繋いだ小さな手は子供みたい

「ミストラル嬢たちも来ているのであれば、近くにいるかもしれんな」

「でも、どれだけの範囲が迷いの術にかかっているかわかりませんし、もしかしたら大森林の全然違う場所に飛ばされているかもしれませんよ?」

「それもそうか。ともかく、これからは慎重に進むとしよう」


 言ってカーリーさんは、油断なく弓矢を構えると、空間跳躍を使わずに森のなかを歩き始めた。

 僕はユンさんの手を握ったまま、後に続く。若干、ユンさんは手を振りほどきたそうだったけど、僕がしっかりと握りしめていることを知って、諦めたようについて来る。


「しかし、グレイヴ殿がユンの同行を許すとはな」

「……ミストラルが側にいたからだろう」


ユンさんの返答に、前を進むカーリーさんが頷く。


「なるほど。ユンだけ砦に残すよりも、ミストラル嬢たちに預けた方が安心できる、というわけか」


 カーリーさんは、振り返らない。ただ、いつもは油断のない鋭い気配を放つカーリーさんだけど、ユンさんに露骨な敵意は示していなかった。

 カーリーさんも、砦で聞いた話に少しは同情するような部分を感じたのかな?

 なにはともあれ、僕とカーリーさんとユンさんは、一緒になって森を歩いた。


「……エルネア」

「もしかして!?」

「……なにを期待している? どうやら、無事に夜営地へとたどり着いたようだぞ。いつの間にか、迷いの術が切れていたようだな」

「それじゃあ、急いで夜の準備をしましょうか」

「そうだな。近くまでミストラル嬢たちが来ているかもしれない。エルネアはここに残って、行き違いにならないようにしてくれ。俺は野草などをんでくる」

「気をつけて行ってらっしゃい。迷いの術が解けたとはいっても、油断しないでくださいね」

「もちろんだ」


 カーリーさんは、所持している香草や香辛料などを手早く確認すると、すぐに夕暮れの近くなった森の奥へと消えていった。


「……そろそろ、手を離して欲しいのだが?」

「ああ、そうでした。でも、離しませんよ?」

「なぜだ?」


 笑顔でやんわりと希望を却下した僕に、ユンさんは眉根を寄せる。だけど、僕はそれを気にすることなく、手を繋いだままの状態で腰を下ろす。

 そして、残った片手でまきを寄り集めた。


「精霊を使役して、火を起こしてほしいな?」

「……残念だが、我はもう精霊を使役することはできない」

「そうでした!」


 それなら、仕方ない。と僕は片手で四苦八苦しながら火を起こそうとする。

 ユンさんは不器用に動く僕を見ながら、手を離せばいいのに、とため息を吐く。

 たしかに、両手を使えば簡単に火を起こせるんだけどね。というか、僕が苦労している様子をため息まじりに見つめるくらいなら、手伝ってほしいよね。


 片手で必死に火起こし道具をあつかっていると、ようやく屑木くずきの隙間から白い煙が立ち始めた。ふう、ふう、と息を吹きかけて、燃えやすそうな枯葉を被せる。

 ちりちり、と小さな炎が見え始めると、今度は小枝を組んで炎を大きくしていく。

 そして、やっと育った炎に昨日までの燃え残った炭や手頃な薪木を投入する。それでようやく、暖をとることのできるくらいの炎になった。


「あとは、カーリーさんが戻ってくるのを待つだけだね」

「……そうだな」


 ゆらゆらと揺れる炎を前に、僕とユンさんは並んで座っていた。

 ユンさんは、どことなく気まずそうな雰囲気。

 まあ、未だに手を繋ぎあっているしね。

 ユンさんは、僕の手から逃れる機会を伺っているのかな?

 でも、離しませんよ。


 だって、ねぇ……


 もぞもぞと、何度目かのユンさんの手の動きを感じる。

 気づけば、太陽はもうほとんど西に沈みかけていて、空は紺色こんいろに深く染まり始めていた。


 カーリーさんの戻りが遅い。

 野草などを採ってきたあとにも、今度は調理をしなきゃいけないから、夕食にありつけるまで時間がかかるということくらいはカーリーさんも知っているはず。

 それなのに、この遅れは……


「カーリーさん、また迷いの術にはまっちゃったんだね」

「……そうかもしれないな」


 特に危機感のような雰囲気もなく呑気のんきに呟いた僕に、ユンさんは炎を見つめたまま答えた。

 どうやらユンさんは、僕と手を繋いで座り、炎を見つめてカーリーさんの帰りを待つ時間が気まずいようです。

 それじゃあ、そろそろ本題に入りましょう。


「……ねえ」

「なんだ?」

「そろそろ、正体を現したら?」

「っ!?」


 一瞬、ユンさんの表情が強張こわばった。

 ううん、違う。ユンさんに化けている女性の表情が、か。

 僕の隣に座る黒髪の小柄な女性は、握られていた手を振り解こうと力を入れる。だけど、離しませんよ?

 がっちりと握りしめて離さない僕を、これまで見せなかった鋭い表情で隣の女性は睨む。


「どうして、そのようなことを言う?」

だまそうとしても無駄だよ。だって、僕の妻には瓜二つの双子の姉妹がいるんだ。それに比べたら、変装なんて簡単に見抜けちゃうよ」


 ユフィーリアとニーナは、外見や言動では絶対に見分けることはできない。それでも、僕や家族のみんなは二人を見分けることができる。

 ユフィーリアとニーナを見分けられる僕たちが、外見を装っただけの騙しに引っかかるわけがないよね。


 自信満々に笑顔で答えると、女性は小さく舌打ちをする。そして、本格的に僕の手から逃げようとする。

 だけど、絶対に離しませんよ!


「まあまあ、落ち着いて。僕は喧嘩をしたいわけじゃないんだ。貴女と争おうと思っていないからカーリーさんには言わなかったんだよ。貴女も、カーリーさんが邪魔だったから迷いの術で追い払ったんだよね?」

「……食えぬ小童こわっぱだ」

「はっ! 僕は食べても美味しくないからね!」

「……」

「精霊って味はあるのかな? とまあ、そんな不謹慎ふきんしんなことは考えないし、興味もないんだけど」

「貴様はなにを言っている?」

「僕たちは、ユンさんを保護しているんだ。この辺はもう知っているよね?」

「なぜ、そう思う?」

「ほら、この森を覆っている監視の気配は、貴女でしょう?」

「監視の目?」

とぼけたって無駄だよ。アレスちゃんも気づいているし、僕もわかっているんだ。あっ、アレスちゃんのことは知らないよね?」


 僕は手を離さずに言う。隣の女性はどうにかして僕から逃れようと模索しているようだけど、そう簡単には離してあげません。

 ライラ直伝の引っ付き竜術で、ぴったりとてのひらてのひらがくっ付いているからね!


「そうだ。せっかく話をしているのに、お互いの名前を知らないなんて会話し辛いよね。僕は、エルネア・イース。……これも知っているかな。それで、貴女の名前は……?」


 横に座る女性に視線を向けたけど、答えてくれそうな気配はない。ただ、強い警戒の視線と手元の攻防だけが伝わって来るだけ。


「そうだ、当ててみよう!貴女の名前は……リンさん! ユン、リン、ラン、三姉妹の次女で、ユンさんと同じように耳長族の禁忌を犯した人だよね?」

「っ!」


 返事は必要ない。隣の女性、リンさんは動揺に瞳を泳がせていた。


「なぜ、知っているのか。それはリンさんもわかっているはずだよ。言ったように、僕たちはユンさんを保護している。そして、彼女から全てを聞いていたんだ。ユンさん自身のこと。リンさんのこと。それと、ランさんのことも」


 種明かしをしよう。

 そう、僕たちはヨルテニトス王国の砦で、ユンさんとゴリガルさんから全てのことを聞き出していた。

 調和に向けた話し合いの実が結ぶはずだった日の明け方前に起きた事件。

 それだけじゃない。

 なぜ、大森林を覆う迷いの術の宝玉が破壊されたのか。なぜ、精霊たちが傷つけられていたのか。なぜ、ユンさんは禁忌を犯してまで精霊を食べたのか。

 そして、本当の裏切り者はいったい誰なのか。


 ただし、彼女たちの話が真実なのか、他に隠し事はないのか、それはユンさんたちだけの話ではわからなかった。

 だから僕たちは、ユンさんたちが話してくれた話の確証を得るためにこうして大森林までやって来て、違う視点、違う立場の人たちからも話が聞きたかったんだ。


 だけど、森に降り立ったときにちょっと困ったことが起きた。

 監視者の存在だ。

 僕とアレスちゃんだけが気づいた視線。どこからともなく向けられる視線と、まとわりつくような気配は、森のなかにいる間中つきまとっていた。それなのに、僕だけじゃなくてアレスちゃんでさえ気配の主の所在を把握することができなかった。

 でも、そのおかげで逆に犯人の目星がついた、とも言う。


 僕たちの動きを監視する存在。違う、僕たちだけではなく、森の人たちみんなを監視する視線。それは、大森林を混沌へと導いた黒幕、すなわち、僕の隣で焦っているリンさんではないのか。


 では、監視者がリンさんだったと仮定した場合。森のなかにいる間は、絶えずこちらの行動が筒抜けになってしまっている可能性がある。

 ならば、手の内は見せられない。

 だから、アレスちゃんはずっと僕に同化したままだったし、エヴァンスさんたちと話していたときも、ユンさんの情報、つまり僕たちがリンさんたちのことも含めて全てを聞かされている、というような部分は伏せていた。


「でも、気になっちゃうよね。僕たちがユンさんと接触しているとわかったなら、どこまで知っていてどれくらい関わろうとしているのか、気になっちゃうよね?」


 森を監視していたのなら、僕の影から自由に出入りするリリィのことも知っているはず。古代種の黒竜と親しくする僕がどれくらい関与しようとしているのか、悪巧わるだくみをしている人にとっては気になるところだ。


 場の雰囲気を険悪なものにしないように、極力明るい口調で話したつもりだったけど、帰ってきたのは剣呑けんのんな視線だった。


「だから、近いうちに接触して来るだろうなぁ、と思ってたんだ。黒竜のリリィが僕たちから離れた今が好機だと思うから、そろそろだとも思っていたよ。まさか、変装して現れるとは思っていなかったけどね。見た目はユンさんそっくりだね? もしかして、取り込んだ精霊の力かな? ユンさんが人でない炎の巨人になった姿を見ているからね。もしかして、他人に変装することもできるのかな、とも警戒していたんだよね。リンさんの誤算は、僕が外見では騙されなかったってことと、自分の存在に気づかれていたことだね。最初から疑って見ていたら、見抜くのは簡単だったよ。これまでのカーリーさんとの会話でミストラルの名前しか出さなかったら、案の定、ミストラル以外の僕の家族の名前を口にしなかったしね」

「……全てお見通し、というわけか」

「全てじゃないよ。だからこうして、みんなの話を聞こうとしているんだ。みんなっていうのはね、リンさんも含まれているんだよ? 監視していたなら聞いたはずだよ。僕はみんなの味方であり、誰の敵でもないんだ」

「なるほど、エルネアは悪の根源であるリンの話も聞く、と言うのだな?」

「あっ、カーリーさん、お帰りなさい」

「エルネア、色々と画策するのは良いけど、家族を置いてけぼりにするのは駄目よ?」

「やあ、ミストラル。それに、みんな。いらっしゃい」


 いつの間にか、リンさんが張り巡らせていた迷いの術は破られていた。だけど、術を破ったのはカーリーさんじゃないみたいだね。

 それと、本当にミストラルたちは近くまで来ていたみたいだ。


「リンさん、紹介するね。こちらがミストラルで、抱きかかえられているのがプリシアちゃん。迷いの術を破ったのはプリシアちゃんかな? それと、隣に立つのがルイセイネ。さっきも言ったけど、瓜二つの双子がユフィとニーナ。右がユフィで左がニーナだよ。それと、彼女はライラ。最後に……こっちが本物のユンさんだよ」


 リンさんは、ユンさんと無言で見つめ合っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る