよね? 移住地を種族みんなで探しながらと、ひとり旅では行動が違うと思うけど。それでも徒歩だと、数年、数十年程度じゃ大陸の南からここまでは来られないはずだよね?」
「山民族の平均寿命は、人族と同じくらいにゃん」
「ということは、五十年前後。おじさんが人生の全てをかけてここまで旅をしてきたとしても?」
毛むくじゃらの、ルルドドおじさん。深い
そう考えると、やはり移動にかかる歳月とルルドドおじさんの年齢が釣り合わないような、と疑問を浮かべる。
すると、これまで元気を取り戻したように見えていたルルドドおじさんの瞳に、また影が降りた。
「儂は、長生きをしすぎた……。母なる山に召し上げられ、御遣いとなったのは五百年ほど前。それより、多くの者を育て、
ルルドドおじさんは、燃え盛る遺骸を暗い瞳で見つめる。
「疲れてしもうたのだ。長く生きた。その間には、数えきれぬほどの別れがあった。数十年も旅を続ければ、どこへ行っても同じ風景に見えてくる。もう、儂は生に飽きてしまったのだ……」
「そ、そんな!」
ルルドドおじさんも、僕たちと同じ御遣いだった。母なる山、という存在は知らないけど、間違いなくミシェイラちゃんたちと同じような、超越者なんだろうね。
そして、ルルドドおじさんも御遣いとして世界と関わり、生きてきたんだ。
だけど、五百年という歳月を生きてきて、心がすり減ってしまい、生きる意味を見失ってしまっていた。
だから、死にたがっていたのか。
「でも、せっかくの命を粗末にするだなんて!」
僕たちは、長く世界と関わるために寿命という
だけど、実際に種族の平均寿命の十倍を生きたルルドドおじさんは、僕の考えは甘い、と吐き捨てた。
「おい、小僧。この世界には儂らのような御遣いがどれほど存在していると思う?」
「ええっと?」
「母なる山や、貴様を御遣いへと召し上げた存在が、素質ある者を選ぶ。そうして何百年、何千年と経った時。御遣いと呼ばれる者が世界に
「それは……」
僕と一緒に竜神様の御遣いとなった家族は別として。他に出逢ったことのある御遣いといえば、バルトノワールくらいだ。
そのバルトノワールは、遥か東方からやって来たんだったよね。
「いいか、よく覚えておけ。たとえ寿命がなくとも、御遣いも死ぬ。首を
「えっ……」
「小僧。まさか、御遣いになれば永遠に生き続けられると甘く考えていたのではなかろうな?」
「そんな甘い考えは持っていないですけど。でも、最も多い死因が自殺だなんて」
でも、と思い返してみる。
バルトノワールはどうだったか。
魔族や僕たちを巻き込んだ大騒動を起こした末に命を落とした先達者だったけど。やはり、バルトノワールが抱えていた闇の根本は「死にたがっていた」ことかもしれない。
身内の死に絶望し、世界の仕組みを呪い、魔族に一矢報い。そして、死のうとしていた。
それに、ルルドドおじさんも死にたがっている。
長く生き、新たな感動や刺激を失って、疲れ果てて死を求めている。
バルトノワールとルルドドおじさん。死にたいという理由は違うけど、突き詰めれば自らの死を望む「自殺願望者」だ。
「どれほど
ルルドドおじさんの暗い瞳には、生気が全くなかった。
本当に死にたがっているんだ。
だけど、僕は認めるわけにはいかない。
長寿をどれだけ望んでも、寿命で亡くなる者たちがいる。それなのに、寿命を持たない者が「飽きたから」なんて理由で自殺を望むなんて、間違っている!
「おじさん」
なんだ、と暗い瞳で僕を見上げるルルドドおじさん。
「ここは、禁領です。僕たちが住む土地です。そこを訪れた人を、僕たちは歓迎します。だから、僕たちの家に招待しますね?」
「いや、遠慮しておく。貴様らが儂に引導を渡さぬというのなら、竜峰に向かうのも良いな。あそこなら、
「それは、間違いです。最高の竜人族は僕の妻で、今は禁領の家にいますから。それに、最強の飛竜は遠くに行っていて、竜峰を不在にしています。だから、手練れの竜人族や竜族を求めるなら、僕の家へ来てください」
まあ、来てもらっても、ミストラルもレヴァリアとも戦わせないけどね。
でも、僕はどうしてもルルドドおじさんを家へ
「おもてなしをします。だから、必ず僕たちの家に来てください。それに、ほら。僕たちの先輩だというのなら、獣たちを弔ってくれたお礼を受けるくらいの度量は持っているでしょう?」
「上手いこと言い
理由は何でも良いんだ。
とにかく、ルルドドおじさんをこのまま見捨てるわけにはいかない。そのためには、まずはお屋敷まで来てもらう必要がある。
「それじゃあ、ニーミア。弔いが終わったら、僕たち全員を連れて帰ってくれるかな? 灰になるまで燃やす必要があるから、もう少し時間はかかるだろうけどさ。おじさんも一緒に、お屋敷へ帰ろう」
僕がいつものようにお願いをすると、頭の上で寛いでいたニーミアが可愛く鳴いた。
「嫌にゃん」
「ふぁっ!?」
な、なんで!?
ニーミアにお願いを拒否されたのは、初めてのような気がするよ!
セフィーナさんも、驚いたようにニーミアを見ていた。
ニーミアは、予想外の反応に驚く僕たちを見て、ふわふわの長い尻尾を振りながら言った。
「臭いおじさんは、乗せないにゃん」
「な、なんだってーっ!」
これには、ルルドドおじさんも目を見開いて驚愕に仰け反ってしまっていた。
「……と、こんな騒動があったんだよ」
僕たちは帰ってきた。
ルルドドおじさんを残し、禁領のお屋敷へ。
僕たちの報告を聞いたミストラルが、肩を震わせて笑う。
「ニーミアは素直ね」
「にゃん。獣くさかったにゃん」
「獣の死骸を集めてくれたんだからね。
「違うにゃん。あれは体を洗わない人の臭いにゃん」
「本物の
「ふふふ。それで、そのルルドド様はどうしたの? 貴方は説得を諦めていないのでしょう? なら、招待を取り止めてはいないのよね?」
「うん。徒歩で来てもらうことに決まりました!」
「ちゃんと、途中の泉で体を洗ってきてもらうようにお願いしたわ」
セフィーナさんも笑っていた。
「約束を
「絶対にないよ。だって、テルルちゃんに監視をお願いしてきたからね!」
「それなら安心ね」
ちょっと強引なお誘いだったけど、ルルドドおじさんは間違いなくお屋敷へ来てくれる。そうしたら、本番はそこからだ。
僕たちは絶対にルルドドおじさんを説得してみせる。
あの、暗く
かつて、バルトノワールとは心を通じ合わせることができなかったけど、今度こそ先達の者を救ってみせるんだ。
だって、誰かを救うことができた先には、自分を救う、家族を救うという未来に繋がっているはずだから。
数百年後も、数千年後も、僕は家族のみんなと一緒に暮らしていたい。そして、いつまでも賑やかに楽しく生きていきたい。
だから、まず手始めにルルドドおじさんの心を晴らして、元気になってもらわなきゃね。
「さあ、それじゃあみんなで、迎える準備を始めましょうか」
ミストラルの号令に、僕たちだけではなく、お屋敷で一緒に暮らす耳長族の人たちも気合の声を上げた。
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