憎しみの連鎖

「ユンさんの姉妹は、お三方とも似ているのでしょうか」

「でも、私たちであれば見分けられますわ」

「似ているとはいっても、私とニーナほどじゃないわ」

「似ているとはいっても、私と姉様ほどじゃないわ」

「んんっと、リンリン?」


 黙って見つめ合うユンさんとリンさんをよそに、みんなは耳長族の二人の姉妹を見比べていた。

 ミストラルとカーリーさんも、油断なく構えつつも、興味深そうに観察している。

 だけど、リンさんの本来の姿は違うんじゃないかな? なんとなくだけど、そんな気がする。

 そして、僕の疑問を裏付けるように、ユンさんが口を開いた。


われに化けて動き回るなど、矮小わいしょうな復讐だな」

「……お姉ちゃんが悪いんだ」


 口調と同時に、リンさんの輪郭が揺らぐ。

 陽炎かげろうのようにもわもわと存在が不安定になり、空気に溶けてしまいそう。でも、繋いだ掌からはリンさんの手の温もりと存在感がしっかりと伝わってきていた。

 変化するリンさんを、僕たちは見つめる。すると、揺れていた輪郭は再構築されていき、新たな姿を現した。


 ユンさんのような、華奢で小柄な体格。目元や口元などは、瓜二つとは言えないけど、確かにユンさんと似ている。取り込んだ精霊の力にむしばまれ続けているせいか、顔色が悪い部分もそっくりだ。

 とはいえ、明確な違いもある。背中に流れる長い髪も一緒だったけど、色が違っていた。

 真っ白な髪。

 でもそれは、魔女さんのように長い年月で色素が抜けてしまったけど生命力の感じる白髪ではなく、お婆ちゃんのような命が抜け落ちた感じのする白髪だった。


「……もう、そこまで侵食が進んでいるのか」

「お姉ちゃんも一緒でしょう? だから、そうやって黒く染めているんじゃない」


 ユンさんは悲しそうな瞳でリンさんを見る。対するリンさんは、反抗期のような子供の視線で睨み返していた。


「お姉ちゃんが……。お姉ちゃんが協力さえしてくれていれば、今頃は耳長族も巨人族も根絶やしにできていたんだ!」


 そして、呪詛じゅそのように吐き出されたリンさんの言葉に、僕たちは息を呑んだ。


「リン。今でも本気でそう思っているのか」

「当たり前でしょう! あいつらは、家族のかたき。村のみんなの敵よ!」


 僕たちは、既に知っていた。

 ユンさんの口から、三百五十年前に起きた事件について聞かされていた。


 大森林に住む耳長族と東の巨人族は、遥か昔から争い続けてきた。

 時代によって、耳長族が堅実に森を守る時期もあれば、巨人族が猛威を振るう年代もあった。

 そして三百五十年前には、大森林の東の果てにもうひとつの耳長族の部族が存在していた。


「我たちを最初に裏切ったのは、今ものうのうと森で生きる耳長族たちよ! 巨人族と結託けったくして、我たちの森と仲間と家族を殺したのよ。なのになぜ、お姉ちゃんはそれでも森を守ろうとするの? なぜ耳長族をかばうの?」

「……」


 なにも、巨人族との和平を望む声は最近になって出てきた話ではない。過去から数えれば、何度となく試みられてきた歩みだという。

 だけど、物事はそう上手くばかりは回らない。

 巨人族は、森を侵略したい。耳長族は、森を守りたい。相反する望みは絶えずぶつかり合い、血が流され続けてきた。


 三百五十年前もそうだった。

 今の剛王のように、巨人族のなかに力を持った王が立った。大森林の耳長族は劣勢に立たされ、森は侵略された。

 このままでは、勢い付いた巨人族に森を破壊し尽くされてしまう。当時の耳長族は、危機感に囚われていた。

 だけど、そんななかでも和平に向けた道筋を探ろうとしていた部族があったらしい。

 それが、ユンさんやリンさんたちの部族だった。


 話し合いで、どうにかして争いをしずめたい。

 平和を望む者なら、誰もがいだ願望がんぼう


 でもね。

 勢いに乗っていた当時の巨人族に、話し合いで解決しましょう、なんて通じるとは僕でも思わない。


 案の定、ユンさんたちの部族の活動は全く実を結ぶことはなかったという。

 どんなに頑張っても、巨人族に相手にされないユンさんの部族。

 そして、悲劇は起きた。

 戦って森を護ろうと団結する耳長族たちにとって、和平をうたうユンさんの部族は次第にうとましい存在になっていった。

 奇襲をかけようとしている最中に、どうか話し合いの猶予を、と粘ったり、戦士を集めて護りを固めようとしているのに、争いは駄目だ、と主張して参加しない部族があったら、結束力にも影響しちゃうよね。

 そうして、ユンさんの部族を邪魔だと思い始めた者が巨人族と内通し、大森林の結界を解いてしまったらしい。


 ユンさんの部族が管理する森を明け渡す。その代わりに、この時代はこれ以上の侵略をしない。


 突如として迷いの術が解かれ、ユンさんの部族は大混乱に陥った。そこへ、巨人族の軍勢が押し寄せてきた。

 絶望しかなかったという。

 迷うことなく村へと侵攻してきた巨人族。助けを求めても、応援に来ない他の部族。ユンさんの部族は森を逃げ惑い、狩られていった。

 唯一の生き残りは、ユンさん三姉妹だけだった。


「あんな裏切りを受けて、なぜ平気なつらで振る舞うことができるの? ユンお姉ちゃんも、ランも……」

「リン、それは……」

「いい、聞きたくない! それが長老たちの望みだったからって、いつものように言うんでしょ!」

「我らは飛天ひてんもりの生き残りとして、長老たちがのこした意志を継がねばならん」

「違うわ。長老やみんなの望みは、復讐よ! 裏切った奴らを許しはしない。仲間を殺した巨人族を根絶やしにしてやる!」


 生まれが近い姉妹というだけあって似た面影おもかげを持つ二人だけど、表情は真逆だった。

 悲しい瞳のユンさん。

 怒りに歯をくいしばるリンさん。


 きっと、ユンさんはこれまでに何度となくリンさんの考えを改めさせようとしてきたに違いない。だけど、復讐心に囚われたリンさんの心は、三百五十年経っても薄れることなく感情を支配していた。


 リンさんの気持ちがわからないわけじゃない。

 僕だって、仲間や家族を殺されたら復讐心に囚われると思う。なにがなんでも仇を取りたい、と絶対に思う。

 だけど、今回の大森林の騒動を見ていたら、それはむなしいことなんじゃないかな、という思いもあった。


 三百五十年前の復讐を果たそうとするリンさん。今回、その一番の犠牲となったのは、暁の樹海の耳長族たち。それだけじゃなく、他の村の耳長族の戦士や大森林に侵攻してきた巨人族の兵士たちも、すでに大勢が犠牲となってしまっている。

 暁の樹海の人たちは、仲間を殺された悲しみや森を追われた旅で疲弊しきっているけど、他の人たちはきっと今頃、仇を討とう、復讐しようと息巻いているはずだ。

 現に、裏切り者という烙印らくいんを押されたユンさんには追っ手が放たれ、ヨルテニトス王国の砦まで迫られていた。


 思うんだけど、復讐に対して復讐で報復しても、新たな憎悪と復讐心しか生まれないんじゃないのかな?


「悲しみや憎悪は連鎖れんさしちゃうんだね。なら、どこかでそれを断ち切らないといけないんだと思う」


 僕の呟きに、リンさんは鼻で笑いながら応えた。


「だから、我が断ち切ってやろうとしているのよ。耳長族と巨人族を根絶やしにすれば、新たな憎しみは生まれない。我の憎悪も消えるわ」


 たしかに、そういう断ち切り方もある。でも、それは絶対に駄目だ!


「僕は、なにかを犠牲にして得られる結果なんて望まない。そういう結末を望む人を認めない」

「では、どうするというの? 綺麗事ばかりを口にして、それで我の復讐心は消えるかしら?」

「消えない、かな……」


 リンさんの言う通り、僕が口にする上辺だけの言葉なんて、リンさんの心には響かない。この程度の言葉で揺れる復讐心なら、とうの昔にユンさんが消し去ってくれているはずだ。

 でも、言わずにはいられなかった。

 だって、誰かが口にして望まなきゃ、想いは伝わらない。

 有言実行。先ずは自分の在り方を示し、あとは自分の言葉に納得してもらえるように行動するだけだ。


「リンさんの憎しみの心は、リンさんじゃないと消せない。でも、僕は言い続けるよ。リンさんのやり方は間違っている。絶対に間違っている!」


 リンさんが僕の言葉を聞き入れないように、僕もリンさんの言葉は受け入れられない。


「なら、どうするの? エルネアはどうやって我を止めるの?」


 挑発的、挑戦的な瞳を向けるリンさん。

 やれるものならやってみなさい、と強い意志の乗った目が語っていた。


「今ここで、力尽くで我を止めるかしら? それとも、事の真相を他の者たちに伝えて我を狩るのかしら? どちらにしても、結局は我が犠牲になるわ。それだと、エルネアの言う犠牲のない解決ではないんじゃない?」

「そうだね。その方法だと、僕は自分の言葉に嘘をついちゃうことになる」

「では、どうするの?」


 これ以上、リンさんの復讐によって犠牲者を出さない。更に、リンさんを犠牲にした解決策は選ばない。それでいて、今でも睨み合っているであろう耳長族や巨人族の憎しみや闘争心を消し去る。

 僕は、どうすれば円満な結末を導き出せるのか。


 僕が口を開こうとしたとき。

 先に、ユンさんが動いた。

 僕とリンさんは未だに手を繋いでいた。そこへ、ユンさんが小さな手をそっとえる。


「エルネアはエルネアの信じた道を進めば良い。だが、そこに我とリンを含める必要はない。なぜなら、我もリンも、もう残された時間は僅かなのだから」


 耳長族の禁忌。精霊を食べてその力を取り込んだ者は、いずれこの世界から消えてしまう。


 リンさんも、ユンさんと同じように耳長族の禁忌を犯していた。

 違う。リンさんが先に精霊を食べたんだ。

 迷いの術の宝玉を護っていた各地の精霊を襲い、半身を食べたのはリンさんだ。ユンさんは、リンさんが見逃した精霊の残り半分を食べたのだという。


 この二人は、同じ精霊を同じ数だけその身に取り込んでいることになる。そして、お互いにこれまで力を使ってきた。

 もう、二人に時間は残されていない。


「エルネア、手を離せ。ちたリンに引導を渡すのは、長女である我の役目だ」

「お姉ちゃんが我を止めるの? 無理よ。だって、我の方が多くの精霊を喰ったのだから!」

「なっ!」


 ユンさんとリンさんは、同じ精霊を同じだけ取り込んだんじゃなかったの!?

 僕はてっきり、リンさんはわざと精霊を半分残して、ユンさんに食べさせたのだと思っていた。ユンさんに化けて暗躍するなら、同じ能力だった方が見分けがつかないからね。

 でも、他にも自然の中の精霊を食べていたら、とは失念していたよ。


 だけど、リンさんの衝撃的な告白なんて前から知っていたという様子で、ユンさんはもう一度僕に手を離すように促す。

 僕はユンさんの覚悟に反論できず、手を離してしまった。


「良いの、エルネア?」


 ミストラルやみんなが僕を見ていた。

 みんなは言っているんだ。誰も犠牲にしない、という僕のちかいに反することが起きようとしているのではないか、と。


「もう、お姉ちゃんなんて用済みよ!」

「そうか。なら、消えるとしよう。だが、それは不肖ふしょうの次女をともなってだ」


 僕の手から離れたリンさんは、ゆっくりと立ち上がる。そして、ユンさんと徐々に間合いを取り始めた。

 ユンさんとリンさんの気配が膨れ上がり始める。

 このままでは、この姉妹は存在を懸けて戦い出すだろう。


「僕は、絶対に諦めないよ。だから、みんなも協力して!」


 僕は強欲なんだ。

 望んだことは絶対に達成させてみせる。


 相対する姉妹と、団結する僕の家族。

 太陽は沈み、夜闇が大森林を包むようにどこまでも広がっていた。

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