みんなの力は誰かのために

 距離をとって睨み合ったユンさんとリンさんの姿が、まぼろしのように夜闇に溶ける。直後に、人ならざる姿となって二人は世界に顕現した。


『お姉ちゃん、消えて!』

『消えてやるとも。リンと一緒になっ』


 夜よりもなお暗き暗黒の化身となったリンさんが、影を渡る。

 真夏の太陽にも勝る強烈な輝きで、ユンさんが森を覆う夜と影を薙ぎ払う。

 あまりのまぶしさに目を閉じても、輝きはまぶたを通して瞳に届く。

 きゃっ、とアレスさんと手を繋いでいたプリシアちゃんが小さく悲鳴をあげた。


 視界は奪われたけど、気配でユンさんとリンさんの動きは手に取るようにわかった。

 大森林の東部を覆い尽くすほどに拡大した二人の気配。

 光と闇がせめぎ合い、お互いの存在を打ち消そうと飲み込み合う。

 拡散していく光。侵食する暗黒。

 野営地を抜け、焼け野原になった大地を覆い、森の奥深くへと戦火は広がっていく。

 だけど不思議なことに、光と闇はお互いの存在しか傷つけあわず、圧倒的な気配に飲み込まれた世界は、だけど一切の損傷を負っていない。


 ユンさんの、森を護るという意思が働いているのか。リンさんの、ユンさんだけを狙った敵意からなのか。もしくは両方であり、どちらも違うのか。

 それは、ユンさんとリンさんにしかわからない。

 僕たちが理解できることはただひとつ。

 人知を超えた、前代未聞の姉妹喧嘩がすぐ側で起きている、ということだけだった。


『リン、復讐の先にはなにもないぞ』

『違うよ、お姉ちゃん! 復讐の果てにしか先がない人だっているんだ!』

『そして、新たな復讐者を生むのか!』

『そんなの、知らない。最初に悪いことをしたのあいつらよ!』


 実体をなくしたユンさんとリンさんの意思の会話が、光と闇の波動となって森に広がっていく。


『巨人族の寿命など、百年たらず。リンの向ける復讐の相手は、とうの昔に命の灯火ともしびを燃やし尽くしている』

『子孫を恨むわ。仲間を恨むわ。種族を恨むわ!』

『そうやって巨人族の全てを恨み、今を生きる者たちを否定するのか』

『消えちゃえ、みんな全部、なにもかも消えちゃえばいいんだ!』


 暗黒の気配が鋭い刃となって、光を切り裂く。

 光は炎のように燃え上がり、闇を焼き払う。

 暗黒の刃に両断された光が蛍火ほたるびのように空間を彷徨さまよって、弱々しく消えていく。

 烈光に焼かれた闇が火の粉のように舞い、散っていく。

 ユンさんとリンさんは、躊躇ためらうことなくお互いの存在を消し合う。そして消えた存在の分だけ、この世界から気配を消していく。

 とはいえ、人知を超えた力を手に入れた二人だ。森を覆う光と闇は、それでも圧倒的な気配で何度となくぶつかり、混ざり合った。


『我の家族や仲間を嵌めて見殺しにした耳長族たちは、今でものうのうと生きている。絶対に許さない!』

『彼らには彼らの大切なものがある。それに、あの時代より後に産まれた者たちにも同じ罪を負わせるというのか』

『知ればいい。仲間を奪われる憎悪を。家族を失う絶望を。そうして我と同じ苦しみを受けたあとに、全部を根絶やしにして、全ての悲しみを消すんだっ』

『ではなぜ、ランだけを残そうとしている!』

『っ!!』


 ユンさんの指摘に、光の炎を侵食していた闇が硬直した。


 三百五十年前の悲劇を生き延びた飛天の森の生き残りは、三姉妹だけ。

 長女のユンさん。次女のリンさん。そして、一番下のランさん。

 だけど、ランさんだけはこの場に居ない。

 それもそのはず。

 ランさんは、リンさんの手によって大森林の奥深くにある湖の底に封印されていた。


『ランだけは。末妹まつまいだけは助けたい。そういう想いではないのか』

『……違うもん!』

『全てを根絶やし、禍根かこんを断ち切るとうたいながら、ランを残す。ランはひとり残され、悲しまないと? 我らを恨まないと?』

『違う、違うっ!』

『リン、貴女は本当は優しい子だ。だから、ランだけには罪を負わせず、この復讐劇から遠ざけた。そして生き延びさせようとしている。そうじゃないのか!?』

『ランは……。あの子は最初から用無しだったから、最初から退場してもらっただけだもん!』


 嘘だ。

 復讐に燃えるリンさんの根底にあるのは、家族や仲間を深く想う優しい心だ。その優しさを持つ人が、自ら大切な妹を手にかけるなんてできない。

 僕の予想を裏付けるように、暗黒と化したリンさんは、動揺で侵食の手を鈍らせていた。


『リンよ。その優しさを周りに向けろ。家族を愛する心、仲間を想う気持ち、それは誰しもが持つ善なる魂だ。賢者として、我らは善なる魂をはぐくみ、豊かな生命を護らなければならない』

『誰かを護るために賢者になんてなったんじゃないもん! 力を得るため。この復讐のために賢者として修行を積んできたんだ!』


 復讐こそが全て。リンさんにとって、この三百五十年間は暗黒の時代そのものだったのかもしれない。

 悲しみと憎しみを背負い、いつか来る復讐の機会のためだけに生きてきた。


 なんて虚しい人生だろう。

 どれほど辛く苦しい歩みだっただろう。

 リンさんの気持ちを思うと、いたたまれない感情になる。

 だけど、やっぱり復讐なんて駄目だ。

 恨みや憎しみからは、負の未来しか生まれない。


 だから、僕たちは……


『大変ですよー。東からは巨人族の軍勢が、西からは耳長族の戦士たちが迫ってきてますよー』


 熾烈しれつにお互いの存在を消し合う姉妹喧嘩。その最中に、更なる騒動が舞い込んできた。

 どうやら、巨人族と耳長族がこちらの存在をぎつけて、向かってきているらしい。

 そりゃあ、そうか。これだけ広範囲で派手に暴れたら、見つかっちゃうよね。

 きっと巨人族は、裏切り者であり内通者である耳長族を用済みだとでも思って倒しにきたに違いない。耳長族は、禁忌を犯した者を裁くために集結しているんだと思う。


『蹴散らしちゃいましょー』


 ミストラルたちを案内してきたリリィは、僕の影のなかにいる。

 光と闇のせめぎ合いさえも届かないくらいずっと高い空には、みんなを乗せてきたレヴァリアが飛んでいる。

 望めば、巨人族だろうと耳長族だろうと、蹴散らすのは簡単だろうね。だけど、もうこれ以上の犠牲者は望まない。

 手を繋ぎ合う僕たちは、リリィの申し出を断る。

 巨人族と耳長族の標的は、ユンさんだ。それと、ユンさんに化けて暗躍していたリンさんも狙われるだろう。

 早くしないと、大局ばかり見ていて足もとをすくわれちゃう。


 一時は広範囲に存在を膨らませて争っていたユンさんとリンさんだけど、次第に力は一点へと集約し始めていた。

 暗黒は濃縮され、光は収束していく。

 だけど、あれほど圧倒的だった存在感は、お互いの侵食で蝕まれ過ぎてしまい、集まった気配は今にも世界から溶けて消えてしまいそうなほどまで弱々しいものになっていた。


「リン、連れていくぞ」

「甘く見ないで、お姉ちゃん。我はまだこれから……」


 人外へと姿を変えるほどの力も失ったのか、ユンさんとリンさんは組み合うような形で人の姿に戻る。

 僕たちは、二人の姉妹の成れの果てを見て、息を呑んだ。


 真っ白だったリンさんの髪は、半透明に。それだけじゃない。手や足先も透過し始め、全身が髪の代わりに真っ白になっていた。そして、それはユンさんも同じで、身体の先端から透明になり始めていた。


「もう、世界から消え始めているのか」


 僕たちの輪から外れ、迫り来る巨人族と耳長族を迎え討とうと身構えるカーリーさんが呟いた。


 禁忌を犯し、力を使い続けた代償に世界から消えるって、そういうこと?

 言葉通り、存在も気配も世界に溶けちゃうのかな?

 ユンさんが髪を染めていた理由。もしかしたら、リンさんと同じように白く色が抜け、透明になり始めていたのかも知れない。それをゴリガルさんや暁の樹海の人たちにさとられぬように、心配をかけないように染めていたのかもね。


 弱々しく組み合うユンさんとリンさん。

 あとほんの少し力を使うと、もうこの世界から消えて無くなってしまいそう。


 もう、時間がない。


「みんな?」

「んんっと、準備万端だよ!」


 新緑の輝きに包まれたプリシアちゃんが、自信満々に頷いた。


「ぐはははっ。女め、弱体化しているではないか! 今だ、奴を討ち取れ!!」

「裏切り者め!」

「禁忌を犯した者たちに断罪を!」

「賢者リン……!?」


 プリシアちゃんが力を解き放とうとしたとき。

 とうとう、巨人族と耳長族が、争う姉妹のもとへとたどり着いてしまった。


「邪魔はさせんさ!」


 樹々を押しのけて突進してきた巨人族の軍勢。その先頭に立つひと際の巨軀きょくで覇気に満ちた赤褐色あかかっしょくの男が、見えない壁に阻まれてうなる。

 耳長族は、空間跳躍でカーリーさんの結界を越えようとする。だけど、先んじて僕が使った霊樹の術に阻まれて、やはり接近することができない。


 組み合う姉妹。その近くで輪になって手を取り合う僕たち。それと、傍のカーリーさん。

 巨人族と耳長族は、結界の外で対峙する。だけどその意識は、全ての中心であるユンさんとリンさんへと向けられていた。


「なぜ耳長族以外の種族がこのような場所に?」

「見知らぬ耳長族……。其方、なぜ俺たちの邪魔をする?」

「俺は、竜の森の戦士カーリー。この森の争いに幕を引くため、ゆえあってこの者たちに助成している」

「人族……。と、竜人族?」


 耳長族の戦士たちが、僕たちを見た。そして、僕とプリシアちゃん、それとアレスさんに集約された力に驚愕きょうがくする。


「お、お前たちはいったい、何をしようとしているんだ……!?」

「そんなの、決まっているよ。この悲しい姉妹喧嘩を終わらせて、無益な争いも鎮めようとしているんだ!」


 プリシアちゃんだけではない。僕とアレスさんもまた、新緑色に輝く力に包まれていた。






 さかのぼること、少し前。

 前代未聞の喧嘩が始まったとき。

 僕は決心の意を固めると、みんなを促した。

 警戒から僕のなかに引きこもっていたアレスちゃんも、僕の意志を読み取って顕現する。大人の姿で。


大法術だいほうじゅつ奏上そうじょうする際に、巫女は手を取り合って互いの力を通わせ、法力ほうりょくを増幅させます。わたくしは皆様の力の制御を」

「ルイセイネの補佐はわたしが。流星竜りゅうせいりゅうの宝玉を解放するわ」

「力を流しあうのは得意だわ」

「力を錬成するのは得意だわ」

「僕もありったけの力を解放するよ。アレスさん、お願いね!」

「霊樹と皆の力を集約し、プリシアへ送ろう」

「んんっと、最後の手段だね!」

「私は霊樹の補佐をいたしますわ!」


 手を取り合い、輪になった僕たちの内側を、みんなの力が駆け巡る。

 ミストラルから、清く澄んだ力が溢れ出す。ルイセイネによって竜力と法力が綺麗に混ざり合い、一糸乱れぬ流れへと変わる。

 ひとつの方向へと決定付けられた流れがニーナへ。繊細な錬成に長けたニーナが、流れる力を緻密に織りあげる。それがユフィーリアに流れ、更なる太い流れへと変換されていく。

 ユフィーリアから流れた力は僕の内側で竜の王の力と混ざり合う。霊樹の木刀からも力が流れ込み、大河の流れはここで荒ぶるうずへと変化し、輪になった僕たちのなかを幾度となくまわる。

 そうして何度も混じり合い、増幅され、流れて高みへと至った力は、アレスさんによってあるべき姿に生まれ変わると、優しくプリシアちゃんへと注ぎ込まれていった。


 もう、悲しみの連鎖なんて見たくない。

 だれも犠牲になんてしたくない。

 つみばつ贖罪しょくざいも、永遠であってはならない。

 だけど、世界はそう甘くはない。

 いつの世でも罪を犯す者はいるし、生きている限り恨みを忘れない者もいる。つぐなっても償っても、許されないこともある。

 でも、僕は諦めない。


 もちろん、罪を犯したら罰は必要だし、悲しみや憎しみを無理にでも忘れてしまえ、なんて言わない。だけど、償い方や悲憎ひぞうを忘れる方法はひとつではないと思うんだ。

 だから、僕は僕なりの方法で未来を作る。


 僕とプリシアちゃんとアレスさんから解き放たれた力は、ユンさんとリンさんを包み込んだ。

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